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161.「第3回 教えて先生!!」〜Google創業者ラリーペイジ編〜


お疲れ様です。

目次
・今日の一言

・「第3回 教えて先生!!」

1時間目 ラリーペイジの人生

2時間目 Googleを創業

3時間目 卒業スピーチ

4時間目 Google CEO退任後とこれから

まとめ


・今日の一言。(口内炎辛い)

突然ですが口内炎を治す方法って知りませんか??
今、4つ出来てて何をするにしても痛い。それが原因で肩こり、頭痛のトリプルパーンチ!を食らっています。

もし知ってたら教えて下さい、、、
めちゃくちゃ痛いんで。
ちなみに塗り薬を処方しても良くなりません。


何が原因何だろう。
ダイモンミチコ助けてください。
#Dr.X

と、僕の口内炎事情の話は置いといて、、

今日は、「第3回 教えて先生!!」をお届けします。


そして、今日の先生は、、、

Googleの創業者

「ラリーペイジ」



Googleは知ってても、創業者の名前は知らない人が多いかもしれません。

まぉ、勿論Googleの創業者なんですから超スーパー天才人物なのは間違いないですよね。

本当に凄い経歴と頭脳と大事なのが「優しさ」を持っているラリーペイジ先生。

そんなラリーペイジ先生からどんなことを学びましょうか!!

色々教えて下さい。先生。


もうすぐチャイムが鳴ります。

ゆっくりリラックスして先生の講義を聞きましょう。

たまに質問OKですので、コメント欄に書いてください。

それでは、今日も宜しくお願いします。

1時間目


生誕〜Google創業まで。


アメリカ合衆国ミシガン州ランシングに生まれる。祖父はゼネラルモーターズの工場労働者、父カール・ビクターはミシガン州立大学(Michigan State University)計算機科学・人工知能教授、母グロリアはユダヤ人で、彼女もミシガン州立大学でコンピュータプログラミングの教師をしている。兄のカール・ビクター・ペイジ・ジュニアは、メーリングリストサービスeGroupsの設立者で、後にYahoo!へ売却して財をなした。



もう家族の経歴が凄すぎてやばいですよね。
人工知能教授の父とコンピュータプログラミングの教師の母の子供がラリーペイジなんです。超サラブレッドです。
そして、お兄さんも凄いです。
事業を立ち上げてYahooに売却、実業家の基本中の基本を簡単にこなしている天才、お兄さん。


そんな家庭に生まれたラリーペイジは、どのように育ちGoogleを創業することになったのか見ていきましょう。

Googleの創設者の『ラリー・ペイジ』彼はまさに、生まれるべくして生まれた『ITの申し子』でした。


まさに、これからのIT業界を担うために生まれてきたと言っても過言ではありません。


ITの申し子は、なんと当時出たばかりのパソコンをわずか5歳で触れ始めます。

僕が5歳の頃は、仮面ライダーに夢中。。だったのに。


そして6歳で好きな絵本を読みながら、パソコンを使って文字入力を始めます。小学生になると、当時出たばかりのプリンターを駆使し始めます。学校の宿題の解答欄を、文字・数字を打ち込んでプリンターで出力し提出。教師達を唖然とさせた。

先生に怒られたそうです。ちゃんと書いてきなさい!!と。
でも、今では当たり前だよね。


その後、12歳になったラリーは、二コラ・テスラの本で感銘を受け、初めて涙します。【ニコラ・テスラとは、エジソンが直流電流を普及させたのに対し、初めて交流電流を世界に広げた天才。しかし彼は、発明の天才でありながら、商売の才能がなく、エジソンばかりが脚光を浴び続けます。テスラはその後、借金を抱え、孤独に息を引き取った、悲劇のヒロインである。】

この本を読み、ラリーは『素晴らしいアイディアがあっても、商売知識がないと物が売れない。』ということに、わずか12歳で気づきます。

「学びポイント!!」

発明家と起業家の違いはここにある。
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックの違いもこれだった。
設計図を構築し作る人=発明家
ビジネスモデルを構築し販売する人=起業家、実業家
ラリーペイジは、作っても届かなかったら良いプロダクトではないということに12歳で気付く。
僕は大学生の時に知ったんだけど、、、
年齢の差は置いといて、この点はめちゃくちゃ重要だ。


