「感謝」とは何か?

最近、
私はきちんと”ありがとう”と言うことができいていただろうか?と考えていた。
考え始めたきっかけは、
「謝罪という概念がわからなかった」という記事を出した時
「謝罪がろくに出来なかったのなら、ありがとうも言わずに過ごしてきたんじゃないかな」と言われたことだ。
(該当の記事はこちら)

これまでどういう時に感謝を述べてきたか振り返ると、
いちばん多いのは、店員の対応が素晴らしかったときだと思う。
愛想がとても良かったとか、商品についての私からの質問に上手に答えられたとか、対応が良かったとか。
そういうときには、お会計で店員に「ありがとうございました~」と言われた際
こちらも「ありがとうございます」と返すようにしている。
普通の対応だなと思った時は、軽く頭を下げ会釈する程度に留める。
あまりに態度が悪いとか
店のことを全然把握していない(こちらの質問にろくに答えられない)ときは、こちらとしてはお礼の会釈もしないしタメ口で接するようにしている。

声に出して感謝を伝える
会釈
タメ口

の3段階に分けて、素晴らしい店員であるほど気持ちよくなってもらえるようにしている。


逆に、感謝すべきだったのに感謝し損ねていた場面はあっただろうか。

ひとつ覚えている。
中学生の頃、私は係活動で配達係だった。
配達係というのは、
教員が点検したノートとかワークブックを各生徒の机に配達して返却するという係である。
私が大量のノートをひとりで配達していたとき、
女子生徒が「手伝うよ」と言って、私の代わりに半分配ってくれた。
そのとき、感謝を述べるべきだった。
しかし私は何と言ったかと言うと、
「すばらしい!」と言った。
感謝するのではなく、褒めたたえた。

配達係をやっていると、こういうことは何度もあった。
他にも、
委員会とか何かしらの行事の準備とか清掃とか、
学校で何か作業をしていて手伝ってもらうという経験は多かった。
そういうとき、
私はいつも感謝を述べられなかった。
ありがとう、という言葉が頭に出てこなかった。
いつも「すばらしい!!」と褒めたたえていた。

場合によっては、
「あなたみたいな人がいるから社会は成り立ってます!その心忘れないで!」とかも言っていた気がする。

感謝するという発想が無く、褒めたたえ、「素晴らしい!」と評していた。

こうして考えていて気が付いたのだが、
私は何に対しても、感謝するのではなく評価していたのだと思う。

店員の件も、
ダメならタメ口、普通なら会釈、良ければ感謝
と店員全員に対して3段階評価を下していた。


私は最近、こんなツイートをした。


ライブに行った際、グッズを買うかどうかの基準について述べている。

私は、基本的に
「ライブが良かったから、お礼に儲けを少し増やしてあげよう」という考えでグッズを買っている。
ライブが素晴らしければグッズを買ってあげる、
普通だったら買ってあげないよ
という風に、ライブの出来を審査してグッズを買っている。


観光地に遊びに行った時もそうだ。
「この町、遊びに来てよかったな」とか
「素晴らしい体験ができたな」と思う時は、
お土産屋でキーホルダーとか何か1個買ってあげる。
それが僕なりの観光施設へのお礼である。
別に大したことなかったとか、
もう二度と来なくてもいいかなという時は特に何も買わない。


数年前、とある芸人さん(※私がよく記事にしている芸人Rではありません)のラジオにメールを送ったことがある。

「○○(コンビ名)さんのファンになるか、ここ数ヵ月検討していましたが、先日の単独ライブを観て、ファンになることを決めました」

僕は、ふつおたというか
面白メールのつもりで送ったつもりはなかった。
でも、すごく笑われた。
「ファンになるかどうかって、検討するものなの?」
「気づいたらなってるもんじゃない?」
などと言われた後、
「審査員目線なんやな」と言われた。


この芸人は応援する価値があるか?
このアーティストの曲は聴くに値するか?
などと、芸人やアーティストも審査していた。


私は最近ネットで炎上して、
お笑いや音楽は
審査員や株主のように見て評論すべきではないと教わった。

僕は今まで、演者よりも自分のほうが上の立場だと思っていた。
炎上するまでずっと
「君、アーティスト活動したいんでしょ?ライブやりたいんでしょ?めちゃくちゃたくさん存在するアーティストの中から君を選んでやったんだから、感謝しなさいよ。さもないと、他のアーティストのところ行っちゃうかもよ~?君、食っていけなくなっちゃうかもよ?」
「ライブ素晴らしかったら、まぁグッズ買ってやらんこともないよ」
「好きだよ。良かったね、好きになってもらえてね。アーティスト冥利に尽きるよね。そうだよね。」
という感覚で生きていた。
しかし一般には
アーティストや芸人に対しては
「活動してもらえているだけでありがたい」という感覚らしい。
そのような感覚の人が大多数だと教わった。
今まで、そういうことを言っている人は
芸人やアーティストに好かれたくて媚びているだけだと思っていたが、
そうではないみたい。

表現者に対する感覚として学んだが、
これはお笑いや音楽以外にも当てはまるのではないか。

学校で僕のお手伝いをしてくれたクラスメイトも、
僕に対応してくれた店員さんも、
観光地も、
審査するべきではなかったのだ。


店員さんが、
店員として接客してくれているだけでありがたいのだ。

ろくに仕事できないし、店の事あんまり把握できてなくて
質問に全然答えられなくても
接客してくれているだけでありがたいのだ。

「ありがたい」という感覚を、
初めてきちんと理解できた気がする。

審査するのではなく、
感謝をして生きていきたいと思う。


何事も審査するのは良くないけれど

自分自身を審査して、
「すばらしい!!!」と言えるような日が、来るといいな。

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