10年前に書いた駄作「無名の戦士たち」


名門、菅原ジムの将来チャンピオンに成る人たちと記念撮影


 プロローグ

 俺は人を殺した……。
 事故や過失ではない。撲殺である。人をこの手で殴り殺した……。
「強くなりたい」男として生まれたからには誰でも一度は考えることだろう。
 俺の場合は、特にその気持ちが強かった。「最強」この文字を見ると、腹の底から熱いものが込み上げてくる。
 その最強を目指すため実戦(フルコンタクト)空手を、小学生の時から修行していた。
 数多くの大会で優勝した後、史上最強の、立ち技ムエタイ(タイ式キックボクシング)に、どうしても挑戦をしたくなったのは二十歳の時。
 体育大学を卒業し、二年間教員の生活を送った後も、この気持ちは萎えるどころか、日に日に強くなり、単身タイの首都バンコクに乗り込んだのは、昭和五十九年の正月であった。
 俺は空手とのスタイルを変えるため、実戦空手と並行し、地元のキックボクシング・ジムで一年間の荒稽古に励んだ。
 そのジムは、玄関の看板に「喧嘩教えます」と書き込むような、戦いしか頭にない、クレージーな会長が指導をしていた。会長が書いた物だろう壁には「今やらないで、いつ、やるんだ」とか「自分が怖かったら、相手も恐れている」
「自分が苦しかったら、相手も苦しい」「一度でいいから死ぬ気でやってみろ」が、張ってある。
 一回の練習時間は四時間を越える。普通のジムでは一ラウンドを三分間でカウントするが、このジムでは四分三〇秒を一ラウンドとし、インターバルも三〇秒しか取らせないハードなトレーニングを課することで、有名なジムであった。
 俺はムエタイに挑戦するため、周到な計画を立て、緻密に練り上げた練習法でタイ人を倒すことだけを考えて、毎日を生きていた。
 奴らの最強の武器は、見えない角度から飛んでくる肘と膝である。鋭利な刃物のような肘(パンソーク)は目の上の急所を狙うことで相手の多量の出血を起こさせ、戦意を喪失させる。
 また天を突く膝蹴りは「テンカオ」と呼ばれ、敵の顎を確実に打ち砕く。更に「モエパン」は、首相撲から連続して行われる膝蹴り、相手の内臓を破裂させる殺人技である。
 国民男性のほとんどが経験するというムエタイの人口は凄まじい。日本の草野球やサッカー少年も、今やあまり見かけなくなったが、タイランドでは子供たちが普通に路上で殴り合いをしている。喧嘩かと思いきや、ムエタイの練習をしているのだ。
 未だ教育水準が低く、貧富の差が激しいタイにおいて、億万長者になれるのはムエタイのチャンピオンか俳優だけだと言われていた。タイ人男性の大半がチャンピオンを夢見て物心付いた時から、見よう見まねでパンチや蹴りの練習を始めている。
 その中から、ごく限られた一握りの天才選手が、ルンピニーとラジャダムーンという二大スタジアムに行くことができる。日本人でムエタイのチャンピオンになったのは、ごく最近まで、藤原敏男さん、ただ一人だった。

 第一章 一九八四年一月三日

 俺が“微笑みの国”タイランドのドンムアン国際空港に到着したのは、年が明けてすぐの三日だった。
 小さい国というイメージがあるタイランドだが、国の面積は、五十一万四千平方キロで日本の一・四倍もある。世界で四十九番目の面積だ。ツーリスト・ビザを所得し、数次ビザを取れば、最大で連続九ヶ月間は滞在できる。
 バンコクの数多くある繁華街の中で、パッポン(日本)ロードは、タニアと並ぶ風俗街で、土産物屋の屋台が埋め尽くしている。
 昼は閑散としているが、夜になるとヌードショーを生業とするゴーゴーバーが、道の両側に立ち並ぶ。店の軒下にショッキング・ピンクや、色褪せた金色のショーツが干してあった。
 俺の横を、お猿の籠やのような担ぎ物を持った、中年のおばさんがすれ違った。どうやら身体一つで露天を開くらしい。
 担ぎ物を降ろすと、コンロに火をくべて、円形の鉄板で、小さなどら焼きを焼いて、売り始めた。
「これは、何だ?」は指で示して「アラーイ」と訊けばいい。
 おばさんは「ソンマーメイ」と答えた。
 七個で十B(バーツ)だ。一Bが三円だから、三十円。たった三十円を稼ぐために、熱い日差しの下で一日中、どら焼きを焼き続けるなら、裸になって足を上げて稼ぐほうが楽かも知れない。
 ルンピニー公園は、高層ビルに囲まれた一角にある。バンコク最大の公園で、六十万平方キロ。東隣にはルンピニー・スタジアムがあり、地下鉄からのアクセスも良い。週末には、家族連れやカップルで賑わうと聞く。
 入場料は無料だが、治安維持のためか、午後九時以降は入れない。日本の公園と違うところは、トイレが有料な点だ。二Bを払わないと、入れない。また、公園路上の至る所に、距離表が書いてあった。ジョギングやマラソンに役立てるのだろう。
 北側には有料の青空ジムがあり、ウェイト器具が、ボロボロに錆びて置いてあった。タイでは映画『ランボー』の影響で、ボディビルが静かなブームであった。
 池にはワニやオオトカゲが住んでいるらしい。だが、あまり見た人はいない。ラマ六世の像が、誇らしげに、それでいて寂しげに建っていた。
 正月だというのに、飾り気のないバンコクは、古い車と汚い自転車、そして名物の乗り物トゥクトゥク(バイクで作った三輪タクシー)が、ひしめき合い、大渋滞を作っていた。
 何の流行だか、マフラーを切ったバイクが騒音をけたたましく鳴り響かせていた。
 街全体が排気ガスの臭いで溢れかえり、その喧噪は長時間のフライトで疲れた俺の神経を逆撫でした。
 パッポンロードを歩いていると、熱帯地独特の湿気で、着ているTシャツが、汗で張り付いた。そこは紛れもなくタイランドだった。

 俺が歩いていると《コーヒーショップ》と汚い日本語で書かれた喫茶店が見つかった。外から店内が見渡せる、総ガラス張りになっていた。
 中には、まだ、昼だというのに、派手な化粧を施した女たちが、ところ狭しと座っていた。
 タイの店のほとんどがそうなのだが、外観からは何の店だか、わからないものが、多い。
 ガラス扉の入口は、自動ドアではなく、スライド式の手動であった。
 俺は暑さに懲りて、店の中に逃げ込んだ。
 店内は、一瞬にして風邪を引きそうなほど冷房が効きすぎていて、軽い眩暈を覚えた。
 テーブルに身体を預けていた女たちが姿勢を正し、一斉に俺に視線を向けた。
「サワディカップ」(こんにちは)
 満面の笑みだった。
「おにいさん、日本から来たの?」
 手を合わせながら、こちらに微笑みかける女性は、色の浅黒い、まだ幼さを残した、ちょっと猿系の顔をしたトランジスタ・グラマーな娘だった。
 俺は、空いている席を見つけ、腰を下ろした。
 さっきの娘が、タンクトップから溢れ出そうな胸を揺すりながら、俺の前の席に遠慮なく座った。それを合図のように、左右の席が、女たちに占領された。
 右のほうはノーブラ、うすいTシャツで乳首が透けて見えている、大きな女性だった。
 左の娘は、本当に幼く、まだ小学生ではないかと思える少女で、小さなホットパンツから尻の肉が、はみ出ていた。
 俺は、三人の若い女に囲まれて「どれに、するの?」というような眼で見つめられた。
 女たちの大半は「売春」で生計を立てている。《コーヒーショップ》は、女性たちの交渉の場所となっていた。
 しかし、タイという国は、勤労意欲のない人間が、なぜこうも多いのか? 客が来たというのに、水一つ持ってこない。
 バーテンらしき男にアイスコーヒーを頼むと、女たちは一斉に、けたたましく笑い出した。
 俺は、自分の注文が馬鹿にされたのかと思い、不愉快になった。
 正面の娘が、辿々しく説明を始める。
「タイランド……コー……ヒー……ノーです」
 ここの娘たちは日本語はおろか、英語も全くわからない。俺はだんだん、苛ついてきた。
「タイには、コーヒーはないのか?」
 目の前の女性が、手振りで教えた。自分の“あそこ”を指さしながら「コー」と言い、手招きをしながら「ヒー」と言った。
 周りの女たちは、皆一様にヒソヒソ話をしている。
 どうやらタイ語で「コー」は女性のあそこを意味し、「ヒー」は欲しいという意味になるらしい。俺は「冷たい女性のあそこが欲しい」と注文したわけだ。全く、面白くも何ともない。
 出てきたアイスコーヒーは、氷も溶けて味も薄く、砂糖をたっぷり入れた麦茶の味がした。
 何よりひどい点は、ストローが使い回されていて傷だらけだ。
 片隅に目をやると、日本で言う十四インチ程度の小さなテレビを、タクシーの運転手らしき男たちと店の従業員が、食い入るように見ていた。
 だいぶ古いテレビで、SONYと書かれたロゴマークが剥がれて、読み取れない。色はセピヤ色で、縦に幾つもの線が入っていた。
 偶然、ムエタイの試合が放送されていた。たぶん国際式ボクシングの前座か何かであろう。
 まとわりつく女どもを押しのけ、俺はテレビの前まで、グラスを持って近寄った。

 テレビ画面では、ムエタイ独特の間延びした音楽に合わせながら、対戦する二人が「ワイクル」という、神に捧げる舞を踊っている。
 ムエタイを教えてくれた師匠と神に祈りを行うのが本来の目的だが、科学的には戦いの前のストレッチ的な役割がある。
 俺の隣で観戦していたタクシーの運転手が、身振り手振りで、タイボクシングの真似をしていた。
 試合は一ラウンド、テンカオ(膝蹴り)を顎に入れた赤コーナーの選手のKO勝ちであった。
 俺が見たところ、二人のレベルが違いすぎて、噛ませ犬のような試合だった。
 試合を観戦していた、薄汚いTシャツを着た中年の親父が、黄色い歯を剥き出しにして、振り返りざま、俺の前まで歩み寄ってきた。
「タイランド・ムウエ・ナンバーワン」と中指を立てながら、俺を睨んだ。
 昼間から酔っているのだろうか、パンチの真似をしながら近づいてくる。俺は心で吠えた!
「ふざけるな! 日本には貴様の知らない、最強の格闘技、空手が、あるのだ」
 興奮した俺は親父の顔を掌底で、張り倒していた。
 顎の先端を打ち抜かれた親父は、口から血反吐を吐いて隣のテーブルまで吹き飛んだ。娘たちは悲鳴を上げながら店を逃げ出す。
 訳の分からないタイ語を話しながら、他の連中も騒ぎ出した。
 警察問題になると、今後の活動に支障が出ると思い、俺は足早にその店を立ち去った。
 これは自分の中で、観光気分を捨ててムエタイへの宣戦布告をする印象的な出来事となり、胸に刻まれた。
「タイ人の奴らに、本当の格闘技を、見せてやる」
 心から燃え上がる情念を、抱えながら、日本で予約をしていた短期アパートまで歩いた。
 タイにいる間、宿舎になるアパートは、パッポン通りを抜けてスリウォン通りを北に歩き、ラーチャタムリ通りと平行している、アンリー・デュナン通り沿いにあった。
 近くにはタイ国立NO1のチュラロンコン大学があり、ラマ四世通りとの交差点近くには、タイシルクで有名な《ジム・トンプソン》の店があった。
 古くから栄えてきた、この通りの辺りには、オリエンタルやシャングリ・ラなどの高級ホテルが建ち並んでいる。
 だが、俺が予約していた、月額三千B(約九千円)のアパートは、トイレは水洗でない共同で、シャワーは水しか出なかった。
 相部屋のPゲストハウスならば、一日五〇B(一五〇円)で泊まれるが、個人のプライバシーは守れないし、長期滞在者の大半はジャンキー(麻薬中毒者)で、一緒にいて無事に過ごせる自信がない。
 個室を与えてもらえる最低の家賃だった。
 元より、贅沢をしに来たのではない。ムエタイのランカー(できれば、チャンピオン・クラス)を倒すために来たのだから、何も不自由は感じなかった。

 俺は、すぐにでも試合を組んで、もらいたかった。
 そこで俺は、調整場所と練習所を確保するために、日本から電話で、マッチメークのお願いをしていた地元のプロモーターのパーヤップと、その日のうちに話し合いを持つことにした。
 パーヤップは、いかにも「俺は忙しいんだ」とでも思わせたいのか、電話がマネージャーに繋がると、すぐに「こちらから、かけ直す」と、言って電話を切った。
 しばらくして、やっと本人につながったが「今日は、忙しいので明日、ジムで会いましょう」という。
 仕方がないので、いくつかのジムを見学することにした。
 バンコク市内のムエタイジムは、大小さまざまな六千以上が連立しており、海外から修行に来ている人間も多い。
 名門ジムと言われる所は、皆一様に練習料金が高く、初心者相手の「体験入門」が良い稼ぎを、生んでいた。
 チャオプラヤー川沿いにある《ギャソリット・ジム》も、その一つである。
 ジムと言っても防災テントで囲んだ土地に、いくつかのサンドバッグがブラ下がっている、露天のような練習場であった。
 ジムの中に入っていくと、タイオイルの独特な甘酸っぱい臭いがした。
 南国特有の湿った暑さに輪を掛けて室温は、すさまじいものになる。故に野天のほうが都合が良いのだ。
 さらにリングの近くまで行くと、今度は獣のような動物が閉じこめられている檻の中に入れられたような悪臭が漂った。
 リングの上では、ぶつかりそうなほど、多くの人々がシャドーボクシングを、行っている。
 その中心でトレーナーの持つミットに高速のミドルキックを入れている男が眼についた。ムエタイ独特の溜を作らず、鞭のように足をしならせての蹴りが、トレーナーのミットにくい込んでいる。
 俺の存在に気付くと、一斉に視線を送ってきた。
 血走った獣のような眼は、俺の挑戦を見透かしたように感じた。
 今すぐ、リングに駆け上がって一人残らず、素手の鉄拳でぶちのめしてやりたい感情を抑え見学だけに留めた。
 汗を飛び散らせ、動物のような叫びをあげながら、無駄な肉を一切削ぎ落とした獣たちの動きを観察し、こいつらを、どう始末するか、俺はハンターのような気持ちで、奴らの攻略ポイントを探った。

 翌五日の早朝、世界一と言われる《オリエンタル・ホテル》で、俺はプロモーターのパーヤップと会った。
 パーヤップは髪の毛の薄いチビでぶで、手にはこれでもかと言うぐらい、太い指輪が嵌められていた。かつて国際式ボクシングのランカー選手だったらしい。だが、今は見る影すらない。
 リバーサイドのレストランで、朝食を摂りながら、今後の打ち合わせをした。
 パーヤップは日本に八年も滞在しており、時折、訳の分からない言葉を発する。それでも、基本的に日本語ができるので、非常に助かった。
「すぐにでも試合がしたい。ファイトマネーはいくらでもいいから、試合を組んでくれ」
 味のないサラダを口にしながら、俺はパーヤップに要求した。
 パーヤップは対岸の《ペニンシュラ・ホテル》を見ながら、サンドイッチを口に放り込み、グチャグチャ噛みながら、無表情に訊いた。
「君は身体が大きすぎる。今、何キロあるね?」
「六十前後だ。一週間もあれば、バンタム(五十三キロ)まで行ける」
 パーヤップはちょっと考えるように、俯きながら首を振った。
「スタジアムでは無理だ。金次第だがな……取り敢えず、パタヤで実力を見せてくれ」
「金次第とは、どういう意味だ?」
「スポンサーに二~三万バーツくれてやれば、適当な選手と記念の試合ができる。そういうことだ」
「それは、八百長試合かね?」
「そうとは、限らない。払う金額が多ければ、そういう試合も可能だがね」
「金があれば、何でもできるということか」
「まぁ、そうだ」
 外国人がムエタイを習った記念として、一試合三万バーツ(約九万円)を払うと、リングにあげてもらえるらしい。
 パーヤップは、これが狙いで「タイに来たら連絡をください」と日本で俺に言ったのだと思った。
 俺は、パーヤップに会ったことを後悔し始めていた。所詮、この男の頭の中には金儲けしかない。しかし、今のところ、パーヤップを伝手にするしか、方法がない。
「悪いが、君の日本でのアマチュア実績は、こちらでは余り評価されない」
 時折、パーヤップの表情が険しくなる、俺の足下を見て値踏みをしているのではないか、と思い、情けなくなった。
「それより、君は結婚はしているのか? 良かったら、良い子を紹介するぞ。日本に連れて帰ってくれれば、の話だけどなぁ」
 そこからの話は、くだらない儲け話ばかりだった。
 何かの伝手を使って女の子を日本に輸入できれば、金持ちになれる、とか、試合なんかしないで、日本からドンドン練習生を送り込んでくれれば、見返りがあるぞ、など。
 果ては「ピストルを持って帰ってくれたら、五十万円払う」という、こいつの職業は何なんだと疑いたくなるような提案ばかりだった。
「明日から、練習がてらパタヤに行って、何試合かしてきなさい」
 むこうのプロモーターと約束をしているのか、どうしても俺を、パタヤに行かせたいらしい。
 俺はパーヤップから、パタヤの住所、行き方などを教えてもらい、別れた。
 別れ際、「困ったことがあったら、いつでも相談しなさい」と満面の笑みを浮かべて、握手を求めてきた。
「コップン、カー」(ありがとう)
「マイペンライ」(どういたしまして)
 タイに来て、初めてタイ語を使ったと思った。
 しかし、テーブルには朝食代のレシートが残っている。恐るべし、微笑みの国タイランド。

 しばらくバンコクから離れなければならないので、ホテルに帰る途中、殿堂《ラチャダムヌン・スタジアム》を見ていこうと思い、バスで移動をした。
 タイのバスはどこまで乗っても二バーツだが、蒸し風呂のように熱かった。
 王宮前広場までバスで移動し、広場を少し歩く。まだ午前中だというのに、日差しは強く、少し歩くだけでTシャツが、汗で体に張り付いた。
 別段、観るところもないので、通称トゥクトゥクというバイクに人力車をくっつけたような三輪タクシーで移動をしようと思った。
「ラチャダムヌン・ボクシング・スタジアム、ハゥマッチ?」
 残念ながら、彼らのほとんどは英語が分からない。指で円マークを作り、値段の交渉をした。
「ラジャダムヌーン・スタジアー、シップハー、バーッ」
 シップが十で、ハーは五なので十五バーツということだ。
「オッケー、レッゴー」
 すぐにエンジンをかけ、破裂しそうな爆音を立てて三輪タクシーが走り出した。
 市内に入ると、物凄い数の車、バス、バイク、自転車がひしめき合うように、渋滞していた、その隙間を縫うように三輪タクシーが、走り抜ける。
 まるで自分の運転技術を自慢するかのように、ギリギリの細い隙間を駆け抜ける。
 何度も車に衝突しそうになりながら、カオサン通りを飛ばしていく。年間何人の人が、これで死ぬのだろうか?
 気づくとスタジアムに着いていた。ポケットから十バーツ札と五バーツ札を取りだし、運転手に渡した。
「ナーナー、ハーシップ! ハーシップ!」
 片手を大きく開いて、俺の目の前に突きだし、睨み付ける。
 俺は「始まった」と思った。シップハーなら十五だが、ハーシップだと五十になってしまう。
 タイ語が分からないのを良いことに、明らかに吹っ掛けてきている。
 たかが七十五円か二百五十円かの違いである。普通の日本人なら、揉め事にしたくないと思い、払ってしまうのが賢明だろう。
 しかし俺が気に入らなかったのは、此奴らの仲間が取り囲んで、さも、こちらが悪いような雰囲気を作っていることだった。
「てめえは、最初から十五と言っただろう! 俺を誰だと思っているんだ、馬鹿野郎」
 構わず日本語で捲し立てた。
「初めから五十と言えば、気持ちよく払ってやったものを、仲間の所に来てから値段を変えるとは、どういう魂胆だ! この糞野郎!」
 日頃、気合いを入れる仕事をしているおかげで、こういう時の俺の迫力は、自慢じゃないが尋常じゃない。
 周りで観ていた仲間たちも「関わらないほうが賢明だ」とでも思ったのか、一人二人と消えていく。
 それでも相手が引かないなら、百キロを越えている握力でバックミラーぐらい引き千切ってやろうと思っていた。
「マイペンライ! マイペンライ!」
 手を頭に掲げて、ワイをする。
 喧嘩は声がでかいほうが勝つのは、世界共通だ。

《ラチャダムヌン・スタジアム》は、まだ開場していなかった。
 会場の周りには、日本の屋台のような食べ物屋が、たくさん連なっていた。
 正面には、小乗仏教の国らしく、蓮の花に形取られた寺院がデザインされた看板が掲げられ、中央には、タイを象徴する動物である像の絵が描かれている。
 入口には右からリングサイド、二階席、三階席の順に、チケットの売り場窓口が並んでいる。その上には、すっかり色あせた各階級のチャンピオンの写真が掛けてある。
 試合予定表らしきものが張ってあった。そこで、よくよく見ると、ご丁寧に日本語で書かれたものがある。それほど日本人観戦者が多いということであろうか。
 予定表を見ると、最初の試合がもうすぐ始まる。
 たまたま、トランクスを持参していたので、選手の振りをして、関係者入口から侵入した。
 本来は二階席の入場料――タイ人が五十バーツで、外国人だと三百バーツも取られてしまう。ちなみに、リングサイド席は、一律、五百バーツで、タイ人は、まず入らない。
 場内はクーラーこそ効いてはいないが、外からの風が入る仕組みになっているせいか、それほど暑さは感じなかった。
 このリングで戦った経験者が「照明と熱気でサウナにいるようだ」と言っていたのを、思い出した。
 全体として後楽園ホールを少し大きくしたような会場である。だが、一階と二階、三階は、それぞれ人が乗り越えられない高さの金網で仕切られており、入口では厳重なボディチェックがなされる。
 マシンガン銃を抱えた軍隊のような警備員が、入口とリングサイドを巡回していた。
 そういえば《ラチャダムヌン・スタジアム》は軍が経営している。
 ムエタイの観戦目的だが、リングサイドは観光客の観戦用で、二階席は賭けが目的である。
 そのため、二階ではトラブルが発生する。客は賭けに興じているため、興奮してリングに物を投げる奴もいて、ペットボトルすら持ち込めない。

 会場に入ると、選手と関係者の控え場があり、何人かの選手がマッサージを受けていた。
 きょろきょろ見回していると、どうやら日本人らしい人相の男が、忙しなく駆けずり回っているではないか。
 短パン、Tシャツで、頭は五分刈りだが、その筋の者といった、ヤバい雰囲気はない。肩からタオルを掛けているところを見ると、トレーナーらしかった。
 歳は三十前後。痩せてはいるが、安定した足腰を見ると、ムエタイ経験者であろう。
 俺は関係者を装い、声を掛けてみた。
「日本の方ですか?」
「いえ、日系アメリカ人です。ジェームス・田中と申します。タイに来て、五年になります」
 田中は俺を見て、少し困惑したような顔をした。だが、すぐに微笑みながら、逆に聞いてきた。
「そちらは、選手として来られたのですか?」
「はい。すぐにでも試合をしたいのですが、難しそうですか?」
「そうですねぇ……ここでは地元タイの選手でも、リングに上がれるのは、一部のエリートですから。各選手が地方で活躍をし、プロモーターが引き上げなければ、ラジャのリングでは、戦うことを許されません」
 田中は世話好きと見え、様々なことを、丁寧に俺に教えてくれた。
「これから始まる少年たちの試合にしても、リングに上がれる競争率は、三百倍ぐらいです。将来を期待された優秀な地方の子を、ジムの会長が衣食住すべて面倒を見て育成するんです。ですから、チャンピオンになるまで、相当な出資をすることになります」
 話を聞いていて、今朝会った、プロモーターのパーヤップが異常に金に固執する訳が、少し分かった。
「タイでは産業が少なく、賃金が安いですから、一攫千金を夢見てボクサーになる少年が、たくさんいます。まあ、掛けませんか?」
 汚いベンチを指さし、腰を掛ける。
 俺たちは、選手のマッサージに使うベッド兼ベンチに座りながら話し続けた。
「ムエタイのチャンピオンになるのは、現在では宝籤に当たるぐらい難しいことです」
「それは、本当ですか?」
「地方出身の貧しい家庭に育った子供は、まともに教育を受けることもできず、都会に出てきても、バイク・タクシーの運転手になるぐらいしか、金を稼ぐ手段がありません」
 一瞬、さっきの運転手の顔が思い浮かんだ。
「田舎から単身上京してくる少年たちの憧れのヒーローが、ムエタイのチャンピオンです」
 その中には、一人で家計を支えていたり、兄弟たちの学費を稼いでいる者もいるという。
「今でも、貧しい地方では、女の子が生まれれば喜び、男の子が生まれるとがっかりする、と言われています」
「女の子は、売れるから?」
 田中は寂しそうな目をして頷き、笑った。なるほど、趣味や道楽で戦っている奴は、いないのだ。
「それで、チャンピオンになっても、彼らの多くは、早くこの仕事を辞めたいと思っているのです。試合中の事故や後遺症で死んでしまう者も多いですしね」
 彼らにとってムエタイは、金を稼ぐ仕事以外の何ものでもない。まさにプロフェショナルである。俺は思い知らされた。

 リングの上では、まだ十歳ぐらいの少年の試合が始まった。
 額の辺りに、色鮮やかな縄のような飾り物を付けている。
「頭に付けているのは、何ですか?」
 田中が話好きなので、俺は聞いてみた。
「あれは、モンコンというお守りで、試合の前に会長にワイ(祈り)をして、外してもらいます。これを外すことで、戦いの神様を解放すると言われています」
 腕には、やはり同じ色の巻物が着いている。
 勘の良い田中は、俺が聞いてもいないのに、懇切丁寧に説明してくれた。
「腕輪は、バーブラチアットと言います。試合前に、僧侶に戦いの無事を祈祷してもらっています」
 リングの上では、いよいよワイクルーが始まった。
 ワイクルーとは「師に捧げる祈り」という意味で、スタジアムでは試合の前に必ず行われる儀式であるという。
「ワイクルーは、誰に習うんですか?」
 田中は少し俯き、考えるようにしてから答えた。
「各ジムによって指導方法がまちまちです。先輩が教えることもあれば、ジムの会長がアレンジして、各自オリジナルのワイクルーをやらせることも、ありますね」
 それから田中はワイクルーについて、タイに伝わる伝説の話をしてくれた。
 ワイクルーの伝統には、戦乱に揺れ動いたタイという国の長い歴史と、実在した、ある伝説のムエタイ戦士の物語があったのだそうだ。
 一七六七年四月七日。日本では、まだ江戸幕府の徳川家治将軍や田沼意次時代の話だが、当時、タイに栄えていたアユタヤ王朝は、ビルマ軍の総攻撃に遭い、一夜にして滅亡した。
 ビルマのマングラ王はアユタヤ王朝の征服を祝って盛大な宴をあげ、その余興として、ビルマ最強の戦士と、奴隷として連れてきたタイのムエタイ戦士を戦わせることにした。
 タイの代表となったのは、最強のムエタイ戦士だと言われていた、ナーイ・カノムトム。
 カノムトムはマングラ王の前に立つと、囚われの身でありながら、悠然とタイの伝統舞踊を踊って見せた。こうして戦いが始まると、瞬時でビルマの最強戦士を倒してしまった。
 激怒したマングラ王は「ビルマの戦士が負けたのは、あの踊りのせいだ」と言いがかりを付けたという。
 すぐに選りすぐりの戦士ばかり九人を集め、カノムトムに向かって、
「もし全員に勝つことができたなら、人質を解放しても構わないぞ」と告げた。
 仲間の釈放とムエタイ戦士の誇りを賭け、カノムトムは再び戦いに挑んだ。
 そしてムエタイの奥義、肘打ちと膝蹴りで次々とビルマ戦士を打ち破り、遂に九人全員を倒してしまう。
 これに感服したマングラ王は、約束通り人質を解放し、さらに褒美としてビルマ一の美人を妻として授けた。これがタイで有名な『英雄カノムトム伝説』だった。
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 俺は、この国の少年たちは皆、伝説の勇者になりたくて、ムエタイを修行していると考えていた。
 しかし、現実、ほとんどのファイターたちは生活のために戦っている。
「ムエタイのチャンピオンたちが、口を揃えて言うのが『少年時代には、五十円、百円のために、それこそ命を削るような思いで試合をしていた』ということです」
「まさに、ハングリーそのものだな……」
「彼らの中には、勝てば喰えるが、負ければ喰えないという、飢えとの戦いがあります。そのことが、彼らの強さの根源と言っていいでしょう」
 そこには名誉や誇りのために戦うなどという綺麗事ではなく「生きていくために」戦う、現実があった。
「いろいろな、有意義なお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。又、どこかでお会いすると思いますので、今後ともよろしくお願いいたします」
「マイ、ペンライ。こちらこそ、よろしく」
 田中はタイにムエタイを学びに来て、それ以来ずっとジムの手伝いをしているらしい。
 タイに来て、初めて友達らしい人間関係ができたことが、俺は無性に嬉しかった。


 第二章 一九八四年一月十日


 昨日、プロモーターのパーヤップから紹介された店を目指して、俺はバンコクからパタヤまでバスで移動することになった。
 鉄道も利用できるが、一日に一往復しかないうえ、バスよりも、時間がかかる。
 BTS(スカイトレイン)エカマイ駅前にある東バス・ステーションからパタヤ行きのバスは、三十分間隔で出ていた。
 一等バスと二等バスに分けられていた。二等は途中で立ち寄る場所が多く、時間がかかるらしい。
 駅前に到着すると、怪しい男たちが、さも案内するような振りをして、二等チケットを高く売りつけようとした。タイのダフ屋だ。
 バス乗り場は、下町の工場のような倉庫が建ち並んでいた。中に入ると、凄まじい排気ガスの臭いがした。至る所でバスのクラクションが鳴らされ、暗い工場内を走り抜けていく。
 一等の料金が八十バーツ。約四百円だ。バスは中国から払い下げたものなのだろうか? 車体に大きく、下手くそなパンダの絵が描いてある。タイ観光ツアーで有名なパンダ観光が運営をしていた。
 交通手段として利用するのに、チケット売り場では、売り子の姉ちゃんが「ジェットスキー乗るか」「バナナボード乗るか」と誘いを掛けてくる。
 どれが本物の従業員で、どれが偽物か全然わからない。そんな中で、やっと俺はチケットを購入して、バスに乗り込んだ。
 乗客の半分は観光客で、半分は地方から働きに来ている出稼ぎに見えた。
 バンコク市内を出ると、外の風景は何もない田舎道に変わった。時折ちらほら道路工事の作業員が見えた。
 皆、だらだら動いている。中には、ぼけっと突っ立ている者もいた。見ていると一様にやる気のなさが、伝わってくる。
 どうしてこうも、タイ人というのは、怠け者なんだろう。
 湿った空気と教育の低下が生み出した史上最悪の惰民たち。故に一攫千金を夢見て、リングに上がるムエタイ・ファイター。
 大げさな言い方ではあるが「俺は国を相手に喧嘩を売ろうとしている」そんなことを考えながら、バスに揺られていた。
 バスの中では、間抜けそうな日本人の新婚カップルが、他人の目も憚らず、ベタベタしていた。
 年は俺と同じくらいだが、ペアールックのお揃いTシャツを着て、冷房の余り効かない、くそ熱いバスの中で、これでもかと言うほど、寄り添っている。
「乗れば、すぐ着くよ」とプロモーターのパーヤップは言っていたので、俺は駅から自宅へ行くような感覚で乗った。
 ところが観光バスは、ノロノロと三時間以上もかけて、ようやくパタヤに到着した。

 パタヤは、バンコクから三時間足らずで行ける海辺のリゾート地である。
 同時に、タイを代表するナイトライフのメッカでもあり、欧米やアジアからの観光客が絶えない。とくに欧米人は安いホテルに長期滞在し、昼は海、夜はバービアという店で遊ぶ。
 バービアは、屋根はあるが、壁はない。カウンターの内側に数人の女性がいる、カウンターバーのような店だ。
 もともと、ベトナム戦争当時に米兵の休息の場として開発された繁華街なので、欧米形式の店がたくさん並んでいる。
 パタヤに着いた俺は、すぐに紹介された飲食店に行こうと思っていた。
 ターミナルにいる一番賢そうな係員に英語で道を尋ねた。
 だが、全く通じない。タイ人は本当に言葉が判らない。どのようにして他の国の人間とコミュニケーションを取っているのだろう。
 仕方がないので、バスの運転手にパタヤの地図を見せて、指で示して、
「ここへ行きたいんだ」と日本語で捲し立てた。
 ところが、バスターミナルであるノース・パタヤ・バスターミナルからは、飲食店が集まるビーチ・エリアとは少し距離が隔たっていると分かった。
 そこで俺は、ソンテオというピックアップ・トラックの荷台部分を客席にした、バスとタクシーの中間のような乗り物で移動することにした。
 さすがに東洋一のリゾートと呼ばれるだけのパタヤは、世界中のバックパッカーたちが集まっている。
 ターミナルを出発したソンテオは、メイン通りのスクンビット通りを抜けて、ビーチロードに入った。
 左手には、乾いた空気の草原が見え、右手からは微かに潮の香りがしてきた。
 直射日光の当たるソンテオに乗っていたため、上着のTシャツが汗でびしょ濡れだった。
 ビーチに到着し、海岸に沿って走るメイン・ストリートを歩いていると、ホテルやレストランが並ぶセントラル通りに出た。
 ハワイのワイキキ・ビーチを似せて作ったと言われているが、どことなく町全体が胡散臭い。
 それでも、ビーチに足を踏み入れると、青と黄色で統一したパラソルとデッキ・チェアーが並ぶリゾート・アイランドであった。
 あまりの暑さに耐えきれず、俺はシャツを脱ぎ、上半身裸でビーチに出た。すかさず欧米人たちの好奇な目線が、俺の背中に突き刺さった。
 俺は身長こそ一七五センチと平均ながら、胸囲は一二〇センチもある。
 上腕二頭筋は、二つの力こぶが膨れあがり、筋肉の塊を腕と足に貼り付けたような体は、どう見ても異様であろう。
 この体を作るのに、どれほど時間が掛かったであろうか。
 俺は一切のウエイト・トレーニングを否定してきた。アメリカ人が考えた筋肉増量法が日本人に合うはずがないと信じた俺は、十代の初めから徹底して自分の体を使った稽古で、肉体を鍛え抜いてきた。
 腕立て伏せの千回十セットなど朝飯前で、中学に上がる頃には、三十分間の逆立ちと五百回連続の懸垂が、笑いながらこなせた。
 超人の追求。人が人を超えることの喜び。
 体の各部が化学反応を起こして変化し、進化することだけを喜びに、この十年間を生きてきたと、自負している。
 敵を倒すだけが目的のこの身体だけが、俺の宝物であり、すべてだった。

 飲食店は《パタヤ・スタジアム》と書かれており、飲食をしながらムエタイを見せる、見せ物小屋のような作りだった。
 トタン板を貼り付けただけの壁と、荒縄で囲いを付けただけのリング。
 リングと言っても、ビール瓶のケースで舞台を作り、ベニヤ板を敷いた上にシートを掛けて、四方を縄で囲んだだけ。まるで盆踊りの設営に毛が生えた程度の特設リングだ。
 情けないリングを見たとき、正直このままバンコクに帰ろうかと、思ったほどだ。
 店の奥まった部屋で、小太りの中国人風の男がタバコを喫いながら、しげしげと俺を見ていた。
 中に入り、ワイをしながら挨拶をすると、重そうな躰を揺らしながら近づいてきた。
 チャイナ服のようなベストを着て、牛乳瓶の底のような眼鏡を掛けている。
 男は、ここの経営者だといい、名前は「張(チョウ)」だと名乗った。
 たぶん、中国人である。タイの経営者は中国人が多い。やはり頭の良い者が上に立つのである。
 張は仰々しく俺の手を握りしめ、いきなり満面の笑みで、
「良く来てくれた。早速、明日からリングに上がってもらおう」
 日本人をたくさん相手にしているのだろうか? 張は流暢な日本語で話し出した。
 俺は半ば呆気に取られながら尋ねた。
「ここに、強い選手はいるのですか?」
「もちろん、いるとも。パタヤのチャンピオン・クラスは皆、ラジャやルンピニーのランキング選手だし、海外からも多数、強豪が来ているよ」
 俺は断るタイミングを逃してしまった。
 その後がいけなかった。歓迎のしるしと言われ、奥の部屋に通されると、しばらくして山盛りのタイ料理が俺の目の前に運ばれてきた。
 たぶん、近所の料理屋に注文をしたのであろう。料理人らしき男が張から指示を受けていた。
 タイの料理は程度の違いはあるものの、中流以上のものは、食材を選んで調理法を指示して作らせる、と何かの本で読んだ。
 張がシンハービールを注ぎながら微笑む。
「長旅で疲れただろう。今日は、ゆっくりしなさい」
 店の外に二人の女性が立っていた。二人とも体に張り付くようなチャイナ服を着ている。この店専属の売春婦であろうか。
 張が手招きをすると、一人は俺の隣に、もう一人は張の隣に座った。次々とタイの強い酒を注がれた。
 どうしても、ここの経営者である張は俺に試合をさせたいようだ。
 最初は遠慮していたものの、少しづつ酔いが回ってきた。それに加えて、辛いタイ料理のために喉が異常に渇き、水と酒をガブ飲みし、したたかに酔ってしまった。
 やがて店が開店した。今日はキックの日ではないのか、激しいBGMと共に、裸の女たちが汚いリングの上で踊り始めた。
 外からも丸見えの舞台で一糸まとわぬ姿で足を高く上げているダンサーを見ていると「ここは、タイなのだ」と改めて、思う。
 客連中が値踏みをするように店に入って来る。
 欧米人が多い、たまに日本人観光客も来るが、全裸の女性を見ると照れたように下を向き、出て行ってしまう。
「この辺りに安い宿はないか」
 明日からの試合を考えると、今日は早めに休みたいと思い、張に聞いてみた。
「君が良ければ、奥の事務所に泊まりなさい。うちの娘も、君のことを気に入ったみたいだからね」 慇懃な含み笑いをしながら、張が答えた。
 隣で酔っている娘は、どう見ても実の娘には見えない。
 事実、酔った勢いで胸の隙間に手を入れたり、割れたスカートのドレスに手を入れていた。そんな父親がいるはずがない。

