格闘作家  重松 榮

西葛西で空手道場やっています 今は空手の塾生よりエクササイズの生徒が増えて、何のジムか…

格闘作家  重松 榮

西葛西で空手道場やっています 今は空手の塾生よりエクササイズの生徒が増えて、何のジムかわかりません 20年前から、細々と小説書いています 過去の試合記録 人間関係 家族 格闘技界がテーマです 映像制作 格闘家プロモーションビデオ 編集なども 格闘家初の芥川賞作家目指します

マガジン

  • 癌闘病記 新説2024年版

    再び癌闘病記を書き直してみました

  • 君の本当の味方は王子様じゃない 筋肉だ

  • お母さんファイター闘争記

    松栄塾では18年に渡ってボクササイズ&パーソナルトレーニングを続けて参りました。始めは道場の開いている時間帯、お母さん達のダイエット目的で始めたほんの小遣い稼ぎ、一昨年以来から、何とこのエクササイズ部門が超バズりました。現在は空手、キックボクシング会員よりも遙かに増殖し進化を遂げた松栄ボディメンテナンス、その中でも大きな目標を持ち、勇気と努力で自分の人生を切り開こうとしているお母さんファイターの記録です。

  • 松栄塾 活動記録

    松栄塾の日々の活動を記して行きたいと思います

  • 格闘小説集

    時間を見つけて書き付けた格闘系マガジン 近い将来西島洋介物語 倉本成春師範 超人伝説書きたいと思っております

最近の記事

「二度目の入院に想う」

悲観ばかりしていても、始まらない、自分は今できる最大のことをしていこうと決意をしました、一番の気がかりは、やはり道場なので、抗がん剤治療も入院ではなく通院にしてもらいました。  自分の住んでいる江戸川区から駒込の癌センターまで電車では、地下鉄を乗り継ぎ一時間半ぐらい掛かってしまいます。 その点バイクで行けば小一時間で着くことができます。  朝のラッシュアワーを考えたら、どんなに雨が降っていても、バイクのほうが、何倍も楽だと思いました。  かくして自分はバイク通院抗がん剤治療患

    • 弟子達への伝言と決意表明

      病に冒されこの様な状況でも一番の気がかりは、やはり松栄塾道場でした。 いずれにせよ、暫くは少年の稽古を何とかしなければいけませんでした。  このまま、道場閉鎖も考えましたが、いまだに新入会のこどもたちは、元気に通って来てくれています。なんとか、家賃だけでも捻出して 道場だけは残したいと思いました。  とりあえず、幼少の頃や小学校低学年から空手を続けてきてくれている大学生たちに集まってもらい、事情を話してできるだけ少年のクラスを見てもらうことにしました、丁度、受験が終わり進路が

      • 食道整脈塞栓術

        ベッドの空き状況に合わせて、一週間後に入院をすることになりました。 自分はもちろん癌保険にも入っていないし、何の保証も出ないので、少しでも働こうと思い、二回だけ移送の仕事を受けました。 (移送とは精神に障害がある人を、迎えに行って病院まで連れて行く、警備会社の一分野、なかには暴れる患者もいるのである程度実力行使が必要な特殊な仕事) 対象者も腕を掴み病院に移送する警備員が、まさか癌患者などとは、夢にも思 わないでしょう。 それと、もし今後、調子が悪くなったら、二度とバイクには、

        • 再生

          童顔サイボーグ 林 千草ファンクラブ

          今日のトレーニング風景

        「二度目の入院に想う」

        マガジン

        • 癌闘病記 新説2024年版
          12本
        • 君の本当の味方は王子様じゃない 筋肉だ
          1本
        • お母さんファイター闘争記
          8本
        • 松栄塾 活動記録
          5本
        • 格闘小説集
          4本
        • キックボクシング中年の星 丹羽圭介さんを応援するnote
          1本

        記事

          癌闘病

          都立病院に転院 肝臓細胞癌を見つけてくれた消化器内科の先生は、治療についていろいろと説明をしてくれました。 肝硬変が進んでいるので、外科手術で取り除くのは、厳しいとのこと(この時、がん細胞は、約九センチ程に大きくなっていました) 今は余りステージという言い方はしないけれど、敢えて言うなら2から3の間ぐらい。 自分はテレビ番組ドクターXのファンなので、ステージ3がどれ程悪いか、だいたい見当がつきました、腫瘍マーカーは6000を越えています。 今できる手術というのは、塞栓術と

          武道に目覚める

          近所にあった「江戸川総合体育館」で行われていた空手クラブ「正晃館空手道場」過去の事件のせいで、どこに行っても受け入れてくれない自分を受け入れてくれたのは、空手だけでした。 一人で行くのは、緊張するのでバイト先のお兄さんと連れだって体験を申し込んだ。お兄さんは大学行事が忙しく入門は断念されたが、入会費と道着代を貸してくださり入門することができました。 今、想うとあの時の親切がなければ空手を習うことがなく自分の人生も変わっていたと考える事があります。 小岩に本部道場があり、新聞配

          最後の別れ

          「まだ、主人が帰って来ていないので、帰って来てからでは、ダ メでしょうか」 「自転車で来ているので、すぐですから取り敢えず連れて帰ります」奥さんはしばらく、困った顔をしていましたが、やむなく納得をしてくれました。 汚い自転車の荷台に知美を乗せて、自宅まで帰りました。 近いと言いましたが、綾瀬川と新中川を二つ越えなければならないので、小一時間はかかりました。 途中、知美が咲いている花を摘んでパパとママにあげたいといつので、河川敷に自転車置いて

