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”孤独の俳人” 尾崎放哉が残した名句は、いまもなお色あせることなく輝いています。『尾崎…

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”孤独の俳人” 尾崎放哉が残した名句は、いまもなお色あせることなく輝いています。『尾崎放哉全句集』を鞄につめこみ、「100年の孤独」をテーマに一句一枚の写真を撮りにでかけています。

記事一覧

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.18〉 子どもと自然が響き合う

寄せ返す波の動きにあわせ、子どもたちの足もせわしなく、前へ後へ行ったり来たり。ころがる波との戯れは、多くの人が幼いころに経験されたことでしょう。そんな光景を詠ん…

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.17〉 強い光と深い陰影

美術館の入口へ向かう通路の途中で、ふとガラス越しに見えたブロンズ像(写真)。それは、アメリカの彫刻家 ジョージ・シーガルが1983年に制作した『Rush Our(ラッシュア…

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.16〉 うつろの心をもつ人は

とある駅構内で人型ロボットがインフォメーションの受付に立っていました。物珍しさに人の足は止まり、施設案内を利用している人たちがいました。50年前ならともかく、100…

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.15〉 海は母そのものでした

放哉は山より海が好きでした。「~海を見て居るか、浪音を聞いて居ると、大抵な胸の中のイザコザは消えて無くなつてしまふのです。~」、そして放哉は、海が荒れて、乗った…

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13日前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.14〉 孤独の鍵が開いたとき

1918(大正7)年、放哉33歳のときに作られた句です。この年の2月、師の荻原井泉水への書簡に「これからの俳句は『芸術より芸術以上の境地を求めて進むべきだ』」と抱負を書…

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2週間前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.13〉 小さきものに目を止めて

草も木もない橋の欄干の上を尺取虫は歩いていました。こうやって地を這うときが、この虫にとって一番の試練なのかもしれません。翅を得て好きなところを飛び回り、好きな相…

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3週間前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.12〉 肉体を苛めつくして訪れる

南に面した窓のある4人部屋奥右側にわたしのベッドはありました。お天気のよい日は朝日が病室のカーテンをオレンジ色に染めました。 再発したがんを摘出したのち、わたしの…

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3週間前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.11〉 香りたつ五月のバラ  

この句は、全句集「Ⅲ 句稿」(大正14年~15年)の章の句稿3 雑吟として載っています。年譜を見ますと、大正14年5月の立夏をすぎたころに作られた句と思われます。ちょうど…

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3週間前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.10〉 御堂の濠の鯉はゆったりと

5月の連休に京都へ墓参りに行きました。四条河原町周辺は多くの人でごった返していました。タクシーに乗り一路霊園へ。まちの喧騒は嘘のように眼下に沈み、車は新緑の中を…

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1か月前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.9〉  人が人をばかす世に

放哉の生きた明治・大正期は、いまより迷信を信じた人がたくさんいたんでしょうね。ただ迷信も信じたけど、神仏に対しても信心深かったようです。その態度は、わたしたち現…

しゅうしん
1か月前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.8〉  酒に溺れてゆく先は

アルコールやギャンブル、薬物などにはまり込むのは、少し前まで”〇〇中毒”と言われ、意志が弱くてだらしない人間、というのが一般的な見方でした。しかし、いまは脳の病…

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1か月前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.7〉

この句は、全句集のなかで「Ⅱ 俗世の時代」の章にあります。この時代は1915年(大正4年)から23年(大正12年)までを指し、放哉が遁世以前に生きた30歳から38歳までにあた…

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1か月前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.6〉

放哉は、路上のつまらない石に深い愛惜を感じていたと「入庵雑記」で語っています。「~蹴られても、踏まれても何とされてもいつでも黙々としてだまついて居る・・・」と。…

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1か月前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.5〉

女性はお連れ合いに先立たれてから31年間、ずっと独り暮らし。息子たちに負担をかけたくない思いと、誰からも縛られたくない思いがそうさせたのでしょうか。女性はこの間、…

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1か月前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.4〉「犬の尾と猫の眼」にみる詩情のうらはら

犬と猫 尾崎放哉全句集のなかで「猫」の音から始まる句は七句あります。それに対して「犬」は17句です。同句集85頁に「犬よちぎれる程尾をふつてくれる」で表現されている…

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1か月前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.3〉

ひらひらひらと桜花舞う 『尾崎放哉全句集』177頁にある一句。若き放哉が思いを寄せた女性だった「沢芳衛あて書簡中の句」と記されています。恋破れ俳号を芳哉から放哉に …