 その日、俺は飲食店の奥にある、社長室のようなソファーと机が置かれた部屋に泊めてもらうことにした。
 俺を気に入ったそぶりの女が従いて来ようとしたので、それだけは断ったことを、酔った頭で覚えている。
 先ほどまでの、全裸で踊る女たちの姿が頭にこびりつき、なかなか寝付けなかった。
 だが、明日は不本意ながら、記念すべきタイでのデビュー戦なので、無理をしてでも寝てしまおうと思った。
 ところが夜中になって、俺は妙な悪夢にうなされた。
 リングの上で裸体の女たちに槍のような武器で腹を刺される。夢だとは判っていながら、その槍を躱すことが全然できない。
 うなされて突然、夜中に眼を覚ます。何度か吐いてしまった。
(体が重い……目眩がする……なんだ、この吐き気は?)
 朝になって起きると、強烈な腹痛に襲われた。それで、しきりに腹を刺される悪夢は腹痛のせいだと悟った。
 嘔吐と下痢を繰り返した。さらにひどい、二日酔いになっていた。
(畜生、嵌められたのか!)
 目眩と吐き気で、試合などできるコンディションでは全然なかった。
 ようやくはっきり目が覚めると同時に、深い後悔と反省の念でいっぱいになった。
(いや、勧められるがままに、何の注意もなく飲み食いした自分が不覚だった)
 最悪の体調で、パタヤビーチの飲食店内にある特設リングが、デビュー戦になった。
 少しでも汗を流して体の調子を取り戻そうと、俺が跳び縄を跳んでいると、今日の試合の予定を張が教えに来てくれた。
「今日は夕方から八試合が組まれているが、君はメインで、最後の試合だ。期待しているぞ」
 俺は無言で頷き、聞いてみた。
「相手の選手は何キロで、どこの人間だ」
 張は美味そうに煙草の煙を吐き出しながら、
「まだ、決まっていない。試合が始まる頃には決まるよ」
 日本では何ヶ月も前に対戦相手が決まるのに、ここでは、スパーリングをするみたいに当日、対戦相手を決めるというのか。
 所詮、興業試合だから、と思った。
 だが、ひどい頭痛で、それどころではない。取り敢えず承諾した。
 何とかなる。いや、何とかしなければならない。
 自分を信じられなかったら、こんな所まで来た意味がない。

 跳び縄を十分三ラウンド、跳んだ後、汗を水のシャワーで流して、体を休めた。
 いくらか気分は、良くなってきた。だが、まだ胸の奥が焼けるように苦しい。
 売店でコーラを買い、一口ぐいっと飲んでみた。しかし、ひどい胸焼けがして、思ったほど喉を通らない。
 トイレに駆け込むと、驚いたことに個室の敷居がない。外から丸見えのうえ、水洗などではなく、肥だめの穴が空いてあるだけのトイレであった。
 あまりの汚さに吐き気を催した俺は、喉に指を差し込み、出せるだけの嘔吐物を出し尽くした。
 それから、日本から持ってきた太田胃散を、大匙のスプーンで飲み込んだ。
 水はミネラル・ウォーターも危険なので、やっとの思いでコーラで飲み干した。
 しばらくすると、どうにか下痢は治まり、気分もだいぶ良くなり立っているのが、やっとの状態から、何とか身体を動かせるまでに回復した。
 マッサージ用の堅い木のベッドに横になっていると、その日の試合が始まった。
 歓声で客が盛り上がり始めたと分かった頃、俺は起きあがり、レベルの確認に試合内容を観戦してみた。
 裏の控え室から、細い通路を伝わって、客が入っている立ち見席を押しのけ、リングサイドまで歩み寄る。
 やはり、考えていたとおり、アマチュア・レベルの試合が繰り返されていた。
 リングの上で行われていたのは、素人の喧嘩に毛が生えたような、戦略も戦術もないレベルの低い戦いであった。
 観客連中は、半分が観光客、半分が賭け好きな地元の人間どもと言うところか。こんな所で負けることは、断じてできない。
 体調不良の身体で、どうにか懸命に闘志を奮い起こしながら試合を観戦していると、張がやって来て、妙なリクエストをされた。
「トランクスではなく、空手着で戦ってくれ」
 さすがに俺は、疑問に感じた。
「これは、空手の試合ではないだろう。なぜ、道着なんだ」
「君の相手はアメリカ人だ。異種格闘技戦のほうが、客が喜ぶ」
 なるほど、分かった。こいつらは、たぶん日本から来た空手マンを、なぶり殺しにしたいのだろう。
 張の一言を聞いて、俺の腹は決まった。彼らに、俺に空手着を着せたことを、必ず後悔させてやる。
 道着を着て、黒帯を締めた。そうすると、調子の悪かった身体が、嘘のように闘志が漲ってきた。

 試合が進み、俺の前の試合が始まった。
 控え室で十分にウォーミング・アップを繰り返した。どこにもスパーリング相手がいないので、タイ人の選手に付いていたセコンドのトレーナーにミットを持ってもらおうと、身振り手振りでお願いした。
「ソーリーソーリー。ミット使って、ウォーミングアップ、プリーズ」
 どうやら話が通じた。
「マイペンライ」
 タイ人のトレーナーは快くミットを持ってくれた。
 俺は蹴りの速度を確かめるべく、ミット蹴りを繰り返した。
 腰の入った回し蹴りが、汗を吸ったキックミットに当たると、スコーンと抜けるような音を放ち、セコンドが後ろに反り返る。
 二発三発と蹴りを入れると、セコンドの顔色が変わった。「こいつは、いったい何者なんだ」と顔に書いてある。
「テッカンコー」
 どうやら「回し蹴りを高く蹴れ」と言っているらしい。言われたとおりに、ハイキックを蹴りまくった。
「テンカオ」「テンカオ」
 おー、それなら知っているぞ。膝蹴りのことだ。トレーナーが構えたミットに膝を突き刺す。
「グッ」「グッ」と声を上げる。
 どうやら、俺の蹴りを受けて「良いぞ」と言っているらしい。
「ベリーグッ」
 なるほど、ベリーグッドと言ってるのか。たっぷり汗を流した俺の身体は、ようやく蘇ったかのように軽くなっていた。
 控え室となっている店の裏口に通じている練習場は、裏に流れる河に沿って長方形にマットが敷かれ、選手たちが体を休めている。
 空いているマットの上に正座をし、黙想をする。
 心を臍下の一点に集中し、いつも稽古の前に暗唱している「道場訓」を心で唱える。
「武の道に於いて真の極意は体験にあり、よって体験を恐れるべからず」
 腹式呼吸を繰り返し眼を開くと恐怖は全く感じなかった。
「死んでも倒す 絶対に倒す」
 俺は声にならない気合いを入れて、自分自身を鼓舞した。
 前の試合が終わったようだ。
 控え室にミットを持ってくれたセコンドが、タイ人特有の麻製のベストを着て、首からタオルをぶら下げ、呼びに来てくれた。
「シゲマツさん、しあい」
 俺は控え室を後にして、リングに向かった。

 入場テーマもなく、訳の分からないタイ語のリングアナウンサーが、俺を紹介している。
 対戦相手の名前は、アダムスという黒人であった。
 相手コーナーを見ると、どう見てもヘビー級の大男が、こちらを睨んでいる。
 身長は百八十五センチ超、体重は九十キロと言ったところか。俺と同じぐらいの胸囲をしてはいるが、少し腹が出ていることも見逃さなかった。
 てっきりタイ人が出てくるものと思っていたので、拍子抜けした。とはいえ、油断はできない。
 見ると、丸太ん棒のような腕にタトゥーを入れている。錨のマークだった。
 もしかすると、停泊中のネービィーが面白半分で出場したのかも知れない。
 たとえ身体がデカくても、こんな素人に負けるわけにはいかない。
 会場の空気は、生暖かいを超えて、茹だる熱風のようであった。
 酒に酔い興奮する観客たちは、残酷なショーを見たがっている。
 ここはアメリカ艦隊の空母ミッドウェーの休息地にもなっているので、海軍の兵隊たちが、主立った観戦者である。
 昼間ビーチで肌を焼いた客たちが、シンハーという妙に甘いビールを飲みながら観戦をしている。
 小さなリングを囲み、どちらが勝つか賭をする。
 酔っぱらいの観戦者が大多数を占める試合は、まるで自分が競争馬になったようなジレンマを感じさせていた。
 会場の片隅でささやかな拍手が起きた。見ると、日本人観光客の一団が声援を送っていた。男性は一様に半ズボンとアロハシャツ、少ない女性はジーパンにTシャツというラフな姿で、皆ビーチサンダルを引っかけている。
「日本人がんばれ!」「お前、柔道かぁ」
 会場から笑い声が起こる。応援をしながら、タイの女といちゃついている野郎も見えた。
 たとえ売春ツアーで来た観光客でも、日本人の応援がいたことに、少し勇気付けられた。
 ゴングが鳴ると、アダムスは、予想していたとおり、丸太の腕を振り回して、殴りかかってきた。
 大振りのロングフックが、寸での所で空を切る。一瞬、ブーンと音がした。
 スウェイバックで躱しつつ、突進してくる下半身に、腰を入れた前蹴りを入れる。
 足の先、指全体が胃袋に食い込むような手応えを感じた。
 アダムスが顔をしかめて、レフリーに反則をアピールする。
 金的の上辺りを蹴られたため、ローブローと勘違いをしているらしい。
 レフリーが相手にしないと、すぐに構え直し、こちらをすごい形相で睨んでいる。構えは典型的な「パンクラチオン・スタイル」だ。
 背中を丸め、顎の辺りをグローブでカバーし、手と手の間から、こちらの様子を窺っている。

 俺には分かった。アダムスの正体は、間違いなく「ボクサー」だ。
 ボクシングは下腹部を叩くことを禁じている。前蹴りで臍の下辺りを蹴られたことに腹を立て、より、いっそう感情的になった。
 うなり声を上げながら、アダムスはパンチを振ってくる。
 ボクサーと正体が分かれば、勝負は決まったも同然だ。
 ましてや、アダムスは感情的になり、動きが遅すぎる。身体に力が入りすぎている証拠だ。
 アダムスのパンチに合わせて、軽いジャブのカウンターを当てていく。
 自分のパンチが当たらず、細かいパンチで鼻先を叩かれ、アダムスは焦り始めた。
「こんな、はずじゃない」
「こんな日本人のチビに、俺が負けるはずがない」
 アダムスが焦れば焦るほど、動きと心理状態が手に取るように分かる。
「どうして、そんなに吠えるんだ? そのほうが強そうに見えるからか」
 俺の覚めた心が、自分に問いかけていた。
「何で、そんなに大振りになるんだ、そんなに一発で倒したいのか」
 アダムスが感情的になればなるほど、俺は集中し冷める。
 パンチのフェイントから踏み込んでのローキックが、面白いほどアダムスに当たる。
 ボクサーのアダムスは、ローキックの防御法を知らない。その一点で、既に勝負はついていた。
 アダムスの左右の足に正確な蹴りが、鈍い音を立ててヒットする。
 脛の骨が凄まじいスピードで太股にめり込む。
 アダムスの太股は、俺がメリ込ませた二桁の蹴りで、たちまち真っ青に腫れ上がった。
 太股の内出血から神経を破壊するまで、そう時間は懸からなかった。
 俺の十二発目の蹴りが体重の乗ったアダムスの前足に当たると、黒く大きな身体が前のめりに倒れた。
 カウントは要らない。アダムスは足を抱えて、痙攣を起こしながら、情けない悲鳴を上げている。
 もう、二度と記念になどと、リングには上がらないことだろう。
 レフリーに勝ち名乗りを上げられ、片手を挙げられているとき、三人のネービィーがアダムスを抱えてリングを降りていった。そのうちの一人が俺を睨み付け、中指を立てた。
 俺は何事もなかったように、平然と一人でリングを降りた。
「さすがだな チャンプ!!」
 張が、ファイトマネーの金を剥き出しのまま、俺に渡した。ボロボロになった百バーツ札が束になっている。
 後で判ったことだが、二千バーツのファイトマネーだった。
 賭けで儲けた金を適当に抜いて渡しているのが、良くわかった。
 その夜はデビュー戦の初勝利を祝って、ささやかな祝宴を持ってくれた。
 マネージャーの張が、またしても怪しい女どもを呼び出し、接待をさせようとしている。
 どうして、ここは常に女が付きまとうのか、最初のうちは良くわからなかったが、少しずつ判ってきた。
 彼女たちの大半は売春婦で、金で男に買われる。特に日本から来た金持ち連中は、格好の標的になっているらしい。
 物価水準の低いタイでは、外資を稼ぐ有効な手段として「売春」を国が認めている、
 いや、公には認めてはいないと言うが、観光の大きな目玉になっていることは事実のようだ。
「君は女は嫌いかね?」
「そういうわけではないが、病気や深情けが怖い」
 張は驚いたように、かぶりを振った。
「病気は大丈夫だ。うちの娘たちは定期的に病院で検査を受けている」
「俺はここに、戦いをやりに来たんだ。遊びに来たのではない」
「そんな堅いことを言うな。ヨーロッパのチャンピオンだって、平気で女を買うぞ」
「ともかく、そういうことで気を遣っているなら、気にしないでくれ」
 俺はそんなサービスよりもタイの強い選手と戦いたいのだと言った。

 どうやら張は、この店の用心棒のような役割を俺にさせようとしていた。
 バービアには、ボクシング・リングの他に、カラオケやビリヤードなども置いてあった。
「昨日の試合は素晴らしかったよ」
 と形ばかり褒めた後で、張は妙なことを提案してきた。
「しばらく、ここに留まって、店で働いて見たらどうだね」
「俺にバーテンをやれと言うのか?」
「いや、そうではなくて、試合のない時は、店でおかしなことをやりそうな奴を睨み付けてくれ。もちろん、喧嘩をしてくれと言っているのではない。何かあったら警察を呼べばいい。君がいてくれるだけで、女の子たちは安心できる」
 試合が組まれる日であっても、戦う相手は力自慢の酔客で、タイ人相手では、店の心証を悪くする。
 そこで、空手着を着た俺にぶつける腹づもりのようだ。
 客が、どうしてもムエタイとやらせろと言ってきた場合のみ、トランクスを履かされ、タイオイルを塗り込まれ、訳の分からないタイの名前で紹介された。
 行く当てもなかったので、しばらくここで滞在費を稼ごうと、バンサー(用心棒)兼選手のような生活が始まった。
 パタヤに来て一週間の時が過ぎようとしていた。
 初戦のアダムス戦を除いては、まるで見せ物のような試合をこなしていた。
 ある時は、酔った勢いでリングに挙がってきた素人を、死なない程度に殴り飛ばした。また、日によっては、おかまのボクサーを蹴りまくって最後は泣き付かれるというショーが、繰り広げられた。
 毎日、試合をこなし、七戦七勝であった。
 地道に努力を続けていれば、いずれスタジアムから声が懸かるであろう、と期待をしながら、素人相手のショーのような試合を、こなさなければならない。
 八日目の相手は、四十歳はとうに越えていそうな、腹の突き出た親父だった。
 相当、酒を飲んでいるせいか、足下がふらついているように思えた。
 当然、ゴングが鳴り響く。試合開始だ。場内から悲鳴とも叫びとも思える歓声が木霊する。
 タイ語で「日本人を殺せ!」と叫んでいるやつもいる。
 不思議なことだが、リングの上というのは、みんなが考えている以上に周りが良く見えている。
 女の胸に手を入れて、にやけている外国人。ビールを片手に、汚い色をした焼き鳥(肉?)を頬張る者。
 バーツ札を握りしめながら、賭けを誘い客に呼びかけているヤクザ風の親父。
 それらの風景が戦いを前にしながら、ハッキリと見えていた。
 体の力が、いい具合に抜けてくれて、集中できている。
 何の緊張もなく、リングの中央に進み出る。相手の親父はガードを高く構え、ノロノロと前に出てくる。
 気配を消し、予備動作なしの腰の入った前蹴りを、親父の太鼓腹にメリ込ませた。
 今度は相手選手が腹筋を鍛えていなかったので、足首まで腹に埋まるほどの手応えを感じた。
「ぐえぇ~」
 ガマガエルが潰れたような声を上げて、ロープ際まで吹っ飛ぶ。
 俺は頭に来ていた。自分が情けなかった。
 かつては空手の全日本チャンピオンとして国内無敵を誇っていた俺が、何でこんなところで、こんなド素人相手に試合をしなければならないのか?
 怒りを、そのまま対戦相手にぶつけていった。ロープにしがみついて必死に立とうとしている蝦蟇親父の後頭部に、瓦二十枚を粉々にする肘を、思いっきり叩き込む。
 リングアナウンサー兼レフリーは、止めるどころか、ヘラヘラ笑っている。
 さっきまで殺気立っていた場内は、シーンと静まり返った。蝦蟇親父の余りの弱さに、しらけムードさえ起きている。
 初めからやる気のない、蝦蟇親父がタイ語で必死に命乞いを、始めた。
 手をこれ以上できないくらい頭上に挙げてワイ(祈り)の姿勢を取っている。
 どうやら、手を挙げる位置が高ければ高いほど、相手を尊敬している意味らしい。馬鹿らしくて、もう殴る気にもなれなかった。
 足下には蝦蟇親父が吐き出したビールとトムヤンクンがぶちまけられている。
 レフリーが、手を交差させて試合を止めた。俺は勝ち名乗りも受けずにリングを降りた。
 なぜか勝っても喜びが湧かない。むしろ、こんなことをしていていいのだろうかと考え始めていたのだった。

 第三章 一九八四年一月一九日


 試合が終わるたびに、バーテン兼コック兼マネージャーが慌ててファイトマネーをよこす。
 賭け金で稼いだグチャグチャなバーツ札。毎回、金額が違ったが、平均して五百バーツから千バーツだった。たかだか二千五百円か五千円のために、命を削って戦っている。
 血と汗でドロドロに濡れたタオルを、頭からかぶりながらシャワー室へ急ぐ。
 日本なら粗大ゴミで出されそうなユニット・バスのシャワー室に、一人で入る。
(金のために戦うのだったら、もっと良い仕事があるだろう)
 水しか出ない古く汚いシャワーを浴びながら、俺は“戦いの意味”を自分の胸に問うていた。
(俺は、ここに強くなる修行の一環として来ているのだ。金など関係ない)
 考えながら、それでも、そういうことを考えるのは、こだわっているからだと、自分の弱さを知らされた。
(生きていくために、金は必要だ。金銭は尊いものであることに違いはない、しかし今は、執着してはいけない)
 シャワーを止め、バスタオルで頭を拭きながら振り向くと、そこにミニスカートを穿いた小柄な娘が立っていた。
 慌てて前をタオルで隠す。
「何だ、お前は? どこから入ってきた!」
 娘は何か言いかけて、タイ語が通じないと思ったのか、黙ってうつむいた。
 改めて見ると背は低いが、顔は日本人ぽく、目鼻立ちがくっきりしていた。髪の毛を左右に結び、それが、よりこの娘を幼く見せた。
 ところが、顔のすぐ下に、はち切れるような胸が付いていた。片方の乳房が顔の大きさほどもある。容貌と体格のアンバランスさが、不思議な色気を醸し出していた。
「お疲れさん いつものことながら、お客さん盛り上がったねぇ」
 店のオーナーの張がシャワールームに入ってきて、娘の肩を抱いて説明を始めた。
「この子は、私の知り合いの娘だ。パタヤの置屋で働いている。余り体が丈夫ではないから、無理はできない。良かったら、付き合ってやってくれ」
 全くこいつの言うことは、意味がわからない。パタヤの置屋って、売春宿だろう。病気だから付き合ってやってくれとは、メチャクチャな言い分だ。
「まぁ、エイズとか悪い病気ではないし、顔も綺麗。胸もでかい。ふっふっふっ」
 慇懃に笑った張の手が、娘の胸に伸びる。娘は、恥ずかしそうに俯くだけだった。タイでは女もキックボクサーも商品以外の何物でもない。
 シャワー隣のコーナーに隠れ、素早くジーンズとTシャツに着替えた。振り向くと、もう張はどこかに消えていて、娘一人が立ちつくしているばかりだった。

 俺の部屋は、リングが設置されている一階のフロアーから階段を上がり、二階の事務所を抜けた処にあった。
 疲れて鉛のようになった体を自分の部屋まで運ぶ。階段を上がり後ろを振り向くと、さっきの娘が微笑んで立っている。
「なに、従いて来てるんだよ」
 娘は一瞬、困ったような顔をして俯いた。しかし、顔を上げると、手を顔の前で合わせてワイ(祈り)をした。
 娘の目はどこか真剣で、食い下がらないという迫力に満ちあふれていた。娘の瞳を見ていると、こちらの心が見透かされてしまうような気がして、俺は眼を逸らした。
「勝手にしろ。俺の部屋まで従いてきたら、どうなっても知らないからな」
 捨て台詞を吐いて、部屋に入った。ところが、何も言わずに従いてきた娘に、俺は戸惑いを覚えていた。
 日本ならば年頃の娘が、見ず知らずの若い男性の部屋に、平気で入ったりはしない。やはり、ここはタイランドなのだ。
 オーナーの張はなぜ、この娘を押しつけたのだろう。その真意も解らないまま、自分の部屋で名前も知らない女と二人きりになった。
 日本から持ってきたタイ語の辞典を使い、片言の会話が始まった。
「チュー、アライ」(名前を教えろ)
「チュー、プサリー」(プサリーです)
「ナムサクン、アライ」(名字は?)
「マィユー」(ない)
 どうやら名字はなくて、プサリーという名前らしい。
「バーン、グーティー」(田舎はどこだ?)
「テイー、チェンマイ」(チェンマイです)
 いちいち、訳するのが面倒くさくなって、止めた。
 疲れたので、プサリーを無視して横になり、天井を見つめて考えた。
(この後、どうするんだっけなぁ)
 結婚してから、女など口説いたこともなかったし、そもそも“そんなこと”をする目的でタイに来たのではない。
 気がつくとプサリーは、俺が何も言っていないのに、服を一枚ずつ脱ぎ始めていた。
「おい、ちょっと待て、なにしているんだ!」
 慌てて制止しようと思った。だが、プサリーはシャツを脱ぎ、ミニスカートを外し、ブラジャーのホックに手を掛けた。
「止めろ! まだ、別に何かしようと思った訳じゃないんだ」
 プサリーが紫色のタイシルクで、できたブラジャーを外すと、メロンのようなバストが飛び出してきた。
 プサリーは恥ずかしがる風でもなく、微笑んでブラを投げ捨てた。
 良く見るとプサリーは、かなり整った綺麗な顔をしている。たぶんアメリカ艦隊のミッドウェイの乗組員がバカンスに訪れ、タイ人に生ませた子供ではないだろうか。
 彼女たちは、西洋の血が混ざっているせいか、細いウエストにグラマーが多い。日本にでも来れば一流モデルで通用するだろう。それほどスタイルがいい。
 肌の艶も良く、触ると弾けるような弾力を持った体はまだ、十代のものである。少女のようなプサリーの裸体に興奮を覚え、思わず股間のモノが反応してしまう。
 プサリーはゆっくり、確かめるように側に寄ってくると、静かに俺の服を脱がせ始めた。俺の腕に、プサリーの巨大なバストが当たる。
 無意識のうちに、俺はプサリーの胸を鷲づかみにしていた。
 プサリーは俺のジーンズをトランクスと一緒に脱がすと、あたりまえのように口で奉仕を始めた。
 危険だ。頭の中で警告音が鳴る。彼女たちの何割かはエイズに罹っており、口から感染しないという保証は何もない。
 俺は無理矢理、プサリーから顔を引き離そうとした。だが、プサリーの巧みで激しい舌使いに、急速に体の力が抜けた。
 どうしてこの国の女は、こんな簡単に自分の身体を売れるのだろうか
 下半身に感じる、快楽に欲情する体とは裏腹に、心はとても冷めていた。
 俺は、なにをしているのだろう? 俺は、ここに、なにを、しに来たんだ……。
 考えとは裏腹に、突然、自分の中の野獣が眼を覚ましたような錯覚に陥る。
 体中に血が巡り、全身が痙攣をするような感覚に鳥肌が立った。
 プサリーの髪の毛を掴み、引き倒す。
 そのまま、うつ伏せにプサリーを押し倒し、強引に挿入した。
 プサリーは初め拒んだ。が、やがて抵抗をやめて体中を震わせて、幼い顔を喜悦の表情に変えていった。
 数十分と続いた獣のような交尾は、至上の快楽と冷めた心を重ねながら、最高の空しさを残し、果てていった。

 不思議な息づかいが聞こえた。最初はまだ、興奮しているのかと思った。だが、そうではないらしい。
「はぁはぁ、グヒューウー、グヒューウー、はぁはぁー」
 プサリーの喉から聞こえる呼吸の音は、明らかに異質のものであった。
「お前、どこが悪いんだ?」
 プサリーは無言で自分の胸を押さえて苦しそうに咳き込んだ。顔が蝋のように白い。
 俺はプサリーの背中を叩きながら、水を飲ませて様子を見た。青白くなったプサリーの顔からは、大粒の汗が溢れ出している。
 プサリーは苦しそうな表情をしながら、それでも優しくしてくれたことに対して手を合わせ、下から俺の顔を微笑みながら見上げた。
 タイ語の辞典を紐解き、何とかプサリーに伝えた。
「早く病院に、行くんだ」
 無言でうつむくプサリーの表情から、かなり悪い病気に罹っているような気がした。
「早く、治療をしなければ、間に合わなくなるかも知れないぞ」
 本当に通じているのだろうか、プサリーは笑っているだけ。たまに、どこか遠くを見つめるような眼をする。
「君は、年はいくつなんだ?」
「アーユ?(年)イーシップ・サーム」
 イーシップが二十でサームが三だから、二十三か。自分と一つ違いだ。意外だった。てっきり、もっと若いと思っていた。
 プサリーはバスタオルを身体に巻き付け、シャワーを浴びに下へ降りていこうとした。胸が大きいせいか、タオルが引っかかり、落ちてこない。
 俺の前を通り過ぎようとしているとき、タオルの後ろを引っ張って剥いだ。
 さっきまで平気な顔をしていたのに、プサリーは急に恥ずかしくなったのか、屈み込んで胸と局部を隠した。眼を固く閉じて首を左右に振った。
 その姿が何とも言えず可愛らしい。後ろから抱きしめた。プサリーはゆっくり眼を開けて、首を後ろに回すと唇を重ねてきた。

 紹介された売春婦のプサリーは、元々、パタヤにも部屋が在るわけでない。友達の部屋や仕事場で寝ていたため、会った日から俺の部屋に来て、身の回りの世話をしてくれるようになった。
 結局、プサリーは俺のバンコクの宿舎に遊びに来て、そのまま住みついてしまった。
 ところでプサリーは、かなり重い病に罹っているようだった。
 時折、グヒューウーと止まらなくなる喘息は、数分間に亘って続く。しかもそれが、日に数回は起こる。
 この発作は、プサリーの体力を著しく削いでいった。
 パタヤでひどい下痢をしてから、俺は食べ物には特に気を遣った。
 日本人がやっているスーパーに買い物に行き、納豆や豆腐と言った植物性タンパク質を買い込み、プサリーに料理してもらった。
 野菜や魚介類を使った“タイ式しゃぶしゃぶ”が、とても美味しい。以来、俺は一度も調子を崩すことはなかった。
 パタヤが主戦場になった俺は、週末になるとバスに揺られて、試合という見せ物をするために《パタヤ・スタジアム》に乗り込んだ。
 相変わらず、まともな選手はいない。
 カマキリ拳法の達人という触れ込みのフィリピンの親父。片眼を喧嘩でなくした元ボクサー。
 全身が入れ墨だらけの怪しいタイ人は「元ルンピニーのチャンピオンだ」と言っていた。だが、体重が百キロを超えていて、ムエタイにこのクラスがあるとは思えなかった。
 皆それぞれ、何かの自信を持ってリングに上がっているのだろうが、ほとんどが名ばかりのニセ者だった。
 ある時、俺はプロモーターのパーヤップに電話を入れた。
「いつまで、こんな茶番をやらせる気だ。前座でも良いから、スタジアムに上がらせてくれ」
「まぁ、そんなに焦るな、まだ、こちらに来たばかりじゃないか」
 パーヤップが、めんどくさそうに言った。
「本物のムエタイ選手と戦うために、タイに来たんだ。こんなニセ者とショーを続けるなら、日本に帰る」
 パーヤップは、溜息を一つつき「わかった。パタヤスタジアムと連絡を取って、ランカー選手を送るように努力しよう」
「いつだ!」
「ふさわしい選手がいれば、近いうちに試合を組む。負けないように、しっかり練習に励めよ」
 腹の出た醜いブタ親父に言われたくないと思い、腹が立った。
「ところで、プサリーは元気か」
 半同棲をしている女の名前を突然、持ち出され、一瞬ぎょっと驚くと同時に、むかついた。
「何で、知っている?」
「あの娘は、しばらくバンコクで働いていた。体を壊して故郷のチェンマイに帰っていたが、またパタヤに出て来ているみたいだな」
 こいつらは、ムエタイのプロモーションだけではなく、女のプロモーションもやっているのだと思った。
 そこで、プサリーの病気のことが気になった。
「プサリーの病気は、何だ?」
「たぶん、結核だろう。体を休めて入院でもすれば治るんだろうがな。故郷に家族を抱えているし、仕事を休めない。タイの人間は皆、そうして命を縮めて生きているんだ。日本人の君にはわからないだろうけどな」
 プサリーの青白い顔が脳裏を過ぎった。
「まぁ、君が面倒を見てくれていると聞いて、安心している。大切にしてやってくれ」
 今まで散々、体を売らせて稼がせてきたくせに、よく、そんな残酷なことが言えるものだ。
「ともかく、ムエタイ選手としか俺は試合をしない。頼むぞ」
 返事を待たずに電話を切った。

 タイに来て一番の違和感を感じたのは、女性の大半が体を売って生計を立てている現実だ。
 小乗仏教のバックボーンを持つタイの女性は、なぜか売春という行為に全く罪悪感を持ち合わせていない。
 いや、それよりむしろ、外国から来た観光客に自分の体を売ることは、国のためというような使命感さえ感じる。
 取り立てて大きな企業も国が行う産業や資源もないタイにとって、観光業は国の生命線になっていた。その中でも女性の売春は、小乗教の考え方に相まって、どうやら決して悪い行為ではないらしい。
 女性が男性に尽くす。それによって女性が生計を立てるという考えは、広く大衆に浸透していた。
 また、国として表向き売春は禁止しているものの、自由恋愛でお金を貰うことに彼女たちは独特の価値観を持っている。悪い行為をしたとしても、翌日、寺院に行って懺悔をすれば、すべて帳消しになるという解釈だ。
 それらの考えが男性の労働意欲をなくし、結婚しても自由恋愛を辞めない、というモラルの低下を生んでいる。
 掃除に洗濯、そして夜は全力で男に尽くす彼女たちの値段を、日本の男どもが短期間に吊り上げてしまった。しかしプサリーは知り合ってから一度も金銭を要求しなかった。
 一緒にいれば食事をしたり、どこかに出かけるときは、通訳代わりに連れて行った。だが、俺はプサリーには一銭も金を払ったことがなかった。
「仕事を頼まれているから、パタヤに戻る」とプサリーが週末になって言った。
 そこで俺は、五千バーツ(一万五千円)を渡そうと、プサリーの手にねじ込もうとした。
「いろいろ、世話になったな」
「お金、要らない。仕事、ちがう」
 プサリーは泣きそうな顔で手を開かない。何度言っても、頑なに断られてしまった。
 仕方がないので、バスターミナルまで見送りに行く。先に売り場まで走り、パタヤ行きのチケットを一枚、購入した。
 プサリーに渡すと、手を合わせて受け取った。
「コップンマーカップ」(ありがとうございます)
「あなた、パタヤ、いつ、来る?」
「わからない。試合あれば、いくかな」
 プサリーは諦めのような、絶望のような、ともかく、とても悲しい顔をしていた。
 バスに乗るとき、プサリーは階段の前で一度ちょっと立ち止まり、また、深々と頭を下げてワイをした。
 プサリーの乗り込んだバスを見えなくなるまで見送って、ふと、考えた。
「仕事に行くなと言ってほしかったんだろうなぁ」
 俺はプサリーのことが好きなのか? そう思うと、情けないと思い、腹が立った。
「いったい俺は、何をしにタイに来たのだ?」
 タイに来た目的は、空手の史上最強を証明し、最強のムエタイを倒すためだ。その目的がブレてしまう。
 欲望を満たすという甘えは、禁物だと自分に言い聞かせ、部屋へ戻った。

 パーヤップから数日後に連絡があった。
「君の対戦相手が決まったよ」
「どんな奴だ」
「地方の選手だが、ライトウェイトのチャンピオンで、売り出し中の現役選手だ」
「今までの戦歴は?」
「少年時代から連戦をしている。戦績は、百十戦八十六勝十六敗八分け」
 余りに凄い戦績に、聞き返す。
「百十戦だと? どんな親父だよ」
「まだ若いよ。生粋のムエタイ戦士は四歳からリングに上がっているからなぁ。十代で百戦なんて、ざらにいる」
「何歳なんだ?」
「君と同じぐらいじゃないか」
 二十代前半で、百十戦の戦歴、八割の勝率は、ちょっと侮れない。しかし、即答した。
「やらせてくれ。いつだ?」
「十日後、場所はバンコクの《サムロン・スタジアム》だ。細かいことは、張に伝える。連絡を待て」
《サムロン・スタジアム》は中心部から三十キロ離れているバンコク第三の会場だ。国際式ボクシングの試合も行われる、本格的な観客席を備えた興行用スタジアムである。
 前座とはいえ、パタヤの飲み屋リングで戦っていた自分には、破格の昇進だ。
 ここで、良い試合を行えば、ルンピニーやラジャといった二大スタジアムからも声が掛かるかも知れない。
 今以上、日々の稽古に力を入れよう。俺は万全の体勢で臨むため、調整を始めた。
 バンコク市内を早朝から走り込む。
 朝まで観光客で賑わうパッポン通りは、静けさの中にも昨日の余韻を残すかのように、残飯や飲み物のゴミが捨てられている。世界中を探してみても、これほど汚い町は、おそらく見あたらないであろう。
 まだ一月だというのに、朝から気温は上昇して、昼には四〇度近くまで上がる。
 タイ人たちは、涼しくなる夕方にならないと、練習を開始しないという。
 ランニングの途中、売店でコーラを買って、休憩を摂る。炭酸を摂りたくないので、良く振って泡を捨ててから水分補給をする。
 ふと見ると、継ぎ接ぎだらけの汚い屋台の横で、まだ幼児の女の子が全身丸裸で、プラスチック製の皿を洗っていた。
 貧しさの中で必死に生きている姿を見ると、死にものぐるいで頑張らなければと、改めて思う。
 時折ごーっと、観光客を乗せた大型バスが排気ガスを撒き散らし、目の前を通っていった。なるべく静かな河縁を探して、夕方まで稽古を続ける。
 トレーニングと稽古の違いは何か。まず、トレーニングとは、自己の才能を最大まで引き出すことを目的に行う。それに対して、稽古は自己の才能の否定から始まる。
 過去の戦いは、次の戦いの参考には、なったとしても、同じ戦いは二度とない。それゆえ、常に古い自分を否定して、新しい自分を見つけ出さなければならない。さもないと、常に勝利をすることはむずかしい。
 少年時代から数々の試合を積み重ねてきた体験から「次はない」という執念にも似た決意が、自分を動かす原動力になっていた。
 上達に限界はないし、強さに終わりはない。飽くなき探求心から、ムエタイの弱点を探り、勝利への欲求を高めていった。

 仕事を終えてパタヤから帰ってきたプサリーに、辞書を引いて話をした。
「十日後、試合、決まった。しばらく、会えない」
プサリーは「やっぱり」というような顔をして、俺を睨んだ。
「どうして? あたし、きらい?」
「そうではなくて、試合に集中したい」
「きらいなら、捨てて」
「だから、練習だけしたい」
 首を振りながら眼に微かに涙を溜めて、プサリーは言った
「わたし、練習、邪魔しない」
 今の自分の気持ちを辞書で話すには、やはり限界がある。痛感した。
 どんなに気持ちを込めて説明しても、プサリーは悪いほうに受け取ってしまう。
 それと、売春というプサリーの仕事が、自分に自信を持てない理由になっていることが、痛いほど分かった。
 プサリーは自分から人に「好きだ」と言えない。そのため、すべてのことを悪いほうに受け取り、解釈してしまう。
 仕方がなく、俺は最後にプサリーに言った。
「試合、終わったら、また会える。それまで、我慢して」
 言いながら、俺は自分の弱さに呆れかえって、落ち込んだ。
 プサりーはまだ、納得してない様子だった。でも、一つ溜息をついて、小指を顔の前に突き出した。
「指切りと、いうこと?」
 俺はプサリーの小さな指に、太くがさつな指を絡ませた。
「タイの約束、守らなかったら……」
 たぶん、そう言った――ような気がする。
「わたし、寂しくて、死ぬ」
 思い詰めたプサリーの表情は、頑として譲れない決意の表れであった。
 そういえば、タイの女性は、執念深いと聞いたことがある。
 彼女たちは、ふだんはおとなしく見えても、恋愛については、非常に情熱的らしい。
 年に何度か「阿部定事件」が起きている。「男性自身」を切り取るなど日本では考えられない。が、タイ人女性にとっては当たり前のことだと思っているようだ。

 バス・ターミナルからの帰りに、若者で賑わうサムソンスクエアの南側にある、チュラロンコン大学のブックセンターに寄った。
 日本語に翻訳されたタイの雑誌を手に取り、立ち読みをした。
 そこには、昔から伝わるタイの物語が記されていた。

