長阿含経巻第五 典尊経

仏説長阿含経巻第五
 後秦の弘始の年、仏陀耶舎と竺仏念が訳した。

第一分 典尊経第三

※『長阿含経』巻第五のPart1、全体を通しては三番目のお経です。
ちなみに、『長阿含経』の巻第二から巻第四までは『遊行経』で、内容は『仏般泥洹経』とほぼ同じです。


 このように聞いた。仏がラージャグリハの耆闍崛山(ぎしゃくっせん)に大比丘衆千二百五十人とともにいたとき。
 執楽天(乾闥婆/ガンダルヴァ)の般遮翼(パンチャシカ)が、夜の静寂で無人の時に大光明で耆闍崛山を照らしながら現れた。
 パンチャシカは仏の足を頭をつけて礼をすると、離れて立った。
パンチャシカ「昨日、梵天王が忉利天に来て帝釈天と共議しました。私はその場にいて聞いたのです。世尊、お話ししてよいでしょうか」
仏「話したいのならどうぞ」
パンチャシカ「ある時、忉利天の神々が法講堂に集まり、講論をしました。四天王がそれぞれの方向に坐りました。持国天は東方で西を向いて帝釈天に向かい、増長天は南方で北を向いて帝釈天に向かい、広目天は西方で東を向いてを向いて帝釈天に向かい、毘沙門天は北方で南を向いて帝釈天に向かいました。四天王が皆、先に坐ってから私も坐りました。また他の大神天たちも坐りました」


 彼らは皆、仏の浄修梵行を修め、命終ののち忉利天にうまれた者達だった。
 彼らは五福をもたらした。一は天寿、二は天の外見、三は天の名声、四は天の楽、五は天の威徳である。
 忉利天の神々は皆、歓喜踊躍して言った。
『神々の力は増し、阿修羅は弱まった』と。

 帝釈天は神々の歓喜の心を知り、忉利天の神々のために頌を作った。

忉利諸天人 帝釈相娯楽
(忉利天の神々と 帝釈天は相楽しむ)
礼敬於如来 最上法之王
(如来に礼をし敬う 最上法の王に)
諸天受影福 寿色名楽威
(諸天はお陰の福をうける 寿色名楽威の五福を)
於仏修梵行 故来生此間
(彼らは仏の梵行を修め ここに生れかわったのだ)
復有諸天人 光色甚巍巍
(彼らは 光り輝き偉大である)
仏智慧弟子 生此復殊勝
(仏の智慧ある弟子は このような素晴らしい姿でうまれた)
忉利及因提 思惟此自楽
(忉利天と帝釈天では 思惟してこのように自ずと楽しむのだ)
礼敬於如来 最上法之王
(如来に礼をし敬う 最上の法の王に)

 この時、忉利天の神々はこの偈を聞いておのずと喜びが倍増した。「神々の力は増し、阿修羅は弱まった」と。
 帝釈天は忉利天の神々の歓喜する様子を見て告げた。
「諸賢よ。そなたらは如来の八無等法を聴きたいのだな」
諸天「聞きたいです」
帝釈「よく聴きよく考えるのだ。諸賢よ、如来は至真、等正覚といった十号をそなえている。過去未来現在にかかわらず、如来、至真という十号をそなえた仏のような者はいなかった。仏法はすばらしく善いもので説きうるものだ。智者の行いである。過去未来現在にかかわらず、仏のすばらしい法のようなものを説いた者はいなかった。
 仏はこの法によって悟った。通達して限りなく、自ら楽しんだ。過去未来現在にかかわらず、この法を行って悟り、通達して限りなく、自ら楽しんだ仏のような者はいなかった。
 諸賢よ、仏はこの法によって悟った。また涅槃の径路を示した。ゆっくりと寂滅に入っていくことになれていけるのだ。たとえるならガンジス河の水と炎摩水(未詳)の二本の川が並流していて、ともに大海に入るようなものだ。仏が示した事もこれと同じだ。よく涅槃の径路を示している。したしみ、ゆっくりと寂滅に向かう。過去未来現在にかかわらず、涅槃の径路を示した仏のような者はいなかった。
 諸賢よ。如来の眷属は成就した。クシャトリア、バラモン、居士、沙門、智慧ある者。皆、如来の成就した眷属だ。過去未来現在において、眷属が成就した仏のような者はいなかった。
 諸賢よ。如来の大衆で成就した者は、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷と呼ばれる。過去未来現在において、大衆が成就した仏のような者はいなかった。
 諸賢よ。如来は言行一致である。言われたとおりに行えば言われた通りになるのだ。過去未来現在において、言行一致の法を成就させた仏のような者はいない。
 諸賢よ、如来は益をめぐらすところ多く、多くの人を安楽にした。あわれみの心から天人を利益したのだ。過去未来現在においてこのようなことをなした仏のような者はいない。
 諸賢よ。これらを如来の八無等法と言う」
忉利天「もし世間に八人の仏が現れれば、大いに諸天の力を増し、阿修羅を弱めるでしょう。いえ、八仏と言わず、七仏、六仏、二仏でも世に出でれば大いに諸天の力を増し、阿修羅を弱めるでしょう。八仏ならいうまでもありません」
帝釈天「私は仏と親しく接して仏から聞いている。一時に二仏が世に出ることはないと。ただし、如来を長く世にあらしめれば、多くの哀れみと利益があり、天人は安らぎをえる。則ち、大いに諸天の力を増し、阿修羅を弱めるのだ」

