[読書感想文]ひとり暮らし
詩人 谷川俊太郎 さんのエッセイです。
私の中の「谷川俊太郎」という作家のイメージは、こどもでも分かりやすい、親しみのある言葉をつかう人です。ユーモラスな言葉に、こどもの頃から「谷川俊太郎」という名前を見つけると、どこか安心して読んでいた記憶があります。
スイミー
レオ・レオニ さく
たにかわ しゅんたろう やく
ですもの。
その彼の、詩人としての生活、言葉への考え方や接し方、詩とは、に触れるエッセイ。
とても興味深く、やっぱり、どうしても親しみを感じてしまう私がいた。
私は、彼の詩や文章には、難しい漢字をあまり使わず、感覚にそった言葉や、擬音語 擬態語の多い印象を持っている。
私の文章にも(並べるのはおこがましいが)「わかりやすい文章ですね」「親しみのある表現ですね」とお褒めいただくことがあって、素直に「よしっ!」と喜んでいる。
一方で、もっと洗練された言葉や、大人っぽい言い回しを、シュッとした文章を書けたらカッコいいのにな、と思うこともままあるのも本音だ。
けれど、彼の「感じる」という、具体的な物自体というよりも、象徴として捉えた言葉にどこか救われた気がしたのです。「星」というものに詳しいわけではないけれど、「星」を知っている。「星」を感じられるということ。憧れや、瞬きや、輝きやを感じられる。
「そっか、これでいいんだ」
と、どこか腑に落ちた。
「ある日」には1999年2月~2001年1月 までの日記が掲載されている。友人たちとの旅や、映画や酒の席の話など、彼目線の暮らしがとてもユーモラスに記されている。
○○をした、という事実と、それをどう見たか、感じたか、どう思うか、が乗っかって、彼の詩の根源を見ているかのようで。
現実の生活に根付いた「感覚」。彼の暮らしが、彼の詩に表れているようで、詩とは机に向かって書くものではないのだな、と思う。
noteをはじめて、他の方の記事を読ませていただいていると、それは小説に限らず、その人その人、本当にさまざまな文体があるんだな、と驚く。フォローさせていただいている方の記事は、継続して読ませていただいているので、まるでその方の「生きる態度」が垣間見れるような気がしてくる。
と、いうことは、私の文体にも。
難しい漢字を使えず、細かな知識も深い教養もない、シュッとした文章に憧れながら、「わかりやすい」「親しみのある」文体から、私という人間の「生きる態度」は透けて見えてしまっているのだろう。お恥ずかし。
けれど、国民的詩人 谷川俊太郎 さんの、言葉に対する態度に、私はやはり元気づけられたのだ。
難しいことはわからないけれど、
言葉というものを、大切に扱っていきたい。
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