 新婚間もない「ナーク」は夫と仲良く暮らしていた。
 やがて、身ごもったものの、主人は出征することになる。
「ナーク」は夫が戦地にいるあいだに出産する。ところが、難産のために子供と共に死んでしまう。
 やがて戦地から夫が戻ってきた。出迎えたのは、初めて見る自分の子供と、ナーク。
 ナークは、夫への想いから、子供と一緒に化けて出たわけだ。
 夫はナークが亡くなった事実を知らないまま、幸せな時をすごす。
 村の人々が挙動不審な主人に事実を教えたが、全く信じようとしない。
 ところがある日に、夫はナークの真実の姿を見てしまう。
 そこで、村人と共にお坊さんを呼んで、ナークを成仏させた……。

 タイ人なら誰でも知っている『ナーク・ナーク・プラカノン』の物語だ。
 死んでもなお、愛する人のもとにやってくるタイの女性。愛に対する執念は凄まじいものだと感じた。
「このまま、プサリーと一緒にいても、いいのだろうか?」
 戦いを本業とする者は、自分の行動がぶれることを、もっとも恐れる。
 戦いはリングの上で行われているのではない。瞬間、瞬間の生き様が戦いの結果を決めていくのだ。
 何気なく、暮らし始めたプサリーとの生活が、戦いの方向性をぶらすことを、俺は恐れていた。
 

第四章 一九八四年一月二十五日


 サムロン・スタジアムは毎週、金曜日と日曜日のみ、ムエタイの試合を開催している。
 別の日には、アマチュア・ボクシングの試合や、バスケットなどの試合に使われることもある。
 バンコクから二十九キロのところに位置し、南東部に隣接するサムットプラーガーン県北のサムロンにある。
 試合当日、早めに目を覚ました。試合は夜からだが、午前中に計量があるという話なので、会場までの道のりを聞くためパーヤップに電話を入れてみた。
「計量は何時からだ?」
「早いな。緊張して眠れなかったなんて言うなよ」
 パーヤップは今ちょうど起きたと見えて、ひどく眠たそうな感じで答えた。
「会場までは何で行けばいいのか、教えてくれ」
「君は大切な選手だからなぁ、迎えに行くよ」
 あまり、こいつの世話にはなりたくないと思いながらも、タイの地理は未だに良くわからない。正直なところ、助かると思った。
「どこにいればいい?」
「午前中に会場入りすればいい。一時間もあれば、着くだろう。そうだなぁ、王宮前は混んでいるから、ワット・プラケオの前にある国防省の門の所に十時でどうだ?」
 ワット・プラケオは別名をエメラルド寺院と呼ばれている。堀に囲まれた広大な敷地に、歴代国王の宮殿や王室の菩提寺が並んでいる。
 ここの本尊はエメラルド色に輝く翡翠でできている。それが、エメラルド寺院と呼ばれている理由だ。
「エメラルド寺院だな」
「その斜め前の国防省な」
 電話を切った後、時計を見ると、九時少し前だった。
 宿の受付に「体重計はあるか?」と聞いたが、全く会話が通じなかった。

 俺は軽くジョキングをしながら、マンダリン・ホテルまで出かけて行った。
 客を装いながら「体重計を貸してくれ」と英語で言った。
「お客様、部屋までお持ちします」
「今、すぐに計りたいんだ、出せ!」
 俺が睨み付けると受付の男は慌ててデジタル体重計を持ってきた。古い日本製だった。
 ホテルのロビーでTシャツとズボンを脱ぎ、パンツ一枚で計量をする。
 上着を脱いで俺の上半身を見て、受付係が目を白黒させている。
 盛り上がった僧帽筋、ソフトボールを組み込んだような三頭筋、バチバチに割れた腹筋、宿泊客が、何事かと集まって来た。
 五十八・六八キログラムだ。リミットまで一キロ三二も残っている。
 全く問題ない。この調子なら軽い朝食が摂れることに安堵感を持った。
 俺は体重計を受付に返すと、ロビーの軽食レストランで食事をした。
 基本的に契約体重は少なければクリアだが、プロは、あまりウェイトが少ないことを好まない。リミット一杯で仕上げるのがプロの調整だ。
 日本にいるとき、バンタム級で戦っていた俺は、いつも減量に苦しんでいた。ひどいときには、たった五百グラム減らすのにサウナに一時間も入っていたこともある。
 食事を制限して、長時間の運動をする。しかし、それらの減量法は、まだ堪えられる。一番苦しいのは、水抜きだ。
 練習でカラカラに乾いた体は、何よりも水分を求める。それこそ、自分の小便も飲みたくなる所以だ。
 水抜きをすると、皮膚の脱水症状が起こり、身体中がカサカサになって痒みを伴う。口の中は乾き、唾も出ない状態が続き、夜も眠れなくなる。最後は、うがいをしただけでも五百グラム増えてしまうという極限状態で仕上げる選手も、少なくない。
 そのような状態を経験しているからこそ、目の前の一切れのトーストにも感謝ができる自分がいる。トーストとコーヒーだけの食事を済まし、エメラルド寺院を目指した。
 バンコクの渋滞は異常だ。世界最悪の交通事情と言われている。一時間以上バスが動かないときも、ざらにある。
 タクシーは渋滞に嵌るので、テゥクテゥクで車を避けながら、十時十分前に寺院に着いた。
 チャラプラヤー川を挟んで向こう岸にワット・アルンが見えた。三島由紀夫の小説『豊穣の海』で『暁の寺』として登場したこの寺は、今ではこの呼び名が、すっかり定着している。
 周囲には高い建物がないため、対岸からでも見ることができる。
 歩きながら金ピカの寺院を見ていると、これから試合だというのに、穏やかな気持ちになった。
 外から手を合わせ、見よう見まねのワイをして、今日の試合の無事を祈る。
 こういう時、格闘家なんか、みんな気の弱い人間なんだと、つくづく思う。強くなりたいという気持ちは弱さの裏返し、なのでないか、とも。

 三十分近く遅れて、パーヤップが迎えに来た。
「早かったなぁ、市内は混んでる」
 日本だったらヤクザしか乗らないような、汚い旧式のメルセデス・ベンツだ。色はスカイブルーだが、バンパーが金色で、最悪だった。
 俺はパーヤップの自家用ベンツで会場を目指した。バンコク市街から車が離れると、舗装された道路が急に悪くなり、ベンツのタイヤがギシギシ泣いた。
 左右に植えられているのは、タイ米の稲であろうか。収穫が終わり、短く黄緑色の葉が一面を覆っていた。
 時折、道路まで伸びる乾いた枝の大きな木が植えてある。
「菩提樹の木だ。お釈迦さんが、あの下で悟りを開いたとされている」
 煙草を咥え、煙たそうな目をしながら、パーヤップが講釈を垂れる。
「何の悟りを開いたか、知っているか」
 この男もまともな話もできるのかと、少し期待した。
「この世は、男のちんぽと、女のあそこでできている、ということだよ。ふぉふぉふぉ」
 偉そうに顎を突き出して笑いながら言う。期待した俺がバカだった。
 縦長の曼荼羅のような仏像を記した旗が、たくさん掛かっているのが視界に入ってきた。
「あれは、なんだ?」
「知らん」
 自分の言った下らない冗談が受けなかったことに、腹を立ててるらしい。
 バンコクを出て一時間強で会場に到着した。全体的に古く、鉄筋と木造を混ぜ合わせた、日本の田舎の体育館のような会場だった。
「あそこを見てみろ。今日の客たちだ。チケットの売り上げは、なかなかのものらしい」
 スタジアムの駐車場に車を入れると、正面玄関に観戦者たちがチケットを買いに二列に並んでいた。
 取りあえず客はいるのだなと思い、少し安心した。
「こんな田舎に、よくキックなんか観に来るな」
「ムエタイは、スポーツではない」
 パーヤップが悲しそうな表情で、しかし、キッパリと言った。
「じゃあ、何なんだ? 殺し合いか」
「ギャンブルだ。客は一攫千金を狙って、ムエを観に来る」
 そういえば、チケット売り場にいる連中は例外なく、場外馬券場に並んでいるような人相風体の奴らだった。

 関係者入口から場内に入ると、暗い会場の中心にリングが少し高い位置に設置されていた。
 四方に階段式の観客席が置かれ、日本の後楽園ホールを思い出した。
 やはり、リングサイドはパイプ椅子が五~六列ほど並んでおり、その後ろは鉄パイプでできたバリケードが置かれている。観客の差別化を図っているようだった。
 リング全体はルンピニーで見たものより小さく感じた。通常は六メートルだが、五メートルかそれ以下だろう。
 四本で囲われているロープは日本のリングと違い、荒縄のような素材でできている。
 ペンキで赤と白に色分けされているが、ここへ相手の頭を叩きつけるだけで、有効な武器になるなと感じた。五~六歩ぐらいしか歩けない手狭なリングは、小さなタイ人に逃げ回られなくて、ちょうど良いと思った。
 俺はリングに上がり、入念にチェックをした。
 マットの堅さ、滑り具合、ロープの弾み具合、コーナーでの攻防は戦略上、重要な鍵を握る。
 俺はリング・チェックをしながら、今日の戦術を頭の中でシミュレーションしてみた。
 五ラウンドで行われるムエタイの試合は、ギャンブルとしての試合運びを重要視する。そのために、一~二ラウンドは、様子を見ることが多い。
 またラウンドごとのインターバルも、二分と長い。この時間に客は賭ける選手を決めるのだ。
 倒し合いは三ラウンド以降となる。一~二ラウンドで選手の攻防、コンディションを見た客が、賭けを終えた後に勝負を掛けてくる。
 俺は、その裏を掻いて、一ラウンドから全力で倒しに行くことを決めていた。この熱いリングで、ちんたらと相手の様子を窺うなんて芸当は、とてもできない。
 照明の暑さは始まって見ないと分からない。でも、この一ヶ月、灼熱のパタヤで試合をしてきたので、心配はないだろう。
 大会パンフレットを見ると、俺の試合は二試合目らしい。タイ語で書かれたパンフレットを、パーヤップが読んでいる。
「すごいなぁ! 日本空手チャンピオンVSチェンマイ・ライト級チャンピオンと書いてあるぞ」
「相手の名前は、何と言うんだ?」
 ムエタイの大物選手の名前が出てくるのでは、と俺は期待した。
「ノーイだ」
「ファースト・ネームか、セカンド・ネームは?」
「細かい情報は分からない。リングに上がれば、分かるさ」
 名前もろくに分からない相手と試合をすることに、一抹の不安が走った。本当にムエタイ選手なのだろうな?
 俺は聞こうと思ったが、あえて聞かなかった。相手のことは、拳を交えれば、いやでも分かる。
「計量はどこで、行われる?」
「地下の選手控え室だ。そろそろ行こうか」
 俺はパーヤップと、リング脇のパイプ椅子をくぐり抜けた。
 その先にある暗い階段を下りて控え室に向かった。

 階段の左右に落書きがしてあるが、タイ語なので、さっぱり分からない。
 踊り場を曲がって下っていくと、タイオイルと汗の臭いが染みついていて、戦いのモチベーションを上げてくれた。
 十畳ほどの事務所のような控え室内は、閑散としていた。
 控え室は風通しが悪いせいか、黴臭い臭いがした。天板に付けられた大型のエアコンが轟々と音を立てて部屋を冷やしている。
 テーブルがいくつか並び、その上にタイオイルやワセリン、試合用のグローブが置かれている。
 何気なく観察すると、タイ製品のTWINS(ツゥインズ)やWINDY(ウィンディ)ではなく、メキシコ製のREYES(レイジェス)だった。
 一般的にメキシコの物は、拳面のクッションが少なく、危険なものが多い。博打を目的とするムエタイ選手には向かない品物だ。
 こういう点でも主催者の興行的な狙いが分かる。この試合はKO狙いだと感じた。とことん、行くしかない。
 中央に置いてある秤は旧式の、ブラ下げる重りを使った体重計だった。
 量りの後ろに椅子が置かれ、計量係のタイ人が、何か言っている。痩せた色の黒い老人だった。アロハシャツのような麻でできた半袖の服を着ていた。
 黒縁の眼鏡を指で上げると、書類に目を通し、何やら指示を出した。どうやら「量りに乗れ」と言っているらしい。
 Tシャツとジーパンを脱ぎ、下着一枚で量りに乗った。契約体重の六〇キロのリミットちょうどであった。
 今回の試合は「ライトウェイト」なので、六十キロをキープしている俺に、減量の苦しさはなかった。水も食事も自由に摂れたし、体調はタイに来てもっとも完璧な仕上がりだと感じていた。
 計量係が用紙に体重を書き込みながら、何事かパーヤップに話しかけている。
「もし、君が良かったら、空手着を着て戦わないか、と言っておるが」
 空手着を着て戦うことに異存はない。だが、リングの上はたくさんの照明のため、かなりの暑さになることが予想される。
 空手着を着て汗をかいたら、道着が重くなり、明らかに不利だ。
 また、不運にも判定になったとき、露骨にホームタウン・デシジョンをされないとも限らない。
 ここは条件を同じにしておくほうが無難と考えた。
「いや、止めておく、今日はトランクスで戦わせてもらおう」
「君が空手着を着たほうが、試合は盛り上がるんだけどな。日本人駐在員も、今日はたくさん観に来るからなぁ」
「この試合はムエタイ・ルールで争うのだろう? 空手の試合なら着(ぎ)を着るが、ムエタイをやりに来たのだから、俺の好きにさせろ!」
 やはり日本から持ってきたキック・トランクスを穿くことにした。

 パーヤップと計量係がタイ語で話をしている。時折、怒ったようにパーヤップが怒鳴り、計量係もふて腐れたような表情をしている。
 自分の理解不能なタイ語の会話を聞くと、嵌められているのではと、不安になる。
 だが、リングで戦うのは、いつも一人だ。味方はどこにもいないと、意志の力で不安感を払拭した。
 地下から階段を上がって入場するのも後楽園と同じで、いつも通りにやれば良いんだと少し安心感を覚えた。
 試合まで、まだ少し時間があるので、早めにウオーミング・アップをして身体を休めさせようと思い、会場の周りを軽くジョキングした。
 タイ独特の湿った空気と咽せかえるような熱さで、着ていたTシャツが汗でべったり張り付き、気持ちが悪かった。歩きながら呼吸を整える。
 会場の周辺には屋台が建ち並び、串焼きや飲み物を売っている。
 小休止し、ミネラル・ウォーターを買った。きちんと栓がしてあることを確認し、一気に飲み干した。
 青空を見上げながら一人ぽつんと考えた。
(ムエタイが最強の立ち技であっても、同じ人間だ。手足は四本しかない。たとえ、どんな展開になったとしても、心だけは折るな)
 毎回、言い聞かせている教訓を頭の中で繰り返す。
(生も歓喜、死も歓喜)
(真の極意は体験にあり、よって体験を恐れるべからず)
(切り結ぶ刃の下こそ地獄なり。一歩入れば、そこは極楽)
 考えていることと、ほのぼのとしたタイの風景が余りに違うことが、何となく可笑しかった。

 控え室に戻ると、意外なことに、プサリーが入口に立っていた。
「あっ、来たのか。久しぶり。えっーと、サワッディー」
 プサリーは手を合わせてワイをすると、隣の女性を紹介した。
「ともだち、いっしょに、応援します」
「サワディカップ、スーカルナー、がんばってください」
「コープクン。ありがとう」
「マイペンライ」
 プサリーは仕事の時に着ている派手なドレスではなく、Tシャツとジーパンという控えめな服装だった。化粧もせず、どこにでもいる普通の女の子だ。
 ただ、単純な服装だけに、胸の膨らみは異様に目立つ。
 プサリーは隣に立っているパーヤップと目を合わせないようにしている。
 逆にパーヤップは嫌らしい目をして二人を舐め回すように見ていた。
 プサリーが露骨にいやな顔をする。たぶん、寝たことがあるのだろう。
 くだらない、どうでもいいことが頭をよぎる。
 友達は、まだ十代後半、肩の出たタンクトップにミニスカート。色が黒く、真ん丸な顔をしていた。
 少し見ただけで分かる、ルイビィトンの偽物バックを肩から掛けていた。たぶん同業者だろう。
「来るとき、選手の人、友達と言いました」
 入口を指さしながら、プサリーが言った。
「チケット、ヌンローイ・バーツ、取られた」
 入口で関係者だと言ったのに、入場料百バーツをしっかり取られたらしい。
 ふて腐れたような怒ったような顔をしたプサリーにポケットから二百バーツを取り出し、渡した。
 最初は拒んだが、仰々しく受け取り、百バーツを友達に渡した。
 友達はどこか、余所よそしく、あまり嬉しそうではない。
 女性に応援をされているのは、選手の中でも俺だけだと思い、なぜかとても恥ずかしいような気持ちになってしまった。
 悲しい話だが命を削って戦うキックボクサーは、逆を返せば、頭の悪い肉体労働者である。だからタイランドでは、もてる男は頭の良い、スーツの似合う男なのだ。
「試合が終わったら、飯でも食いに行こうと言ってくれ」
 パーヤップに伝え、控え室に入った。

 控え室にはラジャのスタジアムで会った、日系アメリカ人のジェームス・田中がいた。
「ひさしぶり。いよいよ、大試合ですね。あなたの活躍は噂になっていましたよ。日本から強いサムライが、ムエタイのベルトを狙っているとね」
 田中は、まるで自分のことのように喜んでくれていた。知り合いの日本人がリングに上がっていることが誇らしいとでも言うように、熱心に話してくれた。
 意外な人物に誉められて、少し照れくさかった。
「色物の、偽選手と戦っただけです」
「勝ち続ければ、ラジャやルンピニーも夢じゃなくなる。頑張ってください」
 田中は笑顔で握手を求めてきた。
「あぁ、良かったら、バンテージを巻きましょうか?」
「お願いします。助かります」
 異国の地で友情らしきものを感じたのは、初めてだった。
「固めに巻きますか? それとも、少し余裕を持たせて?」
「痺れない程度に固めてください」
 田中は包帯とテープを器用に扱いながら、俺の手をテーピングしてくれた。
「パンチで行くんですか」
「その、つもりです」
「一~二ラウンドは、様子を見たほうが良いですよ 勝負は三ラウンド以降です」
(様子を見る、か……なぜだ?)
 俺は、田中の言う意味が良く分からなかった。
 試合が始まるまで、ベンチのようなベッドで横になって身体を休めることにした。
「カラテマン、時間だよ」
 マッサージを終えてタイオイルの鼻につく臭いの中で、パーヤップが呼びに来た。
「さぁ、仕事だ、期待している、頼んだぞ」
 心なしか、パーヤップも緊張しているように見える。
 何も答えず、バンテージを巻かれたミイラ男のような手に、メキシコ製八オンスの赤いグローブを嵌める。
 顔にたっぷりとワセリンを塗り込み、グローブを二回、胸の前で叩き合わせた。
 テーマソングが流れ、選手入場。どこから借りてきたのか、俺のテーマソングは軍艦マーチだった。おまけに歌詞付きだ。
「守も攻めるも鉄のー」と流れたとき、場内から失笑が漏れる。パチンコ屋じゃあるまいし、なんていうセンスをしているんだ。
 リング下の階段前で気合いを入れる。
「そぅらぁーーーー」
 階段を駆け上がり、一気にロープを飛び越えた。

 リングインをして、思わず戦慄が走った。場内一杯に詰め込んだ観客から、怒声のような叫び声が上がる。
「ジープン、キル! キル! ジープン!」
 初めて体験する敵意剥き出しな観客たち。
 どうやら「日本人を殺せ」と叫んでいるらしい。リングサイドでは、怪しい黒服どもがサングラスの中から、異様な視線を俺に送っている。
 コーナーで口の中にマウスピースを入れてもらいながら、今まで経験したことのない緊張が走る。
 賭けに嵩じている観客は、バーツ札を手に握りしめ、ムエタイ選手の入場を見守っていた。
 ムエタイ独特の演奏が始まる。陰険な、どことなく危険な雰囲気を漂わせる笛と太鼓の音色。
 心臓の鼓動にも似たリズムで、対戦相手が入場した。
 リングに上がった相手選手を見て、驚いた。チェンマイのチャンピオンは、どう見てもまだ、十四~五歳。髪の毛を短く刈り上げ、子供のような顔をしている。
 最初は童顔なのかと思った。だが、絞られた腹筋以外は、体つきもまだ少年の形を残している。
 俺は、思わずパーヤップを睨み付ける。パーヤップは、ニタニタだらしなく笑っていた。いやな感情が頭をよぎる。
「これは賭けのための、出来レースでは?」
 そうか、ならば「殺してやる」本気でそう思った。
 ワイクルーはない。
 レフリーが両者を中央に呼び、タイ語で注意を呼びかける。
「ローブローは禁止。下腹部は蹴るな。バッティングに気をつけろ。ラビット・パンチも禁止だ。首相撲で癒着したら、ブレイクすること」
 たぶん、だが、そんな趣旨のことを言っているのだろう。
 相手の選手はこちらの顔を見ようともしない。俺は相手の目を睨み、ガンを飛ばす。
 なぜか、いつもは、冷静なのに、異常な興奮に包まれていた。
 コーナーに戻される。目が血走っていたのだろうか。パーヤップが怖いものを見るような視線で、俺の顔を見ていた。
「殺してやる! 絶対、殺してやる」
10
 一ラウンドのゴングが鳴る。
 観客の声援と、怒りにも似た怒声が、さらに高くなる。
 怒りと共にガードを高く上げ、リング中央に飛び出す。
 二歩三歩と進んだ時、相手の膝が見えた。
 ビューという音と共に脛が走った。バッシッー、と肘の上に当たる。
 辛うじて肘でガードをしたが、超高速の左ミドルキックが飛んできた。
 ガードの上からも脇が痺れる、強烈な蹴りだ。
 当たった瞬間、頭の天辺まで響く振動。骨を通して、衝撃が体を貫く。
 子供のような顔をしているが、侮れない。こいつは百十戦の猛者なのだ。
 自分の闘争心が、久しぶりに燃え上がる。最高に楽しいと思った。
 思わず顔が緩む。口の端からから唾が垂れるのも忘れて集中した。
 ワンツーのパンチから右のローキックをフルスイングで膝の上に当てる。足を殺してパンチで仕留める作戦だ。
 俺のローキック(下段回し蹴り)は、野球の公式バットを五本束ねて叩き折る。腰を入れ、体軸を倒すことなく真横から鋭角に捉えるローキックは、確実に相手にダメージを与える。
 相手は膝でブロックをするが、明らかに効いた感触を得た。
 奴の顔が苦痛で歪む。いきなりの打ち合いに、戸惑いを隠せないでいる様子だ。
 急に手を伸ばし、俺の首に両方のグローブを巻き付けてきた。
 打ち合いを恐れた奴は、首相撲のクリンチをして膝を打つつもりだろう。
 全体重を掛け、俺の首を落とそうとする。同時に、固く尖った膝を横っ腹に突き刺そうとする。
 奴の魂胆を読んだ俺は、突き刺さる膝にカウンターの肘を差し込む。
 膝の上、つまりは膝の皿の少し上の急所に、俺の肘が食い込む。
 奴はまた、苦痛の顔を浮かべた。声にならない叫びを漏らす。
「効いている」「いける」「倒せ」「殺せ」
 頭の中の戦いの神が、俺に命令をしているようだった。
 奴の膝にめり込ませた肘を下から突き上げ、顎を狙う。案の定、奴はスウェイバックで躱す。
「掛かった」
 肘はフェイントだ。二発目のローが、奴の膝に襲いかかる。
 奴の膝がおかしな音を立てたのを、俺は聞き逃さなかった。
 この攻防が数秒で行われている。
 鍛え抜かれた身体と、死ぬほど繰り返したスキルが織りなす、神の領域である。
11
 さらに、攻撃は続く。
 左のローキックを振りながら、右のフックを顎に叩き込む。
 腰の入った必倒の鉤突き。身体の中心軸をぶらさず、腕を小さく振る。
 そうすることにより、遠心力が加わり、破壊力が倍増する。
 顎の横にクリーンヒットした。グギッという、骨の砕ける音がする。
 奴の童顔が上下半分に分かれたようだ。鼻と口からは、吹き出すように血が溢れ出ている。
 目の集点が合っていない。虚ろな眼は、宙を彷徨っていた。
 倒れながら奴は、中央ロープに引っかかった。
 勝負に情けは禁物である。今度は、奴の首を両手で押さえつけた。顔面に膝を思いっきり突き上げる。
 膝が痺れるほどの強烈なテンカオ(膝蹴り)。鼻骨が粉々になった感触。顔面から血が飛び散る。
 まるで、スローモーションのように相手選手は倒れ込む。
 それまでの攻防の速さが嘘のように、ゆっくりと時間が流れる。
 ロープに掴まり、必死で立っていた相手選手は糸の切れた人形のように頽れた。そのままマットに頭を打ち付ける……。
 リングの中も外も、まるで時間が止まったように、何も聞こえなかった。
 奴が潰れるのを確認していると、レフリーが割って入った。
 コーナーに戻る。終わった。レフリーがカウントを数えないのが不思議だったが、KOを確信していた。
 観客たちが総立ちになる。何やらタイ語で怒鳴り始めた。
 足を地面に叩きつけ、怒ったように手にしたビールの紙コップや空き缶を投げつける光景が見えた。
 リングサイドで観戦してたプサリーたちも立ち上がった。心配そうな表情で、相手選手を見つめている……。
12
 勝利を確信し、コーナーに戻っていく俺の目に、パーヤップの手下のセコンドが見えた。
 驚愕の、泣きそうな表情で、相手のノーイのコーナーを指さしている。
 自分のコーナーに血だらけのグローブを乗せて、俺はノーイを見た。
 汗が目に入って霞んでいた。グローブの手首の部分で拭う。
 信じられないことに、相手のノーイがロープに掴まり、立ち上がっていた。
 鼻は潰れて、口の周りは血に濡れ鮮血が筋を引いて垂れている。
 場内は興奮の坩堝と化していた。立ち上がった観客たちは、今にもリングに押し寄せてきそうな勢いである。
 相手のノーイは足下をふらつかせながら、それでもファイティング・ポーズを取った。まだ戦うつもりらしい。
 薄ら笑いを浮かべ、俺を睨んでいるノーイの眼は、死んでいない。
 レフリーがグローブを押さえてチェックをしている最中も、奴は俺を睨んでいる。
 親の敵を見るような、恨みと悲しみを瞳の奥に隠しながら、天敵に会った獣のようなノーイの眼光であった。
「日本人を殺せ!」
「お前、それでもムエタイ戦士か!」
「恥を知れ、二度とリングに上がれなくさせるぞ!」
 そういう趣旨のことを、ノーイのセコンドは叫んでいた。
 体の中で何かが弾けた。俺の中の戦いの魂が「奴を殺せ!」と叫んでいる。
 俺は確信した。奴を、ノーイを殺さなければ、自分が殺られる。
 ジリジリと、敵のノーイに近づいていく。獲物を狙う野獣と化して。
 まるで、脳みその中にアドレナリンが、一度に溢れ出ている気がした。
 足下に紙コップが投げ込まれる。
 ゆっくり相手のノーイに近づき、爆発したかのように殴り続ける。
 連打、連打、連打。続けざまパンチを浴びせる。
 ノーイの汗が混じった返り血が、俺の顔に掛かった。
 一瞬、目に痛みを感じた。が、大して気にもならない。
 ノーイは手をロープに掛けて、辛うじて倒れるのを凌いでいる。
13
 俺はレフリーに抗議をした。
「こいつの手を、ロープから離させろ!」
 だが、レフリーは困った表情で固まっているだけだ。俺はいつの間にか、ノーイを叩きながら恐怖を感じていた。
(こいつは、本当に殺さなければ、倒れない。俺は、人を殺すかも知れない)
 コンビネーションも技術もなかった。ただ力任せに殴りつける暴力だった。
 心が折れない対戦相手に初めて遭遇した戸惑いと焦りが、恐怖となって俺に襲いかかる。その恐怖から逃れようと、叫びながら叩き続ける……。
 客席は興奮の頂点を迎えようとしている。
 タイ人がやられている怒りと、弱い人間がなぶり殺しになっている姿を楽しんでいる。
 俺がノーイを叩けば叩くほど、みんなは興奮を高めていった。俺の暴力が観客を、エクスタシーに導いている。
「あっあっ、あっあっ」
 一緒に叫び声を挙げる観客たち。
 観客の声が最高頂に達したとき、相手のノーイは、ようやく虚ろな目をして、どーっとマットに沈んだ。
 一度だけノーイは、痙攣を起こしたかのようにガタガタと動いた。完全に動かなくなったノーイを見て、俺は物凄い快感を感じていた。
 狂おしいぐらいの絶頂を五感を通じて、感じていた。
「俺が勝ったーーーー! 俺の勝ちだーーー!」
 手を胸の前で裏返しに構え、叫び声を上げた。
 レフリーが俺の手を挙げる。興奮した観客の怒声が鳴り響く。
 場内から、いろんな物が飛んできた。ビールの空き缶。新聞紙や雑誌。果ては、傘や椅子まで飛んできて、リングは大混乱になった、
 身の危険を感じた俺は、セコンドたちに囲まれるようにしてリングを降り、控え室に戻ろうとした。
 階段を降りるとき、リングを見ると、対戦したノーイが、まだ立ち上がっていない。
 信じられないことだが、リングに入ってきたセコンドが、倒れたノーイを介抱するのではなく、罵っている。
「アーイカー」(恥ずかしい)
「ターイカー」(死んでしまえ)
「ヌアイ・チャ・ターイ」(死ぬほど恥ずかしい)
 などと怒鳴りつけながら、ノーイの頭をサッカーボールのように蹴飛ばしていた。
「き、貴様、何てことをするんだ!!」
 反射的にリングに戻ろうとする俺を、セコンドたちが押し返した。
14
「あなた殺される、早く、部屋に戻りなさい」
 ジェームス・田中が階段の下から俺を呼んでいることに気づいた。
「裏家業の奴らが拳銃を持って日本人を殺すと叫んでいる、早く隠れなさい」
 田中は顔を紅潮させ、汗を吹き出しながら叫んでいた。
「なんだって!」
 正々堂々と戦ったというのに、なぜ殺されなければいけないんだ。
 俺は頭がおかしくなりそうだった。
 走りながら控え室に入ると、中から鍵を閉めた。
 ベンチに腰掛け、肩を落として、溜息をついた。
「あなたはタイ人観客みんなを、敵に回した。しばらく身を隠したほうがいい」
 俺のグローブの紐をハサミで切りながら、田中が忠告する。
「なぜだ? 俺はフェアーに戦ったんだ。何で逃げ隠れする必要がある?」
 日本にいるとき、不公平なジャッジには何回も遭った。だが、勝ったから殺すとは、どういう了見なんだ。俺は思わず興奮しながら問い糾した。
「ムエタイは、スポーツであると共に、公営ギャンブルなのです。今日のあなたは、強すぎた。皆、ムエタイが勝つと信じて、観客はノーイに全財産を叩いたのです」
「そうなのか?」
「はい。まさか、一ラウンドで勝ってしまうとは。だいたいムエタイは一~二ラウンドは様子を見る、そして、三ラウンドぐらいから勝負に出るのです。あなたは早く決着を付けすぎた。賭けた連中は、怒り心頭です」
(こいつは、いったい何を言っているんだ?)
 しばらくは、田中の言う意味が脳みその表面を上滑りして、理解できなかった。
 要するに、プロにはプロのやり方があると言いたいのか。
 俺は俺のやり方で戦った。
 俺は、ここに、タイに、真剣勝負をやりに来ているのだ、賭けや試合運びなど関係ない。
 俺はこの戦いで何も後ろめたいことはない。そう思った直後――田中が泣きそうな顔をして、振りしぼるような声で言った。
「ノーイは、相手の選手は、まだ十三歳です」
「十三? 俺は、中学生と殺り合ったのか……」
 またしてもパーヤップに裏切られたと思った。
 奴は「チェンマイのチャンピオンだ」と言っていた。十三歳と言ったら、まだ子供じゃないか。
「教えてくれ、この試合は賭けのための出来レースだったのか?」
「ともかく、警備員を呼んできますから、それまで、この部屋から出ないでください」
 田中は外を覗いて無事を確認すると、そっと部屋から出て行った。
15
 俺は血みどろのグローブを外し、トランクスも脱いで、バッグに放り込んだ。
「勝ったのに、表彰もトロフィーもないのか? 何なんだ、この試合は?」
 俺は自棄になって控え室の壁を叩いた。
 骨に響く痛み。指の関節がバックリ割れて、血が滲んでいた。
 どうやら俺は、拳が壊れるほどノーイを殴ったようだ。
 下手な警備員よりも俺のほうが強いと思っていたら、田中が連れてきた警備員は、マシンガンを肩からブラ下げていた。
「ちょと、待てよ、何だよ、それ!」
 何なんだこいつらは? ここは戦場なのかと思うほどだった。
「さぁ、ともかく早く会場から出なさい」
 警備員に守られ、裏口から会場を出る。
 関係者たちが心配そうに俺を見つめている。
 ノーイの返り血を浴びたせいか、汗まみれの体に着込んだTシャツは、血で汚れていた。
 細く暗い通路を通って裏の出口まで走って出る。
 裏口には、パーヤップが車を回していた。ベンツに乗り込み、会場を後にした。
 車が出発して五分もしないうちにパーヤップは冷静さを装い、話を切り出した。
「ご苦労さん。これは、今日のファイトマネーだ」
 パーヤップは、運転をしながら、きちんと畳まれたバーツ札を俺の目の前に突き出した。
 札束を受け取り、数えながら聞いてみた。
「何なんだ、この試合は?」
「いろいろある。気にするな」
 パーヤップは紙煙草を口にくわえながら、ゆっくりと噛みしめるように言った。
「今日の相手のノーイが十三歳というのは、本当なのか?」
 俺は運転をしているパーヤップを睨みつけながら聞いた。
「まぁ、そう頭に来るな。ノーイがチェンマイで売りだし中のチャンプである事実に、変わりはない」
 少し焦ったような顔でパーヤップが返す。
「何のチャンピオンなんだ? 本当にムエタイなのか?」
「村のチャンピオンだ、あの年では最強の選手だ」
 返す言葉がなかった。結局、俺は賭けの仕組みに利用され、金儲けの片棒を担がされたということか。
 ムエタイの賭けにはオッズというものがある。賭け率だ。日本から来た訳の分からない空手ファイターなら、絶対にムエタイには勝てないと、誰でも考えるだろう。
 賭け率は九対一ぐらいになるはずだ。それを分かって、パーヤップは俺に賭けていたのだ。絶対に勝つと知りながら。
 案の定、賭けは親の総取りで終わった。
「いずれにしても、君は勝って、わたしは儲かった。一石二鳥だろう」
 そういう問題か。所詮こいつの頭には金儲けしかない。そして俺は情けないことに、汚い金儲けの手段であり、道具だ。
「なぜ、あんな子供みたいな奴と戦わなければならねえんだ? ウェイトも、奴はバンタム(五十三キロ)ぐらいだろう。賭けのための出来レースか?」
 パーヤップは初めて感情的になり、顔を膨らませて怒鳴った。
「文句があるなら、君のプロモートはもうしない。荷物をまとめて、日本へ帰れ」
 もう、こんな奴と話す気にもなれなかった。
16
 バンコクの街に入り、パッポンの通りを過ぎる。
 厚化粧の女たちが、客を引こうと、ずらりと立ち並んでいる。
(俺も売春婦と同じだ、金儲けのために、道具のように利用されている)
 車が宿舎に着く。パーヤップが無線機みたいな車両電話で誰かと話をしている。
 挨拶をする気にもなれず、無言で車を降りた。
 ドアを閉めるとき、パーヤップが小さい声で言った。
「かれ、戦った奴、ノーイ。今、死んだよ……」
 車のドアを閉めると、音もなくベンツが横切っていった。
 そのテールランプを見ながら、俺は、しばらく呆然と、そこに立ち続けていた。
(死んだ? 俺が、殺したのか?)
 一瞬、頭の中で最悪な景色が浮かんだ、あの時、リングの上でノーイは倒れていたにも関わらず、リンチのような制裁を受けていた。
(日本人に負けたから殺された?)
 背中に異常に冷たいものを感じる。
 しばらく呆然と立ち尽くした俺は、タイの不快な熱さを忘れた。自分で何をどうすればいいのか、全く分からないでいた。


 第五章 一九八四年二月十五日


 対戦相手ノーイ少年の死は、俺にとってショックではあったが、格闘技にはよくある事故と真摯に受け止めていた。
 しかし、本当に試合中の事故なのだろうか。試合後にリンチに遭って殺された、ということはないのだろうか。
 信じられないことだが、あの試合の時、確かにリングに倒れたノーイの頭を蹴っている奴がいた。
 直接的な死因はパーヤップから「脳挫傷」と聞いた。しかたない、とも。
 そう、所詮、運が悪かったのだ。
 命を運んで運命と書く。ノーイは、あのリングで死ぬ運命だった。
 だが、そうやって、いくら言い訳がましく考えても(俺が、ノーイ少年の人生を終わらせた)事実に変わりはない。
 ノーイに家族は、親や兄弟は、いるのだろうか。
 試合が終わった翌日、プサリーが俺の部屋に帰ってきた。
 仕事の最中だろうか、肩から細い紐で吊されている、紫色のチャイナドレスを着ていた。
 相変わらず胸ばかりが目立つプサリーの服は、今の自分の気分に、全くふさわしくないものだった。プサリーが微笑んで聞いてきた。
「元気ですか」
 表情を変えずに答える。「マイペンライ」と。
 言ってから「この使い方で良かったのか」と、ふっと考えてみる。
「あの子、死んだのですね」
 プサリーは、たどたどしい日本語で言った。
「マイペンライ」
 俺はもう一度、今度は強く言った。
 確かに俺が悪いんだけれど、それを責めるほど、あなたは心の狭い人では、ないですよね――そんな意味もあると、確か、辞書に書いてあった。
 部屋に入ったプサリーは、片隅に座って膝を抱えて、顎を膝の上に乗せる。
 プサリーの姿は、俺の機嫌が悪いことに気づき、ふて腐れた子供のようだった。
 そういえば、試合が終わってからは、一度もプサリーを抱いていない。
 俺には、タイの少年を殴り殺しておいて、同じ故郷の女性と快楽に溺れるような真似が、どうしてもできなかった。
 沈黙の数十分が、数時間にも感じられた。
 それにしても、プサリーのドレスからはみ出た胸が、妙に気になる。
「仕事は!」
 俺は怒ったように質問した。するとプサリーは、ゆっくり首を左右に振った。
「仕事に行け!」
 俺は扉を指さし、もう一度、大きな声で怒鳴る。
 何かを決意したように、プサリーは立ち上がった。と思うや、いきなり肩紐を腕から外して、ドレスを足下に落とした。
 下着一枚のプサリーの裸体が、俺の目の前に立ちはだかっている。
 心の中の何かが、ぷっつんと音を立てて弾けた。
 俺は脱ぎ捨てられたドレスを掴むと、プサリーに向かって投げつけた。
「お前は、何を考えているんだ! あいつが死んだばかりなんだぞ! お前は服を脱げば金になるけど、あいつは命がけで戦って、俺に殺されたんだぞ! その気持ちが判るか? お前たち、みんなが弱いからいけないんだ、出てけー!!」
 日本語で捲し立てた後、考えが急に頭をよぎった。
 俺は、いったい何を言っているんだろう。試合の数日前まで食事や洗濯、身の回りの世話を頼み、夜の相手もしてもらっていたのに、何で今頃、怒鳴るんだ。
 青白いプサリーの顔が、余計に白くなったような感じがした。
 プサリーはドレスを慌てて着ると、扉を閉めることもなく、飛び出して行った。
 扉からは生暖かい風と排気ガスが一緒に入ってきたような気がした。
 胸が焼ける。気分が悪い。今日は早めに寝ようと思い、薄いマットレスとタオルケットだけの寝具に潜り込んだ。

