正田極郎のエッセイ

【毎日不定休】

正田極郎のエッセイ

【毎日不定休】

最近の記事

果たしてこれはエッセイなのか?

「正田極郎のエッセイ」はおかげさまでいろんな人に読んでいただき、スキも頂戴しながら、まあまあ続いている。 きっかけは、3年ほど前「なんか文章書くのにいいサイトない?」と知り合いに聞いたところ、紹介されたことだった。 そんな今日、ふと思ってしまった。 「オレの書いているものは果たしてエッセイなのか?」 「正田極郎のエッセイ」と謳っているのに、肝心の文章がエッセイでなかったらそれはなんなのだ。 軽く冷や汗をかいた。 まずいまずいまずい。オレはもしかしたら嘘をつき続けてき

    • 一番好きなサイト(金持ちになる方法など)

      なにがしかのサイトを見ていると、溢れた広告の中にこういうものがたまにある。 「○○歳で人生どん底の私が金持ちになった方法」 「顔がグロい私がスキンケアで人生が変わった話」 などである。 この広告の先にあるサイトが本っっっ当に好きだ。 挿絵形式や漫画形式なんてのもある。 文字に色がついてギラギラしており、ぐわんぐわん動いてることもある。 「こんな私が・・・」から始まり、ある商品に出会ったことで日常が劇的に変化、仕事がうまくいき、自信が持て、恋人ができる。さあ君も使ってみ

      • ルールがないものが苦手

        手が使えるサッカーはサッカーと呼べないように、何事も何かしらのルールがなければダメだと考えている。 秩序は必ずなくてはならない。秩序の反対、混沌は存在するにはするが、それをよしとするのはいかがなものか。 たとえ、エッセイという曖昧な物でもルールがなくてはならないと考える。 そのルールはサッカーのように万人に適応される物である必要はないが、最低限「自分なりのルール」はなくてはならない。 自由だからいいのだというのはオレからすると暴論で、この記事を「俳句だ」と豪語するのと変

        • まあ、そうなるよね

          昨日は仕事はなかったが色々やることがあり、それに加えて訓練校でのバドミントンで盛り上がりすぎ、全身バキバキの筋肉痛である。 特に痛いところは臀部で、トイレの椅子に座るたびに「ヒィィ」と変な声が出てしまう。 記事を書いたり絵を描いたり本を読んだりする時間を一応決めており、大体20:00〜22、23:00ごろである。 しかし日中もそれらの作業をしていたため少し気が緩んだ。 20:00ごろ、娘の寝かしつけ。 オレも少し寝たら、起きて作業に取り掛かろう。 「ちゅんちゅん」 朝

        果たしてこれはエッセイなのか?

          継続は本当に力なりだった。

          とりあえず100日間毎日更新しようと再開したnoteだったが、最近あることに気がついた。 書く速度が確実に上がっている。 前は、朝に書いて夜に推敲するというサイクルか、夜書いて、少し時間を置いて推敲するかだった。 その方が自分なりに納得できる形になりやすかったからだ。 自分の納得いく形になるのには最低30分くらいはかかっていた。 それが最近は10分くらいでできるようになっていた。 納得のいく形に無駄なくいける。 文法がヘンだったりと言うのも最近は少なくなってきているよ

          継続は本当に力なりだった。

          オレが辞めたら大変だ

          まあまあ仕事ができるようになって、自信がつき、仕事を任せてもらえるようになり、また色々な経験を積んで三年ほど経つとこう思ったりする。 「オレが辞めたら会社は大変だ」 実際にオレはそう思っていた。オレが辞めれば会社は立ち行かなくなる、と。 しかし、それは誠に阿呆にございました。 会社はオレなんていなくたって続いてゆく。 下っ端がなにを息巻いていたのだろう。自信過剰にも程がある。 その経験があるから「自分が辞めたら大変だ」という人のことばが信用できない。 むろん、負担は増

          オレが辞めたら大変だ

          空道という新たな道

          高校生のとき、ただただ空を眺めていた。 本当に眺めていただけである。1日に8時間くらいただただ眺めた。 これを空の道「空道」と名づけたい。 そらどうである。空道(くうどう)という武術が存在するがそれはそれである。以下、空道は「そらどう」と呼ぶ。 空道はまず、高い場所を探すところから始まる。 それは山であっても良いし、街中の少し高いマンションの屋上でも良い。 次に、遮るものが無いことである。上を見ながら歩くと空を歩いている感じになれる、それが最高の場所である。 さあここま

          空道という新たな道

          発想があふれてくる!

          書きたいことが湯水のように溢れ出てくる。 仕事してても家にいてもポンポン浮かんでくる。 これはすごいぞ! 毎日更新、いや、一生更新だって夢では無いぞ!!! ・・・ 寝てしまった。 昨日は普通に寝てしまった。 娘を寝かしつけるため横になったら19:30に寝てしまった。 ちくしょーーーー! 朝、携帯を開くと書き終えた記事が虚しく更新を待っていた。 そして、またバッチはリセットされたのであった。

          発想があふれてくる!

