見出し画像

離人感に関する体験

離人感(離人症)の体験について

離人感の説明を引用から

離人感・現実感消失症では、身体または精神から自分が切り離されたような感覚が持続的または反復的にあり、自分の生活を外から観察しているように感じること(離人感)や、自分が外界から切り離されているように感じること(現実感消失)があります。

サイト『MSDマニュアル家庭版』より抜粋

以下、「離人感」で統一させて頂きます。

ほぼ毎日のように経験していた時期は小学校中学年~中学生頃までの約6年間。高校時代は「ほぼ毎日」ではなくなりましたが、2~3日に1回程度。

以降、頻度は減り発症時間も短くなり、今ではごく稀(数カ月間起きないこともあります)に経験する程度で収まっています。

青年期には起こりやすいという離人感について、私の経験を記録します。

どんな症状だったのか、「段々と頻度が減った」とはどういうことなのか。どなたかの、特に10代の方々のご参考になれば幸いです。

※あくまで私個人の体験談としてお受け止めください。




具体的な症状

あくまで私の場合はこうだった、という前提を踏まえて読んでいただければ幸いです。

・鏡を見て、自分の顔が誰の顔なのか分からない
・手を見て、この手が誰の意思で動いているのか分からない。
・周囲の景色を見て、自分が今どこにいるのか分からない。
・親しい知人(家族等)と会話中、話しかけられている相手が自分だと認識できない。

主な症状は上記の通り。
幽体離脱感、とか、現実が映画の世界のように見える、とか。そういった例えを良く聞きますが、確かにそれが的を射ていると思います。


タイミング

①自分でもよく分からない

「ふとした瞬間」「前触れもなく」以外に説明不可なタイミングで頻繁に起きていました。
しかし、特に起こりやすい状況というのもあったと記憶しています。
以下、②③にその”特に起きやすかった状況”を記載します。

②鏡を見ている時

自分の顔を見るのが苦手だった時期があります。
それは美醜に敏感だったとかそういう意味ではなく、離人感を覚えやすい条件のひとつに「鏡を見る」があったためです。

この顔が誰のものなのか分からない。
自分である、という事は理屈で理解している。しかし、理屈とは別に「こいつ誰?」と思っている自分が自分の中に存在している。

段々と怖くなってきて、私は鏡をあまり見なくなりました。
とは言っても身だしなみを整える必要がある以上全く見ないわけにもいかず、朝等は強制的に見続けました。

③自分の体を見ている時

一番視界に入りやすい場所は、まず「手」。
それから胴体。脚。
このいずれかを目にした時、どうしてこの手は、胴体は、脚は動いているんだ。誰の意思で動いているんだ。いや自分が動かしている以外にどんな理由がある? でも、分からない。自分はどうやってこれを動かしているんだ?

そういった堂々巡りを起こすこともありました。

一番症状の程度が酷かったのは鏡を見ている時でしたが、トリガーとなりやすい(単純に自分の顔より自分の手の方が視界に入りやすいから)のはこちらだったので、別の意味で嫌でした。


誰にでも起きていると思っていた

私が精神疾患やその他アイデンティティの話をする際に頻繁に用いる言葉があります。

誰でもそうだと思っていた

例に漏れず、この症状も誰にでも起きているのだと思っていました。
あまりにも頻度が酷かった時期、知人に「鏡とか見ている時に、自分が自分だと分からなくなったりしない?」と尋ねたことがあります。
即座に「そんなことはない」と返ってきました。まるで、何を言われているのかすら分からないといった表情と共に。

その時初めて、ああそうだったのか。と知りました。
当時の私にとってそれは非常に衝撃的な事実だったため、相手の表情と共に強烈に記憶されています。

調べ、当然全員ではないにしろ青年期には比較的起こりやすい症状だと知るのは成人後です。


発生時の感情

「この人誰だろう」から始まることが多い私の症状ですが、その後の感情は「不安」「不気味」「現実味のなさ」です。

目の前の顔が別の誰かに見える、というのは、モニター越しに映像で自分の顔を見ている感覚が近いかもしれません。
自分であることは理屈として理解しているのだけれど、モニター越しの自分は「今現在の私の意思」では動きません。
それと同じで、「今現在の私」ですらも、誰の意思で動いているのか分かりません。
もしくは「仮面越しに世界を見ている」とも言えるでしょうか。
自分(意識)と外(肉体や外界)の間に一枚膜が張っているような。

