見出し画像

3年目の所信表明。

ラントリップにジョインしてから丸2年が経った。

2年前に6ヶ月だった息子は2歳半になり、
3ヶ月になる新しい命と共に、いつも最高の笑顔見せてくれている。

今日という日は、世の中的には2020年という全人類にとって忘れることのできない西暦の折り返し地点であり、日本人にとっては今まで当たり前の日常だったプラスチック製のレジ袋が環境保護観点で有料義務化が執行される日だったりする。

人によっては多くの日々と変わらないただの1日。私にとっては重要な節目。

2年前に、己の全人生をかけて向かうべき最終地点として見据えた北斗七星は、日々の荒波や横風でどうしても足元の舵取りや、瑣末な出来事の対処に注意が削がれ、そのフィードバックループが途切れがちになる。

ただ、それが人間というもの。心に決めた大義が霞んだり、人生において本当に大切なものを嘘みたいに忘れてしまったり、そんな弱い弱い生き物。己も例外でないことは、それなりに愛おしく感じる余裕ぐらいはできた。そんな等身大な自分の

2年前から変わらない想い決意

2年の迷いと葛藤からたどり着いた現在地これからの未来

そんな軌跡の果てに想いを馳せながら、今の心の中を忘れぬよう赤裸々に記しておきたい。

一人でも多くの、心と身体を取り戻す。

丸2年の節目を待たずして、この航海の意義を強烈に考え直す出来事が2020年に起こってしまった。

そのウィルスがもたらしたのは国家の経済的ダメージや、人類のモラルといったマクロで壮大なテーマに対するインパクトだけでなく、全人類一人ひとりの生活、価値観、そして心身の健康に対する天文学的な数の負のインパクトだった。

「コロナ疲れ」という極めて抽象的に表現される事象は、当然無数なバイネームによる個別事案の集合体であり、いつくかのそれぞれを外野からパブリックなニュースとして垣間見るだけでも、その「人間的泥臭さ」と「絶望的な心の闇」に起因する目を覆いたくなるような惨事のオンパレードだった。

時を同じくして、多くの人々が「ランニング・ジョギング」を新しい生活習慣として取り入れようとしたことは、単純に外出自粛に対するカウンターアクションや、健康に対する危機感だけではない気がしている。

「個」に降りかかるストレス、「心身」に対する閉塞感に対して、人間という動物は本能的に「走り出す」ことによって心身の危機に対する回避行動を起こすのだということ。重要なのは「身体」の危機だけではなく、「心」の危機に対しても。500万年と言われる人類の祖先からの長い長い歴史の延長線上にいる我々が、そのような「本能」をドライバーとした行動を同時多発的に起こすことは、科学的根拠を並べ立てる必要もなく個人的にはしっくり来ている。

あらためて思う。

そんな一人ひとりの、心と身体を救いたいから、今ココに立っている。

当然、アプローチの仕方はいくらでもある。医者になったり、学者として研究したり、専門機関へ従事したり。

ただ、私は実業家でいたい。

今でもインターネットを軸としたサービスを創るのが大好きで、そんなIT業界のど真ん中から、実業を通じて全人類の「心と身体」にアプローチすること自体に自らの価値と意義を感じている。

だから、ラントリップに立っている。

ランニングが全てを解決する万能薬ということではない。
会う人会う人に私はランニングを勧めている訳でもない。あくまで個別の課題解決における「HOW」の一つがランニングであり、ただその「HOW」におけるランニングの可能性とカバレッジをものすごく感じ、信じている。

個人手にはヨガもトレーニングもマインドフルネスも、たまにサウナも(笑)
どれも心身のメンテナンスにおいては最良のツールたちだ。

ただ、ランニングはもっと「ライフスタイルカルチャー」に昇華できる。そんな最高の世界を観せてくれた代表を担ぎ、最高のチームを創り、これからの人類において最良の事業を創っていきたい。

引き続き、実業を通じてより多くの人に、不特定多数の「心身の課題を抱える人」に対する最良の処方箋を提供できるような企業努力をし続けたいと思う。

想いを実現する自分自身は、どうありたいのか?