 バンコクの騒音は深夜まで続く。寝付いたと思うと、暴走族のような爆音で目を覚ます。熱さによる寝苦しさで、なかなか熟睡できない。
 今まで安心して寝ていたのは、隣にプサリーがいたからだったと、俺は初めて気づいた。
(思えば、勝手なものだ、必要な時だけ玩具{おもちゃ}のように付き合って、こういうふうになったから追い出すなんて……)
 眠れない俺は、時計を見た。
 午前三時。プサリーはどこにいるんだろう。もう、新しい男を見つけて、その野郎の胸に抱かれているのだろうか。
(それにしても、女々しいことを考えていやがる)
 こんなことを考えていると、自分が嫌いになりそうだった。
 すると、扉の外から子犬の鳴き声のような音が聞こえた。
 コン……コホン……。
 布団から起き上がり、そぉと扉を開ける。
 扉の隣で、プサリーが寝息を立てていた。時折、鳴き声のような咳をしている。
 扉に掛かっていたグローブを取り、プサリーの頭に優しく投げつける。
 ビックリして起きたプサリーは、鳩が豆鉄砲を食らったみたいに驚いた表情で、目をクリクリさせていた。
 俺は、笑いながら、プサリーの顔を見る。
 プサリーは、一瞬、むかっとした顔をし、その後で、泣きたいくらいの笑顔になった。
「微笑みの国」この微笑みで、プサリーは何回、危機を乗り越えてきたのだろう。
「弱いものは、弱いままが一番強い」
 脳梗塞で亡くなった、今は亡き空手の師匠、鈴木正晃師範の言葉を思い出す。
「おいで、風邪を引くよ」
 プサリーはチョロと舌を出し、あっかんべーをしたあと、嬉しそうに部屋に入ってきた。
 日本から持ってきた俺のスエットに着替え、二人で寝た。
 俺の右肩に頭を乗せると、つぶやくようにプサリーは言った。
「ここが、いちばん、好き」
 いちばんと言われて少し照れくさかった俺は、プサリーの顔を見ながら、聞いた。
「何だって?」
 俺の肩から胸にかけての、少しへこんだところに頭を乗せながらプサリーが続ける。
「このところ、いちばん、あんしん」
 微笑みを浮かべながらプサリーは続けた。
「わたし、うまれたとき、おとうさん、いなかった」
 少し寂しそうに、自分に言い聞かせるように、言葉を探しながら、ゆっくり言った。
「おかあさん、いつも、しごと」
 しごと、と言ったとき、プサリーは顔を曇らせた。たぶん今のプサリーと同じ仕事なのだろう。
「わたし、いつも、ひとり」
 見るとプサリーの眼に涙が溜まっていた 眼をきつく閉じたら、こぼれ落ちてしまいそうだった。
「だれも、いなかったけど、いまは、あんしん」
 随分とプサリーの日本語が上手くなっているのに驚いた。俺が練習しているときに、一生懸命に学んでいたのだなと、一人ごちた。
「このところ、いちばん、すき。あんしん」
 プサリーは子供のように、何回も何回も繰り返した。
 気がつくと、いつしかプサリーは静かに寝息を立てていた。
 もう、変な咳も出ない。どんな激しいセックスよりも安心できる場所があることが、この娘の幸せなのだ。
 そんなことを思いながら、いつのまにか俺も寝てしまった。

 ノーイとの凄絶な試合の日から、一週間が過ぎた。
 全く練習に身が入らないのには、つくづく参った。
 サンドバッグを叩いていても、あの試合を思い出す。グローブの中の手の感触が、ノーイの幻影を叩いているような気がして、何もする気が起きない。
 タイまで来たというのに、目的もなく無駄な時間が過ぎていく。
 このままでは自分がダメになると思い、関係者から可能な限りのノーイの情報を集めようと、俺は決断した。
 取りあえず、プサリーに試合の後の状況を聞いてみる。
「プサリー、君たちが見ていて、倒れたノーイは、どういう感じだった?」
 辞書を紐解きながらながらの会話は、どうしても微妙に違ったニュアンスになる。なので、なるべく簡単な単語を選んで質問をする。
「しあいのあとは、うごかなかったです」
 思い出すような仕草で、プサリーが語る。
「リングの上で何が起きてた?」
「なかまの人と、怒っていました」
 セコンド連中だと思った。俺が見たとき、倒れたノーイを容赦なく蹴っ飛ばしていた。
「バカもの! 日本人に負けたら、もう、お前の試合は組まないぞ!」と叫んでいたらしい。
「倒れていたノーイは、どうなったんだ」
 少し考えて、プサリーは「見たくないものを見てしまった」という表情になった。
「そのまま、うごかなかった」
 その後、リングの中は人がたくさん入り込んで、何がなんだか判らなくなったという。
「こわい、ひとたち、おおきなこえで、はなしました」
「なんと、言っていた?」
「ジープン(日本人)ダップ(消せ)ジープン、ダップって」
 興業を仕切っている怪しい連中が動き出したので、怖くなって友達と一緒に会場を出たと、プサリーは話す。
「ノーイは最後まで、動かなかったのか」
「人が、たくさん。リング、見えない」
 プサリーは手で目を隠すようにして、片言の日本語を話した。
「わかった、コープン、カー。あと、悪いけれど、ノーイの住所を調べてくれないか、確か、パーヤップはチェンマイだと言っていたから……」
「あたし、チェンマイにムエタイ選手の知り合い、います」
 プサリーは右手を親指と小指だけ伸ばして、耳の横で振る仕草をした。
 電話で聞いてみる、という意味だろう。
「頼むよ。それと、チョープ・クン・マーク(君のこと好きだよ)」
「……」
 プサリーは何も言わない。それでも、顔に「嬉しい」と書いてあった。
 大きな胸ごとプサリーを抱きしめて三十秒、心の中で数えた。
 誰かを好きとか愛しているとか最後に言ったのは、いつだろうか。
        4
 ムエタイの関係者にも話を聞こうと思い、俺はラジャダムーン・スタジアムにジェームス・田中を探しに行くことにした。
 試合のない日は、スタジアムで働いていると、確か田中は言っていたはずだ。
 トゥクトゥクに乗ってスタジアムの前で降りると、焼き鳥のような串肉を焼いている売店の店員が俺を指さして、隣の女性と噂話をしている。
 ムエタイの若き戦士を殺した日本人。プサリーに聞くと、俺は、ちょっとした有名人になっているらしい。もちろん、他国から来た悪外人としての。
「日本から来た空手使いが反則をして、まだ十三歳のムエタイ選手を殴り殺した」
 プサリーによると、そういう噂話がバンコク中に流れているという。
 闇の商売をしている連中がつけ狙っているとも言っていた。
 この国の日本人に対する感情はそれほど悪くはないと思っていたが、それは外貨を落としてくれる観光客だけの話だ。
 日本にいるとき読んだ雑誌に、こういう記事が載っていた。
 かつて、俺がタイに来る十二年前、日本から来たプロモーターが激しく批判される事件があった。
 タイの国技ムエタイを日本に紹介し、日本とタイのボクシング界の親善に尽くしてきた野口プロモーションが、一九七二年十月十日、バンコク市内のタニアロードに《野口キックボクシング・ジム》を開設した。
 日本のキックボクシング界の草分けと言われる野口プロモーションは、野口修氏が社長であった。
《野口キックボクシング・ジム》は、野口社長の実弟の恭氏をコーチ役として日本から選手十六人を呼び、タイ随一といわれる近代設備のジムで練習させた。
 それと同時に、それを見物かたがた、お茶を飲む喫茶店の施設を備えた派手な店構えとした。
 しかし、このジムの看板が《タイボクシング・ジム》ではなく《キックボクシング・ジム》であったこともあり、「タイの国技を汚すものだ」という一部タイ世論の強い反感を買った。
 一九七二年十月十五日の夜、同ジムにピストル弾三発が撃ち込まれたのに続き、十月十六日には高校生と見られる一団の抗議デモが押し寄せ、ガラス瓶で大ガラス一枚が割られる騒ぎが起った。
 両事件とも同ジムの閉店後の出来事だったため、怪我人は出なかった。
 だが、更に十月十六日夜には、日本=タイ対抗のキックボクシング試合が行われた市内のラジャダムーン・スタジアムで、野口社長がタイ・ボクシング関係者の一人に顔面をなぐられる事件も起きた。
 十月十七日にも同社長の手元には「殺す」「日本の犬」など激しい文面の脅迫状が舞い込んだ。
 野口キックボクシング・ジム開設の翌日(一九七二年十月十一日)からタイの代表的な大衆タイ字紙《タイ・ラット》が「野口ジムは神聖なタイの国技を冒すものだ。タイ・ボクシングという名前を使わないことは、日本製のキックボクシングを押し付けようとするもので、悪質な経済侵略だ」と蔑称の“ジャップ”という言葉まで使って激しいキャンペーンを始めた。
 同紙は十月十七日付では、一面に「Go Home、野口!」と野口氏の写真入りで書きたてた。
 十月十七日に野口氏は、タイ側のプロモーターと一緒に会見して「名前もムエタイに変える。タイとの親善が目的なのだから」と語った。
 だが、十月十八日には、紛争の発端となった問題の《野口キックボクシング・ジム》の大きな看板がすべて外され、ガラス張りの公開練習場の使用も中止され、ジムは閉鎖となった。
 野口修社長自身は、十月十八日午前バンコクを離れ、香港経由で十月十九日夜に帰国した。
 一九七二年十月十八日にはタイ大丸に爆弾をしかけたとの脅迫電話がバンコクの警察あてにかかっている。
 更に一九七二年十一月には、タイ全国学生センターにより全国的な日本製品ボイコット運動が進められ、野口ジム事件が起った頃から日本の経済進出に対する抗議の運動が高まっていくことになる。
 日本企業が入り込み、仕事を奪った憎き日本人ども。ましてや国技ムエタイを汚し殺した日本人となれば、憎まれるのは当然だ。
 俺はここにいる限り、それ相応の覚悟が必要だと感じていた。

 なるべく目立たないように、入口を通り、二階からリングを見下ろす。
 ジェームス・田中が数人のタイ人とリングの補修をしていた。
 俺には照明の落ちたリングは、観客席の真ん中に立てられた墓標のように見えた。
 このリングで、たくさんの青年が血を流し、夢を賭けて戦ってきたのだろう。
 傷つき、倒れ、夢破れた者。夢を叶えた者。俺が殺したノーイ少年も、その夢に向かって生きていた。
 階段を下りて行くと、田中が俺を見上げて軽く会釈をした。相変わらず人懐こい笑顔が変わっていないのが嬉しかった。
「サワッディー。試合、お疲れ様でした。大変でしたね」
 周りに少し気を使い、リングから離れるようにしながら、田中は言った。
「助かりました。えっーと、コープクン」
 田中は大きく二回こっくり頷き、指を差した。
「あぁ、掛けませんか」
 リングサイドの席を指さして、田中が勧める。
「コーラでも飲みますか?」
「いえ、結構です。すぐに帰りますから、俺はあまり皆に好かれていないようだし」
 周りを見回して答えた。
 田中は首に掛けたタイオイルの臭いが染みついたタオルで顔を何度も拭っている。スタジアムの中は暖房が入っているのでは、と思えるほど、蒸し暑い。
 俺と田中はリングサイドの席に並んで座った。
 田中がリングを指さし、悲しそうな顔で笑いながら言った。
「わたしも、昔リングに上がりたくて、ここに来たんですよ」
 田中は煙草を一本、取り出すと、口にくわえて百円ライターで火を点けた。
「もう、何年も前ですが、夢に終わりました。仕方がないので今は夢に向かっている子供たちを助けて、トレーナーの仕事をしています。ですが、今でもね、リングの上で戦いたいって強く思うことがあるんですよ」
 日系とはいえ、同じ日本人でありながら一度もリングに上がれなかった田中。
 そんな田中の心情を思うと、僅か二ヶ月ぐらいでタイ選手と戦えた自分は、むしろ幸運だったと思わざるを得ない。
「戦うスポーツには、運もありますからね」
 俺は田中を傷つけないよう、努めて言葉を選んで語りかけた。
「リングに上がること自体が夢ですから。観客たちが自分を見てくれている、自分の存在を認めてくれている、俺はここにいるぞー、ってね」
 遠くを見つめるような眼をして、田中が続けた。
「あっー、それと……この間のこと、気にしなくていいと思うんです。亡くなったノーイには悪いけれど、彼は夢を叶えたのだから、戦士はリングで死ねれば本望です」
 ノーイ本人は本望でも、家族はどう思っているのだろう? 俺は聞いてみた。
「家族は、どう思っているのでしょうね?」
 田中は「聞かなくていいものを」と言わんばかりに一瞬、顔をしかめた。それから、しかたなさそうに、
「悲しんでいると、聞きました」と小さな声で言った。
 しばらく言葉が見つからなかった。残念だとか、申し訳ないとか、上っ面なことを言ったところで、ノーイは帰ってこない。
 ノーイは死んだ。リングの上で正々堂々と戦って死んだのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 むしろ、そのような上っ面な言葉を掛けることは、戦士に対して失礼だとすら考えていた。

 俺は確認しようと、当たり前のことを聞き返した。
「ノーイ少年が死んだことを、ですよね?」
 田中の表情が曇る。言おうかどうするか、ひどく迷っているかのようだった。
「いや」
 また少し間が、空いた。一瞬だけ時が止まったようだった。
 田中は、これ以上ないほど悲しい顔をして、
「働き手が、いなくなったことを……です」と俺の目を見ずに答えた。
 リングの上を見つめた。落ちた照明たちが、まるで感情を持ったロボットのように、寂しそうに並んでいる。
「貧しかった……のですか」
 俺は言ってから「当たり前のことを、聞いてしまった」と後悔した。
「かなり。小さいときからムエタイの選手をやっている子は、ほとんど学校に行っていません。字も書けない子が多い。戦うしかないんです。僅かなお金を稼ぐために毎日、骨身を削って戦うしかないんですよ」
 田中はもう一度タオルで顔の汗を拭い、静かに続けた。
「間引きって、知ってますか?」
 突然、田中が改まって聞いてきた。
「口減らしですか?」
 俺は何か、嫌な予感がしてきて、手に脂濃い汗をかいていた。
「今でもチェンマイや地方の貧村では、当たり前にあるようです」
 またしても俺の顔を見ないで田中が言った。
 貧乏のために、育てられない子供を殺す。間引く。
 殺される子供も不幸だが、殺す親はもっと不幸だろうなと考えた。
 この世で最高の不幸だとも思う。
 日本でも、かつて貧困に喘いだ水飲み百姓が子供を間引くという話を聞いたことがある。だが、百年以上も前の話だ。
 このタイでは、そんな蛮行が今も現実社会で許されるのだろうか。
 田中は立ち上がり、「まだ仕事が残っているので」と軽く会釈をした。俺は座ったまま手を差し伸べる。
「お世話になりました」
 田中と固く握手をする。このままムエタイを続けなければ、もう会うことはないような気がしたが、あえて何も言わなかった。

 ところが別れ際に、田中は後ろ向きで呟いた。
「あぁ、それと、ノーイの一番下の弟も、死んだそうです」
 またしても時間が止まったような衝撃を覚えた。
「えっ、なぜですか?」
 まさかとは思ったが、さっき聞いた「間引き」という言葉が、現実問題として俺の心にのしかかってきた。
 歩き出しながら、田中がはっきり言った。
「よくは、わかりません、人伝えに聞いた話ですから……」
 俺は背中に冷たいものが走るような気がした。
(ま、まさか)
 同時に、吐き気とも目眩とも知れない嫌な気分に陥った。
(そんな、はずはない、しかし、何だって幼い弟までもが、死ななければならなかったのだ?)
 田中がいなくなった後、スタジアムのリングサイドで、一人ぽつねんと考えた。
(ノーイの死が弟の死と関係があるなら、俺とも関係があることになる)
 いずれにしても、このままでは前には、進めないと思った。
 弟の死が俺と関係がなかったとしても、ノーイの家に行き、墓前に花の一つも供えたい。感傷的になるわけではないが、ここで、きちんと自分にケジメを付けなければ前に進めそうもない
 そう思うと、いてもたってもいられなくなった。
 そうだ、ノーイの実家チェンマイに行こう。ノーイの家族に会って真相を聞き出そう、俺は強く決意した。
 そうだ。プサリーはチェンマイ出身だ。プサリーにガイドしてもらえば、何とかなるだろう。
 場内が騒がしい、もうすぐ試合が始まるのだろうか。人の出入りが激しくなってきた。
 選手控え室に行くと、少年のようなムエタイ戦士が、ウォーミング・アップをしていた。

 第六章 一九八四年二月二十日


 スタジアムから帰った俺は、チェンマイに行く準備を始めた。
 初めて行く地方なので、やはりガイド役にプサリーを連れて行こうと決めていた。
(タイに来てから、プサリーには、なにからなにまで世話になっているな)
 ふと、胸に思いをよぎらせた。
 この先プサリーとどういう関係になっていくのだろう。
 プサリーの職業や立場を考えると、やはり深入りは危険だと思う。
 今もプサリーは、仕事で他の男に抱かれているのかも知れない。
 そう、思うと、やはりこれは偽似恋愛なのだ。
 そんなことを考えながらタイのガイドブックを読んでいたら、プサリーが来た。
「ノーイのこと、わかりました」
 ムエタイのジムにノーイに関する情報を訊きに行ってくれたらしい。
 いつもの派手なドレスではなく、ジーパンにTシャツ姿で、Tシャツには、ヘタな日本語で「愛」と書かれていた。
 プサリーは、普段着の姿からは売春婦としての顔は想像できないぐらい普通の女の子であった。
「あのひとの家、チエンマイのトンパオ」
「君は行ったことがあるか?」
 プサリーは肩から提げたショルダーバッグを降ろし、恥ずかしそうな顔をして首を振った。
「ありません。私、十二歳からバンコク来ました」
 それは、つまり十二歳から体を売って働いていた、ということにもなる。
 日本で言えば、まだ小学校の六年生だ。一瞬だが、ちらっと日本で空手を教えていた、あどけない少女たちの顔が思い浮かぶ。
 十二歳の娼婦と、命を落とした十三歳のキックボクサー。
 この国はやはり、どこかが間違っているのではないかと思う。
「ノーイの家族、何人いるの?」
 タイ語の辞書を引きながら、プサリーに聞いた。
「クンポー(父)クンメー(母)ノーンサーウ(妹)ソーン(二人)ノーンチャーイ……ヌン(弟一人)」
 ノーンチャーイのところで、プサリーの顔が曇った。
 スタジアムでの田中の言葉が、ふと脳裏をよぎる。もしかしたらプサリーも、弟のことを知っているのではないだろうか?
「弟や妹は元気なのか?」
 少し間をあけて、プサリーが答えた、表情を読まれないようにしている。
「ごめんなさい。わからない」
 俺は少し怒った素振りを見せて、強めに聞いた。
「何か、かくしていないか」
 プサリーは下を向いて首を振るだけだった。
 まあいい。チェンマイに行けば分かることだし、それ以上は追及しなかった。
 とにかく、ノーイは四人兄弟の長男だったと分かった。下には二つずつ離れた妹、そして一番下に、まだ三歳の弟がいた。

 それから俺は、プサリーからチエンマイの事情をいろいろ聞いた。
 行き方、町並み、人々の生活、思いつくままプサリーは話してくれた。
 チエンマイ市はタイ・北部にある郡(アンプー)で、チェンマイ郡とも言う。
 チエンマイ県の県庁所在地(ムアン)でもある。
 ラーンナータイ王国の首都として、メンラーイ王により一二九六年四月十二日に建造された城壁の残る街である。
 王国の首都として古くから発展し、ラーンナータイ王国が廃止された現在でも、北部の文化・経済の中心である。
 人口では東北部のナコーンラーチャ・シーマーを下回る。だが、その歴史の長さや都市の格から、一般にバンコクに次ぐタイ第二の都市と認識されている。
 チエンマイとは「新しい街」という意味であるらしい。
 これはマンラーイ王が都を建設した際には、すでにチエンラーイ(「マンラーイの街」という意味)があり、これに対して新たに建設されたチエンマイを「新しい街」と称した。それが、チエンマイの名の由来である。
 また、美名としてノッパブリーシー・ナコーンピン・チエンマイ という呼称もある。
 意味は「新しい街、吉祥なるナコーンピンたるチエンマイ」である。
 このため「ナコーンピン」という名称が用いられた時代もあった。以上はガイドブックに載っていたことだが、プサリーは、
「私の田舎は、自然と都会のバランスがよく混ざっている」と言った。
 表情に楽しい笑みが浮かんだ。やはり、自分の故郷が懐かしいのだろう。
「町並みはバンコクと似ていて、同じ仕事の人もたくさんいる。ただ、物価が安いので、余り儲からない。それでみんな、バンコクに出てくる」とも。
 プサリーに聞いた限りでは、それほど田舎とは思えなかった。
「プサリー!」
「は・い」
「一緒に、ご飯を食べに行こう」
 俺は、プサリーを食事に誘った。
 今まで何回か外で食事をしようとしたが、プサリーは自分が作ると言って聞かなかった。
 俺もヘタな物を食べて体調を崩したくなかったので任せてばかりいたのだ。
 この娘との思い出も、いつ唐突に終わるか分からない。俺は今までの感謝の気持ちを何かのかたちで表したかった。
 日本語のガイドブックを見て、日本料理が食べられる店を探した。

 タニヤロードの角に《SAKE NO MISE(酒の店)》という和食店があった。
 歩いてそこまで行くことにした。
 俺の宿舎に面したアンリー・デュナン・ロードは、タイ最古にして最高の名門校チュラロンコン大学に続いている。
 大学の容姿は、学校と言うより一流のホテルのような雰囲気だった。正門を入った中央には噴水と芝生の広場があり、その隣には大学設立に寄与したラマ五世とラマ六世の銅像が建てられている。
 校舎は薄いピンク色で良家の子女が多いのだろうか、入口付近の駐車場には、ベンツやBMWといった高級乗用車が数多く並んでいた。
 旧正月を迎えたばかりのバンコクは、どこのワット(寺院)でも、ロウソクの炎を昼夜に亘って点し、人々は敬虔に祈りを捧げている。
 俺は露天のお面売りみたいな、鉄でできた棚にロウソクがたくさん置かれている寺の前の儀式を指さして聞いた。
「プサリー。あの寺でやっている儀式は、なんだ?」
「旧暦三月、満月の日に、たいせつな仏教儀式がいろんなお寺で行われます。信心深い仏教徒は、この日の夜、ロウソクを手に持ち、寺院の本堂の回りを三度、ぐるりと回って、仏に祈りを捧げるのです」
 プサリーは、ゆっくり噛みしめるような感じで説明した。
 顔には自慢げな微笑みが宿されている。
 いつ覚えたんだと聞きたくなるほど、しっかりした日本語である。俺は、その時に思った。
(こいつ、本当は日本語が喋れるんじゃないか?)
 人通りが急に多くなってきた。
 皆、一様に両手を頭の上に挙げ、線香(トゥープ)と蓮の花(ドークマイ)を捧げている。
 参拝客を見ていたら、日頃は信仰心などないのだけれど、ノーイに線香と花をあげたい気持ちが溢れ出てきた。
 と同時に、今の自分に必要なのは「自分の内面としっかり向き合うこと」だと感じていた。
「プサリー。俺にも、あれをやらせてくれ」
 祈りの人々を見ながら、プサリーに言った。
「あなたが、お祈りするのですか?」
 不思議なものを見るような眼で俺を見ながら言う。
「そうだ、ノーイの供養もしたいし……供養って、分かるか?」
「くよう――ですか? ワイ(祈り)と、違う?」
「祈りだけれど、死んだ人への祈り、安らかに眠ってくださいという気持ちかなぁ」
 プサリーは物思いにふけるよう考えている。
 道ばたを、どこかの女学生だろうか、制服を着て、物干し竿のような木の棒にジャスミンやマリーの花を掛けて売り歩いていた。
「プサリーも供養します。お母さん、病気で亡くなったから」
 思いついたようにプサリーが言った。
 どこか悲しげな表情は花売りの少女と重なって、もの悲しい気分になった。

 プサリーが寺の横道に入っていくと、そこには線香や花を売っている、ばあさんがいた。
 これ以上ないぐらい小さな顔で、タンクトップだかランニングシャツだか分からないブカブカの服を着て、祈りの三点セット、線香、蓮の花、金箔の紙をプサリーに渡した。
 プサリーが小銭をばあさんに渡した。だが、黙って受け取るだけだ。気味が悪いほど表情が読み取れない。
 まるで幽霊のようだ。このばあさんは、本当に生きているのだろうか。
 プサリーは線香の束を所狭しと並んでいるロウソクで火を点けると、俺に手渡しながら言った。
「仏様に差し上げてください」
 急に真剣な表情になったプサリーに、思わず少し笑いそうになる。
「どうやるの?」
 寺の中に腰の高さぐらいの金色な小さな仏像が安置されていた。
 プサリーは靴を脱ぎ、仏像の前まで進むとひざまずいた。線香と蓮の花を捧げて、最後に金箔のような紙切れを仏像に貼り付ける。
 次に仏像の前に正座をして、三回ほど頭を下げ、最後は地面に頭が着くほど拝んだ。
 俺も線香を仏前にお供えした。日本の物とは違い、とても長く、菜箸ぐらいあった。
 鼻の奥に突き刺さる線香の臭いに閉口しながら、蓮の花と一緒に供えて仏像を拝んだ。
 プサリーは眼を閉じて、真剣に祈っている。その横顔を見ながら、祈りってなんだろうと、改めて思った。
 自分の力ではどうしようもない状況に遭遇する度に、同じことを考えていたような気がする。
 参拝が済み、寺を出たところでプサリーに聞いた。
「なにを、祈っていたの?」
「ノーイのこと。かわいそうです」と悲しそうに言う。
「ほかには、なにを祈っていたの?」
 真剣に何事か祈っていたプサリーの表情を思い返し、俺は聞きたかったことを口にした。
「死んじゃった、お母さん、今、どうしているのかな、って。プサリーのこと、見ているかな、って」
「ほう? お母さん、プサリー見ていたら、どう思うかな?」
「お母さん、きっと泣く。プサリー、悪い仕事しているし、罰が当たって、病気になっているし……毎日、頑張っていないし……」
 プサリーがだんだん悲しい顔になってきた、俺はこんな所で泣かれるのはいやだと思い、急いで話題を変えることにした。
「どうして、タイはこんなに、たくさんのお寺があるのかなぁ」
「みんな、いつもお祈りするためでしょう」
「なぜ、お祈りするの?」
「この国の人サヌック(楽しい)とサバーイ(快適)が何より大切です。でも、それを求めると、罪を犯します。だから、いつも懺悔しなければ……罪が消えません」
 話していて、プサリーの胸元に金色に光るペンダントに、ふっと気づいた。
「これは……」
「仏陀のペンダント。昔、お母さんからもらった、お守りです」
 プサリーの顔に少しだが、笑顔が戻ってきた。悲しい顔より、笑顔のほうが百倍も可愛い。
「あなたのお守りは、なんですか?」
 プサリーが真顔で聞く。
 俺は右手の拳を目の前に挙げた。石で叩いて固めたような、凹凸の全然ない拳が、そこにあった。
「これ……かな……」
 プサリーはまた、悲しい顔になってしまった。

 並んで歩いていると、プサリーがそっと手を握ってきた。
 今さらながら、俺はなぜか、恥ずかしかった。
 見ると数人のカップルが肩を組んだり手をつないでいたりした。
 プサリーの手を振りほどき、早足でタニヤロードに向かう。
「ごめんな。あまり手をつなぐの、好きじゃないんだ」
「だいじょうぶです。ごめんなさい」
 意味もないのにプサリーは謝った。
 途中、タイシルクで有名な《ジム・トンプソン》の店があった。大きな二階建ての建物はピンク色をしたレンガ作りで、窓からは優しく光る明かりが漏れ、高級感を醸し出していた。
 入口には、ベンジャミンの木が大小三本と置いてある。
(そうだ、プサリーに何かを買ってあげよう)
 俺はプサリーにはなにも言わずに、ふらりと店に入った。
 プサリーはどうしていいか分からず、入口の辺りで困った顔でオロオロしていた。
「早くおいで」
 手招きをしてプサリーを店に入れる。
 店の中は小物やバッグ、そして高そうな様々なタイシルクの製品が所狭しと飾ってある。
 店の奥には様々なガラスのテーブルが立ち並び、その上には、綺麗に折りたたまれたスカーフやハンカチが、花畑のように並んでいる。
 階段の横に店の主人「ジム・トンプソン」の大きな写真が飾ってあり店の由来が日本語で書かれてあった。

 アメリカ軍の諜報機関であるCIAの前身機関であるOSSに所属していたジム・トンプソンは、OSSのバンコク支局長に就任する。そこで第二次世界大戦の終結により、帰国命令を受ける。
 だが、アメリカに残る妻と離婚をし、タイに残ることを決意する。当時、バンコク唯一のヨーロッパ風ホテルとして知られていた『オリエンタル・ホテル』(現在のザ・オリエンタル・バンコク)の経営に携わった後、当時は機械織りによる大量生産の普及などで衰退の一途をたどっていた、タイ・シルクに着目する。
 私財を投げ打ってタイ・シルクの復興と売込みに没頭した結果、アメリカのファッション業界を中心に注目を浴び、欧米諸国でタイ・シルクの人気が上がった。
 その結果、トンプソンはタイ・シルクを復興させた男として、欧米のみならず世界中で知られることになる。
 一九六七年三月二十六日に、休暇で訪れていたマレーシアの高級別荘地、キャメロン・ハイランドにある友人の別荘『ムーンライト・コテージ』で、忽然と姿を消した。マレーシア軍や警察、現地の住人など、のべ数百名を動員した大規模な捜索活動にも拘らず、その姿は二度と発見されることはなかった。
 失踪当時、トンプソンは自らの名を冠したタイ・シルク製品生産・販売の成功により、アジアだけでなく、アメリカやヨーロッパでも有名になっていた。
 トンプソンの失踪当時、ベトナム戦争が激化しており、それに伴い、東南アジアでも諜報活動が盛んになっていた。
 トンプソン自体が以前には諜報機関に所属し、失踪当時もアメリカなどの諜報関係者と接触を持っていたこと、政変が繰り返されていたタイの政府上層部や反政府指導者に知人が多かったことなどから、身代金目的の営利誘拐から諜報活動がらみの誘拐・暗殺、単なるジャングルでの遭難から地元住民による殺害まで、さまざまな失踪理由が取りざたされた。しかし、現在に至るまで、トンプソンの行方も生死も、謎のままである。

 そこまで読んでいると、三つ揃えの黒のスーツを着た体の小さなタイ人が、流暢な日本語で語りかけてきた。
「当時、トンプソンには複数の愛人がいたみたいですね。タイの女性は男性を狂わせる怪しい魅力に溢れていますから」
 聞いてもいないのに、男はいろいろ話し出した。
「奥様も実に美しく、素敵な方ですねぇ」
 プサリーを舐め回すように見ながら話す。
 どうやら、店の従業員らしい。プサリーの胸を露骨に嫌らしい目つきで、穴が空くほど見つめている。
 男の視線に危険を感じたのか、プサリーは俺の背中に隠れてしまった。
「タイシルクのシャツを見せてくれ」
「ご主人様のですか、それとも奥様の?」
 慇懃な態度で、揉み手をしながら聞いてくる。
「両方だ。なるべく高級なやつを頼む」
 初めはスカーフかハンカチと思っていた。ところが、独特の艶と光沢を持つタイシルクのシャツを見ていたら、どうしてもプサリーに着させてやりたいと思った。
(俺はいったい、なにをしているんだ? ここに戦いに来たんじゃないのか)
 そんなことが妙にこびりついて、頭から離れない。しかし今は、しばしの休息を楽しもうと思った。
 従業員はタイシルクのカラフルな色をした開襟シャツを奥から持ってきて、ショーケースの上に並べた。
 プサリーを立たせてシャツを当ててみる。
 タイ人にしては色が白く、全体的にふっくらしているプサリーは、明るい黄緑色が似合うような気がした。
「これ、どう思う」
 俺はプサリーに聞いてみた。プサリーは顔をしかめて、一言だけ言った。
「これ、すごく、たかい」
 縮れた紐に着いているプライス・タグには「$230」と書いてある。
「値段じゃない。色は気に入った?」
 ゆっくり噛みしめるように聞いてみた。
 プサリーは不安そうな顔をしながら、ゆっくり首を縦に振った。俺は従業員を振り返った。
「同じやつのMとLをくれ。二枚買うと、いくらだ?」
 従業員が「しめた」とばかりに答えた。
「四百六十ドルです」
 俺はもう一度、ゆっくり聞き返した。
「いくらだと聞いてるんだ。誰が、正規の値段で買うと言った。二枚買ったら、いくらになるんだ」 タイでは当然の値段交渉だ。
「お客様、当店では、ディスカウントは、やっておりません」
 したり顔で話す従業員に、もう一度、じっくり聞いた。
「こんなたけー服を、二枚も買うんだぞ。少しは負けろよ、おっさん」
 プサリーが割って入り、何事かタイ語で話した。
 従業員は奥に引っ込み、責任者らしき男と何やら相談をしていた。
 責任者は三つ揃えのタイ人よりもさらに体が小さかった。ちょび髭を生やし、ネズミのような顔をしていた。
 ほどなく戻ってきた従業員は「仕方がない」と言った表情で、俺に言った。
「分かりました。四百ドルで結構です」
 シャツを丁寧に包んでもらい、クレジットカードで精算をした。
 カードを奥に持って行こうとする従業員に、プサリーが顔色を変えて抗議をした。
 俺はタイ語で何を言っているのか分からなかった。だが、どうやら雰囲気から見て「カードを奥で切るな」と警告したみたいだ。
「日本人、みんなお金持ち。カード、あぶない」
 プサリーが俺に警告し、少し自慢げに説明してくれた。
「カード渡すと、高く切ったり、二回も切ります」
「あぶなかった。ありがとう、助かったよ」
 さすがだなと思うと同時に、こういう知恵がなければタイでは生きていけないのだなと、プサリーを見直した。
 品物を受け取り、店を出てからプサリーに聞いてみる。
「さっき、店の人になんと言ったの?」
 プサリーは、ここぞとばかりに胸を張り、
「この人、空手とムエタイのチャンピオンよ。逆らうと、たぶん、あなた殴り殺されるよ」
 俺は正直、笑うことができなかった。
「むこうの奴は、なんと言っていた?」
「お前は日本人の妻か、って」
「それで、なんと答えたの?」
「もちろん『そうよ』と答えた」その後すぐに、
「わたし、嘘つきね」と笑った。
 買ってもらったシャツが嬉しかったのか、それとも、俺とこういう会話ができるのが嬉しいのか、プサリーは楽しそうに微笑んでいた。

 日本人が経営している《SAKE NO MISE》は、バンコク在住おばさんが一人でやっていた。
 日本の飲み屋の女将さんというよりは、置屋のやり手ばばあを連想させる、気の強そうなおばさんだった。
 遅くまで店が経営しているせいか、慢性の睡眠不足といった隈のある顔には、牛乳瓶の底みたいな眼鏡を掛けていた。
 高カロリーの食事が作り出した巨体は、近づいてくるだけで温度が二~三度は一気に上がるみたいに、えらく暑苦しい。
「おばちゃん、日本人?」
 俺は聞いてみた。
 牛乳瓶の底の中にある大きな目玉が俺とプサリーを見比べて、
「あんたこそ、タイ人じゃないの」と逆に聞かれた。
 ガイドブックには料理は美味いと書いてあった。でも、この調子じゃ、上等な接客は期待できそうにない。
 日本の小料理屋みたいな店で、カウンターと座敷が二つだけの、小さな居酒屋だった。
 日本と最も大きく違うのは、どこの店にも置いてある仏陀の置物が、招き猫と一緒に並んで飾ってあることだ。
「お客さん、観光で来たのではないみたいだね」
 俺の顔を覗くように見て、おばさんが訊いた。
「ムエタイに挑戦するために来たんだよ」
 さっきの従業員といい、この店のおばさんといい、今日は随分と日本語がしゃべれる日だなと感じた。
「ご苦労なことだね。そちらのお嬢さんは、彼女かい?」
 プサリーを見ながら、呟くように聞いてきた。
 その質問には答えず、俺はビールを注文した。シンハーではなく、キリンだ。
「乾杯はなんて言うの?」
「チョンゲウ。でも、最近は『チァーズ』のほうが多いかなぁ」
 プサリーは少しだけ、悲しそうな表情を見せた。
 パタヤの仕事を思い出したかのように、話を中断した。
「外人のお客さんがいるから?」
 俺は、うっかり言ってから「しまった」と思った。仕事の話には触れられたくないだろう。
 俺は急いで、ごまかすようにビールを注いだグラスを掲げた。
 プサリーと仰々しく乾杯をしたあと、俺は再び改めて考えた。
 この娘と俺の関係は何なのだろう? 金銭的な交渉なしで肉体関係がある以上、恋人であることは間違いない。
 友人以上恋人未満?
 しかし、その関係は、俺が帰国すれば終わるのも確実だ。