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1か月前
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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.18〉 子どもと自然が響き合う

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.18〉 子どもと自然が響き合う

寄せ返す波の動きにあわせ、子どもたちの足もせわしなく、前へ後へ行ったり来たり。ころがる波との戯れは、多くの人が幼いころに経験されたことでしょう。そんな光景を詠んだと思われる一句に、子どもと自然の小さな響き合いを感じます。

この句は、大正5年(1916年)放哉31歳のときの作品です。明朗快活な印象さえありますが、これから先、放哉は”死の陰の谷”を歩むことになります。ただ、その間に作句されたものこそ

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.17〉 強い光と深い陰影

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.17〉 強い光と深い陰影

美術館の入口へ向かう通路の途中で、ふとガラス越しに見えたブロンズ像(写真)。それは、アメリカの彫刻家 ジョージ・シーガルが1983年に制作した『Rush Our(ラッシュアワー)』という作品でした。都市の群像に漂う孤独と孤立、そして人間疎外を十全に物語っていました。

句は、放哉が保険会社に勤めていたころの風景を詠んだものでしょうか。ときは大正ロマン、大正デモクラシーと呼ばれた時代でした。活況を照

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.16〉 うつろの心をもつ人は

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.16〉 うつろの心をもつ人は

とある駅構内で人型ロボットがインフォメーションの受付に立っていました。物珍しさに人の足は止まり、施設案内を利用している人たちがいました。50年前ならともかく、100年前には想像もつかない光景だと思います。世の中はいま、人手不足や出生率低下など、やせ細る日本社会の問題に対し、官民挙げて取り組みだしたところです。

「うつろ」を空ろとするか、虚ろにするかでニュアンスは違ってきますが、あとにくる助詞の「

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.15〉 海は母そのものでした

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.15〉 海は母そのものでした

放哉は山より海が好きでした。「~海を見て居るか、浪音を聞いて居ると、大抵な胸の中のイザコザは消えて無くなつてしまふのです。~」、そして放哉は、海が荒れて、乗った船が微塵に砕けても怖くはなく、むしろ、自分はやさしい海に抱いてもらえることに満足するだろう、と『入庵雑記』のなかで書いています。
放哉にとって海は母そのものでした。
つづけて『入庵雑記』にはこうあります。
「~母の慈愛――母の私に対する慈愛

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.14〉 孤独の鍵が開いたとき

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.14〉 孤独の鍵が開いたとき

1918(大正7)年、放哉33歳のときに作られた句です。この年の2月、師の荻原井泉水への書簡に「これからの俳句は『芸術より芸術以上の境地を求めて進むべきだ』」と抱負を書き送っています。大正4年末からこの時期まで、師の井泉水が創刊していた自由律俳句誌『層雲』への投句や、句会にも積極的に参加していたようです。しかし、翌8年に発表句は途絶えることとなります。
自由律俳句に込める情熱が高まる一方、本業の会

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.13〉 小さきものに目を止めて

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.13〉 小さきものに目を止めて

草も木もない橋の欄干の上を尺取虫は歩いていました。こうやって地を這うときが、この虫にとって一番の試練なのかもしれません。翅を得て好きなところを飛び回り、好きな相手を求めて宙を舞う。それまでは、ひたすら胴を持ち上げ前へ、前へと進みつづけるしか仕様がないのでしょう。
小さきもの、取るに足らないものに目を止め、放哉は句を詠んでいました。自らの孤独を確かめるように。

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.12〉 肉体を苛めつくして訪れる

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.12〉 肉体を苛めつくして訪れる

南に面した窓のある4人部屋奥右側にわたしのベッドはありました。お天気のよい日は朝日が病室のカーテンをオレンジ色に染めました。
再発したがんを摘出したのち、わたしの臓腑は長い間、痛みがとれませんでした。結局1カ月ほど鎮痛剤を飲みつづけました。
痛みは辛いものです。辛い痛みはやがて、不安や恐怖などさまざまな影を心に落としました。院内はコロナの感染予防のため、家族との面会も制限されていました。
そんなと

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.11〉 香りたつ五月のバラ  

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.11〉 香りたつ五月のバラ  

この句は、全句集「Ⅲ 句稿」(大正14年~15年)の章の句稿3 雑吟として載っています。年譜を見ますと、大正14年5月の立夏をすぎたころに作られた句と思われます。ちょうど須磨寺から福井県小浜市の常高寺に身を寄せていた時分です。ただお寺が破産したため、この地では2カ月ほどしか暮らしていなかったようです。この間、一人庭の草ムシリをしながら句をつくっていたと放哉は言っています。五月の空の下、病を得ていた

