第95回 忘らるる身をば思はず誓ひてし
元良親王の恋が話題になっていた頃、もう一人の若い公卿の悲恋が話題になっていました。
その人の名は藤原敦忠(18歳)-亡き左大臣時平が伯父国経から奪った若い妻との間にできた子です。異母兄が二人いて三男でした。
NHKで「絵巻切断ー佐竹本三十六歌仙の流転」という番組がありました。大正8年に佐竹藩が売りに出した絵巻があまりにも高価なので切断してそれぞれが買い取ったというものです。戦争を超えて今も全部あるそうです!
そして「敦忠」を買った方(三井系)の子孫の方でしょうか、とても喜んでいました。「男前でっしゃろ。美男でいえば、業平より上でっせ」
それもその筈。敦忠の母は業平の孫娘。業平の曾孫が敦忠になる訳です。
ところで東宮保明親王が21歳で急死した延喜23(延長と改元:923)年。敦忠にとっては叔父に当たる大納言忠平の娘貴子(20歳)は遅れて保明親王の妃となっていました。(子はありませんでしたが、この方も六条の御息所のモデルの一人と言われています)
敦忠は未亡人となった従姉の貴子に想いを寄せますが、何故か父親の忠平が許しません。醍醐天皇の手前、仕方なく時平の娘を長男実頼の妻に迎えていたのでもうこれ以上、時平の家系と関わりたくないという事でしょうか?
失意の敦忠をまた叔母にあたる中宮となった穏子が優しくします。敦忠はやがて穏子に仕える右近に好意を寄せます。右近の父は藤原でも衰えた南家の出でしたが、右近は美貌で歌も上手かったのでした。
身分が低い右近は遠慮がちにしますが、敦忠は「貴女を忘れたら、神に命を捧げてもいい」とまで言うので右近は敦忠を受け入れました。
しかし翌年の終わり、やはり敦忠は別の女性ー参議源等の娘と懇ろになり右近を捨てました。右近は敦忠の事を思って詠みます。
「忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな」
ー忘れ去られる私自身の事は何とも思わない。ただ、いつまでも愛すると、かつて神に誓ったあの人が、命を落とす事になるかもしれないのが惜しまれる事よー
美空ひばりさんの「みだれ髪」の歌詞に「捨てたお方の幸せを 祈る女の姓(さが)悲し」というのがあります。そんな心境でしょうか?
捨てた敦忠の方はまた恋の遍歴をしますが、本当に38歳で若死にしてしまいます。
右近の方もこれで吹っ切れたのでしょうか、前述の色好み元良親王、藤原師輔、朝忠、源順(したごう)などと浮き名を流しています。
明日は敦忠の右近以後の人生を辿りたいと思います。(続く)
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