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夕暮れオイカワ

昨日の夕暮れは美しかった。いつぞやの山暮らしの、暑い夏の日の夕景に向かって跳ねるオイカワのことを思い出した。

夏休み、暑くて家の中に居られないと、筵一畳背中に結いつけ、読みかけの本を一冊持って、家の近く
岐阜県加茂郡白川町黒川
春日神社、今では佐久田神社と云うらしいがその鎮守の森のご神木の日陰の根元に行く夏休みの日常であったが、もって生まれた多動で、幾らも頁をめくるでもなく昼寝をし、午後には鱒淵川の瀬にてんから釣りをしに行ったりする。

夏も盛りになると鮎が、勢いの瀬をナワバリにして、雑魚たちは緩るんだ空気泡も少ない淵の方に追いやられる。夕方になると婚姻色のオイカワの雄が、跳ねて僕が今現実に観ているオレンジとピンク緑とブルーの山裾の雲と空の夕景を生写し、カラーコピー機から転写されたが如く、美しい姿を顕にした。

普段から落ち着きなく謎探しの多動少年の不思議をいっそう困惑させた。とうとう緩い浅瀬に石を積んで囲いを作る、水城の城壁のようにおいておいでの魅惑の門を切って開けておく。
「ぼいこみ漁と云ったか」に手を染めた。

身体を伏せじっくりとオイカワのオスを待つ。ここだ、という時にザボザボッと水音を立て、迷路に迷い込んだオスを行き止まりの曲輪に追い込む。とうとう手掴みした。あまりに美しいから確認したかったのだよ。聴いてみたかったのだよ、なぜそんなに上手に夕景を身体に表すのか

でも、とうぜん答えてはくれないし手の中で喘ぐ口元を見ていると可哀想になり、この精進を積んだオスの努力を考えたら、このまま死んでしまったら、もしゆうげの食材になどと思ったら、酷い罪悪感に襲われて、そうだよあのとき強い風だって吹いたのだ。よろつきショックで眩暈がして、倒れたんだ。

僕が魚釣りに行かなくなったのはその頃からである。
追記 佐久田神社のご神木はその後年の伊勢湾台風で、社と共に全て倒壊したのです。でも僕らはジャングルのようになった境内で、今度は背中に竹光背負って、流行りのソニー千葉の忍者月光ごっこに邁進したのであります。
#大場章三
#オイカワ
#岐阜県白川町

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