見出し画像

深夜の感情が手紙には向かない理由

ラブレターを夜書くと感情がたかぶりすぎる

“朝活”という言葉が一般的となってから、朝に重要な仕事を片付けるという人は多いかもしれない。
私も、朝活推進派の一人だ。
こうした書きものも、朝書くことがほとんどである。

夜にラブレターを書いたことがあるだろうか。
夜のラブレターほど、オススメできないものはない。
感情が入りすぎてしまう。
ラブレターでなくても、好きな人にLINEを送る際にも当てはまるため、なんとなく理解できる人は多いのではないだろうか。
書きたいことがあふれてしまうのだ。
普段の平静な時には、絶対に口にしない言葉が思いついてしまう。
それらを、めちゃくちゃ厳重に審査して、言葉を選び、チェックして提出しているのに、明くる朝に見返すととんでもないことを書いている場合が多い。
自分でも、夜夜中にこんなことを書いた時は、ろくなことを書かないと自覚しているのだ。だから『自覚フィルター』を自分に被せて、文章をチェックする。それなのに、そんなフィルターが本当に存在していたのか、疑いたくなるほどに文章が熱すぎてしまう。熱くって何を言いたいのか分かりにくい。

こうした経験をしたことが何度もあり、失敗を繰り返した。
「もう二度と、夜中に文章を書くのはやめよう」
と思って、心に誓ったことが今までで、何十回とある。
こうした失敗を繰り返しては、相手に向かって謝罪をしてきた。
大切なのは、失敗したら、二度と繰り返さないことだ。
これは、人生においては鉄則である。仕事でもなんでも、何度も同じ失敗を繰り返している人間に、仕事を教える気にはなれない。“言われたことは二度としない”ことは、重要だと、子供の頃から言われてきた。
それなのに、仕事や勉強など、緊迫感のある物事以外の場面では、なぜだか何度も同じことを繰り返してしまう。
これはなんなのだろうか。

それでも何度も深夜にラブレターを書いてしまうのは、それほど問題視していないということなのか、失敗しても大したことない事と考えているのか、わからないけれども、おそらく、甘えているのだろうと思う。
誰に甘えているのかといえば、文章を送る相手にである。
自分で自覚がないならまだしも、深夜に文章を書くと自分は相手に熱く分かりにくい文章を送ってしまうと思っているのに、深夜に書くというのは、間違いなく相手に甘えている。分かりにくい文章を送っても、きっと理解してくれると甘えているのである。
確かに、
「これほどの熱い言葉を送ったら、きっと喜んでくれる」
そんなことを考えて深夜のラブレターは書いていることが多い。
これは“愛の押し売り”である。
自分の思いが、相手にとってどれほど重いものになっているのかということが、正確に理解できていない自分の未熟さを証明している。

私は元々、温もりある手紙によって相手に思いを伝えるということが好きだ。
その証拠として、現在、文通をしている相手が北海道にいるし、なんでもないのに友人や知人に手紙を送ることが多い。最近では、相手の現住所を知る機会がめっきり減ってしまったため、手紙を送ることができなくなってきたが、本来は電話やメールよりも、手紙で思いを伝えることが大好きな人間なのだ。

このように、私が手紙好きだからなのかもしれないが、深夜になるとなぜだか感情が溢れて衝動的に「この思いを相手に知ってほしい」と思えて仕方なくなることがある。感情が高ぶって、深夜に全速力で走り出したくなる。気分は『走れメロス』である。
この“メロスな気持ち”を、筆にのせて手紙を書いてしまうのだ。
すると、筆が勝手にガシガシと言葉を手紙に刻んでいく。この言葉は、深夜の感情が過剰に入っているためか、熱い言葉で“言葉を紡ぐ”というよりも、“感情をぶつけている”ことに近い。
おそらく、この部分が違うのだと思う。
つまり、“相手に想いを伝える”ときには、ぶつけてはダメなのだ。
相手が受け取りやすいように、取りやすいボールを投げる必要がある。ぶつけては自分の思いが伝わる前に、相手には恐怖心を持たれてしまうのだ。

手紙というのは、“言葉を紡ぐ作業”と言われることが多い。
つまり、“綿、繭(まゆ)を錘(つむ)にかけて繊維を引き出して糸にする”という、『紡ぐ(つむぐ)』ことによって、相手に優しい言葉をかけていくことが必要なのだ。
一本一本、ていねいに、相手にわかるように伝えていくことが重要で、“自分勝手な想い”を自分勝手に発する場所ではないということだ。

言葉というものは、一人では何の役にも立たない。
相手が居てこそ、そこには言葉が必要になる。
相手がいるということは、伝わらなくては意味がない。
言葉というのは、“伝わらなくては意味がない”ものなのだ。

“メロスな気持ち”を持った自分の感情も大切である。
それは、自分の中から湧き出てきた気持ちである以上、自分の真の気持ちである。
しかし、そうした感情の高ぶった言葉を心に秘めた上で、それを隠しつつ、優しく柔らかい言葉で、相手が受け取りやすく表現することが、古来から日本語の本来の姿なのだ。

高ぶった感情はノートに書いて、明日の朝、その気持ちを柔らかく表現して手紙に紡いでいこうではないか。

とっても嬉しいです!! いただいたサポートはクリエイターとしての活動に使わせていただきます! ありがとうございます!