 パンチャシカは仏に言った。
「世尊。忉利天の神々は、そこで法講堂の上に集まり、議論と思惟と計測と観察をして命じました。その後、四天王に命じました。四天王は命令を受けて元の場所に坐ったのですが、久しからずして大いなる光が四方を照らしたのです。忉利天でこの光を見た者は皆、大いに驚きました。今の異光は何か怪異があるのかと。天の威徳ある大神たちも皆、驚き怖れました。今の異光は何か怪異があるのかと。
 大梵天王が、頭に五つの髻のある童子となり、皆の上の虚空に立ちました。顔は端正にして超絶美形、体は紫金色を放ち諸天の光を圧しました。
 忉利天の神々は立たずに迎えました。恭敬せず坐ることも請いませんでした。
 梵天童子はおもむいた所に坐りました。すると喜びが生じました。たとえるなら、クシャトリヤの王族が王位についた時に踊躍歓喜するようなものです。
 坐ってしばらくして変身を解きました。みなの上の虚空に坐したのです。それは力士が安楽な椅子に坐って威厳を持って動かないようでした。
そして頌をつくり歌いました。


忉利諸天人 帝釈相娯楽
(忉利天の神々と 帝釈天は相楽しむ)
礼敬於如来 最上法之王
(如来に礼をし敬う 最上法の王に)
諸天受影福 寿色名楽威
(諸天はお陰の福をうける 寿色名楽威の五福を)
於仏修梵行 故来生此間
(彼らは仏の梵行を修め ここに生れかわったのだ)
復有諸天人 光色甚巍巍
(彼らは 光り輝き偉大である)
仏智慧弟子 生此復殊勝
(仏の智慧ある弟子は このような素晴らしい姿でうまれた)
忉利及因提 思惟此自楽
(忉利天と帝釈天では 思惟してこのように自ずと楽しむのだ)
礼敬於如来 最上法之王
(如来に礼をし敬う 最上の法の王に)

※同じ歌の繰り返しです

 忉利天の神々は童子に言った。
「吾等は、帝釈天が如来の八無等法を説くのを聞いた。だから歓喜踊躍が止まらないのだ」
梵天童子「如来の八無等法とはどういうものですか。自分も聞きたいです」
 そこで帝釈天は童子のために如来の八無等法を説いた。忉利天の神々と童子はこれを聞きおえて、自然と喜びが倍増した。そして、神々の力は増し、阿修羅は弱まった。
 童子は神々の歓喜がさららに増したのを見て忉利天の神々に告げた。
「あなたたちは、無等法を聞きたいのですか」
天「よきかな。聞かせなさい」
童子「では聞かせましょう。よく聞きよく受けとめるのです。さあ説きますよ」

