【私がnoteを書く理由】一介のジャニオタが、望む世界の光と闇を融かす

こんにちは、スズです。
約2年前、突き動かされたように書き始めたこのnote。今日は改めて(そしてものすごく今さら)、わたしのことをお話したいと思います。
自己紹介は苦手分野なので、それというよりは「心の中ある、ひとつの気持ち」について、こうして一つの記事を使って書くことにしました。

お読みいただけたら、嬉しいです。

“50人”という数字の節目に

初めは応援しているTravis Japanへの、140字のツイートでは収まり切らない、そしてLINEで送るには長すぎる感情を好き勝手に好きな時間に好きなだけ書き綴り、仲の良いトラジャ担の間だけで共有し、「まじそれな~~!」と盛り上がるためのつもりだったのですが、気づけば50人の方がフォローしてくださっていました。

ただの一般人にとって、素性も知らない自分を相互ではない方々が50人もフォローしてくださるというのは、本当に噓みたいな出来事です。

だってリアルで考えれば、街中で好きなこと喋ってたら周りに50人集まってた、みたいなことですよ。すごくないですか? それに加えて「すき」とか「いいね」なんて、通りがかりの方が反応くださった、みたいなことですよ。すごくないですか? 
そんなこと普段生きてて絶対にありえないです、わたしは。インドアですし。人見知りですし。人目気になるタイプですし。

好き勝手に書き散らした個人の文章を、貴重な時間を使って読んでくださったこと。何かを感じて「すき」を押してくださったこと。アカウントをフォローしてくださったこと。その過程を思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。

中にはとても反響があった記事もありました。いろいろな方が読んでくださり、反応をいただいたことはとっても嬉しくもあり、ビビりなので怖くもあり、「そんな大層なものじゃないのに……!」と申し訳なくもあり、いろいろな感情が渦巻きました。

そして、だんだん自分の中でもある気持ちが芽生えてきました。
「読んでくださった方が、何か一つでも持って帰れるような内容を書きたい」ということです。反応をいただけるのはやっぱり嬉しいから、せっかくなら意味のあるものを書きたいな、と。一種の承認欲求ですね。

そう、ただの一般人であるわたしは、ただの一般人であるからこそ、「ただの一般人目線のnoteを読んでくださった方が、何かを考え、自分も語りたくなるきっかけ」を書きたいのです。そう言うと、ものすごくおおごとに聞こえますよね。「何目線やねん」みたいな。

そのことについて、ちょっとだけ書かせてください。長いです。


平和と秩序、調和を実現したい願望

わたしはこのnoteを始めたことで、元々自分が「考える」という行為、さらに「考えたことを文章で表現する」という行為が好きだったことに、改めて気づきました。

余談ですが、それはTravis Japanの川島如恵留くんを好きになった理由の一つでもあるのだと、今となっては思います。

そしてわたしは人間関係においても社会においても、何よりも穏やかで平和な世界であることを望んでいます。
そんな性格ですので前々から、「オタク界隈」ひいては「アイドルとオタクの世界」の平和と秩序、そして調和を実現したいと思っていました。もういよいよ「誰なんお前」と言われそうですよね。すみません。

でも共感していただけるのではないかと思います。「アイドル」と「オタク」がお互いに心地よく、楽しく毎日を過ごせたら。お互いが存在することで、生きることに意味を見出したり、活力が出て幸せを感じることができたら。すごく理想的だなと、わたしは思うんです。

けれど実際はそうじゃない、ですよね。むしろその方が多いくらい。問題はオタク側にあることもあれば、アイドル側にあることも。
特に、生きている人間を相手にしているオタクのネガティブな感情は、多くの人も巻き込んでものすごい闇のエネルギーを作り上げます。

人を対象とした人気商売であればどこの界隈にもあるのでしょうが、オタク同士の確執も想像以上にたくさんあります。
自分は情弱なんじゃないか、とか、もっと積まなきゃ、とか、他の人と比較して落ち込むこともあります。
普通に生活していても「アイドルのオタクなんて気持ちわる」という言葉に傷つくこともあります。

