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【 出雲記 】#4 大国主命へのご挨拶

『それぞれの神話を、人は生きる。
 そして、語る。』
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遠く、近く、
それを耳にすべき誰かのために。

他ならぬ、自分のために。

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そのために、
わたしたちは生まれるのだ。


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「出雲に行くなら、
 大国主と日本神話について
 よく知っておくといい」
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これに加えて、
魚住心さんが仰っていたのは、

「住んでるところの近くにある、
 大国主が祀られている神社に行って
 先にご挨拶し、
 ご縁をいただいておいた方がいいですよ」
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つまり、出雲大社の主祭神 大国主に、
先にご挨拶をして、
ちょっと「渡りを付けておく」。

これが大事、とのこと。

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10月、旅の少し前に
ご挨拶に行くことにしたのは、
埼玉県 越谷市の久伊豆神社
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「大国主」でググったらヒットして、
居住地域からそんなに遠くもなく、
ずいぶん昔に行ったことを思い出した。


でも、立派な社殿があった記憶があるが、
恥ずかしながら、御祭神については
全く認識していなかった。


記憶していた通り本殿は美しく、
参拝、ご挨拶をした後、
時間があまりなかったけども
本殿裏手の末社のあたりも歩いてみた。
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水量豊富に湧いている、霊水もいただいた。



本殿の真裏にまわると絵馬掛があり、
真ん中のガラスケースの中に
大きな「天岩戸開き」の絵馬が
納められていた。



そういえば、
10月のマンスリーリーディングでも、
出たカードの並びが
「天岩戸開き」だったことを思い出した。

あまりに見事に「天岩戸開き」だったので、
印象深かったのだ。

「マンスリーリーディング 2023年10月」より


旅の日程が迫っているのに
全然計画も具体的に立てていないし、
あまり実感が湧いていなかったのだけれど、

いよいよ、日本神話の地、
出雲に旅立つのだなあ、と思ったのでした。
 
 



出雲への旅立ちの日が近付き、
日本神話を動画などで学びまくる中で
わたしの中で、
とても不思議な変化があった。


『日本神話は、おとぎ話ではなく、
 日本歴史の隠喩である』



それを知れば知るほど。


「神」は人であり、
神話は、日本に生きた人の歴史なのだと、

そう思うほどに、

不思議と、
神々と今を生きるわたし、

そして、
神代から、今を生きるわたしへと
命を繋いでくれた
祖先たちへの感謝と共に、

『つながっている』

そう感じるようになった。


何だろう。


「ひとりじゃない」

「ひとりで生きてるんじゃない」

「命を与えられて、生かされて、
 今ここにいる」
 


そういう感覚。

生かされて、命を与えられて、
今、わたしは生きている。


幾千、幾億、もしくは、それ以上の
祖先たちの人生の営みの結果として
わたしの命がある。


なんだろう。

安心感。

自分の芯が、根っこが、太くなる感覚。


日本に今生きているわたしたちが
いつの間にか置き忘れてきてしまった、

「自らの魂のかけら」

「日本人」である自分の力の一部に、
出逢い、つながっていく気がした。


10,000年以上続いたといわれる縄文時代は、
争いのない、平和な時代だったそうで。

それだけの期間、争いがなかったから
その時代は続いたとも言えるのだけど、
これは、世界の歴史からみても、
特異なこと。

元々の日本の人の魂は、
すべての存在への尊重、「和」への親和性が
特筆すべき程高い民族だと言えるだろう。


私は右でも左でもないけれど、

それでも、この争い多き時代に
わざわざ自分が日本を選んで
生まれて来た意味を考えるし、

「日本人」である自分のルーツを知ることで、
ひとりではないような、
何らかの安らぎ、繋がり、
あたたかさを感じた。


でもこれは、
本当は不思議なことでも何でもなくて、
理に叶ったことと。

自分ひとりの命として
漂うだけの根無し草よりも、
根(ルーツ)がある方が、
しっかり、どっしりとするのは当たり前で。


『ルーツ(根源)を知ることは、
 自分を知ることであり、
 自分の命をこの世界に繋げ、
 根付かせること』

 

この旅を通して、
わたしの知らないわたしに、出逢うだろう。

そして、それはきっと、
わたし自身の「統合」の過程となる。


そんな風に、旅立ちを前にして、
思ったのだった


#出雲記
#久伊豆神社
#天岩戸開き
#大国主

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