 如来が昔、菩薩として修行をしていた時のこと。生れつき聡明で諸賢よりも智慧にすぐれており、過去はるか昔のことも知っていた。
 世に地主王がいた。第一太子の名は慈悲で、典尊という大臣がいた。大臣の子は焔鬘といい、太子の慈悲と友達だった。
 六人のクシャトリヤの大臣とも友であった。
 地主大王は、後宮で遊びたい時には、典尊大臣に国事をゆだねていた。
 その後、後宮に入り、女とたわむれたり伎楽を楽しみ、五欲の娯楽とした。
 典尊大臣は、国事を処理する時は先に子にたずねて、その後に決断した。処分についても息子にたずねてから行った。
 典尊はにわかに亡くなった。地主王はそれを聞いて、あわれみ哀しんで言った。
「ああ、何のとががあって国の根幹を失わなくてはならなかったのか」
 太子の慈悲は黙って思った。
〈王は典尊を失って憂い苦しんでいる。今、自分が大王をいさめなくてはなない。彼を失っても苦しむことはないのだ。なぜなら、典尊の子の焔鬘は、聡明にして博識、その父をしのいでいる。今、召して国事をなさしめればよい〉
 慈悲太子は王の所に行き、そのことを父王に話した。
 太子の話を聞いた王は、焔鬘を召して言った。
「今、そなたを卿に任ず。そなたの父があずかった宰相の印をそなたに与えよう」
 焔鬘は宰相の印を受け取り、王は後の事を託して後宮に入った。
 宰相焔鬘は治世の理に明るく、父が先になしたことも知っていた。そして、父の知は焔鬘に及ばなかった。
 その後、焔鬘の名は海内に広まり、天下はみな大典尊とたたえた。
 大典尊はその後に思った。
〈今の地主王はもはや高齢で余命幾ばくもない。太子が王位を引き継ぐにはいまだ難がある。先に六人のクシャトリヤの大臣に相談しよう。君たちには王土を分けて封土としよう。即位の日には約束を忘れるな、と〉
 大典尊は六大臣の所に行き、このことを話した。
 そして、諸君らが太子の所に行きこの話をしてほしいと言った。
「我等と典尊君は幼なじみだ。典尊の苦しみは我が苦しみ、典尊の楽しみは我が楽しみだ。王は今、高齢で余命幾ばくもない。太子が王位をつぐにはいまだ難がある。典尊が位につけば我らに封土をくれるという」
 六人のクシャトリヤの大臣はそう言い終えると、太子の所に行って事情を話した。
 太子は言った。
「もし余が位についたとても、諸君らに封土を与えるのは同じだ。それ以外の誰に与えることがあろう」
 しばらくして王はにわかに崩御した。国中の大臣が太子に王位についてほしいと言った。
 王はしばし沈思黙考した。
〈今は先王にならって宰相を立てよう。誰がこの任に堪えられよう。大典尊を位につけるしかない〉
 王となった慈悲は、大典尊に告げた。
「余は今、汝に宰相位を与え、印信を授ける。汝が国事をすべよ」
 大典尊は王の命令を聞くと、印信を受け取った。
 王は後宮に入るごとに大典尊に後事を託した。
 大典尊は思った。
〈私は今、六人のクシャトリヤに問おう。昔言ったことを覚えているかと。
今、太子は王位についたが、後宮深くに隠棲して五欲を楽しんでいる。そなたらは今、王のところに言って問うべきだ。昔言ったことを覚えているかと〉
