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二人で追いかける「日本製ビーサン」の夢

※この記事は過去にシン・エナジーの公式ブログ「ミラトモ!」に公開された2019年9月の記事の再掲です。内容はすべて当時のものです

今や世界中で愛されているビーチサンダル、通称ビーサン。このビーサンが実は神戸発祥だと知る人は多くない。かつては神戸市長田区を中心にビーサン作りが盛んに行われていたが、1995年の阪神・淡路大震災で多くの工場が被災し、その後の原料難や海外生産への移行などから日本製のビーサンは見られなくなった。また、1985年のピーク時に約3,800万人いた海水浴客は、2015年には約760万人に落ち込むなどの海離れも、ビーサンのニーズを遠ざける一因になった。

「九十九(つくも)」(株式会社TSUKUMO)代表の中島広行さんは、1998年にビーサン界に入り、老舗ビーサン店の店主を務めた。大手企業とのコラボレーションを実現するなど事業は順調だったが、当時からビーサンの国内工場がなく海外工場へ発注せざるを得ないことに疑問を抱いていた。「海外工場への注文は年に1回決まっていて、せっかくの依頼や需要増に応えられないことが非常にもったいないと感じていました」
しかし、そこで短納期や小ロットに応えてくれる国内工場があると、現在、九十九のビーサン製造をおこなう「兵神(ひょうしん)化学」(兵庫県稲美町)を紹介される。兵神化学の羽戸(はと)修作さんは震災前からビーサンの製造に長く携わり、現在は国内でビーサンを作る唯一の生産者だ。「震災後、何とかスリッパの製造などでしのいできたけれど、本当にこの先どうしようかと思っていたときに中島さんから製造依頼があった。まるで天からクモの糸が下りてきたみたいだった」と羽戸さんは顔をほころばせる。こうして中島さんと羽戸さんが出会い、2013年に九十九が誕生した。

九十九のビーサンの特徴は何といっても手作りであること。製造工程としては、まず、ゴム製のシート(通称・台)を足型に抜き、鼻緒の留めがきれいに収まるように穴の周囲を広げる「穴ぐり」という作業をおこなう。その後、鼻緒を一つずつハサミで切り離し、台に鼻緒をつける。これらすべてを羽戸さんが手作業でおこなっている。「製造工程は流行に乗らなくていい。定番化するようなロングセラー商品を作りたい」という中島さんの言葉どおり、機械化による量産よりも手作りの良さや価値を伝えることを重視している。ビーサンのカラーバリエーションは、台が19色で鼻緒が12色と、合計228通りもの組み合わせが可能。また、鼻緒には天然ゴムを使用しており、自然な履き心地が楽しめる。

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「スーパーの野菜コーナーに、生産者の顔がパッケージにプリントされている野菜が売っていますよね。あんなことをビーサンでもやりたいんです。『私が作りました』と、羽戸さんの顔写真がプリントされているような」と中島さんは笑う。目標は、原材料に全て日本製のゴムを採用し国内で製造し、正真正銘の日本製ビーサンを作ること。「まず国内で日本製ビーサンの良さを知ってもらい、いずれ海外にも拡大していきたいです」。
一度途絶えてしまった国産ビーサンの製造が、二人の手によって息を吹き返そうとしている。

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(2019/9/19 シン・エナジー広報/元日本経済新聞記者 府川浩・記)