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第14回 布引(ぬのびき)の滝

『伊勢物語』第87段に、行平・業平兄弟が布引の滝に行く場面があります。
私は兵庫県在住なので、「布引の滝」という名前は若い頃から聞いていました。しかし、行こうという話までならず、近くの再度(ふたたび)山にハイキングに何度か行ったのに寄りませんでした。
40代になって『伊勢物語』に出てくる景勝地に実際に行ってみようという気になり、3月中旬の人気の少ない平日の午後私は出かけました。
三宮駅から北に歩いて10分ほど少し山道に入って、雌滝に遭いました。

滝は想像より美しく激しく、そして碧の滝壺は荘厳な感じさえしました。
業平や行平が実際に来たのだと思うと想像が膨らみます。定家の痕跡もありました。更に雄滝に向かうと更に本当に名の如く雄大な感じがしました。
那智の滝、華厳の滝と並んで日本三大神滝の一つだとも分かって、後の二つは観光で行ったのにこんな近くを見逃していた事を恥ずかしく思いました。

物語では、行平・業平が30代~40代でしょうか。
二人が勇壮な滝を見てそれぞれ、らしい歌を詠みます。ちなみに『伊勢物語絵巻』などを視ていると、理科の先生が「昔は水量がやっぱり多かったんやね。今は半分くらいになっている」と声をかけてきました。

行平がまず詠みます。
「わが世をば今日か明日かと待つかひの 涙の滝といづれたかけむ」-自分が時めくのは今日か明日かと待つ甲斐もなく、滝のように涙が流れるばかりだが、その涙の滝とこの布引の滝とはどちらが高いであろうかー
藤原氏に押されて不遇な在原氏の状況を嘆いている悲観的な歌です。

それに対して、業平は最初茶目っ気、後でふっと悲しくなる歌です。
「ぬき乱る人こそあるらし白玉の まなくもちるか袖のせばきに」-上で白玉をつないだ緒を抜いて散り散りに乱している人があるらしい。白玉が絶え間なく散りかかってくることよ、それを受ける私の袖は狭いのにー

上で滝のしぶきを白玉の緒に見立て、抜いている人がいるようだ、とは独特の発想ですね。そして最後の「私の袖は狭いのに」は本当に袖が狭いのと、私には力がない、と嘆いているようで後でほろっとさせられます。

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