          幸せな妹を見て、悲しくなる

          時間が止まってしまったように沈黙が流れる、 次の瞬間、この牧田という初老の親父が父に頭を下げた。 土下座を続ける牧田におかあさんが、頭を上げて下さいと声をかける 困ってしまった母は、苦虫を苦虫を噛み潰したように 「取り敢えず、籍は入れずに半年ぐらい、預かってもらえるのですか」 と聞いた。 「はい、わたしが責任をもってしばらく育てさせていただきます」 頭を下げながら、牧田の親父は言った。牧田の親父が連れて行ったのは、一番下の妹「知美」だった。 そのときは、数日前に一緒に、死んだ

          幸せな妹を見て、悲しくなる

          妹との別れ

          街全体がうちの家族を毛嫌いしていると感じました。 仕方がないので隣の町までネギと白菜、菜っ葉を買いに行きました、 肉屋でコロッケを買っているといつも遊んでいた友達にバッタリ会いました。 その友達は俺の顔を見ると、すぐに眼を伏せ走って行ってしま う。 「あぁこの街には俺達の居場所はもうないんだな」とぼんやり考えました。 結局、妹の死因は重湯の米がよく溶けていなかったため、米のカスを喉に詰まらせての、窒息死という検死結果が出て、両親は家に帰れることになりまた。しかし、本当の地獄は

          悲惨な想い出

          金がないから病院に通えない、当時はそんな子がたくさんいたと思います。 いつも小さな声で泣いていた妹が、ある日突然泣かなくなりました。 今日は余り泣かないなと思い押し入れを覗くと妹が冷たくなっていました。 息をしていない。 触ると人の皮膚ではなく、石のように硬くなっていました。 俺はぼんやり「あぁ死んじゃたんだなぁ」と 思った。 まるで、拾ってきた子犬が寒い外で凍死してしまったように、 誰にも看とられず妹は生き続けることができませんでした。 「ごめんね、兄ちゃん何もし

          悲惨な記憶

          頭の整理もつかず病院の側を散歩していると、来年まで生きられないのかとネガティブな想いが錯乱する。 「幼少期」 思い返すに自分の人生は幼少の頃から、やばい状況の連続でした。 幼い頃、外で遊んだ覚えがありません、友達のみんなが野球だの缶蹴り、鬼ごっこだと公園を走り回っていたとき、自分はいつも家でどこからか拾ってきた雑誌や漫画を読んでいました。 小学校に通い出すと突然、胸が苦しくなる、肺を針で刺されたよ うな痛みが続き、立っていることもできない。息を吸うと痛みが激し くなり我

          その後の展開

          一つには、ここの個人病院では高度な治療ができないとい う......二つにはインターフェロンを使った、治療になるが、とても高額な治療費が掛かる(当時、まだ保険適用になっておらず、高額医療 費控除などという有り難い制度もなかった) 三つめには、薬は強いため脱毛が起こり筋肉がなくなってしまう、ある意味、運動選手としては引退しかないとのこと、一番と二番は飲めても三番だけは飲むことができなかった。俺に運動をするなと 言うのは、死ねと言っているのと同じであるからだ。 仕方がないので、

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          童顔サイボーグ 林 千草ファンクラブ

          童顔サイボーグ 林 千草ファンクラブ

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          大きな原因

          大便が真っ黒になっている、イカスミのスパゲッティを食べた 翌日のようだった。 念の為、近くの内科に行き診察を受けたところ、「疲れからくる、便の異常だとは思いますが一応、大きな病院で看てもらってください」 との診断「まぁ大丈夫だろう」と考えて、稽古を続けていました。 毎日、便の異常は続き、それとともに、疲れが取れず、倦怠 感、身体のだるさが続きまし。 自分ももう還暦を過ぎて無理の出来ない身体になってしまったん だなと感じていました。 翌日、朝起きると左肩から指先まで微妙な痺れ

          体験的手記

          なつかしいなぁ〜〜〜〜 空手師範 癌になる 副題 「死ぬこと以外はかすり傷 生きているだけで丸儲け」 癌サバイバー 国際武術総合空手道連盟        松栄塾 師範 重松 栄一 ### プロローグ あなたは、自分が死ぬことを想像したことが、ありますか ? 人は死んでしまったら、全てが無になるのでしょうか? 死んだ先には、次なる生があるのでしょうか? 自分はこの数ヶ月、毎日そのことを、考えていました。 これから書く様々な出来ことは、生と死の狭間にあった 一人の男の

          患者よ癌と戦おう

            患者よ、癌と闘おう      国際武術総合空手道連盟 松栄塾師範 重松栄一  前書きに代えて 2021年5月 軽度の脳梗塞が発症して検査入院した際、肝臓細胞癌が見つかりました。癌に罹って一番最初に考えたのは、後どれくらい生きられるのかという残された時間です。  自分は江戸川区の西葛西という今では、インドの町として有名になってしまった地域で小さな空手道場を経営する武道家です。  少ないながら真摯に武道と向き合う弟子たちと日々稽古をし趣味で小説なども書いていました。