また、「好き」のエネルギーは何よりも強く輝いていて尊いものですが、そのエネルギーも大きくなりすぎて暴走すれば、相手にとっては脅威となります。

最終的にアイドルもオタクも病んでしまうという、誰も幸せにならない結果が生まれてしまうことも少なくありません。

SNSだって、「有名税」とか「言論の自由」とか「自分らしさ」とか「あなたのためを思って言ってる」とか、何か都合のいいように解釈されたり耳障りの良いことを添え、目も当てられない無法地帯になることもしばしば。

どうしてこういうことが起きてしまうのだろう、と悲しくなります。
なぜ「好き」という、何よりもあたたかく、やわらかく、素敵な感情が、こんなにも大きな闇の渦に吸い込まれてしまうのか。大好きなアイドルが悲しんでいたり、オタクが応援することに疲れてしまったりするのか。

「結局は人対人だから仕方のないこと」なのか。

いや、そんなことあっていいはずないんですよね。わたしは好きな人には幸せでいてほしいし、相手のことが好きな自分も幸せでいたいです。

アイドル側の問題は、運営や事務所などたくさんの大人が絡んだ複雑なものもあるでしょうが、オタクとの関係性も悩みの一つにはあると思うんですね。

その部分を、オタクとしてできる限りなくしていきたい、と思っています。


仮初めの平和はいつか壊れる

わたしは、根っからの平和主義。矛盾するようですが、その平和を壊すような不届き者は絶対に許さない、という変な正義感を持っていました。いわゆる「害悪」といわれる人たち、マスコミ、世論、果ては事務所の方針など、対象は様々です。

わたしが望む平和とは、「誰も嫌な想いをせず、心穏やかに過ごせること」。ただ、自分の思い描いていたそれが「仮初めなのかもしれない」と感じたのは、「トラジャを、売りたい。」という記事を書こうと、初めに思いたったときのことです。

そのnoteの中でわたしは、読む人が読んだら不快に思われるようなことにも触れています。これまで以上に言葉選びには気をつけ、推敲を重ねたつもりですが、それでも全員が納得することは不可能だと悟りました。ある方向から見れば、わたしが「害悪」になってしまう可能性もあるのだ、ということです。

望んでいたのは、平和を維持するために優しい言葉だけで会話をし、許容しあい、競争もなくて、やわらかく守られていて、いつも笑いで溢れている、そんな世界にしようよ、みたいな。そんな世界が理想だったのでしょうね、わたしは。
昨年社会現象にもなった、ウタの描いた世界のような感じですかね。

けれど、きっと皆さん思われますよね。「そんなもの、ない。」
ですよね。そんな腑抜けた世界は、一瞬で壊れます。

競争は市場を活性化するために欠かせないものです。それをなくすことは、ある意味衰退を意味するかもしれません。芸能界は特に競争の激しい世界ですから、本人も応援する側も気づけば疲れ果てています。

平和というのは、決して腑抜けではありません。たゆまぬ努力の上に成り立つもの。自分の気持ちを伝え、危険を察知したなら逃げる勇気を持つこと。また一から築く気力を起こすこと。

お互いに思っていることや感じていることを、とことん伝え合い、一旦受け取り、想いをできる限り一つに近づける。相手の言い分を否定せず、かといって自分も妥協しない。攻撃したり支配しようとしたり扇動したりはせず、あくまで公平性をもって話し合う。自分が「自分らしさ」を大切にしているのなら、相手もそうであることを認識する。

「暴力」ではなく「対話」によって実現する。

平和な世界をつくるというのは、実は何よりも難しいことです。

そして自担グループTravis Japanは、それができるグループだと思っています。だから好きなんだと思います。だから「平和」で「幸福度No.1」のグループなんだと思います。

わたしは、結構本気で「トラジャって民主主義の縮図みたいなグループだよな」って思ってます。いや、すごいんですよトラジャって。

そして、その実現に必要なのが「自分を律する力」だと思うのです。


人は変えられなくても、自分はコントロールできる

わたしも、いっそオタクなんてやめてしまおうかとも思ったことが何度もあります。けれど、やっぱりやめられない。オタクであることは、わたしのアイデンティティであり、生きていく理由の一つでもあります。