 六人のクシャトリヤはこれを聞くと王の所に行きそう言った。封土を与えるとしたら誰がそこに居るべきかと。
 王は言った。
「昔、封土を与えると言ったことは忘れていない。諸君ら以外の誰を封じよう」
 王は思った。
〈この閻浮提世界は、内は広く外は狭い。誰がこれを七分割できよう。ただ大典尊のみが分けられる〉
 そこで大典尊に告げた。
「そなた、閻浮提世界を七分割できるか」
 大典尊はすぐに分割をした。王が治める城、村、邑、郡の国と、六人のクシャトリヤへ分与する部分である。
 王は慶賀して言った。
「我が願いは果たされた」
 六人のクシャトリヤもまた慶賀して言った。
「我が願いは果たされた。この偉業を成し遂げたのは大典尊の力である」
 六人のクシャトリヤの王は思った。
〈我が国の建国当初の宰相は誰に任せよう。大典尊のような人がいれば国事を任せられるのだが〉
 そこで六人のクシャトリヤの王は典尊に命じた。
「我が国の宰相たるべし。卿が我が国の国事を行うべし」
 そこで六ヶ国は各々相印を授けた。
 大典尊は相印を受け取り、六人の王は後宮に入り遊覧と娯楽をした。皆、国事を大典尊にまかせた。
 大典尊は七ヶ国の事をして全てこなした。
 さて、国内には七大居士がいた。
 典尊は家の事を処理させた。
 また、七百人のバラモンに経典の唱え方を教えた。
 七人の王は大典尊を神明であるかのように敬い見た。国の七居士は大王のように、七百人のバラモンは梵天であるかのように見なした。
 七国王、七大居士、七百人のバラモンは思った。
〈大典尊はいつも梵天と同じ意見を述べている。言葉とふるまいが親しくて善い〉
 大典尊は黙って彼らの意志を知った。
〈しかし、私は実のところ梵天には会わず言葉も与えられていない。黙ってこの賞賛を受けてはいられない。かつて諸先達の言葉でこう聞いた。夏の四ヶ月は静処に閑居して四無量(慈・悲・喜・捨の四つの瞑想)をおさめるのだと。そうすれば、梵天が下って会ってくれると。今、私は四無量を修め、梵天に会わねばなるまい〉
 そこで典尊は七王の所に行って話した。
「願わくば大王、国事にもどりたまえ。私は夏の四ヶ月、四無量を修めたいのです」
七王「よく時宜を心得ている」
 典尊は七居士に言った。
「そなたらは、各々の勤めをよくこなしている。私は夏の四ヶ月、四無量を修めたいのだ」
居士「よろしゅうございます。よく時宜を心得ておられる」
 また七百人のバラモンにも告げた。
「卿等はよく諷誦と伝授につとめている。私は夏の四ヶ月、四無量を修めたい」
バラモンたち「よろしゅうございます。大師はよく時宜を心得ておられる」
 そこで大典尊は城市の東に閑静な庵をこしらえ、夏の四ヶ月、四無量を修めた。しかし、梵天はおりて来なかった。
 典尊は思った。
〈先達の過去の言葉として聞いたようにはならず、今、静かでひまで何の姿も現れない〉
 大典尊は十五夜の満月の時に静室を出て外の地面に坐った。
 ほどなくして大いなる光が現れた。
 典尊は思った。
〈今の異光はきっと梵天が下ろうとする瑞兆だ〉
 この時、梵天王は五角髻の童子に変身して典尊の上の虚空に坐った。
 典尊はこれを見て頌を歌った。

