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曼荼羅 vol.12

密教の歴史的展開と曼荼羅

純密と雑密

 曼荼羅の具体的な成立と流伝を述べるに先立って、基本概念となるべき密教の歴史的背景について説明する。
純密・雑密という二種の密教分類のうち、歴史的に先行するのは雑密である。
 雑密は、正式には雑部密教(ぞうぶみっきょう)とも呼ばれ、名称が示すように、雑然とした未整備の密教を指す。具体的には、最澄・空海の日当以前、つまり奈良時代、および平安時代初期に行われていた十分に体系化されていない密教のことである。
 それは、次に来る純密と比較して、以下の四つのてんで異なっている。

第一
本尊となる尊格が、のちに曼荼羅の中心となる大日如来で絵はなくて、釈迦如来・薬師如来などの伝統的な如来、もしくは十一面・千手・不空羂索などの特殊な形態をとる観音、つまり変化(へんげ)観音などであることである。

第二
奈良朝の密教を見て明らかなように、そこでは諸尊の陀羅尼を唱えることが中心的な部分を占めており、三密行とも言われる身密(印相を結ぶこと)、口密(真言・陀羅尼を唱えること)、意密(心に瞑想すること)のうち、口みつ以外は十分に確立されていない。

第三
この階梯(かいてい)では、治病・求児(ぐうじ)・延命などの現世的なご利益が目的とされており、自kの秘められた仏性を開悟するいわゆる成仏については、ほとんど触れられていない。

第四
密教的世界の聖なる縮図ともいうべき曼荼羅が、まだ不完全である。以上の特色を持った密教が雑密と呼ばれるものである。

これに対し、純粋密教と称されるものは、具体的には弘法大師空海、伝教大師最澄によて確立された真言・天台の両密教のことを言う。(ただし、天台密教が密教として完成するには、円仁・円珍・安然を俟たねばならない)。これらは、先述の雑密に対して、次のような性格を持っている。

まず第一に、本尊が大日如来という新しい性質を持った宇宙的な仏格となっている。
第二に、身・口・意という三種の表現形態(三密)を総合的に駆使する全身的行法が完成している。
第三に、従来の現実的な目的に加えて、自らのうちに仏を体現する即身成仏の思想が究極目的に置かれている。
第四に、大日如来を中心に戴く曼荼羅が出来上がり、大きな意味を持つようになってきたことなどを列挙することができる。
 もちろん、この分類法においては、純密を絶対的なものとする価値判断が働いているが、敵視的変遷に加えて、この相違点には無視できない諸点を多く含んでいる。ただ、この分類法は、『大日経』『金剛頂経』などの我々に親しい密教教典までを扱っているが、その後新たに成立したものを含んでいないところに多少の難点がある。


密教の歴史的分類

 この弱点を補うものとして、またインドやチベットなどのあらゆる仏教圏に渡密教をカヴァーする方法として、最近最もよく用いられるのが、初期・中期・後期という三期にわけて説明する密教の歴史的分類である。これらは、密教の母国インドにおける密教の展開を基本としたものであるが、いわゆる密教圏にも適応することができ、現代では、最もスタンダードな分類方法となっている。
 
⚫︎初期密教
 インドにおいて四世紀から六世紀にかけて成立した、陀羅尼を中心とする未体系な密教であり、わが国の分類でいう雑密に該当する。

⚫︎中期密教
 七世紀の頃に新しくインドで成立した『大日経』、『金剛頂経』などを基盤とする体系的な密教であり、唐代の中国を通して日本にもたらされたのは、この階梯の密教である。純密がこれに当たることは、いうまでもない。

⚫︎後期密教
八世紀にインドで新たなタントリズムの展開とともに成立した密教で、俗にタントラ仏教と呼ばれている。この階梯の密教は、それまでほとんど取り上げなかった性的行法や生理的行法をも大胆に導入しており、時としては、左道密教の名の下に激しく嫌悪される。このクラスの密教は、宋代の中国で漢訳されてものの、儒教的倫理観に支配された士大夫(中国の旧支配階級の称で、身分の高い人を指す言葉)の国で受容されるはずがなかった。また、日本にも入宋僧の成尋(安時代中期の天台宗の僧)などによって、それらの一部の漢訳が届けられているが、陽の目を見ることは遂になかったのである。

 ただ、興味をひくのは、同様に性的要素が強い真言宗立川流が、平安時代の末期から鎌倉時代に大流行したことである。立川流には、日本古来の陰陽道が大きな位置を占めていると言われるが、タントラ仏教のそれと類似していることも否めない。果たして、文化の基層面としての偶然の一致なのか、それとも後期の無常瑜伽密教が密かに日本にまで潜入していたのか関心の持たれるところである。



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