ラリーはその後スタンフォード大学に入学し、後のGoogle共同創設者である『セルゲイ・ブリン』と初めて出会います。

これが大きかった。スティーブ・ジョブズもスティーブ・ウォズニアックに出会ったからAppleを作ることが出来た。
海賊乙ロジャーもレイリーと最初に出逢ったから海賊王になれた。
その後の仲間の存在も重要だが、最初に出逢った人間の存在はそれ以上に大事とここでわかる。
#ワンピース
#ロジャー海賊団



当時のラリーとブリンは仲があまり良くなかったものの『膨大なデータの集合から情報を検索するシステムを作る』という共通認識から、互いに意見を交わすようになり、仲良くなっていったとのこと。

最初は仲があんまりよくなかったんだね。次第に仲良くなるっていいね。


そして、、あの有名な、、

The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine(大規模なハイパーテキスト的なウェブ検索エンジンに関する分析)と題された論文を共著で執筆した。

修士号を取得した後スタンフォード大学を休学し、1998年にGoogle社を共同設立。


大学生の時にGoogleを創業するなんて、やっぱり超天才だ。
ラリーペイジは、幼少期に作っても売る知識がないと良いアイデアではないということに気づいているので創業することはビジネスを始めることは大切だと考えていたのだろう。
当時の検索エンジンの課題を自分達で解決しようという思いが強かったのかもしれない。

その辺を2時間目で説明します。

では、1時間目はこれで以上です。

ゆっくり休憩した後、2時間目の講義に出席お願いします。


2時間目

Googleを創業

当時の検索エンジンは問題だらけ?!


1990年代初めの検索エンジンは、ウェブページに表示される単語の回数によってランク付けをされていたという。例えば『リンゴ』というキーワードについて検索する場合、一つの記事に『リンゴ』が多く書かれていた記事を検索でヒットさせるイメージだ。ただこれは、ブログの質が低くても、多くの単語が含まれている記事が検索上位に引っかかるため、非常に質が悪かった。


知らなかった方からすると、え?!まじ?!って驚いたと思います。
昔の検索エンジンの質は今と比較すると本当に質が悪かった。
記事のクオリティ等、あんまり関係が無く正しく質の高い情報に辿り着くのは一苦労、、、

この問題をGoogleが解決することになる。


当時の検索エンジンの質の悪さについて研究していたラリーとブリンは、1996年1月、質の高い記事を検索上位に表示させるため、引用に多く用いられている記事を検索ランク上位に表示させることを思いついた。これは、論文から得た知識をそのまま検索エンジンに反映したのである。これが後の「Google」だ。

IT革命が起きたのは、検索エンジンの問題が解決されたのが大きいと僕は思う。
イノベーションが起きた瞬間だった。

*お知らせ

「イノベーション」に関する内容(なぜ起きるのか?どのように起きるのか?)に関してめちゃくちゃ深掘りした記事を近々投稿しますのでお楽しみ。

*Googleの名前の由来

Googleとは、ラリーが『膨大なデータに誰もがアクセスできるように』という意味から、10の100乗の単位である『googol』から取ったのだという。その際ラリーの『googol』の単位をスペルミスで『google』と記載したのが名前の由来である。


ラリーペイジ先生を批判している訳では無いが、人は必ず何かミスを犯してしまう生き物であることは間違いないだろう。
スペルミスなんて小さな小さなミスかもしれないが、全て完璧に終わらせることは出来ない。
僕は、Googleのスペルの方がかっこいいと思うね。

テスラの学びを活かして、、、「世界一の検索エンジンの会社へ」


ラリーは、すごい発明をしても商売ができなければ意味がないことを12歳で学んでいた。このため、ラリーは売れる方法を考え『アフェリエイト戦略』を思いつく。

「学びポイント!」

アフィリエイトビジネスを始める人、めちゃくちゃ増えているよね。
広告収入って言われているビジネスモデル。
創業して間もない頃に始める所が、凄い所だよね。
競合がまだ進出していな土地を見つけて開拓。
スタートアップ企業にとって必要不可欠な戦略だ。
#スタートアップ


これは、各サイトに対して、Googleの検索ボックスを設置し、そのボックスからユーザが他の検索ワードを入力すると、Googleを使ったと認識され、その広告主に対し、一部報酬を支払う仕組みだ。この戦略でGoogleは、他社の検索エンジンを追い越し、創設わずか2年。