此是何天像 在於虚空中
(これは何の神か 虚空中にいるのは)
光照於四方 如大火𧂐燃
(光は四方を照らし 大火が燃え上がるよう)

 梵童子は歌で返した。

唯梵世諸天 知我梵童子
(ただ梵天界の神々のみが 我を梵童子と知る)
其余人謂我 祀祠於大神
(余人は我のことを言う 大神を祀れると)


 大典尊。

今我当諮承 奉誨致恭敬
(私はたずねたいことがあるのです 懺悔をして敬意を表わします)
設種種上味 願天知我心
(さまざまの美味しい物をそなえます 願わくば天よ、我が心を知りたまえ)


 梵童子。

典尊汝所修 為欲何志求
(典尊よ、そなたの修行は何を求めてか)
今設此供養 当為汝受之
(今、この供養をなしたからには、それにこたえよう)


 そして大典尊に告げた。
「問いたいことがあれば自由に問いなさい」
 大典尊は思った。
〈私は今、現在の事をたずねるべきか。それとも未来の事か。今世の事はまたいずれ問おう。ここは未来と幽冥の事をきくべきだ〉
 そこで大典尊は梵童子に偈で問うた。

今我問梵童 能決疑無疑
(今、私は問う、梵童に 疑いの余地なく解決してくれよう)
学何住何法 得生於梵天
(どのようにすれば 梵天の世界に生れかわれるのか)


 梵童子。

当捨我人想 独処修慈心
(我という想いを捨て ひとり慈心を修めるのだ)
除欲無臭穢 乃得生梵天
(欲を除いてきたなさを捨てれば 梵天世界に転生できる)


 大典尊はこの偈を聞いて思った。
〈梵童子の偈は、汚さを捨てるということだが、私にはこれが理解できない。今、さらにこれを問おう〉

梵偈言臭穢 願今為我説
(梵童子はうたった、汚さについて 願わくば私のために説きたまえ)
誰開世間門 堕悪不生天
(誰が世間にあってそうできるのか 悪に染まれば天には転生できないというのに)


 梵童子。

欺妄懐嫉妬 習慢増上慢
(欺こうとしたり嫉妬をしたり 怠けたりうぬぼれたり)
貪欲瞋恚痴 自恣蔵於心
(貪欲に怒りにおろかさを 心にほしいままに抱く)
此世間臭穢 今説令汝知
(これが世間のけがれである 今、そなたにわかるように教えた)
此開世間門 堕悪不生天
(この世間の門を開くと 悪に染まり天には転生できない)

 大典尊は思った。
〈梵童子が説いた汚さ(けがれ)の意味はよくわかった。しかし在家の者には除き得ないものだ。世を捨て出家して、鬚髪を剃り法服を着て修道するしかない〉
 梵童子はその志を知り、偈を告げた。

汝能有勇猛 此志為勝妙
(そなたには勇猛さがある この志はすばらしい)
智者之所為 死必生梵天
(智者のなすところだ 死して必ずや梵天にうまれよう)

 梵童子は忽然として消えた。

 大典尊は還って七人の王に言った。
「大王、お願いです。心をよく国事に向けて下さい。私は出家して世をはなれ、法服を着て道を修めたいのです。なぜかというと、梵童子からじかにけがれた心が甚だ悪いと聞いたからです。在家ではけがれを除けません」
 七人の王は思った。
〈およそバラモンというものは、多くの財宝をほしがるものだ。余は今、むしろ蔵を大きく開いてしいままに持って行かせ、出家をしないようにさせよう〉
 そこで、七国の王は典尊に命じた。
「もし必要な物があれば余が尽く与えよう。出家するまでもないように」
大典尊「私は今、王のおかげをもって賜っております。すでにたくさんの財宝があります。今、全て大王にさし上げましょう。なにとぞ出家をききとどけ、私の願いをかなえたまえ」
 七国王は思った。
〈およそバラモンというものは、多くの美女をほしがるものだ。後宮の采女で満足できる者を与え、出家しないようにさせよう〉
 王は典尊に命じた。
「もし必要な采女があればすべて与えよう。出家するまでもないように」
典尊「私は今、王のおかげをもって賜っております。家の中にはあまたの采女がおります。今、みな解き放って恩愛を離れ、出家して道を修めます。なぜかと言うと、梵童子からじかにけがれた心が甚だ悪いと聞いたからです。在家ではけがれを除けません」

 大典尊は慈悲王に向かって偈頌を歌った。

王当聴我言 王為人中尊
(王はまさに聴くべし我が言葉を 王は人の中で尊い方)
賜財宝婇女 此宝非所楽
(財宝と采女をたまわり その宝を楽しまない)


 慈悲王。

壇特伽陵城 阿婆布和城
(ダンタプラ ポータナ)
阿槃大天城 鴦伽瞻婆城
(マヘーサヤ ロールカ)
数弥薩羅城 西陀路楼城
(ミティラー チャンパー)
婆羅伽尸城 尽汝典尊造
(バーラーナシー これらの城はみな典尊、そなたが造った)
五欲有所少 吾尽当相与
(五欲は少なく 我が与えて満たそう)
宜共理国事 不足出家去
(ともに国をおさめようではないか 出家するまでもない)

※城の名はhttp://sakya-muni.jp/pdf/mono15_s02_01.pdf
による

 大典尊。

我五欲不少 自不楽世間
(我が五欲は少なからず されど世間を楽しまず)
已聞天所語 無心復在家
(天が語ったことを聞いて 在家にもどる思いはなくなりました)


