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(05) トヨタ スターレットターボ(1989年)

トヨタ スターレットターボ(1989年)
所有期間 1991年5月~1993年8月

■トヨタ スターレットターボS について
昭和59年にフルモデルチェンジによりFFとなったスターレット(EP71)のターボモデルは昭和61年1月に追加された激辛モデルである。
FF軽量ボディに最高出力105psを発生する1300ターボを積んだターボは「韋駄天ターボ」「辛口ターボ」と呼ばれ、このモデルの登場を機に、スターレットは全車「かっとびスターレット」として、多くのヤングユーザーに支持されることとなる。
さらに昭和62年12月には、人気のターボモデルが改良され110psにパワーアップされたほか、「辛口ターボ」らしい精悍なボディパーツを纏ったスタイルとなった。
このEP71型スターレットは平成1年12月にEP82型にフルモデルチェンジした。(ちなみに、EP82型は「青春のスターレット」と呼ばれた)

 スターレットターボSはEP71型のトップモデルとして、リッターカーでは群を抜いた加速力を誇っていたが、反面、自動車専門家からは「大変危険なクルマ」「若者に買わせてはいけないクルマ」など、そのターボエンジンの持つ加速力に危険すら感じられたほど。
 確かに、ターボユニットが発生するパワーは軽量ボディーには十分すぎるほどで、その加速力は当時の2リッタースポーツですら叶わないとまで言われていた。 

■現車紹介

これは「92デサイントカップ・ダートチャレンジ」のスタート。 デサントカップでは4位入賞したのが嬉しかったです。
「スポーツランド信州」の名物。ギャラリーコーナー。 スリバチ状の下りはまともに走れるようになるまで時間かかりました。
ギャラリーコーナーの進入で躊躇するとこうなります。 このときは雨でドロドロだったので、クルマもドロドロになりました。

■実車紹介
モータースポーツに目覚めてラリー仕様のマーチでダート練習をし続けて半年、マーチの車検切れを機に、いよいよ長野県シリーズのダートトライアル参戦をしようと思い、平成3年5月、ダートトライアル仕様のEP71スターレットターボSを購入した。
このクルマ、県シリーズでは有名な某ドライバーさんが乗っていたものを購入したのだが、消耗パーツである、ショック、LSDなどはすべて新品をおごった。
年式は平成1年モノでたった2年落ちであったが、すでにダートラでガンガン使用されまくっていたため、痛みも激しかったが、ダートラのためのセッティングは施されていて、パワステは外されているわ、アンダーコート(室内に貼ってある防音用のアスファルト材)もキチンと剥がしてあるなど、比較的簡単に仕上げることは出来たのだが、ロールバーを新たに装着し、2名乗車にするまでは良かったが、肝心の改造車検申請に手間取り、平成3年じゅうは参戦できずに終わった。
もっとも、このことが、練習やクルマのセットアップに集中する時間を作ることになり、平成4年の春まで、じっくりと走り込むことが出来た。
とはいえ、この間の消耗はダテではなく、ショックアプソーバも3セット、ブレーキパッドも3セット使い切った。
結局、平成4年春の「92デサントカップRd2」がデビュー戦となったが、このときはデビュー戦でいきなりの4位に入り、さいさきの良いスタートとなった。
これに気をよくして、更にクルマを煮詰めながら長野県シリーズに参戦したのだが、おおよその予想とは大きく異なり、入賞はおろか、クラス順位で真ん中より上に行くことすら難しい現実に直面しました。
この頃の練習量はハンパではなく、ダートトライアル会場である「スポーツランド信州」へは月に3~4回は練習走行に行っていたし、ほとんど毎日、なにかしらのダート練習はしていました。
当然、気合を入れて練習をするとそのぶん、タイヤをはじめとする部品の消耗はハンパではなく、さらにガソリン代だけで、毎月5~7万円という状態でした。
ただ、ガソリン代はともかくとして、ショックなどはいろいろなメーカーのものを試すことも出来、同時に、タイヤもいろいろなセットを購入し、いろいろとテストすることが出来たのことはよかったと思っています。
もっとも、結果だけは全然ついてこず、県シリーズではクラス40台くらいで、20位以下ばかりで、もっとも良かったときでも、12位が最高位でした。(言い訳するわけではないけど、当時のAⅡクラスはホントにレベル高かったと思う。確かに私の実力も低かったけど)
結局、このクルマでJAF戦入賞をすることは出来なかったが、それなりに収穫はあったと思う。(高い授業料だったけど、このあと、ジムカーナで頑張れたのはこのころの努力があったからだと思います。)
また、ダートラだけでなく、当時知り合いであった方々と瑞浪サーキットへ行ったり、峠の走り屋さんと走ったりと、いろいろな思い出も多く作ってくれたクルマでした。
ただ、やっぱりクルマ自体の消耗は本当に激しく、エンジンルーム内の亀裂の修復もしょっちゅうしてましたし、ドライブシャフトも2回、破損していますし、トーションビームも破断したりと、なかなか見事な壊れ方をたくさんしてくれました。
結局、平成4年末の段階では「もう乗るのが危険」なほどガタガタになったため、同形車を買い直し、パーツをそっくり移して乗りましたが、いろいろと考えることもあり、結局、ジムカーナに転向しようと決めた平成5年にMR-2の下取り車として売却しました。

