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2020年最後の日の、後味。

この期に及んでnoteを書き綴るつもりもなかったのですが
「私がいると長男が遊びたくて仕方なく昼寝しないから」
という理由で小一時間、大晦日に家を飛び出す時間を妻からもらいました。

ガラガラのガストで年始へのタスク整理やちょっとした読書を終わらせて、まだ「昼寝突入」のLINEメッセージが来ないので、折角とばかりにノートPCを広げてnoteを書き始めてしまいました。さて、これ書き終わるかな。

"座らなかった"一年。

今年は言わずもがなのパンデミックなどがあり、多くの人にとって「変化」の多い年だったと思います。私の場合も例に漏れず、ざっと書き出すと

・次女が誕生する
・筋トレをはじめる(自重中心)
・朝方に切り替える(4時とか5時に起きて21時とか22時に寝る)
・リモートワークが中心になる
・家族との時間、食事が劇的に増える
・仕事でとにかく荒波に揉まれて最後にようやっと結果が出る

細かく書き出したらキリがないので大雑把に箇条書きしましたが、とにかく変化の多い1年でした。

そんな時代・生活の変化の波にうまく乗るために結局何をしてきたのか。

振り返ると、それは「心の感度を高め続ける」という事だったように思います。何を言ってるんだという感じですが、39年間生きてきて、この一年ほど「心の感度」「自らの内面への解像度と、それを対をなす外面・世界への理解」が高まった年は無かったように思います。

なぜ今年が、そんな一年になったのか。それは単純に年を重ね、経験を積み重ねた結果の「人としての成熟」という観点もあるかと思いますが、今までの長い人生の延長戦上での2020年を振り返った時に、一つ特異点として思い当たるのが

「圧倒的に座っている時間が短かった。」

という事実があります。

端的に言うと、仕事で座っている時間が劇的に減ったんです。

コロナ禍でリモートワークが中心になった結果、家では基本スタンディングで仕事をしています(ちなみにこれで肩こりが無くなりました)。また、当然現場仕事や作業も多いですが、自らのクリエイティビティを高めるために意識的に歩きながら、時に走りながら(物理的に)考え、アイディアを出し、密を避けながら街へ出て、現地現物をその目で見て、仕事の「質」を高める努力をしてきました。メンバーとの1on1も基本ウォーキングです。

気がついたら、仕事の質を高めるためにやってきたことは「身体活動」を伴うことが多かったんですね。そうやって動くことで、脳と心が良い意味で外界の刺激に対して受動的になっていったんです。ブルースリー先生の言葉が、今となって腹に落ちるんですが、まさに

Don't Think, feel!

の世界。そうしないと、折角得られた良質な刺激を、真の意味で良質なアウトプットに変えられない。だから物理的にじっと座ったままを避けて、動いて、見て、感じて、吐き出す。そうやって生きてきた2020年でした。

そんな年の最後の日に、心に残った後味というのは、
心を研ぎ澄ますと、こんな一言でした。


"良く生きた。"


毎日を、良く生きる。

家族と楽しく食事をし、身体を動かし、心を研ぎ澄ます。

そうやって自らと向き合い、その結果外の世界とも向き合い。

そんな身体から、カイシャを通じて世の中に価値をアウトプットする。

今年ほど、朝日の美しさ、空のグラデーションの鮮やかさに心動いた年はありませんでした。
今年ほど、家族の笑顔と団欒に心が救われた年はありませんでした。
今年ほど、心と身体で仕事に向き合った年はありませんでした。

そうやって、2020年は「良く生きた」一年でした。

こんな感覚が得られる一年は、本当に不思議でなりません。
そして、2020年の最後に、今立っているこの場所は、最高に人間らしく、最高に心地が良いです。

そんな2020年の経験から、2021年の私へ贈る一言。


「毎日を、良く生きる。」


人生は短い。

我々はいつか死ぬ。

終わりがあるから、毎日が、家族が、友が、仕事が愛おしい。

コロナが与えた危機は、そんな限りある命、世界への警鐘。

私たちがするべきことは、まず、

毎日を良く生きることだ。

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