わずか27歳で『世界一の検索エンジン』となったのである。

驚くべき事実があった。

その後、Googleはアフェリエイト戦略で瞬く間に世界企業へとなった。しかし、ここで大きな壁にぶつかる。


ラリーが28歳になったタイミングで、Googleに対して多額の出資する企業が現れた。しかし、これらの企業から『出資したいのだが、Googleのトップは何歳だ?』という声があがった。当時のラリーの年齢は、IT業界成功者の中でもダントツで若い28歳。

その後『若者に出資するのは不安』という意見があがり、各社はGoogleへの出資に対し『ラリーが代表の座から降りること』を条件にしたのだ。ここで、当時経営のプロでもあり、ラリーとも仲が良かった『エリック・シュミット』に代表の座を譲渡したのである。


なんと、、、
Googleの創業者が代表の座を降りることになった。
これは、スティーブ・ジョブズとAppleとの関係と似ている。
ちなみに、スティーブ・ジョブズはまた違うことが理由で解任となるんだけどね。

諦めずに壁を乗り越える、ラリーペイジ。


28歳にして代表の座をシュミットに渡したラリーだが、ここからGoogleは益々加速していく。多額の出資を得た『Google』と、経営を離れた天才アイデアマン「ラリーペイジ」は、Googleが今までに得た莫大な情報量と多額の資金を駆使し、『Gmail』『Google MAP』『Google Earth』『android買収』『Youtube買収』など、飛躍的な成長をするのである。


新たなビジネスを展開し、大手企業を買収しまくったラリーペイジは、出資者から『これからのIT業界を担う年齢と経験に値する』とのことで、再び38歳でGoogleのCEOに返り咲きをした。


「学びポイント!」

一度は退任することになったが、諦めずに行動し続け結果を出し、そしてまたGoogleの代表に返り咲く。
自分自身が創業者であるため、誰よりもGoogleのことを理解している、だから自分が代表として引っ張っていくという熱い気持ちが彼にあったのかもしれない。

それでは、2時間目はこれで以上です。

1時間目、2時間目はとてもボリュームある内容でしたので疲れたと思います。

3時間目以降は、ラリーペイジの名言等をまとめた内容です。
自身の価値観と照らし合わせながら読んで頂けますと幸いです。

3時間目

卒業スピーチ

とても深い言葉を卒業生達に届けています。
何を伝えたかったのか、共に学んでいきましょう。




2009年卒業生の皆さん! まずは皆さん、立ってください! ご家族やご友人に手を振って皆さんの声を聞かせてあげてください。今日この場に呼んでいただき本当に光栄です。「いや、そんなありきたりなこと言って。みんなそう言うさ」と思うかもしれませんが、心からそう思っています。本当です。その理由を皆さんにお話しましょう。


その昔、1962年の9月、ある寒い日のことでした。スティーブン教授が立ち上げた学生のための共同生活宅が、この大学にかつて存在しました。そしてその中のキッチンの天井は、学生ボランティアがまあ10年毎くらいに掃除するレベルの清潔さでした。



そこにグロリアという女子学生がいました。彼女ははしごに上って、一生懸命その汚い天井の掃除をしていました。そこにカールという男子学生がやってきて、はしごの下からグロリアのことを覗き見て楽しんでいました。そう、こうして私の両親は出会ったのです。グロリアとカールは私の両親です。はい、なので私は、ある意味で正にミシガン大学で「キッチンで化学実験」の結果、生まれたと言えるでしょう。




今日ここに私の母も来ています。ちょっと当時の共同生活宅跡地に行って、「お父さん、お母さんありがとう!」と書いたプレートでも壁に立て付けたいですね。私、弟、両親、家族全員がこの学校の卒業生です。私の父は3つと半分の学位をここで取得したので、学費の割引が利いたくらいです。父はコンピューターサイエンスのPh.D.プログラムにいました。当時コンピュータなんていうのは、ある一部の人にだけウケるオタク的な存在だったことも学費割引に関係があったかもしれません。


父はコンピューターサイエンスの学位を44年前に取りました。私の両親は、父の学位取得のためにかなりの苦労をしました。私の弟はまだ生まれたての赤ん坊で、両親はお金の事でもよく喧嘩をしていました。母は父の博士論文をタイプライターで打ちました。コンピューターサイエンスの博士論文なのに皮肉ですよね。今私が着ているベルベットのローブは、父が卒業時に着たものです。