 プサリーはまた、少し変な咳をしていた。
 夜になると、必ず咳が出始める。
「プサリー。きみの病気は、何なんだ?」
 注文した枝豆をつまみながら、訊いてみた。
「かーぜ」
 笑顔を返しながら答える。声には「心配しないで」という暗黙のニュアンスが含まれていた。
 俺はさらに突っこんで訊いてみた。
「そんなはず、ないだろう。病院には、行ったのか?」
 プサリーは強くかぶりを振り、泣きたくなるような笑顔で言った。
「大丈夫、大丈夫、この風邪、移りません」
 顔色や咳から考えても呼吸器系の疾患であろう。
(たぶん、かなり重症な病に罹っている)
 俺はチエンマイから帰ってきたら、プサリーを病院に連れて行こうと思った。
 たいして金もないが、日本に帰ってまた、しっかり稼げばいい。今、持っている金は、チェンマイとプサリーに、すべて使おう。それが唯一の罪滅ぼしだ。
「おばちゃん、ビール、それとカッパ巻を作って」と俺は注文した。
 久しぶりに見る日本料理の中で一番食べたかったのは、カッパ巻きだった。
 プサリーは少し赤くなった顔で「さしみ」を注文した。
「明日からチエンマイに行くけれど、一緒に行ってくれるか?」
 プサリーは即答で「はい」と言った。
 想像はしていたが、何かプロポーズをされたようなくらい嬉しそうにプサリーが答えたので、少し困惑した。
 でも、その返事が「はぁーい」と聞こえて、なぜかプサリーが、とても愛おしく思えた。
「やはり、ノーイの家に行くのですか?」
「弟が死んだらしい。真相を確かめたい」
 真相と聞いてプサリーは首をひねった。
「しんそう……って、なに?」
 そこで俺は説明した。「本当のこと」だと。
 プサリーは、慌てて否定した。
「本当のこと、あなた、本当に悪くないです」
 やはり、プサリーは何かを隠している。チェンマイに行くことが、単なる予定から強い決意に変わった。
「ともかく、道案内は、よろしく頼むね」
 プサリーはビールが入った目の前のグラスを飲み干した。
 眼の周りが、ほんのり赤くなってきている。
 カッパ巻きと、刺身が来た。
 これでも手で巻いたのかと思える太すぎるカッパ巻きは良いとして、プサリーの頼んだ刺身は、赤青黄色の不思議な色をしている。たぶん熱帯魚の刺身だ。
 プサリーに巻物を勧める。一口食べて目に皺を寄せて固く閉じた。わさびが効いていたらしい。
 プサリーが何とか飲み込んで言った。
「鼻、痛い、これ日本の辛子ですか?」
「わさびと言うんだ、日本の寿司には欠かせないスパイスだよ」
 笑いながら刺身を食べてみる。
 えらく不味い。口の中に生臭さとネバネバ感が残る。
「なんだ、これ? まったく味がないなぁ」
 タイ人は本当にこんな物を喰っているのか。
 俺は、吐き出すわけにもいかず、我慢して飲み込んだ。
 綺麗な色をした熱帯魚の刺身は、生暖かい海水の味がした。

 第七章 一九八四年二月二十六日


 プサリーとチェンマイに行くと決めた翌日、俺は早めに起床して、準備に取りかかった。
 とにかく日本系列の銀行に行き、現金を下ろさなければならない。
 クレジットカードもあるが、田舎に行ったら、使えないかもしれない。
 プサリーと一緒に簡単な旅行支度をして、朝から街に出た。
 腕時計を見ると、午前七時を少し回ったところだった。
 早くもラーマ四世通りは渋滞が始まっており、排気ガスと咽せ返るような熱さが執拗にまとわりついてきた。
 シーロム・ロードを歩きながらコーヒーの飲める店を探した。
 高速道路のような橋桁が作られていた。シーロム通りから、ドンムアン空港を結ぶ建設中のモノレールである。
 左右にはアンティーク製品等の土産物店やシーフード、タイフードのレストランがある。
 タニヤロードを右手に見ながらコンベント・ロードを曲がると、築百年にもなるというセントラル・プラザのビルが建っている。
 薄いクリーム色をした小さなお城のようだった。
 プサリーが指さしながらガイドしてくれた。
「この、お洒落なお屋敷は、西暦一九〇七年ころ建てられたそうです。最初のお屋敷のオーナーは、プラヤー・アタラートゥラシンという貴族でした。現在のお屋敷の持ち主は、サンスルーン・クライチッティ教授で、プラヤーのお孫さんにあたるそうです」
 話を聞きながら「この子は何でこんな知識があるのに、娼婦なんかやっているのか?」と疑問に感じた。観光ガイドなんかの道は、ないものだろうか。
 入口でコーヒーを二つ注文して、ホテルのロビーに置かれている応接セットのような椅子に腰掛ける。
 天井を見上げると、シャンデリアが飾ってある。昔、この家の持ち主のだった人がこの場所で貴族気分でくつろいでいたであろう姿が、ふっと思い浮かんだ。
 椅子に腰掛けると、プサリーがノーイに関して調べたことを話し出した。
 ノーイは四人兄弟の長男だった。下には二つずつ離れた妹、そして一番下に、まだ三歳の弟がいた。
「ムエタイ・ジムの人の話では、あなたと戦って勝ったら、ラジャのリングに上げてやると言われたらしいです」
 地方から出て来たムエタイ戦士にとって、ラジャダムーンやルンピニー・スタジアムに上がることは、一つの夢である。
 そういう意味では、ノーイも俺も夢を果たすために試合ったことになる。そして、夢を果たせずに死んだ……。
「俺と同じだなぁ。負けたらどうなると言われていたの?」
 ノーイが死を賭して戦ったバックボーンが知りたかった。
「二度とムエタイのリングには上がれないと脅かされていました」
 悲しい眼をして、プサリーが言う。
 ノーイのロープを掴んで離さない悲愴な姿が、俺の脳裏に浮かんだ。
 地方で稼ぎを待つ家族のために、死んでも倒れられなかった、十三歳のムエタイ戦士。それを知らず、死んでも倒してやろうとした異国の武道家。
 考えていたら、締め付けられたように胸が苦しくなり、少し吐き気もした。

 プサリーはポケットから出したメモ用紙に記載されていることを、さらに話す。
「ノーイは、三歳からムエタイをやっています。小さいときは、村のお祭りとか催し物の試合に出て、お小遣いを稼いでいたそうです」
 少年時代から運動神経がよくて、学がなければ、ムエタイしか稼ぐ道がない――そう聞こえた。
 薄く、味のしないコーヒーを飲みながら、俺は聞いた。
「こっち(バンコク)に来てからは、どれぐらい試合をしていたの?」
 険しい顔をしたプサリーが続けた。
「ほとんど毎日、試合をしていました。リングだけでなく、バービア(ビアガーデン)やゴーゴーバーでも、試合をさせられていたみたいです」
 刑事が調べたことを告げるように、プサリーは話してくれた。
「ゴーゴーバー?」
 自分のパタヤでの八百長試合が重なる。バービアのショーの一部としての試合。
 命を賭けて戦うノーイの顔が浮かび、哀れに思えた。
 メインスタジアムに行きたくて一週間に一回ぐらい試合をしていた俺でも、最近は頭痛や吐き気、耳鳴りがひどくなっている。
 まだ、十三歳の少年が毎日、殴り合いをしていれば、蓄積疲労も半端じゃない。今回のような悲劇が起こるのは、十分に予測できたことだった。
 しょせん売春婦とボクサーは、同じ使い捨ての肉体労働者なのか。
 俺は、戦いの意味を考え直さなければいけないと思った。
 しかし、いくら考えても、最早ノーイは帰ってこない。
 俺は、現実に何をすれば良いのか、という話に戻した。
「プサリー。お香典に幾ら持って行けばいいと思う?」
 判らないという顔でプサリーが聞き返した。
「お香典、なに?」
 プサリーは初めて聞いた言葉に、慌てて辞書をバッグから出した。
「お見舞いのお金のことだよ」
 判りやすく喩えて言ってみた。すると、満面の笑みをたたえて、プサリーが答えた。
「お見舞いは、お花がいいと思います」
「そうじゃなくて、慰謝料って、分かる? ごめんなさいの気持ちを込めて、お金を持って行くの」
「……?」
 プサリーは首をちょこんと倒し、眼をパチパチさせている。いよいよ意味が判らないらしい。
「たとえば、プサリーが俺の子供を妊娠したとするだろう」
 プサリーが顔を赤らめた、少し嬉しそうだった。
「でも、生ませても育てるのが難しいと考えて、堕ろしてくれと頼む。そのときに、精神的、肉体的に傷つけてしまった、申し訳ないという意味で添えるのが、慰謝料だ」
 プサリーは、慌てて否定する。
「私、子供、堕ろしません」
 満面に怒った表情をさせて抗議してきた。
「そうじゃなくて、たとえ話だよ」
 プサリーは怒ったように言い返してきた。
「お金を払えば、何をしてもいいのですか?」
「だから、そうじゃなくて……」
 売春婦にお金があれば何してもいいのかと聞かれて、俺は返す言葉が見つからなかった。
 と同時に、あまりに喩えが極端すぎて、話の方向性が見えなくなってしまったと痛切に思う。
「ともかく俺は、タイの平均収入が知りたいんだ」
 話をはぐらかすつもりで、俺は言った。
 少し目をつむり、何秒か考えて、プサリーが答えた。
「普通の人、一ヶ月の収入は、二千バーツぐらいです」
 俺は一瞬、聞き間違えたのではないかと思った。
「えっ? 二千バーツって、それで、どうやって暮らすんだ?」
 タイに来て日本人の好む食材をいつも買ってきた俺は、特別に安いとは思わなかった。
 いや、むしろ観行客には日本並みの金額を取っているのではないか、宿泊、食事、もちろんオプショナル・ツアーなんか、ほとんど他の国の観光と変わらない。
 俺は慣れたことだが、あらためて計算した。
 一バーツ=三円の換算比率で、二千バーツは六千円。
 子供でもできる単純な計算だ。
「日本だったら、アルバイト一日で稼げる金額だぞ」
 プサリーは困った顔をしている。
「日本みんな、お金持ち。だからタイの人、日本に憧れます」
 言い訳がましく説明するプサリーは、タイの現状を話した。
「バンコクに来る人、みんなお金を稼ぎに来る人です。でも、地方の人、学校に行ってません。みんな、安いお金で働きます」
「中には、お金持ちもいるんだろう?」
「お金を持っているのは、中国人か、日本人のビジネスマンです」
「地方では農業とか、やっていないの?」
「チェンマイの田舎、仕事ありません。みんな、バンコク来ます。だから田舎、仕事とっても少ない。あっても、月二千バーツから、三千バーツです」
 プサリーの話を聞いて、俺は少し安心した。
 ならば香典に一万バーツでも置いてくれば、納得するだろう。
 日本円にすれば、たかが三万円だ。

 歴史を感じさせる喫茶店から出て、シーロム・ロードを南下する。
 広大なルンピニー公園付近からチャオプラヤー河畔を結ぶ大通りが、シーロム通り。この通りは、バンコクのビジネス街の中心として、またチャオプラヤー川沿いに並ぶ超高級ホテルの宿泊者が散策する街として栄えている。
 右手にクリスチャン病院が見えた。こちらは灰色の目立たないビルで、まるで日本の老朽化した公団住宅みたいだ。
 なにげなく、プサリーに聞いてみる。
「プサリー、身体の具合は、どうなの?」
 瞬間的にプサリーは目線を下げ、うつむいた。
「たまに、咳をすると、喉から血が出ます」
 たぶん喉ではない。そこでまたプサリーは、いつもの笑顔に戻った。
 俺は、プサリーの目を見ながら言った。
「帰ってきたら、病院に行こうね」
「わたしの身体、大丈夫です、それより……」
 また、うつむいてしまった。
「それより?」
「あなたの心が壊れるのが心配です」
 伏し目がちなプサリーの悲しい表情は、昨日アンリー・デュナン・ロードの寺院で参拝時に見た仏像のようだった。
「心が壊れる?」
 戦いの中で心が折れると思ったことは、何度もあった。だが、心が壊れると言われて、プサリーの深刻な思いが伝わった。
「あなたの心の中にいるわたしが壊れてしまうのが一番の心配です」
 これ以上、話し続けると、プサリーの心を壊しそうに思えた。最後の言葉は、バイクタクシーの騒音に消されて聞こえなかった振りをした。
 バンコクの渋滞が始まろうとしている。
 病院を越えて、すぐ左手に《バンコク銀行本店》があった。
 一見してガラス張りの外から店内が見えるのは、セキュリティの関係だろうか。
 日本の銀行とは違い、一階建ての、まるで郵便局のような建物だった。
 入口に紺色の制服を着た、気の弱そうな警備員が立っている。
 まだ午前中ということもあり、客は行内には、ほとんど見当たらない。
 俺とプサリーが入口を通ると、プサリーの全身を上から下まで舐めるように見ていた。
「銀行というより、まるで両替所と言ったところだな」
 プサリーに感想を言うと、少しだけ微笑んだ。
 カウンターで関係書類を記入して、通帳と一緒に提出する。
 日本人スタッフがいなかったので、プサリーに聞きながら、手続きを済ませることにした。
「この書類に、下ろす金額を書き込みたいんだけど、いくら入っているか、調べてくれるか」
 プサリーは俺から書類を受け取って、通帳と一緒に窓口へ提出した。
 銀行員は全員、白いワイシャツに紺のズボンか、スカートを履いている。
 カウンターの女の子は、色が黒く、猿顔のタイ人だった。
 タイ語の会話のやりとりがあり、金額を書いた紙を持ってきた。
 五万六千B。タイに来て命がけで戦った十六試合の報酬。俺は、今までのファイトマネーを全額おろした。
 すると、プサリーが口元を押さえて、また少し辛そうに、ごほごほ咳をし始めた。
 この状況では、プサリーを病院に連れて行くのが先ではないかと思った。
 だが、プサリーが緊急入院などの診断になったら、ガイド役がいなくなってしまう。
 もう一日だけ、我慢してもらおう。
 俺とプサリーは飛行機でノーイの家族が住むチェンマイに向かった。

 ドンムアン空港まで奮発して、タクシーで行くことにした。
 プサリーが手を斜め下に挙げて、タクシーを止めた。
 初めに運転席側のドアを開けて、行き先を告げる。さもないと、乗り込んでから拒否される場合があるからだ。
「空港まで行けますか?」
「マイペンライ」
 運転手がくわえ煙草のまま、答えた。俺はプサリーと後ろの座席に乗り込んだ。
 見ると、天井にぐるぐると円を描き、絵や時が書いてある。まるで落書きで、俺は首を捻った。
「なんだ、この下手くそな絵は?」
「ジャーム・ロットと言って、車やバイクの安全祈願のお守りよ」
 タイランド版「成田山」ということか。
「バンコクからチェンマイまでは、どのくらい時間がかかる?」
 プサリーが俺の言葉を通訳して運転手に質問する。
「一時間ぐらいだそうです」
 バンコクから北に七百キロ。列車では十三時間、バスでも十二時間かかる。プサリーは常に列車だと言った。
「運賃はいくらぐらいか、聞いてくれ」
 プサリーが運転手に聞くと「行ったことないから判らない」と言いながらも「たぶん、二千バーツを少し出るくらいだろう」と答えた。
 朝と昼すぎ、そして夕方の一日三便しか、ドンムアン空港から飛んでいないと言われる。
「お客さん、朝の便はもう間に合わないから、午後一番、十三時の飛行機だね」
 運転手は渋滞を掻い潜りながら、プサリーに話す。
 俺は夕方からの飛行機では日帰りができないので、十三時ジャストの便でチェンマイに行きたいと思い、腕時計を見た。
 十時三十分、どんなに混んでも空港までは一時間で行くので、なんとか午後一の便には間に合いそうだ。
 そこでふと、プサリーの服装が気になった。
 ジーパンにTシャツ、足下はサンダルだ。俺はスラックスに革靴だが、上は麻のシャツ。どう見ても二人とも、お悔やみに行く格好ではない。
「プサリー、昨日のシャツは、どうした?」
「持っています」
 少し大きめなショルダーバッグを、顎で示した。
「着替えようか?」
 プサリーは驚いたように聞き返した。
「いま、ここで?」
「誰も見ていないから、大丈夫だよ」
 言ってから、運転手が聞き耳を立てているような気がした。
 プサリーはタイシルクのシャツを取り出し、着ているTシャツを脱いだ。さすが、人前で脱ぐことは慣れている。
 メロンのようなバストが飛び出してきた。バックミラーを見つめている運転手に気づいた。
 事故を起こされては敵わないので、俺は即座にプサリーの脱いだTシャツを奪い、胸元を隠す。
 オレンジ色を買ってよかった。こちらの僧は皆、オレンジだから。
 お昼少し前にドンムアン空港に到着した。
 タクシーは国際線を通過し、国内線のターミナル入口に車を止めた。
 観光客で賑わう国際線と違い、国内線は閑散としていた。
 古寺を目的にしたヨーロッパの観光客と、見るからに田舎帰りといった様子のタイ人のみ。少しは日本人がいるかなと思った俺の期待は、完全に外れた。
 クレジットカードが使えるので、航空券をカードで購入した。一人、二千百五十Bであった。
「バスだと、いくらぐらいだ?」
「ツアーで行けば、かなり安いと思います。二百八十Bぐらい」
「汽車は?」
「二等寝台で六百五十B、一等は乗ったことないから、分からない」
「やっぱり、飛行機は高いなぁ」
「私、飛行機、初めて乗ります、お父さん、お母さんの世代の人、乗ったことない人ばかりです」
 初めて飛行機に乗るプサリーは、とても緊張していた。
 タラップのところで、慌てて靴を脱いだりした。
「わたし、少し怖いです。この鉄が、空を飛ぶのですか?」
 飛行機を指さし、信じられないといった表情のプサリー。
「大丈夫、落ちそうになったら、一緒に逃げてあげるから」
「本当ですか」
「嘘だよ。無理だ」
 俺の言葉に怒ったような反応をするプサリーを、つい可愛いと思ってしまった。
 飛行機は、日本でかつて山陰辺りを飛んでいたFSというプロペラ機であった。
 翼の横の席だったため、プロペラの凄い音がし、プサリーは顔面蒼白になってしまった。
 添乗員は男性で、プロレスラーのような身体をしていた。
 やはり、タイ人とヨーロッパ関係の観光客が多い。
 大型トラックに羽を付けたような雰囲気の飛行機は、五十席ぐらいの収容人数で、チェンマイに向かって飛び立った。
 席をリクライニングにしようとしたら、壊れていて動かなかった。
 午後一便の飛行機に乗れば、十四時にはチェンマイ国際空港に着く。窓を見つめているプサリーに話しかけた。
「故郷に帰るのは何年ぶり?」
 プサリーは、手の指を折りながら考える。
「六年ぶり……」
 何か言いたそうな素振りだ。
「実家の人たちは、元気なの?」
「お母さん、死んだ」
 プサリーにも悲しい思い出しかないのだろう。あまり、多くは語りたがらなかった。
 飛行機が上昇し、少しウトウトしたら、早くも眼下にチェンマイの街が見えた。一面に畑と緑が続いている。
 四角く囲われたお堀は、ランナー王国の城塞跡であろうか。
 プロペラの音が気にならなくなった頃、大きな衝撃音と共に、飛行機はチェンマイ国際空港に到着した。
 着陸して辺りを見回したが、管制塔らしき物も見えない。
 瓢箪のような形をした池があり、ピンク色の建物が周りを囲っていた。
 六角形の亀の甲羅のような格好の建物が見えた。どうやら、これが国際空港らしい。
 滑走路はところどころ、緑の雑草が顔を出していた。これでも国際空港なのか。国際ド田舎空港……。

 空港ロビーを抜ける。バンコクにいるより一段と湿気が多くなった気がする。
 赤と白の囲いがしてある、庭のような植木が、空港前に置かれていた。赤と白が蛇のようで、おかしかった。
「北方のバラ」「タイの京都」とも称されるチェンマイは、タイの首都バンコクから北に七百キロ、海抜三一〇メートルにある盆地に位置するためか、涼しい日が多い。
 遷都七百年を超える旧ランナー王国の首都で、タイ有数の古都、観光都市だとガイドブックに載っている。
 面積は二万平方キロメートル程度。日本の四国と同じくらいの広さだ。
 チェンマイ市の人口は二十五万人程度、又、チェンマイ県全体では百五十万人ぐらいだという。
 よく「タイ第二の都市」と紹介されることがあるが、人口から言えばチェンマイ市は、第四、第五の都市という位置づけになる。
「サナーム・ビン通りまで歩いて行こうか」
「ここで待っていれば、ソンテオが来ます。安いし、速い」
 ソンテオとは、荷台に人を乗せるタクシーだった。
 プサリーはチェンマイ出身なので、パーヤップに書いてもらった住所を辿れば、間違いようがない。
 初めての土地だが、少し安心した。
「電車は、ここからどれくらい」
「すぐだと思います。五キロぐらい」
 日本の長さを示すキロという話を聞いて、この子は本当はすごく頭が良いのではと、再び改めて思った。
 マヒドン通りを南下して市街を抜ける。
 左右に大きな木がたくさん植わっている、市内ならともかく、一歩でも中に入れば、田舎の長閑な雰囲気が流れていた。
 一面に緑で覆われた農業地帯であるサンカムペーン通りを一直線に走り、ノーイの実家があるトンパオという村に着いた。
 緑色のジャングルという雰囲気の中に、珍しい木を見つけた、日本の桜にそっくりだった。
「プサリー。あの木は、桜か?」
「ヒマラヤ桜の種類で、タイの桜。ナーンパヤ・スアクローンと言います。タイ北部だけに咲くお花です。私も大好き」
 タイの桜を見上げながら説明をしてくれた。
「日本は、まだまだ寒いから、咲いていないよ。自然があって、良いところだな。来て良かった」
 プサリーは俺に顔を向けたが、またすぐに景色に見入ってしまった。
 自分が出て来た当時とだいぶ様子が変わっているのか、珍しい物を見るような感じで、しげしげと観察している。
 あるいは自分がバンコクに出て来たときのことを思い出し、感傷に耽っているのかも知れないが。
「プサリーの家も、この辺り?」
「わたしの家、もっとずーと田舎です」
 恥ずかしそうな表情で、プサリーは小さく首を振った。
 ソンテオを降りてしばらく歩いた。十五分ぐらいで、村の入口になるゲートがあった。
 レンガ作りのゲートは、沖縄の守礼の門に似ていた。だが、高さがかなりあり、目測で六メートルはあった。
 観光用に、馬車やトロリーバスまで走っている。
 歳を取った馬が、よぼよぼ荷台を引き、それに観光客を乗せて、ゆっくり村を散策する。何とも気の長い観光だ。
 畑と田んぼしかない村だと思っていたが、意外にも広告の看板が立ち並び、コーラの自動販売機まであった。
 畑と並ぶ家々の軒下には、一メートル四方の青色の紙がたくさん干してあった。
「あれは、和紙みたいだけれど、何かな?」
 自慢できることを見つけたように、プサリーが説明を始めた。
「村の名産で、グラダート・サーといわれる、良質の手漉き紙です」
 俺は首を捻った。
「手漉き紙?」
「はい、この村の名産です。グラダートというのは紙で、サーは原料の梶の木のことです」
「何に使うの」
「お寺に飾る旗や灯籠、または、お経を写す紙や、ロウソクの芯とかにも使います。最近では、手漉き紙で作った紙袋が好評で、おみやげに喜ばれています」
「そういえば、お経が書かれている教典は、みんな和紙風の手漉き紙だもんなぁ」
 俺は、桜といい、和紙そっくりの手漉き紙といい、日本との共通点を見たようだった。タイから日本に伝わったのか、それとも、日本からタイに伝わったのだろうか。
 村に入ると、さすがに家の数が激小する。
 広大な畑のあいだに、ほんの少しだけ、ぽつんぽつんと建っている。
 ノーイの実家は、村の外れに建っていた。


 第八章


 土間のような更地に、庇のような屋根が架かっている。
 広さ一間ほどの土間に石臼やいろんな土鍋が置いてある、平屋の、鰻の寝床のように細長い小屋だった。
「たぶん、ここだと思います」
 プサリーが手にしたメモを見ながら言った。俺は眼を見開き、驚愕した。
「こ、ここに、本当に人が住んでいるのか?」
 まるで馬小屋のような印象を与えるノーイの家は、玄関もなかった。開けっ放しのドアは木製で、しかも腐りかけていた。
 屋根はトタン張り。壁も木製の継ぎ接ぎ。日曜大工で作った犬小屋と、ほとんど変わりがなかった。
「プサリー。先に行って、様子を見てきてくれ」
 ここに来て、俺は急にノーイの両親に会うことを躊躇った。
 やはり、入ることをためらっているプサリーに頼んだ。
 おずおずと庇をくぐり、プサリーが中に向かって声を掛ける。
「サワディカップ」(こんにちわ)
 プサリーが声を掛けながら入口を通り、中に進む。
「コートー」(すみません)
 後に続いて俺が一歩、屋内に入ると、暗くじめじめした玄関にボロボロのサンダルが置いてあった。
 細長い入り口は中に進むほど暗くなり、竹細工の籠や金属製の使い古した鍋が置いてある以外、なにもない。
 自分で打ち付けた棚の上に、曼荼羅が貼り付けてある。
 その隣にノーイの写真。四つ切り銀縁の額に入ったノーイの遺影は、キック・トランクスを穿き、首から花飾りを掛けていた。その前に、線香が木製の香炉に一本だけ焚かれていた。
 俺は写真に向かって、心の中で呼びかけていた。
「ノーイ。お前、本当に死んじゃたんだなぁ」
 プサリーが靴を脱いで土間から部屋に入り、中にいる人に事情を説明した。
 何事かタイ語で囁く声が、奥の部屋から土間まで聞こえる。
 僅かな時間が、数十分にも感じられた。
 しばらくすると、痩せて年老いた女性が入口に来て、中に入れと手招きをした。
 ノーイの祖母だろうか。顔は皺だらけで、汚い垢に染まったタンクトップのシャツは、ヨレヨレであった。
「中に入ってくださいと言っています」
 土間に顔を出したプサリーが神妙な顔をし、小さな声で告げた。

 スニーカーを脱いで、プサリーと一緒に中に入る。
 狭く、息苦しい部屋だった。湿気が多いせいか、カビ臭い悪臭が漂っていた。
 六畳間ほどの広さに、昔、日本の家庭に置いてあるような卓袱台テーブルが置かれている。
 まだ、日が高いというのに、部屋の中は気味が悪いほど暗く、静かだった。
 部屋に色の浅黒い、痩せた初老の男が入ってきた。
 使い古されてよれよれになったワイシャツを、バミューダ・パンツのような七分のズボンに入れていた。
 髪には白いものが混ざり、眼に力がなく、疲れ切った顔をしている。細い顔の表情で、直感的に父親だと思った。
 ノーイの父親は、俺を見ると一瞬、睨みつけた。
 だが、眼が合うと下を向き、うつむいた。
 男に続いて、さらにくたびれた中年の女性が入ってきた。
 やはり、薄い生地のモスグリーンの七分ズボンに、草柄模様の長いシャツを着ていた。
 こちらは初めから俺とは眼を合わせようとしない。落ち着かず部屋の中をオロオロ動き回っている。
 隣の部屋を見ると、同じような顔をした二人の姉妹が憎悪の感情を丸出しに、こちらを覗いている。
 一人は十歳前後だろうか、髪を束ねて赤と黒のラインが入った民族衣装のようなものを着ていた。
 もう一人は、さらに幼い。まだ五~六歳であろうか。クリーム色をした麻のシャツを着て、布を巻いただけのスカートを穿いていた。
 ここは、間違いなく俺が殴り殺したノーイの実家だった。
 俺は一大決心で、プサリーに囁いた。
「俺が息子を殺した対戦相手だと伝えてくれ」
 プサリーは、しばらく考えて、
「事故で死んだ時の対戦相手だと言います」と答えた。
 俺を指さし、身振り手振りで、懸命にプサリーは相手に伝える。
 雰囲気で分かったのか、二人の妹が同時に、更に激しい敵意のこもった眼で、俺を睨み付けた。
 両親はゆっくりとプサリーの話に頷くと、二人で近くに寄ってきた。
 俺は殴られるぐらいの覚悟はできていた。その程度で両親の気が済むのなら、何度でも叩かれようと思っていた。

 しかし、そこで両親の取った態度は、俺の予想を完全に裏切った。
 母親が手を胸の前で合わせてワイをしながら頭を下げる。
 すぐに父親も同じようにした。父親が何かを、ぼそぼそと話す。
「わざわざ、来てくれて、ありがとうと言っています」
 プサリーのタイ語は、ほとんど分からない。でも、この時ばかりは、さすがに雰囲気で分かった。
 俺は通じないと思いながらも手を合わせて「コートート(ごめんなさい)」を繰り返した。
 タイに来るときは、「リングで死ねれば本望だ」などと言っていた俺だったが、ノーイの両親の態度を見たら、残される者の悲しさを身に積まされた。
「俺は……あなたがたの大切な……子供を殺しました。許してください」
 どういう心境なのか、自分でも全然わからなかった。ともかく、ノーイの父と母に謝りたかった。
 俺は、その場で土下座をした。
「本当に……本当に……申し訳ない。ノーイ君の分まで頑張って戦い続けますから、許してください」
 プサリーが眼に涙を浮かべて、俺の言葉を通訳する。
 俺は何度も何度も土間に頭を擦りつけて、謝り続けた。
 両親が首を振りながら俺の言葉を否定する。何事か、慌ててプサリーに語りかける。
 プサリーが困った顔で、伝える言葉を探している。
「いいんだ、いいんだ、息子は良く戦った」と言っているように、俺には聞こえた。
 プサリーが「お詫びのお金を持ってきた」と伝えた。
 茶封筒に入れた一万バーツを父親に渡す。
 父親はまた、手を合わせて、茶封筒のバーツ札を受け取った。
 親が金を受け取っている姿を見て、居たたまれなくなったのだろうか、そそくさと妹たちは外に出て行ってしまった。
 俺は思った。俺が終わらせたんだ。
 親元を離れ、家族を支え、毎日死ぬほど苦労をしていた一人の少年の人生を……。
 こんな金を渡したところで、この家族が救われるとは思えない。
 ノーイが死んだことよりも、お金を渡すぐらいしか償いができない自分が悲しかった。
 香典を渡してしまうと、もう会話もできず、静まりかえった間が空いてしまう。
 時間が止まってしまったみたいだ。

 やがてノーイの父親が、何事かプサリーに囁いた。
「クンポー(父)が、ノーイのお墓に行こうと言っています」
 プサリーがノーイの父と母から、なにやら説明を受けながら言う。
「お墓は近所にあるらしいです」
 俺は「行かせてください」と答えた。
 ノーイの父がお線香とロウソクを掴んで、ビニール袋に入れた。
 小屋を出て、裏口の細い路地を歩き抜いていく。
 暑い日差しが直接ぎらぎらと当たって、どーっと汗が噴き出てくる。
 もうすぐ夕方だというのに、湿気の多い蒸し暑さは、少しも変わらない。
 緑の木々が道の左右を囲んでいる。
 道の端に、ちょっとお地蔵さんを思わせる仏陀が並んで置かれている。
 腕のない仏像。首のない仏像。
 苔だらけになっているものもあれば、綺麗な布で覆われているものあった。
 たまにタイの桜が風に吹かれて、さーっと吹雪のように花を纏めて散らす。
 散る桜を見て、霧のように心を溺らせる悲しみが襲ってきた。
 カラカラに乾いた細い畔道を歩いて数分のところに、ノーイの墓は建てられていた。
 密林から繋がる山の一部に、こんもりと土の山が盛り上がり、細い棒のような墓が二本だけ建てられていた。
 試合中の事故で死んだと言われ、遺体で故郷に帰ってきた十三歳のムエタイ戦士ノーイの墓は、右側だった。
 すぐに右だと分かったのは、墓標に血で固まった青色のボクシング・グローブが懸かっていたからだ。
 この土の下に、ついこの前、俺がリングで戦った少年戦士が埋まっている……。
「ノーイ。君は、本当に夢を叶えたのか」
 俺は声にならない言葉を吐き出した。
「プサリー。ここに土葬で埋めてあるのか?」
 プサリーがまた両親に確認して答えた。
「そうです。タイの田舎、特に山岳民族では、ほとんど土葬です」
 しばらく立ち尽くした俺は、墓の前で正座をした。
「俺が君の……人生を終わらせた」
 手を合わせ、眼を瞑り、心の中で念じた。
「君の分まで……一生懸命、戦い続けるから、許してくれ」
 不覚にも、目の前が涙でぼやけて、墓が見えなくなる。
「どうか、安らかに眠ってください」と祈るしか、俺には道がなかった。
 とてもその場で訊く気になれなかったが、隣の少し小さな墓は、弟のものだろう。
 俺が日本から来てこの子の兄と戦わなかったら、この子に果たして未来はあったのだろうか。

 ふっと気づくと、少数民族の子供たちが花を売りに来ていた。
 赤と黒の衣装に茶色い帽子を乗せている。
「この子たちは、天国からの使いです」
 子供たちを見つめながら、プサリーが囁くように説明した。
「花を摘み、亡くなった仏様に捧げるため、売ったお金は寺院にすべて寄付をするのです」
 プサリーも絹のハンカチで涙を拭う。 
 子供たちと一緒にいる老婆は、籠に二羽の雀を隠していた。
「この地方に語り継がれる葬儀で行う儀式です」
 鼻をすすりながら、プサリーが続けた。
「お婆ちゃんに供養をすると、雀を逃がします。そうすると、亡くなった故人が善なる行為をしたことになるのです」
 俺は背中に担いだディバックからバーツ札を取り出した。
 花を買い、墓に捧げ、二羽の雀を逃がしたとき、父親が何かをプサリーに聞いてきた。
「何と言っているんだ?」
 プサリーに問いただす。
 辞書を開いて、指を差した。「俺の」「息子は」「強かった……か」
 父親は眼に涙を溜めてタイ語で言った。
「日本のチャンピオン、頼むから、最後に『息子は強かった』と言ってくれ」

 ノーイの実家からの帰り道、話す言葉も見つからず、俺はプサリーと、メインストリートまで無言で歩いた。
 日差しは、かなり少なくなった。早足で歩いても、そんなに熱くない。
 周囲の景色は素通りするばかりで、頭の中に入らなかった。俺の頭にあるのは、今さっき見たばかりのノーイの墓と、もう一つの小さな墓のことだけだった
「プサリー。まだ時間があるから、少し周りの寺を見ていこう」
 隣を歩くプサリーが、静かにうなずく。
 こんな気分で観光をする気にはなれなかった。でも、ここは見るところと言ったら、せいぜい寺ぐらいしかない。
 チェンマイの地はある意味、心が癒された。
「それなら、旧市街のラーンナーに行きましょう」
「観光じゃなく、ノーイの供養が、できるところに行こう」
「わかりました」
 プサリーは右手を下にさげて、タクシーを拾おうとした。
 後ろから三輪自転車が、のろのろと走ってきた。タイではサムローと呼ばれている。
 ミッキーマウスの絵が描かれたTシャツを着て、ジーパンを切った半ズボンを履いた六十代の男性が、汗を流しながら漕いでいる。
 純朴な田舎じみた姿が、人通りのない雑木林の舗装されていない道に、妙に似合っていた。
「プサリー」
「はい」
「あれにしよう」
 三輪自転車を指さした。
 深夜の電車でバンコクに帰る予定ではあるが、少しでもノーイの生まれたこの地に留まり、心を整理したかった。
「着くの、夜中になりますよ」
 プサリーにしては珍らしく、ジョークを言った。
「遅かったら、俺が漕ぐ」
 俺もジョークのつもりで言ったのだが、プサリーは笑わなかった。
 サムローは木製の車体と、竹の棒でできた屋根でできている。運転手は自転車に乗るように、これを漕ぐ。
 二人が乗ると、さらに車体は遅くなった。
 発車した車体からは、キーキーとタイヤの軋む音がする。悲鳴のようだ。
 人の泣き声に聞こえて、悲しい気分になった。

 夕日が沈みかけている。
 サムローで少し走るとミルクコーヒー色をした川が流れていた。
 ぽつんぽつんと、店らしきものが見えてきた。
 コカコーラの看板や、ガソリン・スタンドのシェルの貝殻マークがどれも古ぼけてセピア色を帯びていて、まるで昭和の初期にタイムスリップしたみたいだった。
 たまに通る車やバイク、村の音と臭い、そして風景が、ゆっくり過ぎていく。
「ノーイの父親は、働いてないのかな」
 プサリーに尋ねた。
「昔は仕事してたみたいです、だけど……」
 またプサリーは、いつもの悲しい顔をしている。
「だけど?」
「今は病気で、何もしてないみたいです」
「元気そうだったけれど、どこか悪いのか」
「はい」
 辛そうな表情のプサリーを見て、俺は聞いたことを後悔した。
「エイズです」
「そうか。大変なんだなぁ」
 他人事みたいに言ったが、あの家族にしてみたら、深刻な問題だ。
 年齢的に考えても、いつ発症してもおかしくないだろう。
「小さい村ですから、エイズ感染の噂が流れたら、村八分になります」
「それで、仕事ができなくなったのか?」
「さぁ、わかりません。でも、今は働いてないと言いました」
「家族はどうなんだ? 感染しないのか?」
「奥さんは、しているかも知れません」
「それなら一番下の弟とかも、可能性があるんじゃないのか」
 プサリーは小さく頷いただけで、なにも答えなかった。
 それからプサリーは、自分の村で起きたエイズの事件を話してくれた。
 故郷に住み商店を経営している主人が、エイズに感染し、のちに発症してしまう。
 また、この男性の妻もエイズに感染したという。
 この夫婦の間には長女・長男・次女という順序で子供がいた。
 だが、次女が母体から感染し、エイズ・ポジティブだった。
「なんの罪もない、家族が犠牲になるなんて、とても許せない」
 プサリーは今まで見せたことのない厳しい表情で話を続ける。
 小さい村のことなので、主人のエイズが発症してからは、今まで良好だった近所付き合いは断絶し、一家は村八分状態。
 長女と長男は小学校に通っていたが、
「エイズと悪口を言われ、仲間外れにされる」
 プサリーは無念の表情でさらに言った。
「気づくと、自分の周りに友人が一人もいなくなっていた」
 この話は、ひょっとしたらプサリー自身のことなのでは? 俺は急に不安になった。
 その後、主人の病状も良くないので、長女を村に残し、一家は寺院で運営しているタイ最大のエイズ・ホスピスへ移った。
 しかし、そこも楽園ではなかった。安らかに息を引取る人以外に、病気に苦しみながら亡くなる人、自分の現状や末路に失望感しかなくなってしまい、自ら命を絶つ人などの姿を目の当たりにし、エイズ患者のより辛い現状を、一家は受け入れなければならなくなった。
 主人の死期が近づいた頃、長女も呼び寄せ、転校させた。
 間もなく主人は亡くなり、一家はまた村へ戻った。だが、やはり生活は成り立たず、長女を置いて村を出た。
 長男と次女はホスピス近くの孤児院に預けられ、母親はバンコクへ働きに出たという。
 その後、母は発疹が出て(エイズ発症?)仕事を辞め、以来、すっかり行方がわからなくなってしまい、一家離散の状況になった……。

