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心を映す写真。

人は誰でも大人になり
ある人は親になります。


そして、
自分の親を看取る
こともあります。


実際に自分がそこそこの年齢になると
逆に自分の子供たちが自分を見て
どんな気持ちでいるのかが
気になったりします。


「人の心のありかた」
というものは

年をとってもあまり変わらないです。


知っている情報や
自分のできることの範囲が
広がるだけで、

基本的に自分以外の人を含む生き物や
モノに対する感情は
大きくは変わらない気がします。


誰にでもあると思いますが
「死」というものを
意識したのはいつか。


それは、
自分が今すぐにどうこうと
いうことではなく、

「自分がもし死んだら
どうなるのだろうかということ」

に生まれて初めて
考えをめぐらすときのことです。


私の場合、小学生だった頃
ある日、突然、この問題に直面しました。


「今考えている自分自体が
存在しない世界とはどんな状態か?」

ということを考え始めて、
思考が無限ループ入り。

その夜は眠れませんでした。


年をとると
覚悟を決められるようになります。


というよりは

いろんなことが情報として
自分の中に入ってきて

「死」そのものも

受け入れられる状態に
なるのだと解釈しています。


とはいえ、
寿命が尽きて亡くなるのと

病気などで
生きたいのに
生きられなくなって
亡くなるのとは

大きく違います。


少なくとも
前向きに受け入れられるよう
普段から健康でいたいと
思うものですね。


そんなことを
考えているせいか、
命あふれる
様子にはとても惹かれます。


その代表として「赤ちゃん」があります。



昔は面倒そうな対象だとしか
思わなかった「赤ちゃん」ですが


今は他人の赤ちゃんであろうが、
動物の赤ちゃんであろうが
関係なく、かわいくて
仕方がないです。


いや正確には
「愛おしい」という感じです。


「愛おしい」とは辞書で調べてみると
「かわいくて仕方がない」
「たまらなくかわいい」とか、
「大事にしてかわいがりたくなるさま」
という意味のようですが


私の場合はなにか
「尊い(とうとい)」感じがするのです。


とても貴重で、ありがたい感じです。


頑張って生きているという様子が
伝わってきて、そう感じてしまうのです。




唐突ですが、



私は写真を撮るのが好きです。


しかし、もっぱら対象は
自然などの風景です。


こんなに愛おしいと感じる
対象があるなら、積極的に
写真におさめれば
良さそうなものですが
そうはいきません。


撮ることに
何か申し訳ない気がするのです。


写真というものは
絵と時間の瞬間を
切り取るものですが、


そうして撮った写真は


のちのち、
数多くの人の目に
さらされることに
なるのです。


それが写真なのだから
あたりまえだと
言う人がほとんどだと
思いますが、


先ほど述べたように


私は「尊さ」を感じるのです。


だから、
その貴重さを大事に思わない人は
きっと「ありがたい」という気持ちは
抱いてくれないだろう
と思うのです。



今はこういっている私も
いつの日か
子供の笑顔を
たくさん撮る写真家に
なっているかも知れません。



写真はカメラがとるのではなく
人の心が撮るからです。


心のありかたは変わりませんが
気の持ちようは変わりますからね。


最後で読んでいただき
ありがとうございました。
写真は心の状態を映す。

これからも書くことを
続けます。




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