私が手に持っているのは父の卒業証書です。皆さんもこれをもうすぐ受け取りますね。えーそして、僕のボクサーパンツは……なんでもないです、


父はミシガン大学の教授だった

私の父の父、私の祖父はミシガン州フリントにあるシボレーの工場で、ベルトコンベアのライン作業をしていました。彼は、彼の子供たちをここに連れてきて、「お前たちは大きくなったらこの大学で勉強するんだ」と言いました。彼の2人の子供は、そろってミシガン大学を卒業しました。まさにアメリカンドリームです。彼の娘ビバリーは、今日この会場に来ています。


祖父はいつも重い鉄のハンマーを持ち歩いていました。工場の作業員たちが座り込み、ストライキをしたときに護身用に作ったものです。私が子供の頃は、何かを打ち付けるときにはいつもそのハンマーを使っていました。現在はほとんどの人が護身用に重いハンマーを持ち運ぶ必要がないのではないでしょうか? それは平和な証拠です。素晴らしいですね。でも念のために……ハンマーを持ってきました!



そして私の父はミシガン大学の教授になりました! 私はとてもラッキーでした。教授の生活はとてもフレキシブルで、私は多くの時間を父と過ごしました。大学教授の息子なんて、これ以上ラッキーなことがあるでしょうか?


このストーリーで皆さんにお伝えしたいのは、今日この日は、私にとって「ここに戻ってこられて嬉しい」などという言葉では言い表せないほど特別である、ということです。母、弟、妻のルーシー、そして皆さんと共に、私が生きてきた証であるこの最高の学校で今日この日を迎えることができたことを、本当に誇りに思います。皆さんのこれからが本当に楽しみです。皆さんのご家族だってどんなに嬉しく思っていることでしょう。皆さんとミシガン大学ファミリーになれて、とても嬉しいです。


そしてもうひとつ、皆さんにお伝えしたいこと。それは、皆さんの気持ちはよくわかっているよ、ということです。「どこかのおじさんが長いことベラベラ喋るのをじっと座って聞かなくてはいけない……」という気持ち。大丈夫、そんなに長くかかりませんからね。




夢を現実にする方法とは?


夢を追いかけることについて、お話したいと思います。正確には、夢を現実にする方法と言ったほうが良いかもしれません。夜中にすごくリアルな夢を見て飛び起きたことはありませんか? 飛び起きたときにそれを書き留めておかなければ、翌朝その夢を思い出すことはできません。23歳のときにこれを経験しました。鮮明なビジョンが夢に出てきたのです。バッと飛び起きて考えました。「もしもウェブのすべてをダウンロードできたとしたら? リンクを保存して……」。すぐさまペンを掴んで頭に浮かんだアイディアをすべて書き殴りました。



(眠り続けて)夢を見るのをやめたほうがいいときもあるのです。その夜はずっとアイディアを書き出して、夢を現実にする方法を考えました。そして私はそのアイディアを大学の教授に話します。「……ということで、すべてのウェブをダウンロードするのにたぶん数週間かかると思うんです」。そのとき彼は、私の計画には数週間どころか莫大な時間がかかることを知っていたはずですが、何も言わずに私に好きなようにやらせてくれました。


若者の「絶対にできる!」と信じる力は、時にものすごいことに繋がります。当時はサーチエンジンを作ろうなどと、これっぽっちも考えていませんでした。それでもその後、ウェブページをランク付けする良い方法を考案し、素晴らしいサーチエンジンが生まれました。それがGoogleです。素晴らしいことを思い付いたら、とにかくやってみることです。


私はミシガン大学で、夢を現実にする方法を学びました。それは言い過ぎだろうよ、と皆さんは言うかもしれませんが、「リーダーシェイプ」というサマーキャンプから多くを学びました。プログラムのスローガンは「不可能なことなどない」。このプログラムは自分でもあり得ないと思うようなアイディアだって形にすることができるんだ、と教えてくれました。


