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旧約聖書読み合わせ勉強会

味わったことのない有意義感


きっかけは脱兎のごとく

X(エックス)でお知り合いになったのか、リアルでお知り合いになったのか、今では定かではない人がいます。
その方は、読書ノートにご興味を持っておられて、私がインスタでアップしている読書ノートや、読書の記録を残す方法として、手帳イベントでトークライブをさせていただいた内容に強い関心をもってくださいました。

或る日、その方のXのポストでこんな投稿がありました。
「旧約聖書を読みたいのに、難しくて一人では進まない」
その方はクリスチャンで、週に一回、礼拝堂でお祈りをされている方だったのです。

私は、それ以前から、聖書を読んでみたいが、一人では進められないと感じていました。
そう、見事に思惑が一致したのです。

その方の投稿を見てから、私は脱兎のごとくコメントを付けました。
「もしよろしければ、私と読み合わせ勉強会をしませんか?」
「良いのですか?喜んで♪」
ということで始まったのが、『旧約聖書読み合わせ勉強会』だったのです。

二人だからこその安心感

そんなわけで、二人で始めた勉強会は、毎週一回水曜日の21時~21時45分で開催しています。
しかし、二人なので気楽なものです。
「今日は仕事が遅くなったのでパスお願いします!」
「今週初めからコロナになってしまったのでスルーしてください」
「読めていないので、来週でも良いですか?」
と、気楽にスルー、気楽にパスしており、先日の勉強会は初めに「お久しぶりです。コロナ、大丈夫ですか?」といった挨拶から始まったのです(笑)

二人だからこそは、他にもあります。
わからない点、読めていない点、理解が追い付かない点など、格好つけずに素直に言うことができます。
大人数だと、「こんなこと、今さら聞いたら恥ずかしいかな?」などと、余計な気を回さなくてはいけないのですが、そう言った心配は無用です。
素直に、感じたままを言い、感じたままを伝えることで、相手も素直に聞いて、素直に話してくれる関係となります。
これは、勉強会には重要なことです。

わからないことを、「わからない」と言えないからこそ、わからないままになってしまって、学習が遅れる要因になります。
そうした事態を無くす意味でも、二人でかしこまらずに話をするのは、大切なことです。

お陰で、クリスチャンではない私でも、ユダヤ教徒キリスト教の違いが少しずつ分かってきつつあり、一緒に勉強して下さる『その方』には感謝しかありません。

いつか、その方がいつも通っているという、礼拝堂に連れて行ってもらいたいな、と密かに時期を伺っています。

キリスト教でなくても、聖書を読んでみると、読み物としても楽しいことに驚かれること間違いなしです!!

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