釈尊の死因となった食事スーカラマッダヴァとは何だったのか

 81歳の釈尊が鍛冶工の子チュンダに最後の供養を受けて、それにあたって苦しみ亡くなったというエピソードは有名です。その料理の名がスーカラマッダヴァです。

 以下、岩波文庫の『ブッダ最後の旅』によって見ていきましょう。

 まず、釈尊がいたのは「チュンダのマンゴー林」です。
 鍛冶工というと低いカーストと思われがちですが、実際には火を扱うカーストは身分が高いそうです。そして、マンゴー林を持っているくらいですから、お金持ちです。贅沢な料理が出せます。
 釈尊がマンゴー林にいるときいてやってきたチュンダは、〈法に関する講話〉を聞いて喜び、自宅に翌日食事に来てほしいとお願いし、許されます。
 家に帰ったチュンダは、夜の間に「美味なる噛む食物・柔らかい食物と多くのきのこ料理(※スーカラマッダヴァ)を用意して」釈尊に使者をつかわし食事の時間を告げます。
 釈尊は早朝に「内衣をととのえ、衣と鉢をたずさえて、修行者のなかまとともに」チュンダの家に行きます。
 座についた釈尊は言います。
「チュンダよ、あなたの用意したきのこ料理(※スーカラマッダヴァ)をわたしにください。また用意されてた他の噛む食物・柔らかい食物を修行僧らにあげてください」

 ここで違和感があります。
 スーカラマッダヴァがただのきのこ料理なら、わざわざ取り分けるまでもなく、全員の前に並んでいるはずなのです。
 ですから、スーカラマッダヴァは、何か特別で、ホストが切り分けなければならない特別な料理を思わせます。

 釈尊は言います。「チュンダよ、残ったきのこ料理(※スーカラマッダヴァ)は、それを穴に埋めなさい。神々・悪魔・梵天・修行者・バラモンの間でも、また神々・人間を含む生き物の間でも、世の中で修行完成者(如来)のほかには、それを完全に消化し得る人を見出しません」と。
 そこでチュンダはおおせに従います。

 もしスーカラマッダヴァがきのこ料理だとしたら、「それを完全に消化し得る人を見出」せないなどということがあるでしょうか。

 さて、チュンダの食事を食べたとき、釈尊には「激しい病いが起り、赤い血が迸り出る、死に至らんとする激しい苦痛が生じた」。しかし、正念によって気を落ち着けて苦痛を耐え忍んだとあります。
 そして、クシナガラに行く途中の木の下で休み、ブックサというアーラーラカーラーマの弟子に法を説き、チュンダが悔やまないよう配慮し、ヒラニヤヴァティー河をわたって、入滅の地、沙羅双樹の下で横になります。

 おそらくは、食事中に激しい下血があったのでしょう。その原因がスーカラマッダヴァと見た釈尊は、あえて残りを地面に埋めさせたのではないでしょうか。

 ちなみに、『仏般泥洹経』では、最後の食事の供養者は「淳」と音写されています。同行した中に悪い比丘がいて、出された飲水器を壊したとか。釈尊の食事後、小机を出して仏の前に坐って「比丘にはろくな者がいない」と教団に批判的な話をし、釈尊が「一人の行いを見て皆を責めてはならない」と諭したりしています。が、釈尊が淳の供養した食事にあたったという事は一言も書かれていません。

 ひょっとしたら、下血の原因は長年の病気が原因で、スーカラマッダヴァとは何の関係もないのかもしれません。

 さて『ブッダ最後の旅』の注釈を見てみましょう。
 スリランカの上座部仏教の大成者とも言われる高僧、ブッダゴーサの注釈はこうです。
若すぎず老いすぎない上等の野豚のなま肉のことである。これは柔らかで、なめらかでよく肥えている。それを用意して、よく煮て、という意味である。この(肉の)うちには、二千の島に囲まれた四つの大陸のうちにまします神霊たちが精気を注入した」と。
 そして、別の写本には乳粥とも、不老長寿の薬とも書かれています。

 そもそも、スーカラとは「野豚」のこと、マッダヴァとは「柔らかい」という意味です。

 釈尊は、肉食は禁止していません。ただし例外はあります。

『根本説一切有部律薬事』にこんな話が出てます。
「人肉はもっとも劣悪であるから比丘は人の肉を食べてはならない。比丘が人の肉を食べたらストゥーラーティヤヤ罪になる。僧団の長老の比丘は肉が差し出されたら何の肉かきかなければならない」そして、象と馬とナーガの肉は食べてはいけないそうです。

 また、こうもあります。
「三分の一煮えた粥は受け取って煮直して食べてよい。野菜、花、果実、魚、肉は色が変わったら受け取って食べてよい。乳などの液体は二回三回と沸かされているときは受け取って沸かして食べてよい」ただし「界の中であれ外であれ、比丘が煮たものは食べてはだめ」と。

 有部律は、現代では最も古い形を伝えている律と言われています。
 生煮えの、健康に悪い煮物は食べてはなかったのです。

 おそらくチュンダは、はりきって最高級の料理である「ナマ豚」を用意したのでしょう。きちんと火が通っていなままに。
 現代の知識では、ナマ豚を食する危険性は誰もが知っているとおりです。
 おそらくお釈迦さんもその危険性は承知していた。でも、心からのもてなしをことわることはできない。
 少し食べてみた。
 すると、運悪く下血してしまった。赤痢であったろうと推測されています。
 お釈迦さんは、豚が切り分けられて弟子たちの口に入る前に、口実を作って豚を埋めさせた。
 そして、説法をした。

 事実はそういう事なのだと思います。


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