より多くの人へ価値を届けようとする「想い」の自分がいる一方で、どういった自分でありたいかという「実態」を造形しようとする自分も常にいる。

崇高な大義を見据えつつも、

「経営者としてもっと成長したい。」

「できれば年収だってもっと上げたい。」

「家族に対して、もっと良き夫、父でありたい。」

「何を成し遂げたいのか?」というのは人生の旅路において極めて重要な「問い」でり、同様に「どのような自分でありたいか?」というのも、すごくリアルで人間臭い人生の問いなのだろう。

後者の質問においては、そこに個としての自分と、家庭に対する自分と、社会に対する自分の映し鏡が常に存在する。自分以外の誰かのフィルターを通じて、自分がどうあるべきかを常に夢想している。

そしてそれは前者の質問よりも移ろいやすく、心変わりしやすく、必ず一つの形に収まるものでもない。

1対1でこそ提供できる「人間」としての価値の最大化

この2年の旅路を通じて痛烈に感じ続けていたことは、
「人間は感情の動物」
だということ。感情の奴隷と言ってもいいかもしれない。最終的に情理が理屈に勝る。逆に言うと、人間の情理を抜きにして理屈だけこねくり回しても、人間が人間である限りは目の前の課題に対する良質な問題解決はできない。そんな捻れ(ねじれ)を、嫌という程目の当たりにしてきた。

たまたま企業の文化という視座を通じて向き合い続けきた、生身の組織に対峙する上でのシンプルで最も大事なマインドセットは、そんな単純なことだった。

人間が抱える問題に、唯一の一般解など存在せず、個別の最適解と最大公約的な解を合わせ技するしかない。

その時に大切なのが、その生きた「動物」「人間」「感情」を理解する「洞察力」「観察力」「感性」であり、それらを総動員して個別の最適解を導き出し、人や組織を力強く後押しする総合的な「人間力」なのだと思う。

頭で理解するだけでなはく、心で感じ

理解し感じるだけでなく、それをもって人や組織をより良い方向に動かしていく実行家であること。

そんな人類の総合格闘技で、もっともっと実力を磨いていきたい、そんな自分になりたいと思っている。そこにこそ、AIなど到底代わりができない人間としての価値がある。

より多くの、不特定多数の心と身体を取り戻したいと思っている自分がいる一方で、目の前にいるその人の手触りのある助けになりたい。そういったものに対極の価値を感じている。

ちなみに、そんな人類の総合格闘技で、最も身近で最も価値提供ができるのが「1on 1」だと思う。テクニックが大事ではないとは言わないが、小手先のスキームより何よりも大切なのは目の前の「人」とちゃんと向き合うことだと信じている。つまり「姿勢」だ。

今の会社のメンバー、それ以外で関わる多くの大事な仲間、ビジネスパートナー。そんな人たちとの1対1の文字通り「タイマン」は、私にとって毎回真剣勝負。その30分〜1時間で、どれだけ相手の事を知り、目で見て心で感じた情報をたよりに、良質な問いを立て、目の前のその人が前進するための推進力になれるか。

そんな修行、トレーニングを日々繰り返していけば、結果的に私が求める自分像に、たどり着けるんじゃないかと思いながら、目の前の「生身の人」と向き合って生きている。

・・・

ラントリップを通じて、より多くの人たちの心と身体を取り戻す。

一方で、

目の前の「個」を、誰よりも強く、優しく、温かく前進させる追い風になる。

そんな、3年目の所信表明。

終わりに

この2年間、仕事やプライベートを通じて本当にたくさんの学びの機会を与えてくれた全ての人に感謝したい。

一度きりの人生、常に謙虚に学び続け、昨日よりも1歩でも前進することでしか、きっと旅路の果てで満足することは無い。

常に向上心を。

https://twitter.com/tommygfx90


応援が励みになります。頂いたサポートは、同僚にCoffeeとして還元します :)