なぜnoteを書いているのか?

noteを書き始めた当初は、推し活での出来事を書いて共感してもらおう、推し活仲間を集めようという目的で書いていた。

最初はライブレポートとか、推しと接触したときに話したことを書いていた。
行けなかったファンにも内容を共有して喜んでもらおうと思って、
平日の昼間の、あまりお客さんがいなかったイベントのレポートを書いた。

推しと接触した時の話を書いたのは、
推しと自分との会話内容は会話した本人しかわからないし
推しと他人がどんな会話をしているかもよくわからないし、
どういう会話が正しいかもわからないから
一例としてこういうのがあるよ、というのを共有したくて書いた。

みんなが書いているようなことを書いても仕方がないから、
なるべく他の人と被らない内容を書くことを心掛けた。

他の人が書いていないこと、
そして他のファンから共感を得られるものはなんだろう。
そう考えて、推しへの不満を書くことにした。
推し活に対する不満を書いた。

不満があっても言えなかったファン達が賛同するはず…。

しかし、
紆余曲折あって推しに嫌われ、ブロックされた。

事の顛末を記事にした。

今度は、ファン以外に向けて。

ファン仲間は、推し側につきやすく、公平な判断ができない。
世間に広まれば、
僕のほうが正しいという意見が多数派になるかもしれない。

僕の望んだ通り、世間に広がった。

しかし、世間の声は僕の思っていたものと違った。

推し活のなかで起きた出来事と、それに対する自分の考えを書いただけ。
それなのに、ホラー小説のようだと言われている。
僕が精神病だと言う人もたくさんいる。

僕の何が変なんだ……??

noteのコメント、TwitterのDMに寄せられた意見を1件1件読みながら考え、少しずつ理解していった。

炎上に至った記事やその後考えを改めたことに関しては、以下に該当記事をまとめてあるので
是非チェックしてみていただきたい。


これらの記事に寄せられた意見のなかで、
「文章をもっと書いたほうが良い」というのが結構な数あった。

幼少期から振り返って文章に起こしてみれば
なぜ友達がいなかったか分かるかもしれない、という意見が気になった。

そして、noteに新たな記事を書いた。
幼少期から中学生の頃までを振り返った。

しかし、書き終えて、公開するのを少し躊躇した。

それはなぜか。

僕の推し活の記録に関するnoteの感想で、
「文才がある」「文章が読みやすい」「引き込まれる文章」という意見が多く見られた。
そう言われると、
文章を書くときのプレッシャーが凄い。
引き込まれる文章を書かねば、と思ってしまう。
僕は、自分に文才があるとは思わない。
推し活にまつわる記事は、
推しについて自分がずーーっと考えていたので
頭の中で自分の感情がうまく言語化できていたし、
熱量がこもっていて読み応えのある文章になっただけだ。
推し以外のことに関しては、普段そんなに考えていないので
うまく文章にすることができる自信が無い。
一応幼少期のことを振り返って文章にしてみたものの、
うまく書けているとは思えなかった。
これを読んだ人は、
「アイツ、文才あると思ってたのに全然そんなことなかった!せっかく読んだのに、時間の無駄だった…」とガッカリするかもしれない。
文才がないことがバレるのは別にいいのだが、
「読んだ時間が無駄だった」と思われてしまうのは嫌だった。
僕は、期待を裏切られたときのショックはよくわかっているつもりだ。
期待して、ワクワクして見始めたものが全然良くなくて、
徐々にそれに気づいて、ワクワクが失望に変わっていく。
そんな経験を、僕は人にさせたくない。
だから、公開するのを躊躇した。

推し活の記事ほどの熱量も無いし、特に面白いエピソードもない。

僕が幼少期を振り返る文章を書いた目的は、
振り返って自分の悪かった点、友達がいなかった理由を探すということ。
文章を書く中で、なんとなく自分の悪かった点も見つけた気がする。
目的は達成したし、公開する必要はないかなと思った。

でも、結局公開することにした。
読者の意見が欲しくなった。
僕は、ネットで炎上して
世間一般での常識と自分の常識の違いを知ることができたし、
今回新たに書いた記事も他人に読んでもらったら新たな気づきが得られるかもしれない。
読んだ人に「つまらなかった!!」と失望されるのは怖いけど、
公開した。その記事はこちら。


公開してみたものの、
記事を読んだ方々が喜んでくださっているのだろうか、失望していないだろうかと不安だった。

そして、
どんな記事を書けば良いのか自分でもよくわかっていないということを
正直にTwitterに書いた。


幼少期について書いた記事に寄せられたコメントは、
「文章面白かったですよ」
「書いていただいてありがとうございます」
など。

Twitterでもnoteでも、
「つまらなかった!文才あると思ってたのに!失望した!」
「読んだ時間返せ!」
などといった意見は見られなかった。

noteに何を書けば良いかわからない!というツイートに対しても
「無料だし、気にしなくていい。自分の書きたいことを書けば良い」
というコメントやDMが来て、
皆さんめちゃくちゃ優しい。

何故だろうか。
推し活についての一連の記事に比べて、
はるかに面白味に欠けている記事なのに。

しばらく考えて、ハッとした。

思い出した。

何か自分が期待して見たコンテンツが良くなかったとしても、
失望したとしても、
本人に
「全然良くなかった!!」と連絡するのは
いけないことなんだ。
それをみんな分かっているから、僕に文句を言ってこないんだ。
そうだ。
良くなかったら、
「自分には合わなかったんだ」と、黙って離れる。
文句を言わない。

理解したつもりでいたけれど、
理解しきれていなかった。

「コンテンツが良くなかったら、本人に指摘する。」
「手抜きなの、読み手は見抜いているぞと言ってやる」
「監視しなきゃ」
「政治と同じように、ダメなところがあったら声を上げなきゃ」
「良くないコンテンツは、消費者側に怒られて当然」
「客は当然文句を言う権利がある」
僕の今までのダメな考えが、まだ残っていた。


僕の記事が好みでないと思った人は、黙って僕から離れる。
それだけのことなんだ。
いちいち文句を言ったりしないんだ。

改めて、気づかされた。

note、公開して良かった。


今後も、考えたことや感じたこと、
昔の出来事、最近の出来事、
書けるだけ書いてみようと思う。

読んだ人をガッカリさせないか?
楽しんでもらえるか?
と考えるのではなく、
自分のために、自分の考えを整理するために
書いてみようと思う。
もちろん、読んだ人に喜んでもらえるようにしたいとは思うが、無料記事だし、そればかり考えすぎないようにしようと思う。

ちなみに、
有料記事を書いてみても良いのではないか?という意見もあったが、
僕は有料にしようとは思わない。
プロが書いた何万字もの文章が
文庫本ともなれば700円程度で購入できるのに、
こんな20歳の素人が書いた数千字の文章が
数百円だとしても有料なのは変だと思う。

無料の記事で、
自分のその時々の考えや出来事を
自分のペースで綴っていこうと思う。
そして、皆様からnoteのコメントやTwitterで意見をいただけることがあれば、
そこから考えて
正しい生き方ができるように頑張ろうと思う。

もしかしたら、また炎上するかもしれない。

「お前は精神病だ!」

「病院に行け!」

「犯罪者だ!」

いろいろ言われるかもしれない。

でも、すべて受け入れて、
考えて、成長していこうと思う。


いつか、立派な大人に、なれるかな。


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