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世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド


 久しぶりに春樹先生を拝読し、とてもJAZZな気持ちになっております。しかし、頭の中では作中出てきたボブディランが回ってくる。
 “やれやれ”、春樹先生を読むのは学生時代ぶりだから、もう15年程もご無沙汰だったことになる。最後に読んだのは、ダンスダンスダンスか、羊をめぐる冒険だったと思う。
 先生に距離を置いたのは好きになり過ぎそうだったから、私のちんけな文章に影響されそうだったから。もう少し大人になって、どうしてもJAZZな気分やらウィットやら“やれやれ”やらに没したくなってから、読もうと思った。
 時を経て、小説を読むこと自体が少なくなった時期もあったが、改めて読書期を迎え、海外作品にも刺激を受け、寄せる文波(ふみなみ)に対する体力がついたような気がしたので春樹先生を読んだ。
 どうやらこの作品、先生が私と同じ年代のときに完成していたようで、主人公も同じ年代だ。30半ばでこんな大作が書けるのは事件だと思う。やはり天才なのだと思う。
 計算士や記号士などが出てき、脳をいじくったり、シャフリングという技がでてきたり、SF感はあるものの、そこには説明があり、リアルがある。でも、その技術を使った攻防や究明に主題があるのではなく、二つの世界に分たれた「私」と「僕」がそれぞれに課された世界において、自己の人生をどう捉えるか、という心の動きを描写すること自体に目的があったように思う。その描写はやはり春樹先生の世界で、ピンクの太った娘も、胃拡張でよく食べる図書館の女性も魅力的だった。
 私は「私」と「僕」が邂逅することを期待して読み進めていたし、読者の多くがそれを期待していたと思う。読み終えてそうなるのかと、いやでもそうかと、そうかもしれないと思った。丁寧に生きようと思った。
 JAZZな気分です。


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