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【読書感想文】泣かない子供

江國香織さんが、24歳から32歳ころ8年越しで書かれたエッセイです。

彼女の「言葉」に対する、あるいは「小説」に対する態度や考え方が、素直に綴られていて、彼女の作品を読んだことのある方は、とてもつじつまが合うのだと思います。
私は終始「うんうん」と頷きながら読んでいました。

どこまでがフィクションでどこからがノンフィクションか、という質問をされた。そんなこと、作者にわかるわけがない。小説というのはまるごと全てフィクションである、と私は信じているし、それでいて、どんなに嘘八百をならべてみても、書くという行為自体、作家の内部通過の時点で内的ノンフィクションになることはまぬがれない。

虚と実のこと  より

彼女の小説の登場人物には、彼女自身のエッセンスがどこかしら入っていて、けれどもそれは彼女自身では勿論ないのだけれど。

それは彼女がかつて感じた記憶や、見る角度、五感に基づく言葉で表現されるのだから、それはそうなる。もっともだ。

一つの「事実」は、見る人によって、その角度や近さや熱量によって、捉え方や描き方はざまざまなものになる。私が終始「うんうん」と頷いていたのは、江國香織という作家を通過してきた物事が、あまりにも納得のいく形をして出てくるからなのだ。
心細さも不確かさも、淡さも切なさも、ちょうどの形で。とても心がスゥッとするのだ。

なにしろ、歴史があるのだ。こまかい少女文字でノートをびっしり埋めつくし、男の子のような言葉をつかっては叱られ、流行語をふりまわし、「ほんとう?」と言うべきところを「うそっ」と言ってはまた叱られ、委員会とか文化祭とか、サーファーとかいう言葉を尻上がりに 発音しては、周囲の大人の顰蹙を買ってきた歴史。

日々の言葉  より

私にも似たような父がいたのだから(滋氏と並べるのもおこがましいが)、想像に難くない。
「ウソー!」と言えば「人を嘘つき呼ばわりするな」と憤慨していた父。
二十歳そこそこの頃、飲みの席で「それは桶屋が儲かってしまいますね」と言ったところ
「若いのによくそんな言い回し知ってるね」と言われたこともある。何かにつけてことわざや、格言のようなことを引き合いに出す父を、「面倒な人だ」と煙たく思っていたけれど。今となっては、似たようなことを娘たちにも言ってしまうのだから、致し方ない。 
「何がどうヤバいの?」などと。

不思議なことに、世の中にはごく少数ながら、どうしても人を裏切らずにはいられない人というのがいるものなのだ。理屈じゃなくてそういう生理をもつ人たち。
そして勿論、そういう人たちのことをアーティストとよぶわけなのだ。

いくつかのこと  より

スカッとした。
ことごとく裏切ってくる人がアーティスト!
先日私も、美術展の帰りに私の作品を見てくださったのは、カラフルなゾウの背中でパンダとナマケモノが将棋を打つという作品を創り出す陶芸家の先生で。
「叱られるかなくらいやっちゃっていい」というアドバイスがまさに、アーティストのそれだったのだ。
理屈じゃなく、生理だ。

江國香織という人は、私の言いたかったことを、感じていたことを、その大きさや手触りや軽さや弱さで言ってくれる。ホクホクする。

私はそのホクホクとした心地良さを、コタツにぬくぬくと寝転がって、味わった。

すこし気持ちが萎びたような、
晴れた秋の休日に。
何もしたくないと、コタツに逃げ込んだ、
子供みたいな気持ちで。


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