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ソビエト崩壊からロシアへ チェチェン紛争を調べてみる

さて、チェチェンが何故独立出来なかったか?
これが実は調べると単純な理由がありまして、ソビエトの構成国の中でロシアから独立した国はロシア共和国に含まれていない国という事が解りました
そして、チェチェンはロシア共和国内の一地域で独立を認めないという謎ルールもある事が調べて解りました

しかし、元々、チェチェンは独立志向が高い地域で何度もロシアと対立してます、そういった中で1991年11月に元、ソビエトの元軍人でジョハル・ドゥダエフ氏が大統領になると独立の動きが活発になります
エリツィンは治安部隊をチェチェンに向かわせますが反撃を喰らって撤退
1994年に12月に本格的な軍事侵攻を始め第一次チェチェン紛争が勃発します、これは現在のウクライナ侵攻に近い状態でありロシア側の攻撃も残酷極まりない物でした

1999年には第二次チェチェン紛争が始まります当初は正規戦でしたがロシア側の圧倒的な攻撃力に正規戦での敗北が見えてきます
この時の攻撃も凄まじい物で2000年にはクリントンやブッシュもこれを非難しロシアとアメリカの関係は悪化します

ところが、ここでチェチェンはミスをします
よりによってアルカイダやムジャーヒディーンを招き入れたんですね
そんな中、2001年にアメリカの同時多発テロが起きます
アメリカの方針も大きく代わりテロとの戦いを全面に押し出します

また、チェチェン側もそれまでの正規戦から徐々にテロ活動がメインになってきた事もミスでした

結果的にアメリカが打ち出したテロとの戦いはプーチンや習近平を助ける事になります

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