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.10〉 御堂の濠の鯉はゆったりと

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.10〉 御堂の濠の鯉はゆったりと

5月の連休に京都へ墓参りに行きました。四条河原町周辺は多くの人でごった返していました。タクシーに乗り一路霊園へ。まちの喧騒は嘘のように眼下に沈み、車は新緑の中を走りました。
御堂のなかの仏壇の前に立ち、花を手向け、ロウソクを灯し、お線香を立てて、在りし日の父母を偲びました――。

放哉は入庵雑記のなかで懺悔文を書いています。
おおよその内容は、「自らの悪行は、すべて過去からの〈むさぼり〉〈いかり〉

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.9〉  人が人をばかす世に

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.9〉  人が人をばかす世に

放哉の生きた明治・大正期は、いまより迷信を信じた人がたくさんいたんでしょうね。ただ迷信も信じたけど、神仏に対しても信心深かったようです。その態度は、わたしたち現代人よりか、よほど敬虔だったにちがいありません。放哉5歳のときに来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が著した『日本の面影』には、そのことが描かれていたように思います。

西洋の文物が輸入されて以降、科学的な知識やものの見方は徐々に大衆へ

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.8〉  酒に溺れてゆく先は

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.8〉  酒に溺れてゆく先は

アルコールやギャンブル、薬物などにはまり込むのは、少し前まで”〇〇中毒”と言われ、意志が弱くてだらしない人間、というのが一般的な見方でした。しかし、いまは脳の病気のひとつとされ、依存症と呼ばれています。
放哉は依存症だったのでしょう。21歳で酒を覚え、病魔に侵され41歳で亡くなる少し前まで飲み続けていたようです。しかも酒癖が悪く、失策を繰り返していたといいますから。社会的評価が落ちることは自明の理

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.7〉

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.7〉

この句は、全句集のなかで「Ⅱ 俗世の時代」の章にあります。この時代は1915年(大正4年)から23年(大正12年)までを指し、放哉が遁世以前に生きた30歳から38歳までにあたります。年譜によれば、この期間、勤めていた保険会社での降格と退職、活路を求めた先での浮沈、実母の死、自身の発病など大きなうねりのあった年月だったようです。
かぎりなく煙吐き散らし――近代化に沸き立つ当時、放哉がどこかで目にした

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.6〉

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.6〉

放哉は、路上のつまらない石に深い愛惜を感じていたと「入庵雑記」で語っています。「~蹴られても、踏まれても何とされてもいつでも黙々としてだまついて居る・・・」と。誰も見向きもしない小石に心をとめる感性は、多くの人は子ども時代に置いてきたのでしょう。引いては返す波の舌で小石は転がりつづけます。ひとつ拾い上げ海へ放り投げました。こんど人の目にとまるのは何百年先になるでしょうか。

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.5〉

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.5〉

女性はお連れ合いに先立たれてから31年間、ずっと独り暮らし。息子たちに負担をかけたくない思いと、誰からも縛られたくない思いがそうさせたのでしょうか。女性はこの間、小型犬2匹、小動物3匹を飼いつづけ、そして看取っていったのでした。91歳になった今年、生き物のいない部屋は淋しいとハムスターを買い求めました。手のひらのぬくもりが愛おしく、淋しくてたまらなかったに違いありません。

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.4〉「犬の尾と猫の眼」にみる詩情のうらはら

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.4〉「犬の尾と猫の眼」にみる詩情のうらはら

犬と猫

尾崎放哉全句集のなかで「猫」の音から始まる句は七句あります。それに対して「犬」は17句です。同句集85頁に「犬よちぎれる程尾をふつてくれる」で表現されているように、そのまなざしには犬への好意が感じられます。 一方、猫はと言いますと、同294頁に「猫の眼がきらひだ」と直截的に表現されています。孤独を愛した『詩人』放哉は、なぜ人の愛情を欲するしぐさを常とする犬にひかれたのでしょう。

【一句

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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.3〉

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.3〉

ひらひらひらと桜花舞う

『尾崎放哉全句集』177頁にある一句。若き放哉が思いを寄せた女性だった「沢芳衛あて書簡中の句」と記されています。恋破れ俳号を芳哉から放哉に
改めたいきさつからみても、こころ砕かれた一事であったに違いありません。その後の自由律俳句にはない初々しさのなかにも、そこはかとない切なさを感じます。

【一句一写】