「なぜ感染したの?」
 という俺の疑問に、プサリーは怒りを込めて言った。
「エイズの原因は売春です。でも、高級な売春婦しか買ってないと言っていました。『エイズに感染したことも自分の人生だ』と」
「奥さんは、なんて言っていたの」
「買春でエイズに感染し、家族を不幸にしたので、夫を恨んでますと言いました」
 この話はやはりプサリー自身の家族か、近しい知り合いのものだと確信した。
 真剣な顔で話を続けるプサリー。
「私が見た、ホスピス寺院の敷地内には、四つの火葬場がありました。荼毘に付された遺骨は白い布袋に収められ、仏像の前にうずたかく積み重ねられていました。彼らは仏様の懐の中で安らかに眠っているのでしょうか……。心身の苦しみから解放されたなら、良かったと思います」
 俺は思った。一方で彼らの残された家族はどうかと考えると、安易には言葉が出ない。とても胸が痛んだ。
「タイでは、エイズ感染者が百万人を超え、様々な団体がエイズ患者を支援しています」
「それでも感染者は、増える一方なんだな」
「エイズに感染・発症することは、本人だけの苦しみだけではなく、その家族にも悲劇が及ぶことも忘れてはいけないのです」
 俺は探るように言ってみた。
「また、その家族が今後もエイズとどう向き合っていくかということもね」
「……」
 口を噤んで横を向いたプサリーが心配になり、その視線を探した。
 沈みかけた夕日の光がプサリーの横顔を照らす。眼に溜まった涙が光に反射して光っていた。
 いずれにしても、ノーイの収入が家族を支えていたのだと思った。
 さっき見た不安そうな表情をした二人の妹の顔を思い浮かべて、俺も涙がこぼれそうだった。

 チェンマイ市街からタクシーに乗り、ウィアン・クム・カムという遺跡を訪ねた。
「チェンマイには、たくさんのお寺があります、だから全部を回るのは無理。もし良かったら、さっきノーイのお父さんが話してくれたお寺に行きますか?」
 空港で手に入れたポケット地図を見ながら、プサリーが提案する。
 どうやら、そこにノーイという名の寺院があるらしい。
「ノーイのお父さんが、そのそばの生まれなんです」
「遺跡があるところに人なんか住んでいるんだ}
「タイでは観光が一番の仕事だから……観光地には、必ず商売をする人たちの生活があります」
「露天商の子供だったのかな?」
「さぁ、どうでしょう。でも、ノーイの父と母は、そこで知り合ったと言っていました」
 俺はバンコクに来て初めて眼にした風景を思い出した。
 深夜の二時頃、露天商の横できたなく汚れたプラスチックの皿の山を全身丸裸で洗っている二~三歳の幼児は、この国の貧しさを象徴していた。
「タイ語でノーイは“小さい”を意味します」
 タクシーの中でプサリーが夫婦から聞いた話を少しずつ話し始めた。
「生まれたとき未熟児だったノーイは、人一倍、身体が小さかったそうです」
「もちろん、学校なんか行けなかったんだな?」
 プサリーが肯きながら続けた。
「強く元気な子に育って欲しいという夫婦の思いから、歩き始めた頃から、すぐにムエタイを始めたそうです」
「まだ、よちよち歩きの頃から、ムエタイが生活だったんだ」
日本のこども達が親に祝福されて幼稚園や保育園に入るような年で戦いを開始したノーイ、戦うことだけが唯一生きていく為の手段だった少年を考えた時、自分の戦いの目的がいかに、甘く脆弱なものだったかを、思い知らされた。
「いつしかノーイは、小さいながらチェンマイでメキメキ実力を付け、お金を稼ぐようになったそうです」
「生活が厳しく、戦って稼ぐしかなかったんだろうな」
 窓の外はまた地方の田園風景に変わっていた。
 父と母を助けたい、その思いだけで、未熟児のノーイは戦い続けた。
「もしかしたら、ノーイは戦うことなんか好きではなかったのかもしれないな」
 俺はのんびり畑で働いているおじいさんを見ながら言った。
 郊外に出ると交通量が少なくなり、荷台を付けた馬車や自転車が多くなった。
 ウィアン・クム・カム遺跡の側は露天商が数店出ているだけで、なにもない広大な土地だった。
 あの露天商の中に、ノーイの父と母がいたのだろうか?
10
 遺跡に着くと、入口に村役場のような資料館が建っているのが見えた。
 堀で囲まれた城内は、破壊された遺跡が数多く建っていた。
 お堀の周囲には、人家などがあまり見当たらない。どこも静かな雰囲気が漂っていた。
 日もすっかり落ちてきて、辺りはいっそう静けさが深まっている。
 街灯などないため、あと数分で暗くなってしまうであろう。
 あれだけ暑かったものの、乾いたシャツにもう、汗は出ないぐらい涼しい。
 資料館の入口に掲げられたタイ語の案内をプサリーが説明してくれた。
「ヴィアン・ターガーンとハリプンチャイの繁栄と没落は、十二世紀にあたる。
 マンラーイ王がハリプンチャイを征服した後、ヴィアン・ターガーンはチェンマイを防衛する街となった。
 ティローカラート王(在位一四四一~一四八七年)の治世、彼はギオの街を攻撃し、ヴィアン・プンナタカーンに住まわせるために、多くのギオの住民を捕虜として連れて来た。
 ヴィアン・ターガーンはランナー王国の街として、そしてチェンマイのプンナー(千スクエアの広さを持つ水田地区という意味)としての重要性を長い間保ち続けた。
 一五五八年、ホンサヴァディー(ビルマの都市)のブレンノーン王がチェンマイに軍隊を送り、その時以来、ヴィアン・ターガーンはビルマの支配下に置かれた。
 一七二八年、ラーンサーン王国(十四世紀、ラオスのルアンプラバーンを首都として成立した王朝)のオーンノック王が大きな力を持ち、ビルマと戦った。
 その結果、ラーンナー王国の多くの街は一七七五年から一七九八年の間荒廃した。その後、一七九六年にカーヴィラ王がバンコクからの軍隊と協力してチェンマイを襲撃し、ラムプーンとヴィアン・ターガーンを復活させた。
 これらの街には、タイヨン族が居住した……」
広大な土地の遺跡を見渡しながらプサリーの説明を聞いた。
 第一遺跡群から第五遺跡群まである中で「ワット・ノーイ」は、第一遺跡と第三遺跡の南、ヴィアン・ターガーンを囲む城壁と運河の近くに位置する遺跡だった。
 他の寺院に比べると規模が小さいことから、タイ語で“小さい”という意味を表わすノーイという名前がこの寺院につけられた。
 寺院と言っても「跡地」だけで建物は、ずっと昔に崩壊し、宝物蔵の遺跡と合わせて四角形の基壇のみが残っている。
 瓦礫と化した寺院跡は長い歴史とはなない陽炎が揺れているように見えた。
 夕焼けに照らされた寺院跡に立ち尽くし、亡くなったノーイに想いを込めてワイ{祈り}をしてみた。
 目の前の崩れた跡地に、ファイティング・ポーズを取るノーイの姿が浮かんで消えた。

 第九章


 深夜に走る寝台車でバンコクに戻るため、俺とプサリーは、空港とは反対側に位置するチェンマイ駅へとタクシーで向かおうとした。
 だが、あまりにも交通量が少ないのでメインストリートまで歩いて行くことにした。
 広大な土地の遙か向こうに夕日が沈んでいく。
 並んで歩いていたら、プサリーが急に手をつないできた。
 表情を見ようと顔を覗くと、少し恥ずかしそうに下を向いた。
 この子とあと、何回手をつなげるのだろう。
 俺の考えが伝わったのだろうか、プサリーが手をきつく握ってきた。
 その時、後ろから屋根の付いた汚い三輪自転車が、ノロノロと走ってきた。
「プサリー、あれに乗れるか?」
 プサリーが手を離して呼び止める。
「この自転車はなんて言うの?」
「サムローです。バンコクでは、シクローと言います。だけど、だんだん、なくなっていますね。今は、バイクが多いから」
「これに乗ろう」
 プサリーは微笑んで頷いた。
 運転する親父は、腹の突き出た仏像のような体型をしていた。
 白いTシャツに、チャールズ・ブロンソンの似顔絵が描かれていた。
 二人で並んで後ろの座席に座ると、すぐさま仏像親父が、何やらジェスチャーをしながら言った。
 俺は瞬時には意味がわからず、プサリーを見た。するとプサリーは、ハンドバッグの中から使い捨てカメラを出して、親父に渡した。
「写真を撮ろうと言ってます」
 そういえば、プサリーと写真を撮るのは初めてだった。
 サムローの親父がプサリーから受け取ったカメラを構えて、手をヒラヒラさせた。どうやら、笑えと言う合図らしい。
 あまりに屈託のない表情に、思わず俺は笑ってしまった。
 プサリーも笑う。
 少しだけ、ほんの少しだけ、滅入っていた気が楽になった。

 沈む夕日を見ながら、俺とプサリーは、サムローでゆっくり村を脱けていく。
 チェンマイは、標高三百メートルの高原なので、吹き抜ける風が冷たい。
 街中に残る、城壁、崩れかけた壁の数々が歴史に取り残されたような悲しさを醸し出していた。
「そういえば今日は、まともに食事をとっていなかったな」
 俺は窓の外を見ながら、唐突に思い出してプサリーに言った。
 いろんな、憂鬱なことがありすぎて、空腹を忘れていた。
「チェンマイ駅の近くで、知り合いが食堂をやっています。そこに行きますか?」
 プサリーの知り合いと聞いて一瞬ちらっと迷った。
 自分とプサリーの関係を、どのように思われるだろうか?
 そろそろ帰国を考えると、プサリーとの関係を清算しなければ、とも思う。
 だが、結局、プサリーに任せることにしてOKと答えた。
 その直後、黒く大きな牛のような動物が川に入り、雑草を食べている光景が目に入ってきた。
「おい、プサリー。あれは何だ?」
 日はだいぶ沈み、大きな木が陰になって良く見えないが、巨大な動物が動いているのはわかる。
 耳には大きな角が生えていた。
「水田で農作業をする水牛ですね」
 側で作業をする中年の男は、頭に編み傘のようなものを被っている。
 川かと思った水の流れは、どうやら畑や田圃に水を引く水田用の用水であった。
 水田に囲われた田圃の中にはタイ米の稲であろうか、同じ背の高さで、きれいに並んで草が生えていた。
「チェンマイの畑で取れたお米は、とても美味しいです」
 きれいに並んだ稲を見つめながら、プサリーが説明する。
「日本の米も美味しいよ。色んな種類がある。コシヒカリ、ひとめぼれ、あきたこまち……」
 プサリーが眼をパチクリさせながら聞いた。
「それは、いろんな形をしているの?」
「いや、作る場所によって味が違うのさ」
 果てしなく続く田園風景を見ていたら、急に日本が恋しくなってきた。
 今まで、祖国などどうでも良かった。だが、タイに来てあれこれ不愉快な出来事があって、日本は本当に良い国なのだと思わざるを得なかった。
 日本に生まれたおかげで、俺は字も読めるし、最高の教育も受けられた。
 どんなに苦しい生活を強いられても、それだけで飢えて死ぬことは、まず絶対ないと言える。
 このタイという国には、残念ながら最低の教育も生活保護という福祉もない。地方の子供たちは自分の名前も書けず、飢えて、働けなければ死ぬしかないのだった。

 メインストリートのサンカムペーン通りに出て、タクシーを拾った。
 チェンマイ市内に入ると、街の風景が突然さーっと変わる。
 大きく張り出した看板。古い屋敷のような家並み。
 慌てて町中に差し込んだような、不自然な格好の電柱。
 赤や青の原色を使ったおかしな壁。
 チェンマイの街は、都会だか田舎だか、全然わからない不思議な街だ。
 ほどなく、プサリーの知り合いがやっているという店に着いた。
 場所は、ピン川沿いのファーハーム通り。赤青白の三色に彩られた庇{ひさし}のついたお店であった。
 庇にはコカコーラのポスターが貼ってあり、重ねるように、ハイネケンの看板が取り付けられていた。
 お世辞にも、きれいとは言えない。平屋で、広さ十畳ほどの、こぢんまりとしたレストランだった。
 店の前には古いガラスのケースが並び、肉や魚を売っていた。
 中に入ると松田聖子の『赤いスイトピー』が流れていた。
「ここは通称、カオソーイ・ストリートと呼ばれています。チェンマイの名物料理《カオソーイ》を出す店が並んでいるからです」
 店に入りながら、プサリーが説明した。
「カオソーイというのは、少ない汁に浮かんだ、うどんのような食べものです。チェンマイの人の主食と言われるほど、種類が豊富なんです」
 自慢げな顔のプサリーに言ってみた。
「日本の五目蕎麦みたいなものだなぁ」
「お口に合うか分かりませんが、食べてみてください」
 店に入ると、女の子がプサリーに話しかけた。早いタイ語で、なにを言っているのか全然わからない。
 ずいぶん、なつかしいような素振りで、プサリーが、その子と話している。
 俺は何気なく、メニューを見た。値段を見て、驚いた。
 日本語でカオソーイ(そば)と書いてあり、十五Bだった。プサリーが注文をする。
 俺は少しかたむき掛けている椅子に腰を下ろした。
 水はセルフサービスらしい。テーブルの上に、水差しと薄い空色のプラスチックのコップが置いてある。
 生ぬるい水差しの水をコップに入れ、水を飲む。
 二杯目の水を差しているとき、カオソーイが運ばれてきた。
 初めて食べるカオソーイは、辛子の効いた、ちょっと棊子麺{きしめん}のような麺だった。
 プサリーは麺をすすりながら、店の女の子と話を続けている。
 時折、こちらをチラチラ見る友達の子は、まだ容貌があどけない。少女のようだった。
「なにを話している?」
「あなたとの関係を聞かれました」
「何と答えたの?」
「日本から来たヤクザの人」
 内緒話をする小さな子のような顔でプサリーが言う。
 俺は呆れかえった。ジーパンを穿いてTシャツを着たヤクザがいるか。ヤクザは、もっと金ぴかの派手派手な格好をしている。
「嘘です。付き合っていると言いました」
 少し顔を赤らめながら、それでも俺の顔をしっかり見ながらプサリーが言う。
「それも、嘘だろう」
「本当です」
 プサリーの真顔に、俺は呆れた。
「何と言っていた?」
「お幸せに」
「なんだ、それ?」
 俺は一瞬、からかわれているのかと思った。
「それと……」
「それと、なに?」
「一日いくらで、って聞かれました」
 悲しそうなプサリーの顔。声にも元気が全然ない。
 俺はその反応に、プサリーが売春婦である事実を、否応なしに思い出させられた。
 どんなに幸せな時を過ごしたとしても、それが砂上の楼閣であることを、プサリーは知っている。
 時折ふっと見せる悲しい顔や仕草、明るそうに振る舞うすべてが空しく思える。
 それは、二人の関係がもうすぐ終わることを示唆していた。

 マレー鉄道の北線の最終駅、チェンマイの駅は閑散としていて、所々に原色を使った壁があった。
 赤と青、緑に染められた建物は、おかしなオモチャのように見えて、余計、寂しさが伝わってくる。
 日本のローカル線のような線路は、草がたくさん生えていて、電車の少なさを示していた。
 待合室は吹き抜けで、屋根が付いているだけ。十席ほどの青い椅子は、横なぐりの雨に打たれているせいか、思いっきり色あせていた。
 駅の物売りのおばさんが、籠の中の果物を白いキレで磨いていた。
 おばさんが俺に掛けた声を無視して、椅子に腰掛ける。
 俺はプサリーにノーイの弟のことを聞いた。
「プサリー。弟は何で……死んだんだ?」
 表情を歪め、プサリーが思い詰めたように下を向く。
「試合でノーイが死んだと知った夜、弟のゲッサリットは、両親に殺されました」
 ようやく打ち明ける決心がついた様子で、プサリーが話し出した。
「このことを話さなければ、バンコクに帰れないと思っていました」
 ゆっくりと言葉を選びながら、プサリーが訥々と続ける。
「妹たちは殺害の現場を、寝た振りをして見ていました」
 俺は心臓が高鳴り、動悸が激しくなるのを、辛うじて押さえていた。
 なるべく表情を変えまいとも。
「夜中、妹たちが寝静まったあと、両親は先行きを案じて、一番下の弟の寝顔に、濡らした紙を乗せました」
 行くときに見たあの、蒼い手透き紙であろう。
「妹さんは、泣きながら、その時のことを話してくれました」
 プサリーが両手で顔を覆い隠して震えている。俺はプサリーが泣き止むのを待った。
 物売りのおばさんが、何を誤解したのか、俺を見つめて睨んでいた。でも、気にもならなかった。
「弟は、抵抗しなかったのか?」
「弟は起きていたんです。でも、自分がいると家族みんなが生きていけないと分かっていたから……寝た振りをして……苦しくても我慢して、死んでいったんです……」
 とうとうプサリーが、声を上げて泣き出した。
 俺は空を見上げた。いつの間にか、星がたくさん出ていた。
 鳴き声で声をしゃくり上げながら、プサリーが続ける。
「濡れた紙で口を押さえられて……それでも抵抗しないで……でも、眼から涙が溢れていた……」
 声が出なかった。上を向いていなければ、つい涙が溢れてしまう。
 改めて俺は、自分が大変なことをしてしまったと気づかされた。
「お父さんもお母さんも……泣きながら、弟の口を……押さえていたそうです」
 プサリーはその話を聞き、泣きながら妹を抱きしめたという。
「こんなことになって……ごめんね……って言いました」
 俺は聞いた瞬間、鼻を押さえた。
 目眩がする。鼻の奥がツゥーンと痛くなる。眼が涙で霞んで、プサリーが見えなくなった。
 プサリーも、きっと同じ思いをしている。プサリーの手を取って強く握りしめた。
 引き寄せ、泣いているプサリーを、俺はきつく抱きしめた。
(日本に帰ろう。このままでは、たぶんもう戦えない)
 俺は泣きながら、帰国を決意をした。

 人相の悪い男たちが、大勢の若い娘を引き連れている光景が目に入ってきた。
 柄の悪い派手なシャツを着て、エナメルの靴を磨き上げ、てかてかに光らせている。
 バンコクで働かせる売春婦を地方から買ってきた、女衒の連中だろうか。
 逃げられないための予防の考慮か、女たちの荷物は、必ず男が持っている。
 それなのに、なぜか娘たちは、明るく能転気にはしゃいでいる。
 これから始まる都会の売春生活に恐れをなすどころか「これで毎日、きちんと食事が取れて、欲しいモノが手に入る」という感じなのだろうか。
 俺は駅の中にある、キヨスクのような感じの売店に立ち寄った。
 正面だけ開いていて、横と後ろはシャッターが閉まっているボックスの中に、売り子の女の子が入っていた。
 まだ、小学生のような売り子を見ていたら、ノーイの家で会った妹を思い出して、また俺は悲しい気持ちになった。
 水とコーラを大量に仕入れた。
 これから八時間も、延々この貧弱なローカル線に揺られなければならない。
 深夜に乗って、バンコクに着くのは早朝。
 このローカル線に乗ることで、田舎に帰ることを諦めさせる夜行列車は、果てしなく寂しい乗り物だった。
 プラットホームが四つあったが、屋根付は二つだけだった。
 列車は古い、日本ならとっくに廃車になりそうな五両編成で、赤と黄色の線が入っている。
 電車に乗り込むと、乗客はまばらだった。日本の寝台車のような簡易ベットなど当然どこにも見当たらない。窮屈さを我慢して座席に横になるしか手がないらしい。
 他のホームには、一車両だけの電車が止まっていた。
 それを指差して、プサリーが説明した。
「ディーゼル機関車です。まだ、田舎のほうでは使っているみたい」
 視線を転じて外を見ると、花がたくさん植えてある。
「タイのローカル駅は、どこも、花が植えられて、綺麗にされています」
 俺はノーイの弟のゲッサリットの貧弱な墓を思い出した。あの墓にも、せめて花を植えてあげれば良かったなぁと、少し後悔した。
 ようやく電車が走り出すと、溜まっていた疲れが一気に現れた。
 俺はプサリーと向かい合わせに座った席に足を伸ばして、仮眠を摂ることにした。
 駅前のレストランでシンハービールを少し飲んだせいか、あっという間に眠り込んだらしい。
 電車の低い走行音が消えていく。
 俺はウトウトしながら夢を見た。暗闇の中から泣き声が聞こえた。
 生まれて数ヶ月の赤ん坊の「おぎゃー」という声が「お腹すいたよー」と聞こえた気がした。
 それが、いつしか少年の悲鳴に変わった。痩せ細った手が、俺の足首にしがみついていた。
「お兄ちゃん、助けて、行かないで」
 俺は泡を食って、足に絡みついた痩せ細った手を振りほどこうとした。むしゃぶりついてくる手は、見たこともないタイの幼い少年のものだった。
「お兄ちゃん、苦しいよ、助けて」
 少年の口には、べったり張り付いている蒼い手透き紙。剥がしてやろうとしたが、頑固なガムテープのように剥がれない。
 なぜか、顔が見えないのに、ゲッサリット少年だとわかった。蒼い手透き紙のせいだろう。
 きつく俺の足首を握りしめるゲッサリットの手を見ていたら、涙が眼から溢れ出した。
「許してくれ。君の大切なお兄さんを殺したのは、俺だ。許してくれ」
 夢の中なのに、涙で霞んで見えなくなった。いつの間にか、少年の手が赤ん坊のモミジのような手に変わっていた。
 俺は直感的に、今は亡き妹だと思った。
「お兄ちゃん、助けて、行かないで」と叫ぶ。まだ妹は、言葉が喋れなかった。
 俺は、自分の足にしがみついているのが、妹なのかゲッサリットなのか、全然わからなくなった。そんな夢を、バンコクに着くまでの間、延々といつ果てることもなく見続けた……。

 第十章


 一九六九年(昭和四十四年)のことだ。俺は小学五年生だった。
 家が途方もない貧乏のドン底にあることは、子供ながらに、よーく分かっていた。
 父の経営していたカーテンレールの会社が、倒産した。
 小さいながらも持ち家だった自宅は、あっさり六畳と四畳半二部屋だけの、ものすごく古いアパートに変わった。
 入口の扉を開けると、玄関も何もなく、すぐ目の前が部屋だった。
 父は精神を病み、入退院を繰り返した。母は朝早くから仕事に出て、それきり夜遅くまで帰ってこない。
 俺は長男で、弟が二人、妹が四人の、七人兄弟だった。
 生活苦に喘いでいた両親は、七人の子供を持て余し、最後に生まれた女の子の育児を放棄してしまった。
 会社を倒産させ、精神的に追い込まれていた父と母は、言葉を言わない、泣くことしかできない一番小さな命を犠牲にしたのだ。
 借金の返済に困り、街金に手を出した両親の収入は、高利貸しに返済する利子で、ほとんどが泡の如く消えた。
 子供たちを食べさせる最低の生活を強いられた時、生まれたばかりの妹に飲ませるミルク代が、初めに削られた。
 そのため、俺は学校から帰ると、一番下の妹――生後四ヶ月の真希に重湯を作ってやるのが日課になっていた。
 前の日に残った僅かばかりの残飯をぐつぐつ煮て、ドロドロになった重湯を冷まして、真希に飲ませる。
 残飯は、よーく注意して、ドロドロに溶けるまで煮込まなければいけない。
 あるとき、うっかり煮込み損ない、真希が溶けていない飯粒を喉に詰まらせて、死にそうになった。
 布団が敷きっぱなしの四畳半の部屋に、たった一つだけある押し入れ。真希の寝床は、暗い押し入れだった。
 電気も止められた暗闇の中で、どうにか手探りで、場所を探す。
 押し入れに体の半分を入れると、おしっことミルクが混ざったような臭いがした。
「うぎゃー、うぎゃー、うぎゃー、うぎゃー」
 火の着いたような、でも弱々しい泣き声が聞こえるのに、どこにも姿が見えない。
「真希、どこだ? どうしたの? お腹が、すいたのか?」
 俺は毛布の中に手を入れて、必死に真希を捜した。
 ほどなく、かなり冷たくなった、固い棒のような足に手が当たった。
 体全体を手探りで確かめた。手、足、頭――そのすべてが、骨と皮だけの痩せこけた身体。
 顔の辺りに手を持って行くと、乾いた小さな唇が、俺の指を必死で吸った。
「お腹が空いているんだね。今、重湯を飲ませてあげるからね」
 口から指を離すと、鼻でキャーと小さく泣いた。
 真希は明らかに栄養失調であった。
 ほとんど栄養のない重湯ばかりを飲まされ、日に日に痩せ細っていく真希を前にしても、十歳の俺では、何もできなかった。
 鳴き声が急速に小さくなっていく。
 気がつくと、いつも俺は、泣かなくなった真希が息をしているか、確かめているのだった。

 あの時、俺たち兄弟は「いつ死んでもおかしくない」という感情に支配されていた。
 食事もままならない貧乏は、人としての理性すら喪失させる。
「おなか、すいたね、あんちゃん」
 すぐ下の弟の繁夫は、人一倍体が大きく、いつも腹を空かせていた。
 遊んでいるときは夢中だが、腹が減ると、途端に元気がなくなる。
「おにいちゃん、げそ揚げが食べたい」
 二番目の弟の幸雄が言う。げそ揚げは十円だった。
 俺たち兄弟は、十円が落ちていないか、道を見ながら探した。だが残念ながら落ちていなかった。
「あんちゃん、あそこに揚げ玉が捨ててある!」
 家の近所に、天ぷらを揚げて小売りする店があった。
 見ると店の入口に天ぷらを作った後の、揚げカスが、バケツに捨てられていた。
「俺がおばさんの気を引くから、お前、あの揚げカスを盗め」
「えっー! でも、バケツごと盗むの?」
 繁夫が驚いたように眼を見開いた。
「バカ、家から持ってきた買い物カゴに入れるんだよ。バケツごと盗んだら、泥棒になるだろうが」
 俺は、軽くぽかりと繁夫の頭を叩いた。
「中身だけなら、平気かな」
 心配そうに聞く。
「捨ててあるんだから大丈夫だろう」
 子供心からしてみれば、盗むことに変わりはなかった。
 店に入ると、俺は白いかっぽう服を着た小さなおばさんに話しかけた。
「おばさん、す、すいません、いま、何時ですか?」
 おばさんは不審な目をして、面白くなさそうに言った。
「目の前に時計があるだろう」
「すみません 俺、時計が読めないんです」
 話をしている隙に、弟がバケツから揚げカスを盗む。バレバレだった。
「いま、一時を回ったところだよ」
「ありがとうございました」
 買い物カゴを抱えて逃げようとしたとき、呼び止められた。
「ちょっと待ちな」
 繁夫はしまったという顔をした。
「それは、ゴミが入っていて汚いから、こっちを持っておゆき」
 ビニールの袋に、綺麗な揚げ玉を入れてくれた。
「あ、ありがとうございます」
 俺はもう一度、言った。俺たちは、それを飯の上に載せて、醤油を掛けて食べた。少しだけ天丼の味がした。

 隣の敷地は、光正寺というお寺と、墓地だった。
 休みの日になると、兄弟で墓地に隠れて、墓参りに訪れて来る人を待った。
 お供えする品を盗むためだ。
 たまに、チョコレートやクッキーといったお菓子が手に入ることがあった。そうすると、三人いる妹たちに配った。
「今日は、グリコのアーモンド・チョコレートと、キャラメル・コーンがあったぞ」
「ありがと! にいちゃん!」
 一番目の妹の治美は、喜んで、笑顔を見せてくれた。
「今度はガムも、貰ってきて」
 二番目の妹の知美が言った。俺は寺から盗んできたとは、絶対に言えなかった。
 突然、借金取りが訪問し、部屋に上がり込み、しぶとく両親の帰りを待つことも、たびたびあった。
「親父と母ちゃんは、どこ行った!」
 柄の悪いおやじが威嚇するように怒鳴った。
「わかりません」
 俺は「またか」と思い、途方に暮れた。こういう奴が来るときは、父も母も絶対いつまでも帰ってこない。
「待たせてもらうぞ」
 やくざのような取り立ての男が土足で上がり込み、俺たち兄弟の食事に手をつけていた。
「ろくな食い物が入ってねえなぁ」
「ガキ、母ちゃんから金は預かってねえか?」
 冷蔵庫から勝手にキュウリを出して囓りながら聞いた。
「知りません」
 俺は金どころか、今日のおかずが、なくなったことが悲しかった。
「隠していやがったら、ぶっ殺すぞ」
 俺は、空腹を覚えて泣いている弟と妹を抱きしめて、取り立ての男をいつか必ず殺してやると思った。
「それにしても、きったねえ、家だ」
 男が、俺たちのボロボロの布団に痰を吐きつける。
 子供の力では、どうにもならなかった。弱い自分が悔しくて涙が出た。
 ヤクザが諦めて帰ったあと、子供だけの夕食になった。
 湯を沸かし、醤油で味付けをする。
「おにいちゃん、なに、作るの?」
 妹が腹を空かして、鍋を覗き込む。
「すいとんという中華料理を作ってあげるよ」
 二人の弟と三人の妹が固唾を飲んで、俺の作る物を待っていた。
 サラダにするはずだったキュウリは、さっきの野郎が食べてしまった。
 小麦粉の塊を入れただけの「水団」を作ることにした。
「おにいちゃん、美味しいね」
 治美が嬉しそうに言ってくれた。
「あんちゃんの作るものは、何でも美味しいね」
 知美が箸では掴みづらい「水団」を刺しながら言った。
 この子たちに美味しいものを食べさせるには、どうしたらいいのだろう。俺は毎日、そんなことばかりを、ひたすら考えていた。
 結局、弟妹たちと毎日、ほとんど水団ばかりを食べることになった。

 夫婦喧嘩も絶えなかった。
 夜中、寝ていると父と母が喧嘩を始める。
 酒乱の父とヒステリックな母は、大きな声で罵り合い、暴れまくる。
「貴様がきちんと金を管理しないから、こういうことになるんだろう!」
 父がウイスキーの瓶を投げつける。部屋中にアルコールの臭いが充満した。
「こんなに子供がたくさんいて、どうすればいいというの!」
 皿やグラスが投げつけられ、割れる音がする。
「てめえたちなんか、死にやがれ!」
 父が母を罵り、玄関を叩きつけるように閉め、家を出て行ってしまう。
 喧嘩が収まったと思ったら、焦げくさい臭いがしてきた。
「死んでやる、もう、いやだー」
 母が石油ストーブの灯油を撒き、火を点けたのだった。
「おかあさん、何をしてるの!」
「おまえたちと一緒に死んでやる、もうこんな生活、疲れた」
 あっという間に火の手が上がった。燃え広がる炎の中で母が泣き叫んでいる。
「これは、死ぬな」と思った。
 眼を覚ました妹たちが、どうしていいか分からずに泣いている。
 その瞬間、俺は「妹を助けなければ」と思った。
 俺は、毛布を持って炎の中へ飛び込んだ。燃えさかる炎の中で「死ぬのはいやだ」と思った。
 こんな所で兄弟八人が焼け死ぬなんて、絶対いやだ。どんなに苦しくても……何があっても、生き続けたい……。
 俺は、自分が燃えて死んでも、弟と妹は助けようと覚悟を決めた。
 毛布で火を消そうとした。だが、どうしても、灯油の量が多くて消せない。
 毛布にも引火した。
 燃える毛布にくるまれて焼け死ぬと思った。その時、繁夫と幸雄が、違う毛布を持ってきて、火を消し止めてくれた。
 ボロボロに焼き焦げた毛布にくるまれながら、兄弟三人は泣いた。
「おまえたち……だいじょうぶか……」
俺が言うと顔を真っ黒にした弟たちが言った。
「あんちゃんも……だいじょうぶ……」
「勇気は伝染するんだな」と俺は、思った。
 髪の毛を燃やし、呆然と天井を見上げる母を無視して、焼けた毛布を片付けた。

 真希の小さな生命の灯は当然のごとく、呆気なく消えた。
 俺が十歳になるか、ならないかという頃、こういう経緯を辿って、真希が餓死をした。
 暗い押し入れの中に作った寝床の中で、息をしない冷たくなっている真希を発見したのは、外から帰ってきた俺だった。
 朝、出かけるときは、いつものように眼を開けて、天井を見ていたのに。
 モミジのような小さい手が固く握り絞められていた。
 不思議と「可哀想だ」という感情が起きなかった。
「これで、お腹が空いて泣かなくても済むね」と安心した、切ない記憶がある。
 その後、何をしていたのか、覚えていない。
 たぶん隣の寺に行き、これからどうなるのか考えていたのかも知れない。
 その日の夜、六畳、四畳半二間の狭いボロアパートに深夜、背広を着た刑事たちが入って来た。
 暗くて人相が判らない。五人か六人いた。皆、一様に表情を殺しているように見えた。
 青い制服を着た鑑識課員が、カメラを構えてフラッシュを焚く。
 しばらく周りがぼやけて見えなくなるような光と、電球一つを破裂させたような音に驚き、二人の弟と二人の妹が眼を覚ます。
 土足で入ってきた刑事が、ひどく汚いものを見るように、俺たち兄弟を見下ろしていた。
「ひどいな、こんな狭い部屋に、一家九人か」
 吐き捨てるように言う。俺は警察官を睨み上げた。
 一瞬だけ刑事は睨み返し、しかし、すぐさま無視した。
 親父と母が、首をうなだれさせ、茫然と立ち尽くしている。
 母は毛玉の浮き出たセーターを着て、父は似合わない厚手のスーツを着ていた。
「どうして、こんなことになってしまったの」
 泣きながら、母は父に語りかける。
「やり直すんだ。もう一度、やり直すんだよ」
 芝居がかって現実感の稀薄な、親父と母の会話。
 刑事が両親に手錠を嵌めていく。無惨な両親の姿を弟と妹に見せたくなくて、毛布を被せた。
 でも、遅かった。
 恐怖で泣き出す妹たち。
 連行される両親を追っかけて飛び出そうとする弟を、刑事が阻止した。
 下の弟が指をしゃぶって泣き出した。兄弟姉妹全員が「お父さん、お母さん、行かないで」と眼で訴えていた。
 もう、これで、父と母とは会えなくなるのだろうか?
 子供たちを見ながら刑事に連行される両親、悪夢のような子供の日だった。

「何で、こんなとこに生まれてきてしまったのだろう」
 その時から、そんなことばかり考えていた。
「なぜ、普通の子みたいに、学校に行ったり食事をしたりできないのだろう」
 弟や妹も、きっと同じことを考えていただろう。
 宿業というものがあるならば、俺たち兄弟姉妹は余程、過去に悪い業を背負って生まれてきたのではないだろうか?
 妹の遺体は司法解剖の後、葬式も出さず火葬場に送られた。警察関係の女性が、お骨を持ってきてくれた。
「あなたが一番上のお兄さんね」
 私服を着た婦人警官が、警察手帳を見せながら、俺に聞いた。
「そうです」
 手には小さな骨壺を持っている。一目で真希だと分かった。
「ちゃんとご飯は食べているの? 親戚の人とか、いないの」
 婦警さんは骨壺をその場に置いて聞いた。
「大丈夫です」
 俺は真希の入った骨壺を見ながら言った。
 後で分かったことだが、親戚は心配するどころか「うちとは関係がない」と言っていた。
「名前を汚した」とも……。
「そう、何か困ったことがあったら、ここに電話してね」
 婦警さんが「小岩警察」と書いてある名刺を差し出した。
「はい、わかりました」
 帰ろうとする婦警さんに聞いた。
「父と母は、どうなるのですか?」
「まだわからないけど、たぶん帰って来られると思うわ」
 俺の顔を見ないで婦警さんは答えた。
 両親よりも早くお骨が戻ってきたため、真希が寝ていた押し入れに安置し、兄弟で話し合った。
「真希が死んだから、みんなで花を探しに行こう」
 俺は弟と妹に言い聞かせ、近くの江戸川河川敷まで花を摘みに行くことにした。
 思えば、生まれてから唯の一度も、真希を表に出してあげられなかった……。

