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抜けやすい体質

「肉体はさ、ここにあるけど、精神はさ、
    どこへでも行けるよね」

遠く離れた人と、メッセージでやりとりをしていくうち、肉体と精神が分離してしまうことがある。

「あなたは抜けやすい体質なのね」

現実では、いつも通りの日常生活を(あるいはちょっとしたアクシデント…「やべ、炊飯ボタン押し忘れた!」みたいなことがありながらも)営んでいる肉体と、片方の精神。

そして、肉体を伴わず、一方の精神は遠く離れたあの人との朝を迎え、一緒にコーヒーを飲んでいたりするのだ。

「おはよー起きた?」
「ありがとう、美味しい」

それはまるで二重生活のように、イデアである現実を営む私と、メタファーである本来の精神を解放させた私の両立である。

然しながら、一見分離したかに見えるその二つはやはり、唯一でしかなく、シーソーのようにイデアとメタファーを行き来するうち、どちらがどちらかが不明瞭になっていく。

「君と一緒にいる時が
    本来の自分でいられる気がするよ」

居るようで居ない。
肉体を離れた精神は、欲望や願望を叶え、理想を追い求める。

鏡を見れば、いつか本当の人間になってほしいと心優しいゼペットじいさんが作った、よくできた木製の人形のようだ。

「あなたの好きな豚汁を作ったのよ」
「美味しい、ホッとする味だ」

いつの間にかメタファーとなった肉体が摂取しているのは、ムネ肉のピカタとオニオンコンソメスープだとしても。

「今日は一緒に眠れる?」
「先に寝てて、隣に潜り込むから」

シングルの布団の左側に、人一人分のスペースを空けて眠る。

「早かったのね」
「起きてたの?あ、起こしちゃった?」
「あなたが来るとあたたかいもの」

暗闇に布団の端っこで、メタファーだかイデアだか、どちらもがぐったりと夢に堕ちる。


「夢で会いにきてね」


抜けだして会いにいく。

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