■私情インプレッション

・走りに関して
もともとのスターレットのことはよくわからないのが本音だけど、やっぱりターボSのパワーは凄いと思う。
もちろん、110psという数字なのですが、実際の加速性能は軽い車体に助けられ、結構なものです。
また、このエンジンは後期型なので、いわゆる「ターボラグ」というものは極力押え込まれています。そういう意味ではエンジン自体も良く出来ていると言えます。(そりゃ最新型のエンジンより具合悪いはずですが。)
スターレットの場合、とても扱いやすいFF車なので、難しい理屈抜きでアクセルを踏んでいけますし、確かにアンダー傾向は強いのですが、フロント荷重がかけやすいため、しっかりフロントを入れていくコーナーリングが出来ます。
ただ、ダートの場合、アクセルコントロールで向きを変える運転が出来るようになるまでは結構苦しみますが。
ブレーキは後ろがドラムのため、シューをフェロードにすることにより、ガキガキ利くセッティングが可能です。
このため、ラリータイヤで舗装路を走ると、ブレーキのたびに後タイヤがロック気味になるほどでしたが、スポーツランド信州では走りやすいセッティングだったと思います。
また、このセッティングでRE510S(ジムカーナ用レインタイヤ)をはかすと、リアのロックが押え込まれ、舗装路でもけっこう元気に走ることが出来ました。(当時、走り屋さんと仲良くなり、峠を走る機会も多かったのですが、この仲間内ではブイブイいわしてました。ま、自慢できる話ではないのですが)
あと、スターレットの場合、ストラットタワーバーの長さを調整してキャンバー角を若干いじれるのは魅力でした。
正確なアライメント数値は分からないのですが、短めにしてネガティブ方向にすると、異様に曲がりやすくなるんですよね。このクルマって。

・内装
いつもドロだらけで、きったない状態でしたね。とくにコメントすることはないのですが、このクルマにはラリーに出るわけでもないのに、ラリーコンピュータをつけてました。
というのは、ダートの練習走行など、タイムを計るのにとても便利でしたから。(これが実に効果があり、タイヤ変更によるタイム差をみるのはもってこいでした。)

・問題点(故障内容)
エンジンはあれだけ酷使したにもかかわらず、タービンもエンジン本体も、ミッションもノートラブルでした。
やっぱり、チューンを一切せずにマメなオイル交換や部品交換をしていればエンジンは十分にその性能を維持しますね。
あ、でも、ダイナモは焼き切れました。ダート走行はホコリがすごいですからね。
ラリー車の場合、しかたがないのですが、やっぱりシャーシのダメージは酷いものです。
ボディの亀裂はいくら溶接修復してもどんどん酷くなっていきました。
エンジンガード(ラリーガード)を外して、瑞浪サーキットを走ったら、エンジンマウントが引きちぎれました。(おかげでエンジンが落坐し、オイルパンを潰し、ドライブシャフトを2本とも壊しました。あーあ。)

・個人評価
結局、ダートラで入賞こそできなかったけど、本当に満足のいく時期を過ごせたクルマだけに、その思い入れも強くのが事実です。
もともとスターレットにするとき、いろいろ悩んで「もっとハイパワーなクルマにしようか?」とも思ったのですが、ランニングコストを考えて選択したことが、結果的に正解でした。
このころは、給料全額をクルマにつぎ込むどころか、多額の借金までして競技や練習費用に当てていました。
もし、これがギャランやブルーバードだったら、練習どころではなかったと思います。
さすがに「また欲しい」とまでは思いませんが、いつまでも忘れることのないクルマです。