 慈悲王。

大典尊所言 為従何天聞
(大典尊が言うのは 何という天から聞いたことなのか)
捨離於五欲 今問当答我
(五欲を捨てるというのは 今、余に答えよ)


 大典尊。

昔我於静処 独坐自思惟
(昔、私は静かなところで ひとり坐して思惟したのです)
時梵天王来 普放大光明
(その時、梵天王が来て 大光明を放ちました)
我従彼聞已 不楽於世間
(私は彼から聞いたのです 世間を楽しまないことを)


 慈悲王。

小住大典尊 共弘善法化
(ちょっと待て大典尊よ ともに善法により教化を広めようではないか)
然後倶出家 汝即為我師
(その後にともに出家しよう そなたは余の師だ )
譬如虚空中 清浄琉璃満
(空中に澄んだラピスラズリが満ちたように)
今我清浄信 充遍仏法中
(今、我が清浄なる信は 仏法の中に満ちわたる)


 大典尊。

諸天及世人 皆応捨五欲
(諸天と世の人は 皆、五欲を捨てるべし)
蠲除諸穢汚 浄修於梵行
(諸々の心の汚れをのぞき 梵行をおさめるべし)

 この時、七国の王は大典尊に言った。
「七年の間、世の五欲をともに楽しもうではないか。その後、国を捨てて子弟にあとを託そう。その時ともに出家しても善いではないか。そなたが得るものを余も同じく得るのだ」
大典尊「世間は無常にして、人の命はすみやかに逝くものです。咳をする間ですら保ちがたいのです。七年にいたっては遠い先の話です」
七王「七年が遠い先というのなら、六年、五年、いや一年でよい。静かな宮殿にとどまって、世の五欲をともに楽しもうではないか。その後、国を捨てて子弟にあとを託そう。その時ともに出家しても善いではないか。そなたが得るものを余も同じく得るのだ」
大典尊「世間は無常にして、人の命はすみやかに逝くものです。咳をする間ですら保ちがたいのです。七年にいたっては遠い先の話です。たとえ七ヶ月、一ヶ月といえども、よいとは言えません」
王「七日だけ後宮深くにとどまり、世の五欲をともに楽しもうではないか。
その後、国を捨てて子弟にあとを託そう。その時ともに出家しても善いではないか」
大典尊「七日といえば遠い先というわけではありません。とどまってもよいでしょう。ただ、願わくば大王よ、誓いをやぶりたもうな。七日すぎて王が行かなければ、私は自ら出家します」
 大典尊は七居士のところに行って言った。
「そなたらは各自の務めを果たしている。私は出家し、無為の道を修めたい。どうしてかというとかくかくしかじかだからである」
七居士「その志はよいことです。よく時宜を心得ておられます。我等もまたともに出家しましょう。あなたが得るものは我らも同じなのですから」
 大典尊は七百人のバラモンの所を訪れて告げた。
「卿等は読経につとめ、広く道の義を研究し、伝授につとめている。私は出家し、無為の道を修めたい。どうしてかというとかくかくしかじかだからである」
 七百人のバラモンは言った。
「大師よ、出家なさいますな。在家は安楽で五欲を自ら娯しみます。多くの人が付き従い、心に憂苦はありません。出家の人は独り野にあって、ほしい物も手に入らずたくさんも得られません」
典尊「私は、在家は楽で出家は苦しいとは思わない。出家よりも在家の方が苦しいのだ。出家は楽だから出家するのだ」
バラモン「大師が出家するのなら私も出家しましょう。大師の行いは私もしたいのです」
 大典尊は妻たちの所に行って告げた。
「そなたらは住みたい者は住み、帰りたい者は帰れ。私は出家し、無為の道を修めたい。各位との話し合いも済ませて出家の意を明らかにした」
婦人たち「大典尊は、時には我らの夫、時には我らの父。もし今出家なさるのなら、当然従って行きます。典尊の行いは我もしたいのです」
 七日が過ぎて、大典尊は鬚髪を剃り、三法衣を着て家を去った。
 七国王、七大居士、七百バラモン、四十夫人、その縁ある八万四千人は、同時に出家して大典尊に従った。
 大典尊と皆は諸国を遊行し、広く道を教え、多くの人を利益した。