「そうだ、真希を一緒に連れて行こうよ」
 と繁夫が、出発直前に言い出した。
「こんな骨壺を持って歩いたら、警察に捕まらない?」
 一番下の弟、幸雄が聞く。俺は思いついて、提案した。
「見つからないように、シーツで巻いていこう」
 妹の小さな骨壺を白いシーツで包み、自転車の籠に乗せた。
「落としたら、割れて骨が飛び出しちゃうよ。お兄ちゃん、気をつけてね」
 と五歳の妹、治美が言った。
 骨が飛び出ると聞いて「あぁ、真希は本当に骨になってしまったんだ」と思うと、悲しくてまた、涙が滲んできた。 
 自転車三台に兄弟男女の三組が二人乗りをしている。いやでも目立った。
 近所の人たちが後ろ指を指す。声高な噂話が、いやでも耳に届いた。
「殺人者の子供たち」
「餓死させた子供の兄弟」
「あいつらも、餓死するんじゃねえのか」
 心ない大人たちの視線を背中に受けながら、逃げるように河川敷に行った。
 五月の暖かな季節であったため、河川敷には知らない名前の花が、たくさん咲いていた。
 お金がなくても、たくさんの花を摘めることが嬉しかった。俺たち兄弟は、時間の過ぎるのも忘れて、花を摘んだ。
 兄弟が多いことだけが救いだった。
 何が起きても、みんなで遊べば、辛いことを忘れられる。
 お腹が空いても、誰も文句を言わないのは、みんなが同じように空いているのを知っているからだった。
 タンポポや小さな菊の花、たくさん摘んだ花で、真希の骨壺を入れた籠をいっぱいにした。
 帰り道、河川敷の下に青い防災シートで囲われたテントに住む、ホームレスのおじさんがいた。
 通りすがると、テントから出て来て呼び止められた。
「おい、ちょっと待てーー」
 俺たちは自転車を止めて、おじさんを見た。
 汚れたワイシャツにステテコ姿のおじさんは、まるで乞食のようだった。
「おめえたち、この間、ニュースでやっていた、子殺しの子供らだろう?」
 俺は弟と顔を見合わせた。
 この年は生まれたばかりの子供をコインロッカーに殺して捨てる「子殺し」が流行っていた。
 テレビやラジオは、挙って「江戸川の子殺し事件」と報道した。
 電気を止められてテレビが見られず、分からなかったが、こんなホームレスの人まで知っているとは……。
「俺の親は、子殺しじゃない」
 繁夫が憤然として、おじさんに言い返した。
「ゴメンよ、そういうつもりで言ったんじゃないよ。おとうちゃん、お母ちゃんは、まだ帰ってないのかい?」
 俺は思いつくままに答えた。
「まだ、警察で取り調べを受けていると思います」
「そうか、大変だなぁ」
 腕組みをしながら、おじさんが一人ごちた。
「おめえたち、腹は減ってねえか? 喰いものなら、あるぞ」
 弟たちが、しょんぼり下を向く。
「大丈夫です」
 俺は、やせ我慢をして言った。
 すると、おじさんがテントの中に入っていき、すぐにコッペパンを数個、両手に持って戻ってきた。
「みんなで喰え。遠慮すんな」
 俺たち兄弟は、こうしてホームレスのおじさんにパンを御馳走になった。
「大変だけど、がんばれよ、おめえたちが悪いわけじゃねえしよ」
 汚い手で俺たちの頭を撫でた。
 久しぶりに食べるパンよりも、おじさんの真心が嬉しかった。

 司法解剖の結果、妹の死因は栄養失調による衰弱死と鑑定された。
 両親は貧困による生活苦からの不可抗力ということで、一週間の取り調べの後で情状酌量され、自宅に帰ってきた。
 ニュース関係の取材と言うことで放送ジャーナリストの「ばばこういち」と名乗る人が、父にインタビューを申し込んできた。
 日本テレビの《あなたのワイドショー》という番組だった。
 最初は「子殺し」をテーマに扱った取材だった。でも父の話を聞き、これは殺人事件ではないと考えてくれた。
 テレビカメラが持ち込まれ、撮影をしながら、父に質問をした。
「一部、報道では食べ物を与えず餓死をさせたと言われていますが、その点は、どうなのですか?」
 父は下を向き、カメラを見ずに答えた。
「栄養が行き届かず、蜂蜜を飲ませたり、努力はしたのですが……」
 いくら父が弁解をしたところで、言い訳にしか聞こえない。かえって、逆効果であった。
「報道に対する怒りがありましたら、仰ってください」
 ばばさんは、落ち着いて質問をした。父は何も言えず、黙ってしまった。
 カメラマンが機材をかたづけ、帰ろうとしかけて、ばばさんが固唾を飲んだ。
 見ていた俺のところに来て、厳しい表情で諭すように励ましてくれた。
「弟や妹の面倒を、しっかり見るんだぞ。今は大変だけれど、いつか必ず解決するから、希望だけは捨てては、いけないぞ」
 帰り際、俺の手にクシャクシャになった千円札を握らせてくれた。
 マスコミに散々なことを言われたり書かれたりしたけれど、この時ばかりは、報道関係者の人としての真心を感じることができた。
 でも、テレビや新聞の報道が収まってから、次の地獄が待っていた。
 学校に行くと噂が広まっており、友達は皆んな、あからさまに俺を避けた。
 担任の先生から「事件のことは絶対に話すな」と皆が念を押されていたため、かえって俺たち兄弟は、無視をされた。
 買い物に行けなくなった母の代わりに買い物に行くと、
「うちには買いに来ないでくれ」と、まるで汚いものを見るような眼で露骨に断られた。
 街のどこにいても後ろ指を指されているようだった。
 この町では生きていけないと感じた。でも、どうすることもできなかった。
 弟たちも学区を替えることになった。
 しかし、転校した学校でも噂が流れ、友達は一人もできなかった。
 俺は生きていくために、新聞配達をすることにした。
 事情を知った地元の新聞屋の店主は、小学生と判っていながら、配達をすることを許してくれた。
 俺は十歳から八年間、この新聞屋で働きながら、学校へ通った。

 ある時、同級生から手紙を貰った。
 それは転校する前、あまり仲が良くなく、よく喧嘩をしていた原田からだった。
『重松、元気か、俺は元気に頑張っている。
 今回のこと、いろいろ大変だったけれど、気にするな。
 お前のことを悪く言う奴がたくさんいるだろうけど、俺はお前を友達だと思っている。そう、友達だ。
 お前の悪口を言う奴らは、みんな面白おかしく仲間と群れている連中ばかりだ。
 自分一人では何もできない、みんなと一緒にいないと安心できない、カラスのような連中だ。そんな、奴らの言うことに絶対、負けるな。
 いつか、そいつらが驚くほど強くなろうぜ。重松、辛いだろうけど、がんばれよ』
 友達は一人もいないと思っていたけれど、原田が友達だったと、初めてこの時、気づかされた。
 原田からの真心の手紙が、泣きたくなるほど嬉しかった。
「強くなりたい。弱いということは、不幸だから」
 俺が「強くなりたい」と思い続けたのは、少年時代の体験のせいかもしれない。
 新聞配達で稼いだ金で、小岩駅前にある《正晃館空手道場》に入門した俺は、友達が楽しく遊んだりしているときも、ひたすら自分を鍛えることに徹した。
 遊びたいと思う日は一日もなかったと断言できる。
 まともに食事ができて稽古に没頭すれば、それだけで最高に幸せであった。
 来る日も来る日も、ひたすら強くなることだけを考えていた。
「弱いということは、悪なのだ」と切実に思った。
「強くなければ、人に優しくできない」と考えていた。
「強くなること」
 それは、俺にとって生きることと同義語であった。
  10
 俺が空手を本格的に修行したのは中学二年になってからだった。
 それまでは、生活のすべてが、年子の弟たちの面倒を見ることが中心で習い事をする余裕はなかった。
 それより、なにより経済的にも精神的にも余裕がなかった。
 しかし強くなりたいという気持ちは、日を追うごとに高まった。
 俺は中学二年に進級したのをきっかけに、江戸川総合体育館で行われていた空手道場に通いだした。
 道場の名前は、正晃館道場。国鉄職員の鈴木正晃先生が師範であった。
 十歳の時から新聞を朝晩三百枚、ずーっと配達していた俺は、体力だけは自信があった。
 見るからに中年親父の先生を初めて見た時、俺は「喧嘩だったら負けはしない」と思った。
「なぜ、君は空手を、やりたいの」
 背が低く、腹の突き出たちょび髭の鈴木先生が腕組みをしながら聞いた。
 俺は正直に答えた。
「強くなりたいからです」
「君にとって、強くなるとは、どういうことだね」
 穏やかな顔で鈴木先生が聞く。
 俺は、ここ数年に味わった屈辱を思い返しながら答えた。
「誰にも馬鹿にされず、胸を張って生きていけることです」
 時は第一次格闘技ブームが巻き起こり、マガジン雑誌では『空手バカ一代』が少年たちの心を捉え、ブルース・リーが演じる『燃えよドラゴン』などのカンフー映画が、大ブームになっていた。
 鈴木先生は「武道としての空手は、ただ単に強くなることだけが目的ではないんですよ」と語った。
「強さとは、一元的なものです。人に勝つということだけを目的にしてしまうと、武道の目的から外れることになる」
 説明を聞きながら、俺は「そんなものなのか」と単純に思った。
「心を真剣に鍛える、自分に勝つという目標を持って修行をするならば、入門を許します」と鈴木先生は言った。
「押忍」
 俺はこの先、何百万回も繰り返す武道の返事である「押忍」を初めて言った。
 修行は厳しかった。
 一回の稽古で突きを千本、蹴りを千本などは、当たり前の基本である。
 その間、補強として拳立て(拳で行う腕立て伏せ)五百回、四股踏み千回を毎日やらされた。
 俺は「強くなりたい」一心で堪えた。
 どんなに辛い稽古も、自分の宿命的な苦悩よりは楽だった。
 なによりも体を動かし気合いを入れ、一心不乱に稽古をしているときだけ、苦しい生活を忘れられた。
 道場の先輩たちも、俺の環境に気遣ってくれてか、いずれも優しかった。
「重松くん。人生は大変だけど、一緒に頑張ろう」
 熱血漢な千葉という先輩は、いつもこんなふうに激励の言葉を掛けてくれた。
 千葉先輩は、身長一九〇センチ、体重九〇キロの巨漢だった。
 大きな体から繰り出す空手の技は、破壊力抜群だった。
 工業用の穴あきブロックを三枚重ねて手刀で叩き割るのを俺は目撃した。人間は鍛えれば、このような超人的な力を持つのだと感嘆した。
 小柄な田中先輩は、身のこなしが軽く、空中で三回の回し蹴りを蹴ることができた。
 体の大きな相手と組手をしても、生来の気の強さか、全く引くことがない。
 それどころか、必殺の空中戦法で、相手の選手を翻弄していた。
 人間不信に陥り、これといって信頼できる友人がいない俺にとって、先輩たちは皆、かけがいのない友人でもあった。
11
 正晃館空手道場に入門して二週間ぐらいが経った時のことである。
「重松くん、試合に出てみないか?」
 ある日、稽古に参加し、鈴木先生に挨拶をしたとき、唐突に言われた。
 俺は恐る恐る聞いてみた。
「しかし、自分はまだ入門したばかりですし、白帯で試合など、出られるのですか?」
「何事も体験してみなければ、わからないものだよ」
 俺の顔を見つめ、笑みを浮かべて腕組みをしながら、鈴木先生が話した。
「江戸川区の大会が今月末にあるから、是非、挑戦してみなさい」
 まるで他人事のように、鈴木先生は言った。
「押忍」
 俺は、まるで訳も分からず、返事だけをしてしまった。
 その日から、稽古が終わると、時間がありそうな先輩を掴まえては、組手の稽古をつけてもらった。
 当時、行っていた空手は、剛柔流という伝統的な空手であり、試合形式は相手の体の寸前で突きや蹴りを止める「寸止め」のルールであった。
 自分のイメージでは、空手とは突きや蹴りで相手を一撃で倒すという格闘技であった。だから、この寸止めルールは、いささか戸惑ってしまった。
 空手には二種類の大きなスタイルの流れがあり、一つはこの、寸止め流派で、もう一つは、この当時少しずつ勢力を拡大しつつあった、フルコンタクト系の直接打撃制、極真ルールであった。
 江戸川区の大会は「寸止め」形式の、当ててはいけないルールの大会であった。
 試合当日、選手たちは一様に緊張をしていた。
 俺は「別に当てないルールだったら、別に恐れることはないだろう」と高を括っていた。
 ところが、いざ試合が始まると、技のスピードが速く、ものすごく驚いた。
 選手たちの突く正拳や蹴りが、見えないほどの凄まじい速さで繰り出されていた。
 俺は「負けて元々」という気持ちで、まず一回戦を迎えた。
 たとえ技術は勝てなくても、心の強さだけは絶対に負けない。
 数々の苦難の経験から「心の強さ」だけは誰にも負けないと自負していた。
 試合が始まると、続けざまに上段突きが決まる。
「赤、上段突き技あり! 合わせて、一本!」
 審判の手が、こちらに上がる。初試合を、訳も分からず勝ってしまった。
 俺は久しぶりに「嬉しい」という感情を持つことができた。
「良かったな、重松くん」
「やったじゃないか、次も頑張れ!」
 先輩連が激励に来てくれた。
 人に励まされ戦える喜び。俺は正直、生きていて良かったと思った。
12
 続く二回戦。相手の選手は、高校生の黒帯であった。
 俺は、また相手の攻撃に合わせて、上段突きを狙った。
 ところが、相手選手の回し蹴りが脇腹に当たった。
 キーンと響くような痛み。
 苦しい呼吸の中で「これは反則では?」と思い、相手を睨み付ける。
 背筋を伸ばすと、蹴られた箇所がズキンと痛んだ。
 大きく深呼吸をして、どうにか動揺が顔に出ないよう振る舞った。
 寸止めルールなので、当てることは明らかに反則である。
 同じ道場の選手が審判に抗議をした。
「白、反則攻撃! 注意、一!」
 審判が叫び、試合続行。俺は蹴られた脇腹のおかしな痛みをこらえ、構え直す。
 またしても寸止めではなく、思いっきり脇腹を蹴ってきた。
 その刹那、俺は相手選手の顔面を、反射的に全力で叩いていた。
 歯が折れて吹っ飛んだ。相手の鼻は潰れ、鼻血が吹き出した。
 審判が「止め!」と試合を止める。試合は一時中断され、審議にかけられた。
 相手の選手はダメージが大きく、仰向けに倒れ込んでいる。
 大会ドクターが呼ばれ、傷の深さを測っていた。
 俺は相手選手に背を向けて正座をして、回復を待つ。
 心の中で「これは反則負けかな」と思った。
 真向かいに立っている鈴木先生と眼が合った。
 先生は「良くやった」というような顔をして、頷いていた。
「重松、これで対だ、いけるぞー」
 セコンドに付いていた先輩が、応援の声を掛けてくれる。
 俺は少しずつ痛みがズキズキ増していく脇腹を思い「我ながら、ここまで良くやった、いっそ反則負けになればいいのに」と思ってしまった。
 だが、審判に言われ、元の位置に立つことになった。
「赤の重松が顔面を殴ったのは反則である。だが、その前に、中段を思いっきり蹴ろうとした白にも、非はある」ということで、両者とも反則減点一。
 こうなると俺は、脇腹は猛烈に痛むし、もう試合なんて、どうでもよかった。
 目の前にいるこいつを、殺してでも倒してやる。
 相手の選手を突き通してしまうほど睨み付け、練習をしたわけでもないのに腹の底から気合いが出た。
「そうらぁああああー」
 明らかに相手選手はビビッている。俺の突きを警戒して、攻撃をしてこない。
 突きに行くと見せかけて、前蹴りを中段に入れる。
「技あり! 減点一と合わせて、一本勝ち!」
 二回戦も、まぐれで勝ってしまった。
 結局、その次の試合が決勝戦となり、俺は上段突きと前蹴りだけで、優勝をしてしまった。
 しかし、二回戦の戦いで脇腹を蹴られたことで、診察を受けると、肋骨を二本も骨折していたことが判明した。
 優勝の喜びと、呼吸をしただけでも猛烈にズキズキ痛む脇腹の苦痛が入り混じり、俺のデビュー戦が終わった。
13
 初めて出場した空手の試合で優勝をすることができて、俺は少しだけ自信を取り戻せた。
 なんの価値もないと思っていた自分を励まし、期待してくれる先生や先輩がいて、俺の勝利を心から喜んでくれている同志がいる。この事実に、俺は生き甲斐を感じていた。
 骨折した胸に大きなサポーターを着けて挨拶に行ったとき、鈴木先生が言ってくれた。
「次は、もっと大きな大会で活躍するんだぞ」
 期待を感じ、その時だけは肋骨骨折の痛みを忘れ、早く稽古がしたいと思った。
 怪我の治療もほどほどに、それ以降、稽古三昧の生活を過ごした。
 人が練習をしていることを、すべて三倍努力しようと決意した。
 みんなが拳立て伏せを百回やったら、自分は三百回。スクワットを千回やったら、俺は三千回。こういう稽古を、徹底してやり抜いた。
 稽古をしているときは、嫌なことをすべて忘れられた。
 妹が餓死も同然に死んだこと。
 学校で、誰からも相手にされなかったこと。
 近所の住民に、村八分にされたこと。
 苦しい稽古を重ねれば重ねるほど、惨めに砕けていた心の欠片が一つ一つ、再生されていくような気がした。
 苦い思い出が、汗と共に体の毛穴から流れ出ていってくれた。
 こうして積み重ねた努力の甲斐があり、その年の全日本空手道選手権大会、中学生の部で、俺は優勝を飾ることができた。
 毎日、配達をしている読売新聞に「新聞少年、空手日本一に」と小さく掲載された。
 俺は「重松」という名前が「良いこと」で新聞に載ったことが、嬉しくて堪らなかった。
14
 そんな中で、俺は相変わらず毎日の新聞配達で学費を稼ぎ、何とか高校へ入学したいと思っていた。
 そんなある日、中小企業の社長を名乗る、一組の夫婦がやって来た。
 名を「牧野」と名乗り、父に名刺を差し出した。
「私たち夫婦は子宝に恵まれず、老後の楽しみもなく寂しい生活をしています」
 痩せて、眼鏡を掛けた、長身の五十代らしき親父だった。
 隣には中年太りの、金縁眼鏡を掛けた婦人が立っている。
「聞けば、いろいろと御不幸があったとお聞きして……」
 下を向きながら、訥々と牧野が話を切り出した。妙に歯切れの悪い話し方だった。
「もし、宜しければ、娘さんの一人と、養子縁組をさせて頂けないかと……ご相談に来させて頂きました」
 夫婦揃って小さくなり、手を畳に擦りつけるように頭を下げた。
 父は驚き、しばし返す言葉を失っていた。
「突然、そのようなことを言われましても……」
「お預かりした娘さんは、必ず幸せに育てますので、どうか、よろしくお願い致します」
 さらに深々と頭を下げる牧野夫婦たち。
「お気持ちはありがたいのですが……子供の気持ちもありますし……」
 父は、言葉を選びながら返答した。
「ならば、こういうことにしたらいかがでしょう? しばらくお預かりして、私どもの家庭に馴染むかどうか、試してみてはいかがでしょう?」
 牧野夫婦には頑として食い下がらない決意が見て取れた。
 妹は亡くなった真希の他に、二人いる。小学校に上がったばかりの治美と、まだ五歳の知美だった。
 学校に上がっている治美は「パパとママとは離れたくない」と聞き入れなかった。
 そこで牧野夫婦は、まだ何も分からない知美に眼をつけた。
「知美ちゃん。おじさんの家に遊びに行こうか?」
 有無も言わせない強引な誘いではあった。
 父が感情的になって言い返した。
「まだ、何も返事をしていない。今日のところは帰ってくれ」
 ガッカリした表情の牧野夫婦は渋々帰って行った。
 その夜、父と母は話し合った。
「このままでは、知美に満足な生活をさせてあげられない」
 母は寂しそうに語った。
「あの子の将来を考えれば、養子に出したほうが良いかもしれない」
 経済的に恵まれていれば、このような話すら出てこなかっただろう。
15
 両親は結局、しばらく知美を牧野家に預けることにした。
 ベンツで迎えに来た牧野夫婦は、金の入った厚い封筒を差し出した。
 初めは拒否していた父も、最後は、受け取ってしまった。
 陰で見ていた俺は、妹を金で買われているような、嫌な気分にさせられた。
「もし、この子が帰りたいと言ったら、必ず返してください」
 表情の暗い母は、やっとの思いで言葉を発した。
「それは、もちろんです、必ずこの子を幸せにしますから」
 仰々しく背広に身を包んだ牧野は何度も言った。
 その姿が妙に権威に見えて、俺は「一生、あんなもの着ないぞ」と思った。
「ともちゃん、元気でね」
 俺は、二度と妹に会えなくなるのではないかと不安に思い、声を掛けた。
「おにいちゃんも、元気でね」
 何も知らない真希は笑顔で微笑んだ。
「また、ともと、あそんでね」
 ベンツに乗って連れて行かれる妹は、少しだけ悲しい顔をした。
 俺はこの数年の知美との様々な出来事が一気に思い出され、眼に涙が溜まってきた。
「どうして、あの時もっと優しくしてあげられなかったんだろう」
 妹との思い出は、後悔しか残らなかった。
 数日後のある日曜日、突然、父が言い出した。
「ひでかず、知美を連れて帰ってこい」
 毎日の生活の中で、娘を失った寂しさからか、父の酒の量が増えている気がしていた。
 昼間だというのに、眼の下を赤らめて父が言う。
「やっぱり、あの子が不憫だ、すぐ連れてこい」
 俺は、牧野邸がある足立区の綾瀬まで、自転車で知美を迎えに行った。
 俺は自転車を漕ぎながら、何と言って知美を返してもらおうか、必死で考えた。でも、良い案なんか全く浮かばない。
 江戸川区の本一色から小松橋を渡り、中川と荒川を渡って綾瀬川沿いに走ったところに、牧野の屋敷は建っていた。
 庭があり、立派な門構えの屋敷は、無言で俺に圧力を掛けている気がした。
 その圧力の凄まじさたるや、空手の「試合」なんていうレベルのものじゃない。
 自分の貧弱な家と、途轍もなく大きな牧野の屋敷を見比べ、途方もなく惨めな思いを感じた。
 家の隣に建てられている駐車場に、あの時のベンツが駐まっていた。
 俺は「どうにでもなれ」という気持ちで、チャイムを鳴らした。
16
 玄関から知美が、牧野のおばさんに手を繋がれ、出て来た。
 この間までボロ切れのような服を着ていた知美が、アンパンマンのイラストの入ったピンクのTシャツを着て、可愛い赤いパンタロンを履いていた。
 その姿を見ただけで、俺は衝動的に走って帰りたくなった。
「お兄ちゃん!」
 玄関先に佇む俺を見つけて、知美が走ってきた。足に履いている、お洒落な運動靴が、ピーピー鳴いた。
「ともちゃん、元気だった?」
 俺は牧野のおばさんを無視して話しかけた。
「うん、お父ちゃんも、お母ちゃんも、優しいよ」
 俺は「牧野のじじいとばばあに言わされているんじゃないか?」と疑った。
「おにいちゃんと帰ろう。ママもパパも待っているよ」
 牧野のおばさんが何か言おうとしたとき、知美が言った。
「うん、パパとママのところに帰る」
 俺は知美を自転車の後ろに乗せて、綾瀬川沿いを走った。
 途中、赤やピンクの躑躅の花がたくさん咲いていた。
「お兄ちゃん、お花を取ろう。パパとママに上げるの」
 知美が落ち葉のような小さい指で、花を指して言った。真希が死んだ時のことを思い出したのだろうか。
 俺は土手に自転車を止めて、知美と一緒に花を摘んだ。
 一生懸命に花を摘む知美を見て、涙が出て来た。
 籠一杯になった花に満足したのか、知美は帰ると言い出した。
「お父ちゃんのところ、パパのところ?」
 その時、知美は、うちの父をパパと呼び、養子に行った先の牧野の親父を「お父ちゃん」と言って区別していた。
「んー……パパのとこ」
 知美が「お父ちゃん」と言ったら、俺は素直に綾瀬に戻るつもりだった。うちと、牧野の家では、あまりに違いすぎる。
 犠牲になるのは、真希だけでたくさんだ。俺は自転車を走らせながら、そう思うようになっていた。
「乗りな。お兄ちゃんに、しっかり掴まっていろよ」
「うん」
 小さい声で知美が言う。走り出して、すぐに知美は寝てしまった。
 顔を俺の背中に押しつけ、手だけは俺のズボンのポケットに入れて寝息を立てている妹。
 そんな知美を見ていたら、また涙が止まらなくなった。
 自宅に着くと、アパートの前にベンツが止まっていた。
 眼を覚ました知美は、自転車の籠から花を取り出し、両手一杯に持った。
「パパ、ただいまー! おみあげ、あるよ」
 笑顔で花を渡す知美は、本当に嬉しそうだ。
「ありがとう。ともが採ったのか?」
 表情を変えずに父が言う。
「うん、あと、お兄ちゃん」
 満足そうな妹に、牧野のおじさんが声を掛ける。
「それじゃ、ともちゃん帰ろうか」
 知美が少し考えて「パパとママのところにいる」と首を振った。
 悲しそうな顔をした牧野のおじさん。隣のおばさんが、肩を落として言う。
「やっぱり、このぐらい大きくなったら、無理でしょう」
 その瞬間だった。
「そんなことはないよ!」
 気の弱そうな牧野のおじさんが、初めて声を荒げた。
「ゴメンね……ともちゃん、おとうちゃんは、ともちゃんが大好きだから……ともちゃんと帰りたいんだよ」
 慌てて、泣きそうになっている知美に話しかけた。
 俺は一大決心で言った。
「ともちゃん、お父ちゃんのところに帰りな、おにいちゃん、また遊びに行くから……そしたら、また、お花を採ろう……」
 父は無言で下を向いていた。
 結局、ベンツを見送りに行ったのは俺だけだった。父も母も家で泣いているのだろう。
 車に乗り込む牧野さん夫婦に、俺は一言だけ言った。
「知美を、幸せにしてやってください」
 牧野さんは眼を合わせずに答えた。
「必ず……」
 ベンツに乗った知美は後ろの席でずっと手を振っていた。
 その日以来、俺は二度と妹に会うことはなかった。
17
 この時期、実は俺も養子に出されるところだった。
 都心にある日本初の結婚式場《目黒雅叙苑》の社長が新聞記事を見て「この家の子供で、優秀な子がいれば、特待生として引き取っていい」と言われ、父と二人で面接に行った。
 当の社長は「小学校も出ていない、裸一環からこの昭和の竜宮城と言われる雅叙苑を作った」らしい。
 面接では奥様が現れ、薄皮饅頭を勧められた。
 担当の人に勧められて、饅頭を食べた。緊張してか余り、味がしなかった。
 そんな程度のことしか、俺の記憶にはない。
 担当者と雅叙園の庭先にある特待生の寮を見学した。
 竜宮城と言われている式場に比べて、一階建ての質素な建物だった。
 入り口付近に食堂があり数人の学生が本を読んでいた。
 応接室以外は個室で学習を目的とした寮であると感じた。
 少し広い遊技場のようなところで、頭の良さそうな学生が卓球をやっていた。
 皆、一様に青白く運動よりも勉学に向いている人たちだと思った。
「近いうちに御返事をください」
 門まで見送ってくれた担当者が言った。
 帰りの電車で、俺は父に言った。
「あそこの寮に入れられたら、俺は大好きな空手が、できなくなる気がする」
 父は何も言わず聞いている。
「学費も生活費も、自分で稼ぐから、俺から空手を取り上げないでくれ」
「お前の好きなようにしろ」
 父は窓の風景を見ながら、頷いた。
 あの時、もしも雅叙苑の特待生になっていたら、俺の人生は、きっと全く違ったものになっていただろう。
18
 毎日の過酷な修行を積み重ね、第一の目標である初段の黒帯が允許されたのは、中学三年生の夏だった。
「今日から黒帯だ。しかし、本当の修行は、これからだぞ」
 審査会で黒い帯を押し頂きながら、鈴木先生の話を聞いた。
「この二年間、君は良く頑張った。初めてこの道場に来たとき、君は人が信じられなく、誰にも心を開こうとしなかった」
 鈴木先生が、俺の眼をしっかり見つめて言った。
 遠くを見つめ、思い出すような顔で続ける。
「空手の修行を続ける中で、君は少しずつ変わっていった」
 その言葉で俺は、入門した頃の自分を思い出していた。
「厳しい鍛錬の中で信じられるのは、自分だけだ。しかし、君の成長を信じて陰で見守ってくれた先輩、同輩の稽古仲間がいたことを、決して忘れてはいけない」
 俺は、先輩たちから受けた数々の恩を思い返した。
 稽古前に腹を空かせていると、自分で作った塩むすびをくれた先輩。
 稽古帰りの駅で、立ち食いそばを食べさせてくれた先輩。
 冬の合宿で寒中稽古のあと、暖かい缶コーヒーを奢ってくれた先輩。
 稽古で怪我をすると、帰宅後に電話で「良く冷やせ」と心配をしてくれた先輩。
 何より、稽古のあと「飯、喰ってないんだろう」と、手作りでインスタント・ラーメンを作ってくれた鈴木先生。
 思えば、俺が最悪の環境の中で稽古に通っていたことを先生、先輩たちは知っていたのだと思う。
 心の弱かった自分を、本当に理解してくれていた。
 素手での殴り合いと、素足での蹴り合いの空手、更には稽古を通した人間としての触れ合いの中で、成長ができたことを、俺は心から感謝した。
 俺は黒帯を腰に巻くたび、感謝の気持ちで全身に力が漲った。
 この帯を締めている限り誰にも負けないような気がした。
「一人で強くなったのではない」
 俺にとって黒い帯は多くの人に対する感謝の象徴であった。
 同時に、人は一人でも信じてくれる人がいれば、変われるのだと腹の底から信じられた。
19
 黒帯を巻いて数日後、鈴木先生に呼ばれた。
「重松君、フルコンタクトの空手をやってみるか?」
 時代は極真会館が提唱する「フルコン空手」が流行っていた。
「一撃必殺」「最強の実戦空手」を提唱するフルコンタクトの各流派は、鎬を削っていた。
 鈴木先生が腕を組みながら話し続けた。
「これから時代は、実戦主体になるだろう、自分の知り合いに極真会から独立した男がいるので、そこで稽古をしてみたらどうだ」
 やや、興奮した口調で先生が言う。しかし、どことなく寂しそうな表情でもあった。
 俺は予てから興味のあったフルコンタクト空手ができると思い、喜んで鈴木先生にお願いした。
「押忍。是非、やってみたいです。宜しくお願い致します」
 しかし、一番気になるのは、やはり入門にまつわる金銭の問題であった。
 新しい道着も購入しなければならないだろうし、新しい道場となると、入会金なども必要になるであろう。
「お金のことは、心配するな」
 快活に笑いながら、俺の肩を叩く。
 鈴木先生は、俺の不安な気持ちを察したように励ましてくれ、道場の抽斗から茶封筒を取り出した。
「君が新聞配達をして月謝を工面していたのは、みんなが知っていた」
 優しい顔で俺を見ながら続けた。
「これは、今まで君が納めていた月謝だ。本当は、受け取りたくなかったんだ。だが、それでは君が惨めな思いをするだろうと思い、使わずに取っておいた」
 封筒を俺に渡しながら、しみじみ先生が言う。
「これからの修行に役立てなさい」
 封筒の中には、俺が毎月、納めていた千円札が、全部そのままの状態で入っていた。
「師範、ありがとうございます、御恩は生涯、忘れません」
 俺は封筒を握り締め、先生に頭を深く下げた。
 自分の道場を去ろうとしている弟子に対して、ここまで真心で接してくれる先生に、俺はどう答えたらいいのだろうか考えた。
 鈴木先生は、「弟子には自分よりも立派に、強くなってもらいたい」と思う、真の武道家であった。
 それと共に、武道でしかあり得ない、深遠なる師弟の絆を思い知らされた。
「君が強くなってくれることが、私たちの最大の願いだ」
 鈴木先生は俺の肩をもう一度、ぽんと軽く叩きながら言った。
「また、腹が減ったら、遠慮なくラーメンでも食いに来い」
 俺は必ず日本一、いや、世界一、強くなり、この大恩ある鈴木先生に報告をしようと誓った。
20
 後日、紹介されたのは、元極真会館の城東支部で指導員をされていた、石川幸次先輩だった。
 石川先輩は自分のことを、「先生」とは呼ばせず「先輩」と敬称させた。
「先生と呼ばれている奴は、ろくな奴がいねえからな」
 全身、筋肉の塊で立って構えると仁王様のような石川先輩が言った。
 俺は顔の前で十字を切るフルコン空手独特の挨拶を返した。
「押忍、宜しくお願い致します」
「話は鈴木さんから聞いているよ。まあ、スタイルが違うけど、頑張んなさい」
 人なっこい笑顔で、石川先輩は入門を許可してくれた。
 実戦空手の稽古は今までの修行が遊びではないかと思えるほど、厳しいものだった。
 特にコンタクトのある競技である以上、筋力を付けることが何よりも優先された。
「拳立て」「ジャンピング・スクワット」「懸垂」といった、自分の体を使ったトレーニングは元より、バーベルやダンベルを使った肉体改造に徹底的に取り組んだ。
「技は力の中にあり」
 これは極真会館創始者である、故大山倍達氏の格言である。
 技術が同じならば力のある奴が勝つのが道理とされ、ひたすら体力を付けることの重要性を教えられていた。
 空手の稽古と体作り、その両方を日々こなしながら、俺は「最強」を目指して、稽古に明け暮れた。
 同じ空手ではないかと、高を括っていた。ところが、フルコンタクトのスタイルは、伝統的な寸止め式とは全く違うものであった。
 寸止めでは技量とスピード、タイミングなどが重要視されるが、フルコンの試合では何と言っても「破壊力」と「耐久力」がものをいう。
 小手先のテクニックではどうもならないと、実感した。
「重松さん、ともかく量から入り、質を転換しなければ、話にならねえなぁ」
 石川先輩が腕を組みながら教えてくれた。そこで俺は、恥を忍んで聞いてみた。
「押忍。先輩、例えば腹筋だったら、どれくらいやれば、倒されなくなるものですか」
「そうだな。取りあえず、千回一セットとして、何セットかやってみたら?」
 事もなげに、石川先輩が言った。
 で、俺は、その日から千回十セットの腹筋を毎日、欠かさず行った。
 これをやると、三千回を越えた頃から、腹にナイフで引き裂かれるような痛みが走り始める。
 腹筋だけで、優に一時間以上かかった。それでも、唯の一日も休むことなく、ひたすら俺は、やり続けた。
 その他に「懸垂三〇〇回」「四股踏み千回」を取り入れ、ウェイト・トレーニングも毎日、やはり欠かさずに実行した。
 こうして、高校も二年になろうとしているとき、ようやく自分の体に自信が持てるようになった。
 丸太のような腕。バレーボールを埋め込んだような肩。筋肉が浮かび上がり、段差を生んでいる腹筋。
 俺は、自らの肉体を改造することに無償の喜びを感じ、毎日の稽古に励んだ。
21
 一年間の肉体改造を経て、俺はフルコンタクト空手の高校選手権大会に臨んだ。
 伝統的な空手で磨いた技の切れと、日々とことん鍛え抜いた肉体を勝ち取った俺は、全く負ける要素はないと確信していた。
 それでも、セコンドに付いてくれた石川先輩が、念を押した。
「今までやってきた空手の試合とは別もんだ。油断は禁物だぜ」と――。
 同じ空手の試合といっても、寸止め空手とフルコンタクト空手では、全く違った競技と言える。
 球技で喩えたら、おそらくバスケットとバレーボールぐらい違うだろう。
 不安はなかった。それでも、ルールの違いから、幾らかの戸惑いを覚えていたことは事実で、俺は石川先輩に、こう答えた。
「押忍、全力を尽くします」
「あまり上手に戦おうと思わないことだよ。これしかないと思ったら、技を絞って攻めきったほうが良い」
 数々の戦いを乗り越えてきた石川先輩のアドバイスは、理屈ではなく、理に叶ったものだった。
 こうして迎えた一回戦の相手は、背が高く、リーチの長い奴だった。
 俺は徹底して下段回し蹴りで足を壊す作戦に決めた。
 背が高く、腰高の奴には、下半身を攻撃するのが、もっとも有効な手段であるからだ。
 人間は二本足で立っている。
 格闘技である以上、この立っているものが、倒されないようにすることが、最も優先される運動なのだ。
 その優先順位を潰していくことが、戦うセンスであると思う。
 下半身を攻撃することによって、敵は立っていることを優先しなければならない。
 こちらは、その時が最大のチャンスである
 主審が開始の声を上げる。
 リーチの長い前蹴りが飛んできた。ぶん、と音を立てて風を切り、鼻先をかすめる。
 俺は、頭の中にある戦いのスイッチを入れた。
 相手の蹴りが落ちると同時に飛び込んだ。一気に間合いを縮める。
 怒濤の正拳ラッシュを相手の胸板に叩き込み、リズミカルに左右の下段を蹴りこんだ。
(秒殺にしてやる)
 相手は体勢を立て直せないまま後ろに下がる。
 正拳突きのパンチで上体を起こされ、下段に集中砲火を受けた相手は、苦痛に顔を歪ませた。
 即座に、腰から崩れ落ちる。審判の旗が揚がる。
 あっけない一本勝ちだった。試合を見ていた他の選手たちの顔色が変わる。
 試合場を降りながら、俺は思っていた。
「俺は、生きること自体が戦いだったんだ。お前らのように、親の脛を囓って習い事のように空手をやってきた奴には、死んでも負けねえ」
 俺は初の実戦空手の試合を一回戦から決勝まですべて一本勝ちで、優勝を勝ち取ることができた。
22
 空手の試合で忘れられない戦いが、正道会館のカラテ・ワールドカップであった。
 海外では、顔を叩かない試合をBクラス、顔面攻撃を認めたキックスタイルを、Aクラスと呼んでいた。
 極真会館をスタイルの原点とし、その中でも、延長戦ではグローブを着用し、顔面攻撃を認める正道スタイルの試合が、ワールドカップであった。
 その試合には、極真会館からプロに転向したアンディフグや、サム・グレコ、また極真の世界戦士であるピーター・スミットや、ジェラルド・ゴルドーなども参戦していた。
 この流れが後にK1となり、爆発的にヒットするわけである。
 俺は、この試合に参戦するため、予てから知り合いであった新小岩にあるキックボクシングの渡辺ジムに入門した。
「押忍、自分は空手しか知りません。どうしても、顔面攻撃の技術を身につけたいので、入門をお願いします」
 と、胸の前で十字を切る空手スタイルで、俺は挨拶をした。
「んーー良いことだ」
 と腕組みをして答えた、日本キックボクシング連盟の渡辺信久会長は、見るからに奇人であった。
 頭を坊主にし、眼は片方が潰れていた。
 ボロボロのTシャツにキックのトランクスを履き、室内だというのに、必ず運動靴を履いていた。
「俺はな、二十三歳で引退したんだ。試合の事故で眼をやっちまって、網膜剥離だ。ライセンス取り上げられて……以来ずーっと三十年間、指導者一筋よ、がはははー」
 屈託なく大声で笑う渡辺会長。
 片眼だけは笑っておらず、その表情が妙に可笑しくもあり、悲しくもあった。
「片方の眼は、見えるのですか」
 俺は、恐る恐る聞いてみた。
「ほとんど見えねえなぁ」
 怒ったように渡辺会長が答えた。
「だけどなぁ、眼が見えねえほうが、見えることもあるんだよ」
 またしても屈託なく大声で笑う。俺は、できるだけさりげなく聞いてみた。
「試合中の事故だったんですか?」
「タイ人だよ」
「ムエタイですか?」
「肘でやられた」
「眼を肘で叩くのは、反則ではないんですか?」
「ムエタイは殺し合いだ。殺し合いに、反則なんかあるかい」
 渡辺会長の潰れた眼は勝負の厳しさを表していた。
23
 俺は入門をした、その日から、キックの練習に打ち込むことになった。
「体をほぐしたら、飛び縄を飛ばんかい」
 渡辺会長が腕組みをしながら指示を出す。
 最初のトレーニングは縄跳びを四分三十秒を一ラウンドとして十ラウンド飛ぶことだった。
 最初は(たかが、縄跳びぐらい)と軽く考えていた。ところが、これが意外にきつかった。
 三~四ラウンドぐらいになると膝がガクガク震えだし、心臓が口から飛び出しそうになった。
 渡辺会長は、四十歳をとうに越えているというのに、縄跳びを始めると、一時間以上も延々と飛んでいる。
 何とか十ラウンドをこなすと、今度は膝揚げという膝蹴りの連続動作を、踵を地面に付けず、十ラウンド。
 俺の脹ら脛は、すぐにパンパンに腫れ上がり、悲鳴を上げた。
 さらに、サンドバッグにパンチを叩き込むのを五ラウンド、回し蹴りを五ラウンド行った。
 俺は練習をして、初めて目眩を感じていた。
 水分を何度となく補給しても、喉が焼けるように熱い。
 サンドバッグが終わった時点で、食べた物をほとんど吐いてしまった。
「もったいねえなぁ。次からは、飯を喰わねえで来いよ」
 渡辺会長が笑いながら、俺の肩を叩いた。笑っているのに、冗談ではなかった。
「リングに上がらんかい」
 渡辺会長に言われ、グローブを付けてリングに上がる。そこからが、本当の地獄だった。
 ミットを持ち、空手のスタイルが身に浸みてしまっている俺に、徹底してパンチの打ち方、蹴り方を繰り返し反復練習させられた。
 何ラウンド行ったかも分からないほど、延々といつ果てるともなく練習は続き、リングを降りたときは、ほとんど放心状態だった。
 薄れゆく意識の中で(この稽古を続ければ、かならず最強になれる)と考えていた。
「なかなか、根性もスタミナも、あるじゃないか。この調子で頑張りなさい」
 渡辺会長は何事もなかったかのように、煙草を美味そうに喫っている。
「強くなりたかったら、この練習を毎日、たゆまず行うことだよ」
 煙草の煙を吐き出しながら、遠くを見つめるように会長が言った。
「押忍、練習ありがとうございました」
 大きな声で挨拶をして着替えようとすると、
「まだ、腹筋が残っているだろう、最後までやらんかい」と言われた。
 そこで腹筋を五百回やって、ようやく本当に、その日の稽古は終了した。
 帰りに体重計に乗ると、何と五キロも落ちていた。
24
 渡辺キックボクシング・ジムに通って数日後、渡辺会長が習いに来た小学生を、五階の窓から両足を手で掴んで宙づりにして、
「俺はやるぞーーーと叫ばんかいーーー」
 と脅かしていた。
「会長! 何をしているんですか、もしも落ちたりしたら、死んでしまいますよ」
 渡辺会長は子供を引きづり上げると、事もなげに言ってのけた。
「こいつは、学校で苛められているんだ」
 窓にブラ下げられていた小学生が泣いている。
「死にてぇなんて御託を言いやがったから、気合いを入れてやっただけだよ」
 俺は、いくら何でもやり過ぎだろうと思った。その一方で、自殺寸前の子供に魂を入れるには、これぐらいの荒療法も必要なのか、とも思った。
 渡辺会長は、しみじみと語り出した。
「今の子供は、可哀想だよ、ちっちぇうちから塾に入れられて、自分の好きなことを見つけることもできねえじゃねいか」
 高度経済成長に入った日本は、受験戦争などという言葉が流行っていた。
 受験に失敗した学生の自殺も度々、新聞で報道されている。
「しげちゃんよう、俺たちは、自分の好きなことを見つけられただけで、幸せなことなんだぜ」
 自分の言葉に納得したように渡辺会長が言った。
 好きなことを見つけられない子供たちが入門して来ると、会長は決まって「学校なんか行っていると、ろくな大人にならないぞ」と言い放ち、周りからは「きちがい親父」と噂されていた。
 仕事と言うより、ほとんど自分の楽しみという感じで、キックボクシングを教えていた。 
 太った練習生が入ると「このブタ」「床が腐って抜けるまで、縄跳びを飛ばんかい」と長時間ずーっと縄跳びだけをさせ、一日で退会させてしまった。
 経営を考えたら決して得策とは言えないことを、渡辺会長は当たり前のように行う人だった。
 その昔、台風でジムに雨漏りがしたらしい。
 渡辺会長は「選手が漏電して死んじまったら、どうしてくれんだ、こら!」と大家を脅して、それ以来、十年間ずーっと家賃を払ってないと自慢していた。
 俺は呆れかえると同時に、この人に鍛えてもらえば「最強」になれると思った。
 事実、渡辺キックボクシング・ジムでは、十年間で各階級十二名の日本チャンピオンを誕生させていた。
25
 渡辺キックボクシング・ジムで二年間の修行を積み、地獄のハード・トレーニングを積み重ねていた俺は、満を持して正道会館主催のカラテ・ワールドカップに出場した。
『K1イリュージョン、風林火山、火の巻』とサブタイトルが付いたカラテ・ワールドカップは、大阪府立体育会館で開催された。
 前年度の優勝者は、極真空手世界大会の準優勝者アンデイ・フグ選手。その他にも極真ヨーロッパ・チャンピオンのマイケル・トンプソン選手やフランスの最強戦士ジュラルド・ゴルドー選手、ムエタイ重量級世界王者のチャンプア・ゲッソンリット選手など、世界の超一流選手がこぞって参戦していた。
 今まで出た大会のどれよりも輝かしい演出に彩られた、まるでプロ興業のような華やかなリングに上がるのは、これが初めてであった。
 大会は二日間に渡って行われ、世界の一流選手たちはシードとして、本戦の二日目からの出場であった。
 それに対して全く無名の選手である俺は、予選を勝ち抜かなければ本戦には出られない。
 事前情報では、一回戦の相手は強豪、正道会館の玉城厚志選手であった。
 玉城選手は佐藤塾主催のポイント&ノックアウト選手権大会や、士道館主催のストロング・トーナメント重量級の覇者であり、正道会館空手部門の代表的な選手である。
「自分の力がどこまでメジャーな選手に通用するか、やってやる」
 初出場ながら一回戦は必ず勝つと決めて試合会場に向かった。
 東京から新幹線に乗り、大阪府立体育会館に着いて初めてパンフレットを見た俺は、腰を抜かすほど驚愕した。
 何と、一回戦が一つ増えているではないか。
 俺の相手は、想定していた玉城選手ではなく、クレイグ・マッコード選手だった。シュート・ボクシングのライトヘビー級チャンピオンである。
 急遽、参戦が決まったとかで、トーナメント表に付け加える形で載っていた。
「ここまで来たら、相手が誰であろうと構わない、やるだけだ」
 ようやく腹を括った俺は、セコンドとして東京から従いてきてくれた同門の広沢に宣言した。
 すると、パンフレットを見ながら広沢が憤慨した。
「重松さん、これは、噛ませ犬ですよ。うるさそうな奴が東京から来たから、早々と消しておこうという作戦でしょう」
「まあ、俺みたいな無名の選手を出してくれたんだから、仕方がないだろう」
 俺は自分を納得させるように、広沢に伝えた。
「倒せばいいんだろう、倒せば……」
 重ねて、自分に言い聞かせた。
26
 俺の予選は第四試合であった。
 前の試合が終わるのを待ってリングサイドに控えていると、反対側のコーナーにクレイグ・マッコード選手が立っていた。身長一九〇センチ、体重百キロの巨漢であった。
 対する俺は、身長一七五センチで、体重は七十キロを切っていた。一・五倍の体重差。見た目は二倍の開きがあるかも知れない。
 相手の大きさを見た刹那、俺は少しだけ、体重無差別の試合に出たことを後悔した。ビビって下手をしたら、壊される。
 だが、この二年間の努力は、決してムダではないはずだ。
 流した汗は嘘をつかない。俺は、このリングでそれを証明しなければならない。
 前の試合が終わる。
 ロープをまたぎ、リングインしたとき、相手のクレイグ・マッコード選手が、こちらを睨み付けてきた。
 すごい形相で睨んでいる。俺は渡辺会長の言葉を思い返した。
「いいか、しげ。静かなる流れの川と、吠えない犬ほど怖いものはないんだ、寺の仁王は睨み付けているだろう? あいつらは、ただの門番なんだ。本当に価値のある仏さんは、奥のほうで穏やかな顔をして座っているんだ。相手を睨んで来る奴は、自分が一番怖がっていると思え」
 そこで、ようやく俺は気づいた。この外人――マッコードの眼付けは、恐怖の証拠だ。
 試合開始を主審が告げる。
 コーナーから飛び出た俺は、相手マッコードの胸板にパンチの連打を入れるべく、間合いを縮める。
 一瞬、目の前に火花が飛んだ。鼻の奥が、つーんと焦げくさい臭いに包まれる。
 鼻血が流れた。こともあろうか、開始早々、相手のマッコードは反則の顔面パンチを俺の眼に当ててきたのだった。
「止め!」
 審判が割って入る。俺は叫んでいた。
「この野郎、わざとやりやがったな!」
「クレイグ・マッコード選手、コーナーへ戻れ!」
 納得いかないと言った顔でマッコードはコーナーへ戻っていく。
「重松! できるか?」
 審判が、実に分かりきった愚問を聞いてきた。
「当たり前だろう、早く再開しろよ」
 鼻血を拭いながら俺は審判に言った。ところが審判が記録係に伝えてしまった。
「ストップ。反則パンチのため、三試合後に続行する」と――。
「何を言ってんだよ、できると言っているだろう」
 俺は審判に申し出たが首を振られた。
「ダメージが大きすぎる、三試合休め」
 これ以上、審判に楯突くと失格にでもされそうなので、引き下がった。
27
 控え室に戻って椅子に座り、殴られた眼をアイスパックで冷やしていると、優勝候補のアンディ・フグ選手が入ってきた。
「だめねーー。はんそくよ、いたいねーー」
 アンディ選手が片言の日本語で激励してくれた。
「押忍!」
 俺は空手スタイルで十字を切って挨拶をした。
 アンディ選手は、同じく十字を切り、優勝候補筆頭とは思えないほど、にこやかに微笑んだ。
「押忍! がんばってください」
 この時は、まさか後年、この鉄人が急性白血病で帰らぬ人になるとは、思いもよらなかった。
 三試合を挟んで試合が続行された。
 開始前に反則行為が認められ、相手マッコード選手に減点一が与えられた。
 俺は休んでいる間に、一つの作戦を考えていた。
「奇襲」
 故意か偶然か分からないが、とにかく此奴をマットに沈めなければ絶対に東京に帰れないと、俺は思っていた。
「始め!」
 審判の声と同時に、俺はコーナーから全速力で走り込んだ。
 泡を食い、動揺するクレイグ・マッコード。
 俺は、敵が構えに入る寸前に駆け寄った。飛び上がり様、膝蹴りを繰り出す。
 飛び膝蹴りがマッコードの顔面に、したたかに命中。膝の皿が急所に食い込む。
 膝の痛みが数秒間、続くほどの衝撃と手応えを感じた。
 スローモーションのようにマットに崩れ落ちていく、マッコード。
 こうして俺は、一回戦を完全KOの一本勝ちで、当初の想定相手だった玉城戦に駒を進めた。
 ところが、時間が経つにつれ、マッコードに反則で叩かれた左目が、酷く腫れ始めた。
 無理をして見開かないと見えないほどにダメージを受けた眼に加えて、最悪だったのは、三試合も延ばしたために、二回戦までの時間が、ほとんどないことだった。
「重松さん、無理ですよ。棄権しましょう」
 と、セコンドの広沢が提案した。だが俺は、腫れた眼を冷やしながら拒否した。
「いや、やる、せっかくここまで来たんだし、やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」
 演出を担当している今城裕治さんが、心配して見に来てくれた。
「重松つぁん、大丈夫かい?」
 今城さんとは別件で知り合い、これまで陰ながら応援をしてくれていた。
 俺は少しでもリラックスしようと笑いながら言ってみた。
「ここまで来た以上、後には引けません。今城さん、俺が死んだら、骨を拾ってください」
「おう、無理するなよ」
 少し心配そうに今城さんが応える。俺はどんな戦いも一人で戦っているのではないと思った。
 セコンドに付いてくれる人、陰で勝利を祈り、応援してくれている人。
 格闘家たちは、みんな様々な人たちに背中を押してもらって戦っているのだと、感謝した。
 その直後、進行係が一試合前だと教えに来てくれた。
 リングサイドに設置された控えの椅子に腰掛ける。
 目玉を強打されたせいか、少し目眩がしていた。
 前の試合が終わる。俺は自分に気合いを入れて、リングに上がった。
 試合が始まってみると、さすがに正道会館随一のテクニシャンとして知られる玉城選手は上手かった。
 パンチからつなげるインロー(内股への下段回し蹴り)を効かされ、終始、圧倒され、気がつくと試合が終わっていた。
 判定は、四―〇の判定負け。良いところは何一つなく、俺は玉城選手に敗れ去った。
 リングを降りると、正道会館の石井館長(当時)が駆け寄ってきて、一言、慰めてくれた。
「君、いいもの持っているよ。もっと実戦経験を積めば、良い選手になるのと違いまっか」
 俺は悔しさを噛みしめて、無言のまま胸の前で十字を切った。
28
 いくら片眼状態だったとはいえ、不甲斐ない試合をしてしまい、納得のいかない俺は、一月後に迫った国際総合空手道連盟主催の全日本空手道選手権大会にエントリーをした。
 この大会は正道会館の試合とは違い、スーパーセーフというマスクを着用して戦う、このマスクはヘッドギアに金魚鉢のような強化プラスチックで、できたシールドのついた素手で顔面を殴るため開発された防具であった。
 故に、顔面パンチが有効の試合ルールであった。
 キックボクシングジムで練習した自分のテクニックをすべて出すことを課題にして、大会に臨んだ。
 出場選手はキックボクサーや伝統空手出身の猛者、大道塾(素手で顔面を叩く唯一のルール、北斗旗を主催している空手団体)の強豪選手が、顔を揃えていた。
 俺は、調整時間が余りないので、試合まで心を鍛えることだけに専念した。
 上野動物園に行き、虎の檻の前に座り込んだ。
「すごいなぁ……猫科の動物だから、小さいと思っていたけど、この大きさは牛だなぁ」
 檻の中を歩く虎は、優に二百キロを越えているであろう。
 時折、ふっと虎と眼が合うような気がした。俺を睨んで威嚇している。
 鉄の柵があると分かっていても背筋に冷たいものが走る。
「お客さん、何してんだい?」
 虎と何時間も睨めっこをしている俺を不審に思ったのか、飼育係のおじさんが声を掛けてきた。虎の餌だろうか手に肉の塊が入ったバケツをぶら下げている。
「おじさん、頼みがあるんだけど」
「な、なんだい?」
「その餌、俺にあげさせてくれないか?」
 飼育係が眼を見開いた。
「あんた、何、馬鹿なこと言ってるんだ! 俺たちだって、この餌は上から放り投げるだけだ。こんなか入ったら、数秒で餌になっちまうぞ」
 俺は土下座して頼んだ。
「お願いです、上からでいいから、俺に餌をあげさせてください」
 おじさんは尚も怪しい者を見るように、しげしげと俺を見た。
「何でそんなに虎に餌をやりたいんだい? あんた、頭おかしいのか?」
「違います。自分は格闘家で、野獣の迫力を少しでも感じたいだけです。お願いですから、餌を与えさせてください」
 さらに頼み込んだ。
 余りにも俺が粘るので、とうとう飼育係のおじさんは、譲歩してくれた。
「しかたねえなぁ。階段を上がって、上の隙間から落とすだけだよ」
 見ると、ステンレス製の階段が檻に掛かっており、天井に小さな穴が開いていた。
「ありがとうございます。恩に着ます」
 俺は肉の入ったバケツを受け取り、階段を上り始めた。
 気配を感じてか、虎が階段の側に近づいてくる。
 階段を一番上まで上がり、小さな穴から肉を掴んで手を伸ばした。
「おい、虎! 来い、このやろう!」
 俺は虎に向かって叫んだ。
「な、なにをするんだ! やめろー」
 悲鳴を上げる飼育係。その瞬間、一番大きなベンガル虎がダッシュをかけ、飛び上がる。
 三メーターはある天床に衝突し、その衝撃で、俺は無様に階段から転げ落ちた。
 あと一秒でも遅れたら、俺の腕ごと喰われていただろう。飼育係が涙目で、俺を怒鳴った。
「お前、馬鹿か! 喰われたいのか!」
「ありがとうございました。野獣のスピードを体感できました」
 見ると、虎たちが俺の落とした肉片を激しく取り合っている。
 俺は、野生のスピードから見たら自分の動きがいかに遅いか、実感した。
 同時に、早く動くためには本能で動かなければいけないことを、肌で学んだ。
29
 試合前日、俺は近所の寺に行き、住職に事情を説明して、寺の境内に泊まらせてもらった。
 小学生の時にお供物を盗んでいた寺には、鬼のような顔をした仁王様が飾ってあった。
 俺はその前に布団を敷き、一晩中ずっと仁王像と睨らめっこをした。
 暗い境内での対面は、ある意味、虎よりも怖く、心の奥底が恐怖に包まれた。
 俺は、ひたすら考えた。なぜ怖いのか。
 なぜ、恐れるのか。戦いとは何だ。俺は誰と戦っているんだ。
 深夜まで続いた思索は、恐怖を越え、祈りにも似た結論を弾きだした。
「考えるな」
「勝とうと思うな」
「本能で動け、生き残るのだ」
 生き残る――少年時代から俺の本能は、ただひたすら生き残ることだった。
「相手に勝つのではなく、生き残るのだ!」
 俺は、心から充足感と達成感を感じることができた時に、朝を迎えていた。
 こうして試合前夜は、ほとんど寝ていないのに、疲れは感じなかった。
 試合に対する集中力は驚くほど高まっていた。
 一回戦、自分より体の大きい前年度の優勝者に胴回し回転蹴り(空中前転で踵を相手の顔面に当てる大技)で一本勝ちをすると、その勢いで二回戦も三回戦も連続して優勢勝ちをしていた。
 セコンドたちは驚き、感嘆の声をあげた。
「重松さん、今日のあなたは、神がかっている」
「どうしたら、そのようなオーラが出るのか、全く分からない」
 準決勝では現役キックボクサーと対戦し、延長戦まで戦い抜き、最後は上段膝蹴りで一本勝ちを収めた。
 試合後に、彼は感想を言ってくれた。
「まったく圧力を感じないのに、自分の力を吸収されてしまったようだった。気がついたら、ダウンして天井を見ていた。こんな経験は、初めてだ。実に不思議な負け方をした」
 事実、自分でも膝蹴りを出したことすら覚えていなかった。
 決勝戦は身長一九八センチの長身選手だったが、負ける気はしなかった。
 飛び込んでの右ストレートでダウンを奪い、大差の判定勝ち。
 いっさい考えては動かなかった。
 まるで、体が勝手に動いているようだった。
 すべての試合が「本能」で動いた結果であった。
 俺は、晴れて全日本選手権大会を無心で制覇した。
30
 戦いの日々は、俺の人生そのものを変えてくれた。
 貧乏のドン底で食事もままならない経験は、俺を鍛え、向上心を染みこませてくれた。
 努力に努力を重ねて、空手の全日本チャンピオンになったとき、自分の世界が変わっていった。
 ひたすら他人の眼を気にし、惨めな思いで生きてきた少年時代は、もうなかった。
 一日に一回しか食事ができない自分が、哀れだった。
 自分の周りを変えたかった。暖かい布団で眠りたかった。普通の生活がしたかった。
「格闘技を通じて強くなる」
「誰よりも強くなりたい」
 その思いは、自分の世界を変えたかったからだった。
 自分が変わったとき、連動して世界が変わった。
 俺が目指して止まない「最強」とは、結局、自分に負けないということだったのだ。
 そしてムエタイを倒しにタイに行った俺は、人が生涯、守り続ける「本当の強さ」を知ることになるのであった。

