小僧の神様

志賀直哉の短編に『小僧の神様』があります。
専修学院時代に授業で触れられていたので、その時に思ったことを元に書きます。

仙吉はハカリ屋の小僧です。
若い貴族院議員に寿司をおごってもらい、いろいろな偶然が重なって自分を見ていた神様だと思い込みます。
そして「いつかはまた「あの客」が思わぬ恵みを持って自分の前に現れて来る事を信じ」るようになります。

という短い話です。

さて、この話には何人のカミが出てくるでしょう。

・小僧に福をもたらしてくれた「あの客」という福の神。
・もてなしてくれた寿司屋のおかみさん。
・小僧が行き着いたかもしれないほこらのお稲荷さん。
・神わざをふるう寿司職人。
・議員ならば、政治の力を体現したお上の一員とも言えるでしょう。

日本語の「カミ」とは、「超自然なもの」とは限りません。
自分に出来ないことをなしてくれる存在、自らよりウエツ方にある者がカミなのです。その点では、西洋のGODとは大きく違います。

現代で言う神様は、そのカミなる存在のうちでもとくに「超自然なもの」をさします。

ですから、仏様も日本語的には神様と言えなくはないのです。

明治元年の神仏判然令のせいで、今の我々は神道と仏教が常に対立してきたと思い込みがちです。が、江戸時代以前の神社仏閣は混在するのがあたりまえでした。神社には神宮寺があり、寺には鎮守社があります。神様に般若心経をあげるのは普通のことでした。この神仏習合の形を残す社寺は少なくありません。神仏判然令と同時進行した廃仏毀釈運動を乗り越えて今に生き残っているのです。

そもそも、仏教は渡来時には神仏混淆でした。四天王、弁財天、閻魔天、梵天といった天部の護法神は、もともとインドの神様です。また、観音菩薩も元々はシヴァ神だと言われています。

仏をまつる蘇我馬子と、日本固有の神しか認めない物部守屋が戦った際、蘇我氏側の厩戸皇子(うまやどのみこ/死後に聖徳太子とおくりながつけられた)が、四天王の像を彫って頭につけて必勝を祈願し、勝利のお礼に四天王寺を建てたという故実は有名です。

では、これらの神様はどうして仏様の守護をするようになったのでしょう。

神様は、人より優れたことはできます。でも、煩悩があります。諸行無常(ものごとは変化していく)を止めることは出来ません。何もかもが思い通りに行くというわけでもありません。時には怒り、対立し、苦悩する存在なのです。それを救うのが釈迦牟尼仏の教えなのです。

宇佐八幡宮に伝わる『八幡宇佐宮御託宣集』には、こうあります。隼人との戦いに加担した(神輿に乗ってかつぎ出された)八幡神が、殺生の罪を悔いて仏教に救いを求め、放生会がはじまった、と。

神仏のどちらが偉いか、どちらが本地か、といったことは、凡夫の価値観によって生み出された分別/妄想にすぎません。

神仏の世界にはカミもシモもありません。ただ、仏法という苦悩を解く教えがあり、それを納得した人なり神なりが心の安寧を得る、というだけの事なのです。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?