「ものすごく大きいバカみたいな夢」を見ること


私は当時キャンパス内を走るバスに代わる、もっと便利な移動手段を開発したかったのです。これは将来の交通手段の改革を見据えたアイデアでした。今でも公共交通機関の改革について考えています。一度見た夢が消えることはないのです。仕事にしなければ、いつまでも趣味として残ります。
家事、料理、掃除、車の運転等日々の雑用、毎日必ずしなければならないことに人が費やす時間を減らすために、将来色々な技術が開発されることでしょう。つまり、「不可能なことなどない」をモットーに問題に対して新しいアプローチを取り続ければ、全く新しい解決策が生まれるのです。


ものすごく大きい、バカみたいな夢を見ることは成功するためのキーだと思います。バカなことを言っている、と思うでしょう? 夢が非現実的であればあるほど、競争者がいなくなる。今現在、私レベルにクレイジーな人は世の中に数えるほどしかいないので、彼らの名前を空(そら)で挙げられるくらいです。



クレイジーはクレイジー同士、惹かれあうものなのです。大きく成功する人は大きな挑戦をします。これはGoogleも同じです。私たちのミッションは世界中の情報を整理して、世界中の人々が整理された情報にアクセスできるようにすることです。こんな素晴らしいアイディアにわくわくしない人などいないでしょう?



わくわくすることが、世界を変える


実は、今のGoogleは生まれなかったのかもしれないんです。私と共同設立者のセルゲイは、Ph.D.プログラムを退学することについてかなりのためらいがありました。雨風突風が巻き起こる中、路肩で踏ん張る虫の気分になったら、それは成功へ近づいている証拠です。それが3枚のクレジットカードの限度額を最大限使ってハードウェアを購入したときの私たちの気分でした。それがGoogle初のハードウェアとなりました。皆さん、クレジットカードはできるだけ多く持っていると便利です。



常にわくわくすることに取り組むことが、世界を変えることに繋がります。Ph.Dの学生だったとき、3つやりたいことがありました。担当教授から「しばらくウェブに取り組んだらどうだい?」と言われました。これはとてもありがたい助言でした。当時1995年でしたが、すでにウェブは急成長中でした。


テクノロジー、特にインターネットは人に時間を与え、怠け者にします。どういう意味かというと、百万人の人が利用できるソフトウェアをたった3人で書くことができる。でもたった3人の人間が一日に100万人の人の電話対応をすることができるでしょうか? レバレッジを見つけましょう! そしてもっと自分の時間をつくりましょう! 怠け者になるのです!



世の中は厳しい世界だ、と思っている方も多いと思います。それでも、クレイジーに自分の探究心のまま好きなことを追いかけ、わくわくしながら、今の自分よりもっとよくなろうと努めて下さい。夢をあきらめないで。世界が皆さんを待っています。


父が亡くなった理由


最後にこの話をしたいと思います。このような素晴らしい日は、とても浮き足立った気分になります。サーカスの舞台でキャノン砲からポーンと弾き飛ばされて空を飛ぶような。この世で何ひとつ自分の道をさえぎるものはない、そんな気分にすらなります。でも覚えておいてください。大切な人と過ごす時間、世界を変える大きな仕事を成し遂げるチャンス、人生が私たちに用意した素晴らしい時間やチャンスは簡単に奪われてしまうこともあるのです。それもとても早く、私たちに心の準備ができていないときにやってきます。


1996年の3月、私がスタンフォード大学の大学院に入ってまもなくのことです。父が呼吸困難となり病院へ運ばれました。2か月後、父は亡くなりました。悲しくて悲しくて、どうしたらいいかわかりませんでした。スタートアップを始めたときも、恋に落ちたときも、人生の冒険を楽しんでいても、私は常に父のことを考えていました。


ここから遠いある場所で、ある日(妻の)ルーシーと私は、蒸し暑い村の中を歩いていました。村の人々はとても親切で良い人ばかりでしたが、そこはとても貧しい場所でした。村では皆が室内でトイレを使いますが、トイレ使用後の汚水は、排水溝を伝ってそのまま川へ流れ出ます。私とルーシーはポリオ感染で麻痺した足を引きずる少年と触れ合いました。私とルーシーが訪れたその場所は、世界で未だにポリオが残っている世界の数か所のひとつ。インドのとある村でした。感染が広がった理由は整備されていない下水システム、汚水によってです。水に混ざった排泄物が口内に入り、感染します。