これがなくなったら、わたしには何も残りません。でも、こんなにしんどいのは嫌。どうしたらいいんだ……と頭を抱えたこと一度や二度ではありません。

そんなとき、ふと「オタクが楽しめないときは人間関係、特に家族やパートナーなど身近な人との関係が上手くいっていないとき」だと感じたのです。あくまでわたしの場合は、ですが。

なのでまず、身近な人との関係を良くすることにフォーカスしました。そこで身につけた考え方を応用できないかなと。

アイドルとオタクも「人対人」、つまり「一つの人間関係」なのです。
人間関係が上手くいかないとき、問題を考える前にまずは「自分の気持ちを掘り下げて、満たしてあげること」、そしてそれを「相手にしてもらおうと求めないこと」が大切だなとつくづく実感しています。
「いい意味で期待しない」ってやつですね。

自分を満たすために相手を使わない、相手を思い通りにコントロールしようとしない、ということです。これは相手が「パートナー」でも「家族」でも「友人」でも「職場の人」でも、「アイドル」でも、誰でも同じです。

自分のことは、自分で満たしてあげる。
そうでないと、関係が好転して一瞬上手くいったとしても、まただんだんと不満を溜め込んでしまいます。人間、自分以外の人をずっと満たしつづけるってやっぱり難しいですから。

いつも楽しそうでニコニコしている人って、得てして自分で自分を満たすのが上手だなと感じます。そして、その余剰分のハッピーを相手にも与えているな、とも。

オタクになれる人って、実はそのポテンシャルを持っていると思うんですね。しかも潜在的にですよ。それ、すごいことじゃないですか?  周りにも「頑張ってもオタクにはなれない」という人もいます(そもそもオタクなんて、頑張ってなるもんじゃないです。恋と同じです)。

オタク活動で悩んだことないよ!楽しいよ!という方も、これが上手いのだと思います。ちなみにわたしは、現在進行形でものすごく下手です。

オタクって「自分で自分を満たす方法を知っている」という面で、人間関係の悩みを軽くする方法の一つを、すでに身につけているんですよね。オタクは才能なんだと思います。

もちろん、やり方を間違えると傲慢や我儘になってしまいますが(自分は楽しそうでも周りを振り回すのが、いわゆる「自己中」ですね)、そこに「思いやり」があれば大丈夫じゃないかなと思います。
「思いやり」と、「空気を読む」や「自己犠牲」は全く別物ですし、「自分も相手も心地いい空間をつくる」という努力や意識は、他人と生きていく社会的動物であるわたしたちにとって、絶対に必要です。

この見出しは、「人は変えられなくても、自分はコントロールできる」にしました。この言葉はよく「自分は変えられる」と続きますが、個人的に“変える”必要はあまりないかな、とも思っていて。

自分のことを「嫌だな」と思う部分は誰にでもあると思います。相手に対するネガティブな感情だって、抑えても抑えても湧いてきます。それは仕方のないことです。それもひっくるめて、自分です。

熱愛報道、嫌ですよね。結婚報告、落ち込みますよね。脱退解散休止、生きる気力失いますよね。大切なお知らせ、トラウマですよね。分かります。
「ファンなら全て受け入れるべき」という意見に深く傷つき、反発したり、受け入れられない自分を責めたりしますよね。分かります。でも、それでいいんです。

それを“変える”とか、“止める”という意識よりも、そんな自分自身のことを深く理解し、湧いた感情を認め、そんな自分も愛し、暴走しないようコントロールしながら相手に向き合うことが重要かな、と思うのです。

そしたらいつの間にか、わざわざ“自分を変えなきゃ”と無理しなくても、自然と変わっているものなんだと思います。

それができれば、きっと好転します。
社会なんて大きなものを変えることは難しくても、自分の半径3メートル以内の関係は変えられるかもしれません。それが出来たら、心地よくする相手を「アイドル」や「他のオタク」に広げていく。

バタフライエフェクトのようにいつの間にか「アイドルとオタクの世界」が最高に平和なものになっていた、なんてこともあるかもしれません。

「自分をコントロールする」って、言うは易しで実際めちゃくちゃ難しいですよね。わたしもまだまだ挑戦しているところです。家族やパートナーは自分の深いところまで関わるし、遠慮がないのでついついぶつかりやすくなりますからね。