          ビバ!カスハラ!

          最近カスハラなんて言葉がある。カスタマーハラスメントの略で、客が店員などに対して理不尽にクレームをつけたりすることを言う。 こういったニュースを見るといつも思うことがある。 こういう人って全体の何%なのだろう? ヒトは嫌なことがよく見えてしまうものである。 10人に良くされても、1人に悪くされるとその「悪い」が100人分くらいになってしまう。 嫌な日でもよくよく考えてみると結構優しくされてたりするものだ。 これはたぶん生存本能によるところなのだろう。 いいことばかり覚

          ビバ!カスハラ!

          認知症になっても安心して暮らせる社会

          夜、街灯のない道を歩いていると、自転車とすれ違った。 その自転車はラジオをぶら下げており、それなりの音量でアナウンサーが喋っていた。 「認知症になっても安心して暮らせる社会を」 すれ違いざまにそう聞こえた。 振り返ったが、自転車は遠ざかり声は闇に溶けていった。 認知症になっても安心して暮らせる社会。 文脈はわからないが、それはどういう社会なのだろう。 むろん、安心して暮らせる社会を悪いとは思わない。とてもいいことだと思う。ただ、認知症になってもというのが引っかかった。

          認知症になっても安心して暮らせる社会

          まっすぐ前を見て!←?

          今日、国道を走っていたら歩道の奥側に縦長の電光掲示板があった。 ドライバーに向いており、無数のライトが点灯しあたかも下から上に文字が流れるように見えるやつだ。 走りながらなんとなく横目でそれを見ていたら、 「まっすぐ見て!危ない!危険!」との旨が流れていた。 ??????????????????? 一体どういうつもりなのだろう。 オレは戸惑った。 なぜならば「まっすぐ見て!」という文章を読むためにはまっすぐ見てはいられないからだ。 注意喚起の文章を読むためには横目で

          まっすぐ前を見て!←?

          チ。

          魚豊(うおと)著の「チ。」という漫画を読んだ。 めっっっっっっちゃ面白かった。 YouTubeの「佐久間宣行のNOBROCK TV」というチャンネルの動画で、佐久間宣行さんとダウ90000の蓮見翔さんが「面白い」と言っていたのが読むきっかけとなった。 15世紀、キリスト原理主義による学問への束縛が強い中、真理を探求したいというプリミティブな情熱と、それを阻止する勢力。数奇な人生たちが一つの真理を受け継いでゆく。 地、血、知?タイトルの「チ。」の本当の意味とは? 物語の

          多分、虫も寝る

          夜、10時ごろだろうか。 帰宅時、家の玄関にエメラルドの綺麗なハエがとまっていた。 オレに反応したセンサーライトで照らされてキラキラしている彼に、左手でデコピンの形を作り近づけてみた。 止まっている。 デコピンを射程まで近づけてみた。 止まっている。 ハエを仕留めようとしたことがある人ならばわかるが、アイツらは本当に素早いし敏感だ。 素手で掴むなんて至難の業だし、ゆっくりとデコピンの手を近づけても普通は逃げられてしまう。箸で捕まえたという宮本武蔵の話など嘘なのではな

          今日で100日目

          何かしら書くことはある、と再開して今日で100日が経った。 とりあえず100日間毎日更新を目指してやってみたのだ。 noteのシステム上、日付が変わるも連続更新のバッチは途絶えてしまうが、記事数は100だから均せば毎日更新である。 60日間くらいはその日更新できていたが、バーで気持ちよくなっていた時にいつのまにか日付が変わっており、バッチの更新は途絶えた。 そして昨日もこの記事の書き途中に気持ちよくなって寝てしまった。 何かを達成するとはいいことである。 全身の細胞が

          今日、失敗した自分へ

          今日、失敗しちまった。 別に大きな失敗ではないが、落ち込んだ。 「それは自分に自信があって、なんでもできると思っているからだ」と言われた。だが昔から自分に自信などないし、何にもできないと思っている。言われて尚更落ち込んだ。 そんな日の解決方法は決まっている。 「自分へのご褒美」という言葉がある。 頑張った自分に対して、何かを乗り越えた自分に対して普段よりもいいものを食べたりすることを言う。 オレの場合な逆で大きな失敗であるほどに贅沢したくなり、普段買わない高価なクラフト

          今日、失敗した自分へ

          心なんて込めて歌うな

          昔、師匠に「歌で一番大事なことはなんだと思う?」と質問されたことがあった。 少し考え、「気持ち、心ですかね?」と答えた。 「違うよ、体だよ」と言われた。 体が無ければ歌えないという引っ掛けか!と思ったがそうではなかった。 「気持ちほど、全くアテにならないものはない。なぜなら、気持ちは浮き沈みするからだ。もしなにか嫌なことが起きたら歌えなくなるのか?そんな不安定なものにまかせるのでなく、どんな時でもどんなことが起こってもいつも通り歌える体を作っておけ。」 「心なんて込め

          心なんて込めて歌うな