私の父もポリオを患っていました。6歳のときにテネシーに行った時に感染。2か月入院し、父が自宅に戻る際には軍が起動、軍機に乗せられ帰宅しました。軍機での空の旅が、父の人生初のフライトとなりました。「その後も学校に行けるようになるまでに1年以上の自宅静養が必要だった」。これは父が5年生のときに書いた自伝からの引用です。


父は生涯を通じて呼吸困難に悩みました。そしてポリオの合併症が彼の命を奪う決定打となりました。ワクチンがあるのに未だにポリオが残っていると知ったら、父は怒るでしょう。私たちがインドの村で靴の裏にポリオウイルスをつけたまま歩き回ってウイルスを広めたと知ったら、それに対しても父は怒るでしょう。ポリオ撲滅まであと少し、現在世界で328人の方がポリオに感染しています。一刻も早く、ポリオをこの世から追放しなければなりません。皆さんの中からポリオ撲滅に大きく貢献する方が出てきたら嬉しいです。




50年前の父のスピーチ

1956年、父は高校の卒業式で90人の同級生を代表する卒業生総代を務めました。最近その当時の父のスピーチを発見したのですが、とても驚きました。53年前、父は卒業式でこう言いました。


「私たちの世界は変化を始めた。全自動化、雇用形態の変化によって教育の在り方が変わってきたのは、経済的観点から見ても当然のことだろう。この変化により、私たちはこれからもっと多くの時間を自分の興味を追求するために充てられるようになるだろう。それに加えて、仕事の時間も減らせるし、リタイヤさせられる年齢もどんどん下がっていく。たとえ今現在この時点で不可能に思えることでも、化学、医学、工業の発達を常に目指すべきである。『国家の未来は、国民の早期教育の良し悪しにかかっている』とはよく言われる。アメリカのすべての若者がこれからもずっと教育を受け続ければ、今後アメリカはさらなる発展を遂げる事であろう」


父が生きていたら(妻の)ルーシーが妊娠していることをとても喜んでくれるはずです。でも多分私がPh.D の学位をまだ取っていないことに顔をしかめるでしょう。父は見識広く、常に新しいことを求めていました。よく思うんです、現代のこの社会の変化を父が生きていたらどう思うのだろうかと。もし父が今日この場所にいることができたら、それは父にとって人生で最も素晴らしい日のひとつとなったことは間違いありません。もし父が今日この場所にいられたら、きっと彼はお菓子屋に入った少年のように目を輝かせ、青年に戻ったかのように興奮を隠し切れていなかったことでしょう。


私たちの多くは、今日この日を家族と共に迎えます。これがどんなにラッキーであることか。友人や家族、帰る場所があることの素晴らしさ。皆さんの中には私とルーシーのように、新しい家族をつくることを夢見ている方もいるでしょう。私もそうだったように、家族のお蔭で今皆さんがここにいるのです。そして皆さんが大事な家族を今日この場所に連れてきた。覚えておいてください。人生において家族より大事なものはありません。お母さん、ルーシーありがとう。皆さん、本当にどうもありがとう!


スピーチは、これで以上です。


個人的に、夢に関する内容がとても共感出来ました。

僕はいつも大きな夢を描いてきた。

サッカー選手になり日本代表として日本を世界一にする。

これを言ったら今のままでは無理だろ。
君よりもっと上手い選手は幾らでもいる。現実を見ないと。
当時の僕は打たれ弱かった。皆んながそう言うなら叶えることが出来ないのかも。
だから違う道に進もう。


当時の僕に伝えたい。

笑われてもいい、貶されてもいい。自分が自分の事を信じないでどうする?!
自分が決めた道を進むことが大切だ。


今の僕は違う。

大きな夢を描き、それに向かって進んでいる。
時々、前に進んでいるのかどうか分からなくて不安になる時がある。
この道は正しいのか?この方法で合っているのか?
答えの無い問いに彷徨っている。今も変わらない。

それでも、諦めたく無い。
自分ならやれると、信じている。

その気持ちが大事。
まだまだ長い道のりかもしれないけど、少しずつ少しずつ前に進み、大きな結果を生み出すまで成長し続けよう。


それでは、3時間目はこれで以上です。


自分の熱い気持ちを述べました。先生のスピーチを聞いて皆さんはどう感じ、学びましたでしょうか??