そしてSNSをはじめインターネットというのは気軽な分、一瞬の気持ちの上下でとんでもない一言を放ってしまうこともあります。自分から出した言葉には、責任があります。言葉は重たいです。そこに気をつけなければ。

わたしも本当に、常々反省することばかりです。


わたしがnoteを書く理由

そして、ここからが「わたしがnoteを書く理由」なんですが、わたしが考えごとをするときに意識していることと、仕事の信念にしていることが大きく関わっています。
それは、

・ヒントは自分の外側に、アンサーは自分の内側に

・You cannot teach a man anything ; you can only help him find it within himself.(人にものを教えることはできない。できることは、その人が自ら気づくための手助けだけだ)

です。二つ目はガリレオ・ガリレイ先生の名言です。これを知ったときのわたしの言葉は「まじでそれ~!」でした。ガリレオ・ガリレイは泣いています。

言うなれば、わたしが書きたいのは「わたしはこう思うんだ、あなたは?」という問いなのです。いやほんと、最初から最後まで「お前誰だよ」でごめんなさい。でも、それが本音なんです。

やっぱりわたしは、誰もが楽しくオタクができる世界であってほしい。どのアイドルも楽しく活動できる世界であってほしい。アイドルもオタクもお互い幸せであってほしい。それが一番の願いです。

わたしの書いたことが、「自分もこれで良かったんだな」とか「あ、こういう考え方もあるんだな」とか、「これは、うーん……どうだろう」とか、読んでくださった方の心のどこかに触れたら嬉しい。
そしてさらに「オタクとして自分はどうかな」と、「自分を律する力」について考え、それについて「自分も語りたい!」という思いが生まれるきっかけになれば、これほど喜ばしいことはありません。

それが、わたしの承認欲求なんです。

わたしは、何かを教えられる人ではありません。伝えられる人ではありません。先導できる人ではありません。何が正しくて、何が間違っているかなんて、まったく分かりません。

ただ、考えたい。一緒に考えてほしい。そういう思いです。

さてここまで来たら、川島如恵留くんを応援する、のえ担さんはピンときたことでしょう。そう、如恵留くんのソロインスタライブ「#のえゼミ」のコンセプトと同じです。
完全に後出しになるので言い訳みたいに聞いてもらって構わないんですけど、このことはいつか書こうと思ってたんです。本当です。笑

だから如恵留くんって大好きなんだよね!!!分かる!!!!って思いました。本当です。言い訳みたいですけど。

まぁ、というわけでそういうnoteを書いていきたいな~なんて思っているのです。書くことで、わたし自身も振り返ることができます。「あ、これ良くなかったかな」と反省することもできます。新たな答えや矛盾に気づくことができます。「自分を律する力」を成長させていくことができます。

わたしの考えたいテーマは「平和なオタク世界の実現」です。もし、この時点で「いや、オタク界隈なんて戦ってなんぼだろ!」という方がいらっしゃれば、そのときわたしは、その方と「対話」をする必要があるのです。何を望み、どういう風にお互い心を近づけていくのか。

果てしなく遠い理想郷への道のりを、一緒に考えていけたらなって思います。

長らく語りまくって、伝えたいことはこれだけです。

その内容が「トラジャを、売りたい。」みたいな左脳全開の分析や考察だったり(これについては正直、ちょっと時期みてます……絶対にタイミングミスった気がしている)、こういう感情100%の右脳的なエッセイだったりするでしょうが、それも楽しみたいです。

さて、50人という節目に改めて表明として綴ってまいりました。相変わらず長く語るのが好きですね。ごめんなさい。
とはいえ、書かねば!と気負うわけでもなく、これまで通り書きたくなったら書きたいことを書く、というスタンスで、のんびり続けていけたらなと思っています。

これからも、引き続きよろしくお願いいたします。

(ちなみに文中にチラっと書いてる「自分の掘り下げレッスン(仮)」、気になる方はご連絡ください、喜んでお話します、ということをこっそり申し添えておきます……笑)

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