なんだかうまく伝わるように説明することが難しい感覚ですね。

兎も角不安や恐怖に駆られることには間違いなく、不愉快ではありました。
ただ鬱病やパニック発作の時の様な不安や恐怖とも違うので……何とも表現し辛い。比喩が出来ないんですよね。不愉快では無い時もあるし。
モニター越しの自分、と比喩表現で前述しましたが、これが伝わっている自信もあまりありません。
よく幽体離脱のような感覚と例えられたりもしていますが、私は幽体離脱をしたことがないので分かりません。

余談ですが、幽体離脱と言われているものの正体はこれなのかもしれませんね。


段々と頻度が減った

起こり始めたのが記憶している限り小学校中学年(9~10歳頃)で、最も酷かったのが小学校高学年~中学生(11~15歳)。正直かなりのストレス要因でしたね。
その後高校まで定期的に発生し、大学入学頃から徐々に頻度は減っていきました。
社会人である現在は数カ月に1~2回、年に数度起きる程度です。生活に支障が出るレベルではありません。起きたとしてもむしろ気分が良い(うまく説明できないけど兎に角不愉快じゃない)タイプの離人感です。

原因は自分でも分かっていません。あの頃は病院にかかるという発想がありませんでしたので残念ながら迷宮入りです。
時間経過で治ってしまった(たまに起きるので完治ではありませんが)。

青年期の離人感はアイデンティティ形成の一環とも言われているようですし、幼少期のストレスが原因とも言われているようです。

私は心理学を専門的に学んだ人間ではないのでどちらが正しいともどちらも正しいとも判断が付きませんが、どちらも覚えはある、とは言えます。

前者については、当然ですが思春期でしたので。アイデンティティの揺らぎ等ありますよね。ホルモンバランスの影響で精神状態もブレがちですし。

後者については、私の家族は今でこそ仲が良い方だと思っていますしあの家に生まれて感謝しかありませんが、幼少期は両親がしょっちゅう怒鳴りあっていたり(嫁である母は相当ストレスを感じていたでしょうし、父は日付が変わる前後まで仕事をしていて母の精神的支えになることが難しい時期があったようです)祖父母が母をいびり気味だったり(昔ながらの嫁嫌いの文化です)、曾祖母と祖母の折り合いが良く無かったり(これも嫁嫌いの文化ですね)、祖母(嫁)のことが気に入らない一部の親戚の悪意の矛先が祖母からの寵愛を受けている私に向いたりしていて(これに関してはなんでやねん!)、それがたまらなく嫌だった記憶があります。今でも両親が怒鳴りあう声を思い出すことが出来るし、一部親戚が苦手です。情けないことにこの歳になっても思い出すとちょっと具合悪くなる。

あとは以前にも書いた場面緘黙のこともあり、コミュニケーションがど下手くそだったという劣等感も幼少期のトラウマといえばトラウマかもしれません。


纏め

私の場合、「放置したら頻度が減った」という全く参考にならないパターンで今に至ります。
今似たような症状を抱えていらっしゃる10代の方に関しましては、早めに病院を受診したほうがよろしいかと思います。放置よりはマシでしょう。

因みにですが、自分に合う精神科系の病院を探すのは結構大変な作業なのでそこだけご留意頂ければと思います。
これは病院が悪いとか患者が悪いとかそういう話ではなく、相性の話です。
勿論どちらかが悪い場合もあるかもしれませんが……ほぼ相性だけの問題と言って良いでしょう、と私は考えています。

多くの人の人生が、少しでも生きやすくなりますよう。



おまけ。

脈絡のない好きな曲紹介。

FAKE TYPE.の『魔崇華麗奴』。

仮面だの何だのの話をしていたら聞きたくなりました。
自我消息不明 一体お前は誰?
音も声も歌詞も好き。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?