 梵天王は皆に告げた。
「この時の典尊大臣こそがまさに今の釈迦牟尼仏その人である。世尊は七日が過ぎて出家・修道し、みなを率いて諸国を遊行し、広く道を教え、多くの人を利益した。そなたらでもし私の言葉に疑問がある者がいるのなら、世尊は今、耆闍崛山にられるので行ってたずねるとよい。仏のおせをそのままに受け取るのだ」

 パンチャシカは言った。
「私はこのゆえをもってここに詣でたのです。世尊、大典尊が世尊になったというのはまことでしょうか。世尊が七日たって出家・修道し、七国王と八万四千人とともに同時に出家したというのは。諸国を遊行し、広く道を教え、多くの人を利益したというのは」
 仏はパンチャシカに言った。
「その時の大典尊は他でもない、この私である。当時、人々は何かが壊れると、口をそろえてこう言った。
『南無大典尊七王大相。南無大典尊七王大相』
 このように三度言ったものだ。パンチャシカよ、大典尊には大いなる徳力があったが、弟子に究竟の道を説くことは出来なかった。究竟の梵行をなさしめることはできなかった。安隠を得させることはできなかった。
 
大典尊が説いたところを弟子は行った。法を得た弟子たちは体が壊れ命終えると梵天に生れかわった。行の浅い者は他化自在天に生れかわった。化自在天、兜率陀天、焔天、忉利天に生れかわった。四天王、クシャトリヤ、バラモン、居士、大金持ち。望んだところにに生れかわった。パンチャシカよ、かの大典尊の弟子は、皆、疑いもなく出家であった。果報と教誡があった。しかし究竟の道は得られず、究竟の梵行も得られず、安隠な心も得られなかった。その道の勝者は、梵天界に行けるのが限界だった。今、私は弟子のために説法し、究竟の道、究竟の梵行を得させている。究竟の安隠を得て、ついには涅槃に帰さしめている。私の説く法の弟子、行う者は有漏(煩悩)を捨て無漏の心となり、解脱する。慧解脱(智慧の完成)によって、今の法の中で自身をもって証しとしているのだ。生死輪廻はすでに尽きて、梵行を行っている。なすべきことは終り、次の存在に輪廻することはない。
 行の浅い者は五下結を断つ。

※五下結……衆生を欲界に縛りつける「五つの束縛」としての煩悩の総称
「有身見・戒禁取・疑・貪欲・瞋恚」の五つ。

天上にうまれかわり涅槃に入る。もはや輪廻には戻らぬ不還果である。
 その次は三結が尽きて婬慾・怒り・痴かさが薄い。一来果である。世間に一度だけ戻り涅槃に入る。
 その次が三結を断ち須陀洹果を得て悪道に堕ちない者である。七度の往返を繰り返して必ず涅槃を得る。
 パンチャシカよ、我が弟子たちは疑いなく出家である。果報と教誡がある。究竟の道法、究竟の梵行、究竟の安隠を得て、ついには滅度に帰すのだ
 この時、パンチャシカは仏が説くことを聞いて喜んでうけたまわったのだった。

※「典尊経」の面白いところは、四果という悟りの四段階の下から二段階(初果は預流果、二果は一来果)について、
一来果……三結(有身見・戒禁取・疑)尽きて婬慾・怒り・痴かさが薄い
預流果……三結を断って悪道に堕ちない
と、下位の方は「三結を断つ」とし、上位の方は「三結尽きて」としている所。

「三結を断つ」は努力であり、「三結尽きて」は結果です。
努力は執着して続けるものです。
・有身見(私は常にある、とする見解)
・戒禁取(清浄の修行を頑張ろうと儀式に執着すること)
・疑(仏法への疑い)
は預流果では残っているのです。
一来果ではそれらが無くなっています。

そして、「三結尽きて」一来果となっても「婬慾・怒り・痴かさ」は薄く残るわけです。


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