答えなんてやってみないとわからないですから、今思っている事、やりたい事に専念することが大事だと僕はおもいます。
結果は後から自ずから付いてくるものです。


頑張ろうね。


一度、休憩して4時間目に移ります。

4時間目

Google退任後とこれから


グーグルにおいて、ひとつの時代が正式に終わりを迎えた。2019年にGoogleの CEO(創業者)の2人ラリーペイジとセルゲイ・ブリンが退任を発表した。
ラリーペイジはグーグルの持ち株会社であるアルファベットの最高経営責任者(CEO)で、ブリンは社長を務めていた。グーグルの現CEOであるスンダー・ピチャイが、今後はアルファベットのCEOを兼任する。
ペイジとブリンは完全に経営から退くわけではなく、引き続きアルファベットの取締役会にとどまる。規制当局への直近の提出書類によると、ふたりは合わせて議決権の51.3パーセントを保有している。つまり、もはや日常の運営にはかかわらないが、会社の支配権は維持するということになる。

「企業を人間に例えると、2019年のグーグルは21歳の若者であり、巣から飛び立つ時期です」と、ブリンとペイジは共同声明で述べている。「これほど長くグーグルの日常的な運営に深く関与できたことは、本当に特別な体験でした。しかし、これからは愛情をもって誇らしげに見守り、アドヴァイスを提供する親の役目になるときが訪れたと考えています。口やかましいことは言わずに!」

創業者が退任しても経営が上手くいっている会社こそ真の強い会社だ。これは良く言われていることである。
1人の人間のカリスマ的才能ではなく、仕組みとして会社の経営が落ちない方が良い会社である見分け方の1つ。
何年も続く会社やお店は最たる例だろう。
トヨタ等の。

ラリーペイジ達もその事を踏まえた上で退任を決断したのかもしれない。
素晴らしい考えだ。

危機を乗り越え続ける。Google。

過去数年にわたり、グーグルの従業員は米政府機関と同社の契約に抗議しているほか、中国向けの検閲機能付き検索エンジンの開発プロジェクトの中止も訴えている(のちにグーグルは、このプロジェクトの中止を表明している)。そしてこの11月には、社内のセクシャルハラスメントや差別、賃金の不平等などを巡って2万人の従業員がストライキを実施している。


これらの逆風にもかかわらず、グーグルとアルファベットはフィットビットなどを買収したり、数十億ドルの利益を上げたりして成長を続けている。同社の共同創業者がグーグルの先行きに関していくらか不安を抱いているとしても、共同声明の最後には、後任と連絡をとりながら経営に関与し続けていくと明言されている。「自分たちが強い関心をもっている問題については定期的にスンダーと協議するつもりです」


そんなラリーペイジは、これから何をするのでしょうか??
気になりますが、これに関して詳しい情報は誰も知りません。

Forbesによると、ペイジさんはもっぱら航空関係のベンチャーに投資していて、ブリンさんもハイテクな飛行機プロジェクトに投資しているそうです。

 ペイジさんが入れ込んでいる企業の1つ、Kitty Hawkは空飛ぶタクシーを開発中。最近苦戦しているようですが、空飛ぶ車関連企業としては実現に近い1つとみられています。


ただ、大きな夢を描き挑戦していく姿には変わりがないことは確かです。

今も変わらずそのスタイルを突き進んでいるのでしょう。


先生、本日はありがとうございました。

先生から多くのことを学ぶことが出来ました。

生まれた時から天才だった先生と僕には大きな大きな差がある事は間違いありません。
ただ、それだけで人生が決まるとは僕は思いません。
先生は先生が歩みたかった道へ。
僕は僕が歩みたい道へ突き進む。
諦めなくて良かった、そう思える結果を必ず出してみせます。

苦しくて泣きたくなる時、また先生の授業を振り返ってみます。

だからその時は助けて下さいね。


そして、受講して頂いた皆さん本日はありがとうございました。
とてもとても長い講義でしたので疲れたと思います。

ゆっくりお風呂に入って休んでみるのもいいですね!

僕は今から入ってきます。
#お風呂
#大好き


それでは、また明日から頑張りましょう!!

お疲れ様でした。

Sea you!good-by!!


#note #毎日note #起業 #起業家 #ビジネス #Google #ラリーペイジ #プログラミング #ビジネスモデル

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