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なかなか書き始めない奴

最近の僕のnoteは、いかに土日をダラダラ過ごしたかを報告する場所になり始めている。

この土日は珍しく(多分今年で初めて)一日中文章を書いていた。僕は文章を書くのが好きではあるんだろうけど、どうしても好きな作家と自分の文章を比べてしまい、1文字目を書きだせないということがよくある。よくあるどころか、それをこの1年間ほとんど毎日続けてきた。

文章を書かないことの罪悪感というのは常にある。例えば仕事から帰ってご飯を食べ、風呂から上がってからベッドでYouTubeを見始めた時。YouTubeのアイコンをタップする瞬間にはないけど、10分くらい見終えたら「次の動画を見たら10時55分になるから、今日はもう書かないだろうな」と思う。

YouTubeを見ずにとりあえずパソコンに向かえば済む話だけど、どうせ今日も上手く書けないんだろうなと思ってしまう。文字数を見て「これだけ考えてまだ200文字……」となるのが億劫なので、それが怖いのでいっそ書こうともしないでおこう、となる。本を読んでいるときは「俺もいけそうだな」と思うけど、実際に書いてみると「なんか全然おもんないな」となる。

これの対処法として「狙ってハズしてるのは、そこまでダサくない」ということ。例えば島田雅彦(失礼!)。彼のデビュー作「優しいサヨク」は、1文1文狙っている。そして、結構ハズレてる。10個文章があれば1つか2つは「まあ、確かに」となるけど、残りの8つか9つは「んー、もっとあったな」と、読み手をちょっと恥ずかしくさせる。

でもこの本全体の印象としては、新人賞にふさわしい、若さを売りにしたイイ小説ということになる。比喩の巧さというのは、新人の熱量よりは大事ではないのである。この小説からは、島田雅彦の「デビューしたい気持ち」が伝わってくる。
村上春樹の「風の歌を聴け」に関してはもう分からないのだけど、選考委員からすれば多分同じ気持ちだったんだと思う。「この新人は、何かをやりたがっている」、と。

だから自分が書いている文章を1文1文校正し、結局1文も書かないというのは、あまりにも一人芝居というか、容量の悪いやり方なのである(じゃない?)。そう思いさえすれば、少しは救われた気持ちにもなる。

とにかく、僕はこの土日で結構書けた。コメダ珈琲と雑居ビルの名もなきカフェで、パチパチとキーを打った。これを毎週続けていきたい。

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