 エピローグ


 プサリーに肩を揺すられて、眼が覚めた。
 バンコク行きの電車の座席で眠り込んでいたみたいだ。
 少年時代の様々な出来事を、途方もなく長い夢で見ていた気がする。
 眼には、涙が溜まっていた。
「泣いていましたよ、あなた」
 プサリーが微笑みながら、優しく語りかけてくる。俺は泣き顔を見られたくなくて顔を背けた。
 車窓からは暗闇しか見えない。
 今まで、余り自分の過去を話さなかったプサリーが、自分の生い立ちを語り出した。
「わたし、お父さん、知らない」
「死んだの?」
「お父さん、にほんじん。お母さん、今でも、愛しています」
 俺は最後まで聞かなくても分かった。
 プサリーは、西洋人の産み落としではない。俺と同じ国の人間が、プサリーの父親で、それが誰かは分からない。“仕事”で孕んだ子供だからだ。
「お父さん、日本から仕事で来ました」
 昔を思い出すように、プサリーがゆっくり話をする。
「最初、仕事でお母さん逢いました。でも、すぐに好きになり、お父さんと暮らした」
 自分の生まれる前の出来事を、プサリーは悲しい顔で語った。
「私が生まれてすぐに、お父さん、日本に帰りました」
「お父さんには、家族があったんだね」
 俺の言葉には答えず、プサリーは続けた。
「おかあさん、お父さんのこと、恨んでいません」
 プサリーの眼に涙が浮かんでいる。
「いつでも、お父さんの話、楽しそうにします」
 プサリーが手にした白いハンカチで目頭を押さえる。
「お父さん、自慢の人です」
 プサリーの大きな眼が、涙でキラキラ輝いていた。
「でも……」
 俺は次の言葉を、じっと待った。
「もう一度だけ、お母さんに逢わせてあげたい…」
 それだけ絞り出すように言うと、プサリーはハンカチで顔を覆って泣き出した。
 でも、お母さんがプサリーの父と再会するのは、不可能であろう。
 しかし、プサリーにとって、まだ見ぬ父も、母も、かけがいのない大切な人なのだ。

 俺も、そうだった。
 どんなに貧乏をしても、生活が苦しくても、最後まで諦めずに、父と母は一生懸命、俺たち兄弟を育ててくれた。
 自らの宿命に翻弄され、どうしようもない運命に流されながら、それでも惜しみのない愛情を注いでくれていた父と母。
 そんな両親を思い出すと、感謝の気持ちが心から溢れ出てきて、眼の奥がじーんと途轍もなく熱くなった。
 電車の窓から見る暗闇を見つめながら、ひたすら俺は考えた。
(辛かっただろうな。まともに学校にも行かせられず、満足に食べるものも買えず、子供たちに何も買ってやれなかった父と母。最愛の娘を失い、人に差し出さなければならなかった両親。自らの業を、これでもかと味わってきた両親。苦しかっただろうなぁ)
 そういう両親を馬鹿にされたくなくて、死ぬ気で戦ってきた。
 俺が空手のチャンピオンになれたのも、最強を目指して戦って来られたのも、あの両親がいてくれたからだ。
 俺は日本にいる父と母を思い浮かべて、両手を合わせた。
(ありがとう……あなたたちのお蔭で、強く生きてこられました、心から感謝します、本当にありがとう)
 そうやって改めて考えると、俺がこのタイ国でプサリーに逢ったのは、決して偶然ではなかった。むしろ運命的な必然だったのだろう。
 プサリーに逢わなければ、俺の心は永遠に救われなかったに違いない。
 プサリーに逢い、人の定めと、心の苦しみを知った。
 しかし人は、宿命(さだめ)の流れの中で、強くも弱くもなれるのだ。
 本当の強さとは、弱い者は弱いままが一番強いと知ることだった。本当の強さとは、一人ではないと言えることだ。
「バンコクに戻ったら、病院に行こう、プサリー。君の病気を、早く治そう」
 プサリーは下を向き、申し訳なさそうにワイをした。
「あなたは……ほんと……優しい」
 餓死した妹を助けられず、今また幼い子供を殺させることになった俺の、どこが優しいと言うのだろう。
 プサリーはまた、「コンコン」と悪い咳をして、ゆっくり噛みしめるように言った。
「誰も、悪くない。わたしたち、弱いだけ」
 プサリーの大きな瞳から、またしても大粒の涙がこぼれ落ちた。
 涙を拭おうとしたプサリーの手を掴み、引き寄せる。
 涙で震えるプサリーの身体を抱きしめた。
「ありがとう。愛してくれて、ほんと、ありがとう」
 耳元でプサリーが囁く。俺は心を込めて言った。
「マイペンライ」
 生涯ずっと忘れることのないタイ語だった。

 バンコクに帰った後、すぐにプサリーを病院へ連れて行った。
 バンコク心臓循環器専門病院の精密検査の結果、プサリーは、やはり「結核」であった。
 俺はレントゲン写真を見せられながら、日本人医師の赤松正根氏に告げられた。
 赤松氏は恰幅の良い、白い顎髭を蓄えた初老の医師であった。
 赤い帽子を被せたらサンタさんが務まりそうに見えた。
「レントゲンを撮り、血液検査もしましたけれど、かなり重度の結核でしょう、緊急入院が必要です」
 俺は、ある程度は予想はしていたが「やはり、そうか」と思った。
 しかし、迷うことは何もない。ただ治療させるだけだ。
「治療にどれくらい、掛かるんでしょうか」
「それは、期間ですか? 費用ですか?」
 赤松医師が驚きを隠せないという顔をした。なぜ、そんなことを聞く――という口調だ。
 プサリーが売春婦であることは、訊かなくても分かっているのであろう。
 気まぐれな旅行者が買った女に熱を上げ、酔狂にも、こんな所まで連れてきたのかと思われたのかも知れない。
 俺は胸を張って、毅然と聞いた。
「どちらも聞きたいです」
「最低でも、一年近くの入院が必要でしょう。入院費用は、保険がないので、かなり掛かると思いますよ」
 諦めたような顔で赤松医師が言う。
「治療をすれば、治るんですね?」
「保証はできませんが、改善は見込めるでしょう」
「自分が毎月、病院にプサリー名義で振り込みます」
「はぁー……そうですか」
 呆れたような顔で、赤松医師は俺を見直した。
「日本の連絡先に、掛かった費用をFAXしてください」
 俺はメモ用紙に電話番号を書き込み、赤松医師に渡した。
 頷きながらも、赤松医師は心配そうに聞いた。
「プサリーさんとは、どういう関係ですか?」
「家族です」
 赤松医師は眼鏡を外し、顔を擦りながら、話を続けた。
「余計なことでしょうが、ここには百万人の売春婦がいます」
 俺は少しむっとした。
「それが、何か?」
「一人を救っても、何も変わりません」
 キッパリとした態度で赤松医師が言う。
「何が変わらないのですか」
 俺は医師の目を見つめながら聞き返した。
「微笑みの国、バンコクです」
 俺は今一番、気づいたことを、はっきり言った。
「一人が一人を変えていけば、この国も変わるでしょう」
 無理なことは分かっている。その一人を、俺は救えなかった。
 プサリーを救っても、何も変わらないことも。それでも命に、軽い、重いなんて絶対にない。
 それが分かっただけでもタイに来て、本当に良かった。
「ともかく、プサリーのことは、よろしくお願いします。金は必ず送金します」
「わかりました。それと、気に掛かることがあるのですが……」
 カルテに目を落としながら、赤松医師が言った。
「何でしょうか?」
「んー……まだ、はっきりしてないので良いでしょう。詳しく分かったら連絡します」
 俺は、歯にものが挟まったような赤松医師の言い方が気になった。でも、それ以上は聞かなかった。
 もしもプサリーがエイズだなんて言われたら、正直やりきれない。
 今までのファイトマネーと、持参してきた金のほとんどを、病院の会計に充てた。
 プサリーの入院部屋に行くと、検査に疲れたのか、酸素マスクをして寝息を立てている。
 俺は近づき、プサリーの髪をそっと撫でた。顔色は相変わらず、真っ白だ。
 チェンマイのサムローで撮った写真が、机の上に置いてあった。
 俺と二人で並んだ、満面の笑み。つい先日の出来事が、もう何年も前のような気がした。
 プサリーの寝顔を見る。安らかに眠っているプサリーが、天使に見えた。
 もう再びこの娘に逢うことはないだろうと、思った。
 自分ではどうにもならないことが分かったとき、人は祈りの意味を知るのかもしれない。
 精一杯の想いを込めて、俺はワイを捧げた。
「君は微笑みの国の天使だ」

 その後、俺はプロモーターのパーヤップに帰国の連絡を入れた。
「世話になった。明日、日本に帰る」
「なんだ? もう試合は、しないのか?」
 パーヤップのおかしな発音の日本語が、寂しく聞こえた。
「試合はみんな、楽しかった、あんたのおかげだと思っている、ありがとう、コープクン」
「そうか、残念だねー。また、いつでも来なさい」
 パーヤップは、どうでも良さげに言った。
「一つ、聞かせてくれ」
「なんだ?」
「試合で死んだら、いくらか保証金は出るのか?」
「答は、ノーだ」
 俺は「聞かなければ良かった」と思った。
「そうだ、日本へ、土産は要らんか?」
 パーヤップは声のトーンを少し上げて聞いてきた。
「何だ、土産って?」
「薬かピストル。成功したら儲かるぜ」
 俺は、つくづく呆れた。
「答は、ノーだ」
 その翌日の帰国当日、俺はラジャダムーン・スタジアムに立ち寄った。だが、ジェームス・田中は、いなかった。
 休みだろうか。今にして思えば、田中が俺の一番の理解者だったかも知れない。
 夢を叶えることができなかった男の優しさを、田中は感じさせてくれた。
 誰でも過ちを繰り返しながら生きている。戦いながら……。
 夢に破れても自分を信じられなくなるよりは、ましだ。
 心を支えてくれた熱い思いのことを、忘れない。タイに来て、たくさんのことを学べたと、心から思う。
 欲望が渦巻く街である故に、人は敬遠なる祈りを忘れない。
 汚れを知っているからこそ、どこまでも美しく生きようとする人たち。
 三千年に一度だけ咲くと伝えられる「優曇華」という蓮の花のように、泥沼の中にこそ真の幸福があることを教えてくれたタイ国。
 少年ムエタイ戦士が、サンドバッグを蹴っている。夢に向かって、ありったけの声を振り絞りながら。
 その姿を見ていたら、日本で空手を教えていた少年たちを思い出した。
 帰ったら空手を学ぶ子供たちに、しっかりこのタイ国のことを、戦いの意味を伝えていこう。
 そして、いつの日にか一人を救える、本当の強い人間になろう。最強とは「一人の人」を救っていくことと知ったのだから。

 日本に帰国した俺は毎月、病院へ治療費を振り込んだ。
 毎月初めに、たどたどしい日本語で書かれたお礼の手紙をプサリーから貰った。
 赤松医師からは、現在の病状、行うべき治療と、掛かった経費が詳細に書き込まれていた。
 俺は、きちんと治療に専念しているプサリーを思い、安心した。
 七ヶ月で病気を克服したプサリーは、売春の仕事を辞め、故郷チェンマイに帰り、その後、独学で勉強をして小学校の教職員になった。
 一度だけシンガポールで再会したのは、この時より十四年も後だった。
 手紙と電話でやりとりをして、セントーサ島のケーブルカー・タワーのチケット売り場前で待ち合わせた。
 俺は三十八歳になっていた。
 タイから帰国した翌年、結婚をし、子供も三人いる。
 今さら会うのも――とも思ったが、元気な顔が見たかった。
 ハーバー・フロント・センター(旧ワールド・トレード・センター)の最上階にあるチケット売り場に行くと、遠目にもプサリーが、すぐ分かった。
 プサリーは元気に日焼けして、青白い面影はなかった。
 背の高い女の子を連れていた。俺は、努めてさりげなく聞いた。
「久しぶり。元気だった?」
 プサリーは手を胸の前で合わせて、頭を下げた。
「お久しぶりです、お元気ですか?」
 前よりも上手になっている日本語で、プサリーが言った。
「もう、十四年だもんね。お互い、年を取ったね」
 涙目のプサリーが微笑んだ。天使の微笑みは、昔のままだった。
「行こうか」
 三人分のチケットを買って、ケーブルカーに乗り込む。
「小学校の先生になったんだってね」
「はい、あの後、チェンマイに帰って、勉強しました」
「頑張ったね。その子は、子供さん?」
「えぇ、娘のマーキです」
 マーキは手を合わせて、ペコリと頭を下げた。お母さんに似てグラマーな、可愛い子だった。
 俺は考えた。マーキって、まさか?
 妹の真希の話は確か、していなかったはずだ。偶然の一致だろう。
 俺は聞いてみた。
「マーキって、どういう意味なの?」
「特別、意味はありません」
 プサリーは、おどけて見せた。
「年は、いくつなの?」
「十三歳です、今ハイスクールに行っています」
 十三歳! あれから、十四年だ。俺はそれ以上は、聞かないことにした。

 時折、プサリーと娘さんがタイ語で話をする。表情から意味を読み取ろうとしたが、無理だった。
「これ、タイのお土産です」
 木彫りの小さな象と細かく模様が打ち出された銀の宝石箱だった。
「ありがとう、大切にします」
 ケーブルカーを降り、シーフード・レストランの《S・E・Aビレッジ・レストラン》で食事をした。
「あれから、体の具合は、どう?」
 俺は、それ以降の調子を聞いてみた。
「退院してから何回か、レントゲンを撮りました。でも、異常は見つからず、全然、元気です」
「それは良かった」
「全部、あなたのおかげです。本当にありがとう」
 プサリーは、また手を合わせた。
「そんなことないよ。君の生命力が強かったのさ」
 当時は白く蝋燭のように透き通っていたプサリーの顔が、今や健康的に日焼けをしている。
 十四年の歳月を思い描いた。最強を目指したタイにおける日々を思い出しながら。
 タイでの短期間に起きた夢のような出来事は、確かに俺の原点だった。
 日本に帰国した後、俺は道場を構え、弟子の指導をする一方、空手の世界チャンピオンにまで登りつめることができた。
 あの、辛くも厳しい日々があってこそ、と思っている。
 タイでの苦労や、タイの人の苦労を思えば、日本にいる苦労など、たかが知れている。
 その情念が俺を動かし、ここまで戦ってこられた。
 プサリーから、まだまだ厳しいチェンマイや田舎の教育事情を聞いて、余計そのように思うようになった。
 残念なことだが、明日に行われる予定の空手の試合で来ていたため、余り長い時間は、一緒にいられなかった。
 それでも、プサリーと娘さんは悲しい顔一つせず、最後まで微笑んでくれていた。
 アンダー・ウォーター・ワールドという水槽の中をトンネルで抜けながら、下から魚の動きを観察できるトンネルを抜け、シロソ・ビーチに出た。
 透き通った青いビーチを見たら、タイのパタヤを思いだした。
 ビーチで出会い、ビーチで別れる――そういう運命なんだと、俺は自分に言い聞かせた。
 ここで遊んでから知り合いの待つホテルに帰ると、プサリーは言った。
 俺は明日の試合の打ち合わせがあるので、ここで別れることにした。
 俺はなるべく平常心を心がけて言った。
「じゃ、元気でね、また手紙ください」
 微笑みを返しながら、プサリーが言った。
「本当にありがとう……逢えて、嬉しかった」
 微笑みながら泣いていた。
「君のこと、忘れない……君は、天使だ」
 言った瞬間、プサリーの顔が涙で見えなくなった。
「さようなら……いつまでも、お元気で」
 プサリーが噛みしめるように、やっと言葉を絞り出した。
 俺は二人に背を向けると、振り向かずに歩き出した。
 二度と会えない別れであることは、お互いが知っているようだった。

 宿舎に帰って宝石箱を開けると一枚の手紙と絵が入っていた。
 絵は、ムエタイ選手を描いた子供の絵だった。

『拝啓
 今日は子供と一緒に会ってくれて、ありがとう。
 病院に入院しているとき、あなたが毎月、送金をしてくれていることを知り、毎日、仏様に感謝をしていました。
 病院で考えました。
 なぜ、あなたのような親切な人に会えたのか……。
 もうすぐ病気で死ぬかもと思っていたのに、あなたに守られて、仕事を辞める決意をしました。
 おなかに子供がいたことも、仕事を辞めるきっかけになりました。
 今は子供と二人、生き甲斐と幸せを感じながら、生きています。
 あの時、パタヤであなたに逢わなかったら、私はどうなっていたでしょう。
 そう思うと、一人でも多くの子供に教育を教え、不幸にさせてはならないと思い、頑張ってこられました。
 一緒に入れたタイボクサーの絵は、亡くなったノーイの弟が描いた物です。大好きなお兄ちゃんを描いたそうです。
 あなたが日本に帰るときに、渡そうと思ったのですが、渡せませんでした。
 体を売る仕事を辞め、子供が大きく育った今、やっと渡せました。
 ありがとう。何回も何回も言いました。
「ありがとう」
 言えば言うほど、ありがとうの気持ち、強くなります。
 いつまでも、お元気で……。       敬具
 大好きな大好きなあなたへ
                     プサリー』

 ノーイの弟が兄を描いたムエタイ選手の絵は、腰にチャンピオン・ベルトが巻かれ、満面の笑顔で微笑んでいた。
                              完

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