日記Vol.13 しんどさやつらさと死生観

 こんばんは✨
気分はどんより曇り空ですが、こんな時こそ声を出していきましょう!(某キャラの台詞)

 さて、今日は何を書こうかなと思いながら、お仕事休業中の身としてはやることがなくて、ついTwitterなどを回ってしまったせいで、見たくないものを見ました。ソフトに言って落ち込みました。
 そんなときに、他の方のnoteをフラフラと見に行ったところ、「分かり合えない人にエネルギーを使っても、分かり合えないから、新しい『(その人の役)を作る方がいい』(※親なら親の役として見れる人ということですね)」とか、「支えになる言葉なんてあるわけないと思ってしまうのがアダルトチルドレンの認識だけど、ある日ふっと現れることがある」とか、「なんか素敵だなあ」と思う記事が見れたので、ちょっと倣ってみようかと思いました。落ち込んでるけど。沈んだって慰めてくれる人がいるわけでもないし。←これがアダルトチルドレンの悪い癖

 自分は機能不全家族なので、身体障害、精神障害、愛着障害、アダルトチルドレンと、まあどんだけ持ってるんですかっていうほどの色んなものを持っています。だから医師に「どうやって生きてきたの?」って言われるのでしょうね。ごめんそれはわからん。
ただ、私の場合は「心を救ってくれる言葉」は、最近までは無かったです。(※ヴァニタスの手記)
なので、支えも無いまま歩いてきたのって、本当、どうしてなのだろうなあと考えてみるのです。普通の人はこれつらいし苦しいししんどいですよね。

 私は、機能不全家族、まあいわゆる「親が自分を省みない」という環境下にあって(虐待に相当する)、その親を「この人は不完全なまま、『親』という役を精一杯しているんだ」と思いました。
だから真似て無理をし始めたのかもしれませんね。
確かに、親は私を省みません。変なところで過干渉、変なところで過放任、変なところで口出しをしては、反面教師として存在していました。
だからなのでしょうか、それとも私が無理をしたのでしょうか、
「親を大事にする」ことで、自分を保っていたのは確かなのですね。
凄い矛盾ですよね。
自分を大事にしない親を大事にするんですよね。
それをこうして文字にしてみても、やっぱり心が変わらないのですよね。
なんだろう、親だからどうこうというより
「知らない『役』を精一杯している人を、労いたい」というのでしょうかね。否定するよりは、褒めていたいのです
それだけが、私にとって支えであったのは確かです。

 話が一旦逸れますが、自分は霊感体質人間です。
まあ信じてない方は電波ちゃんとでも認識してください。
心がとても追い詰められたことが過去に三度ほどあり、そのいずれも他害か自害をしようと、正気を保てていない状態でした。
そんな時に、神社さんがサッと平常心になるように祓ってくれたのですから、まあ無宗教でも多少はそういうものを信じるようにはなりますね。
いつだったか聞いたのが デマかもしれませんけど
戦時の最中、絶望に負けないように、生き延びられるように、神に祈ることで命を繋ぎ、友と共に歌うことで心を鎮めていた
のが、宗教の成り立ちとか、色々な説の中のひとつとして聞きました。

 アダルトチルドレンとか、愛着障害って、心の安全基地がさっぱりないのです。安全基地がないから逃げ道もなくて、四面楚歌の心が、どこにもいけなくなって病むんですね。
そういう時に、宗教なりなんなり、何かしらの縋れるものがあるというのは、悪い事ではないと私は感じていますし
「親が親をできない」という私の環境において、「神様が親の代わり(氏神ー氏子という関係になるため)」という新定義というか超解釈をすることに、良いとか悪いとかはないでしょう。
私には、実の親と、架空の親が、二人いるわけです。
何かこうやって書くと、はるか昔に流行った「疑似親子、疑似兄弟、疑似恋人」っていうSNS黎明期の遊びを思い出しますね。

 傷付いた心は、そう簡単には癒えません。
ただ、私の中に残ってる名言というか、ああそうだなあって思った言葉としては、私が福大に言ってた時に、精神障害専攻の講師の台詞に『人が傷付けた心は、人が癒すことしかできない』は、未だに賛同できるなと思っています。あの講師まだ生きてるのかな。

 あ、あと忘れてました音楽ですね。
一回、泣かされた曲がありまして。あんさんぶるスターズなんですけど。
switchというグループが、「キミだけに効く魔法のフレーズ 探しあてていこう」という歌詞を歌うのですが
これは良かったなあと思うんですね。
割と明るい曲調なので、合う合わないはあると思うんですけど。
落ち込んでる私に、友人がめいっぱいCDを貸してくれた中にあった、たったひとつです。

 悲しみは中々癒えないですけど。なんかここだけ見ると小田和正さんみたいですね。
何かを好きになったり、何かで気持ちを掃きだしたり。
無くなったりはしないけど、一時的に落ちつかせることでどうにかしてきた。そんな感じはありました。
好きなものを持つというのは、とても大事なのですよね。頭の中で余計なものが反芻するのを邪魔してくれるので。

 ただの日記になってきている。。笑
結局、私は誰かのためになる言葉は、まだ見つかっていないのかもしれないですね。昔から小説を書くので、昔の小説を読み返したりしますが、15年前に自分から自分へ向けた言葉が書かれたものを今見ても、結局答えが出ないんです。
啓発本とかの通りにすれば、何か違うかもしれないけど、そうでもない。
自慢したいわけではないのですが、私、小学生の頃から、図書館の蔵書を殆ど読みつくすような人間でして。心理学の棚は特に、読み込みが多かったんですね。カウンセリングルームに本を返しそびれたの本当にどうしよう(自白)

 いろんな手法を知っています。おそらく心理士以下福祉士以上程度には知っています。
けど、それを自分に使えないのも、知っている。
「人から傷付けられたものは、人からしか癒されない」からです。
自分で癒そうと、どれだけ頑張っても、無理だったのもあります。

 けど、無駄にはなっていないので、まあいいかと思っています。
確かに、私は自分を癒すことはできないです。残念なことです。
けど、「悲しい」と言っている人に、手を差し伸べられる自分でいることはできています。
ちょっと虚しさを感じる時もありますが、何も出来ないよりはいい。
というか、私がそういう人間なのです。
自分の事より、他人のことが優先、そんな馬鹿な人間なのです。

 人気なクリエイターさんは、「放り投げちゃっていいんですよ」とか、ハッとする言葉を書けて、すごいなあと思います。
どうにも私はこう、理屈じみているというか、フラットに書けないので
そのあたりはとても及第点なのですが。

 この、私が感じているしんどさも、苦しさも、つらさも、痛みも
きっと他にも感じている誰かがいるのだと思うと
居てもたってもいられなくなるのですね。
耐久できる人間が、声をあげていかないと、他の人は声も出せないくらい苦しい思いをしているのだから。

 まずは、逃げ道の確保、これ大事ですね。
逃げ道がなくなって背水の陣になると、人間、とんでもない方向へ思考がいってしまうので。
逃げ道があるというのは、とても大きいことです。
心の安全基地があるというのも、そういうことです。

 結局理屈ばってしまいました汗
こんなんですが、誰かに届いていれば、幸いに思います。

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