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Ryuichi Sakamoto: Opus

坂本龍一の映画、Opus を見に行った。

僕が坂本龍一(めんどくさいから以下は、例の「教授」と書かせてもらおう)を知ったのは小学生時代に聞いたYMOで、まあとにかく外見から音楽まで、カッコいいじゃないですか。
その当時は熱狂的に聞いていたけど、YMOが散開した後は、憑きものが落ちたかのように、彼らの音楽を聞かなくなった。

でも、教授のここ何年かの闘病生活などを知ると考えさせられるものがあったし、亡くなったというニュースを聞いた時は、一つの時代が終わったような気持ちになって、痛切な気持ちになった。

そんな教授の最後の演奏ともいえるこのOpusはもちろん観たかった。
調べてみると、ここオーストラリアでも、この映画が上映される。
やはり「世界の坂本」なんだなあ、と思ったが、上映されているのはアートハウス系の映画館に限られ、上映回数も限られているので急いで見に行った。

以下は映画を見た感想なので、内容を知りたくない人は読まないでね。



これは映画というより、コンサート上映、といって良いような作品だ。

観客などはおらず、映される対象といえば、レコーディングスタジオの中でピアノを演奏する教授だけ。しかもモノクロ画像。

観客は、そんなシンプルな画面を通して教授自らが弾く音楽と対峙する…その長さ100分超。

それがつまらないか、というと全くそんなことはなかった。もちろん、教授の音楽が心を打つ、というのもあるが、カメラワークが素晴らしかった。

ピアノの蓋に映る坂本の顔、楽譜、スタジオの壁、立ち並ぶ数々のマイク…それだけだけど美しい。

ここでの教授は、おそらく自分の人生が終わりつつあるということを知っている。でも淡々とピアノを弾く。ゆっくりとしたテンポの曲がほとんどだし、テクニックはそれほど要らないだろう。それでも、音の一つ一つが心に響く。

やはり心に打つ音楽だよなあ…と聴いていると、突然音が、耳からだけではなく、指や足といった身体の先端から入ってくるような気がした。え、なんだろうこの感覚!と少し驚いた。

途中から、自分も知っている曲が弾かれ、さらには教授の最初期のヒット作とも言うべき「東風」が始まる。

死期を迎えた教授、どんな気持ちで何十年も前に作曲した曲を弾いているのだろう…と思って観ていると、ふっと教授の口元が緩んだ。

ほんの一瞬の口元の動きだったので本当のところは知る由もないが、僕には教授が過去を回想してふっと微笑した…ように見えた。このシーンが、とても印象的だった。

2回だけ、流れが乱れるシーンがあった。

1回目は、教授が曲を弾いているうちに、何回も同じフレーズを弾き直す。初めは、そんな曲なのかな?と思ったがそんなことはなく、教授が何かに引っかかって弾き直しているのだろう。そして、「もう一回」とつぶやいて演奏を終える。

もう一回は、曲の合間に気を詰めすぎたね、みたいなことをつぶやき、スタッフが気遣う声も入る。

今まで淡々と演奏しているシーンを撮っていたので、この「ハプニング」には少し驚かされた。もちろんこのシーンをカットしようと思えば出来た訳だが、あえて残した意図は何なのだろう…。

「ラストエンペラー」、「戦メリ」といったいわゆる有名どころの作品ももちろん素晴らしかったが、プリペイドピアノにして弾かれた曲(名前は知らないのだけど)も、ちょっと禅的な趣があって心に響いた。

そして最後の曲は、途中から教授がピアノから消え、自動演奏なのだろうか、ピアノだけが鍵盤を上下させて演奏を続ける。

そしてクレジットなどが出た一番最後の画面に、こんな文字が浮かび上がった。

Ars longa, vita brevis

ラテン語なのかな?と思い、この言葉を頭に焼き付け、映画館を出るやいなや検索してみた。
「芸術は永し、人生は短し」という意味だそう。

ああ、あの自動演奏のピアノはそれを象徴していたのだなあ、と腑に落ちた。


この映画を通して、ひとりの音楽家(作曲家)が人生を終えることについて考えさせられた。
作曲家は、自分の作品(楽曲)を残して世を去る。
ただ、これは普通の人というか、人間誰でも何かを残して世を去る。
お金や土地といった物質的なものも残すし、子供を作った人は子孫を残して世を去る。
また、はかないものではあるが「思い出」「記憶」といったものを残して世を去るというのも事実であろう。

僕はまだまだ健康体ではあるが、齢50を過ぎたので、そういうこともチラチラ考えるようになってきた。

どう生きて、何を残して世を去るのか…そんなことを考えながら映画を見ていた。