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長阿含経巻第六 転輪聖王修行経
仏説長阿含 第二分 転輪聖王修行経第二
このように聞いた。仏が千二百五十人の比丘とともに摩羅醯(マケイラ?)国で人をさがして遊行していたときのこと。
しばらくして摩楼(マートゥラー)国についた。
この時、世尊は比丘たちに告げた。
「そなたらはまさに自を灯火とし、法を灯火とし、他のものを灯火とすべきではない。自らに帰依し、法に帰依し、他に帰依してはならない。
どのような比丘を、自らを灯火にし法
長阿含経巻第六 小縁経
仏説長阿含経巻第六
後秦の弘始の年、仏陀耶舎と竺仏念が訳す
第二分初 小縁経第一
このように聞いた。
仏が舎衛国の清信園林の鹿母講堂に、大比丘衆千二百五十人とともにいたときのこと。
二人のバラモンが堅く信じて仏の所に行き、出家・学道した。名は婆悉吒(バシッタ)と婆羅堕(バラダ)といった。
ある時、世尊が静室から出て講堂を周回して経行(きんひん/坐禅や読経の間に立って歩きまわる行)をして
長阿含経巻第五 闍尼沙経
仏説長阿含第一分、闍尼沙経第四
このように聞いた。仏が那提揵稚住処(Giñjakāvasatha/ギニジャカーヴァサタ/深谷精舎)に、大いなる比丘たち千二百五十人とともにいたときのこと。
尊者阿難は静室に坐して、如来が授記し多くの人に利益(りやく)を与えたことがはなはだ奇特であると考えていた。
〈かの伽伽羅(カカラ)大臣は命終って如来が授記した。この人は命が終るときに五下結(有身見・戒禁取・
長阿含経巻第五 典尊経
仏説長阿含経巻第五
後秦の弘始の年、仏陀耶舎と竺仏念が訳した。
第一分 典尊経第三
※『長阿含経』巻第五のPart1、全体を通しては三番目のお経です。
ちなみに、『長阿含経』の巻第二から巻第四までは『遊行経』で、内容は『仏般泥洹経』とほぼ同じです。
このように聞いた。仏がラージャグリハの耆闍崛山(ぎしゃくっせん)に大比丘衆千二百五十人とともにいたとき。
執楽天(乾闥婆/ガンダルヴァ)の
「竿頭進歩(百尺竿頭)」の公案
『無門関』第四十六
石霜和尚云、「百尺竿頭、如何進歩」
又古徳云、「百尺竿頭坐底人、雖然得入未為真。百尺竿頭、須進歩。十方世界現全身」
石霜和尚が言った。「百尺の竿のてっぺんにいるとき、どのようにしてその先に進むのか」
また、昔の徳ある人が言った。「百尺の竿のてっぺんに坐っている人は、ある程度の納得は行っていても、いまだ真理にはたどりついていない。百尺の竿頭にあっては、かならず先に進まなくては
なぜ人々は釈尊の足に頭をつけるのか
令和2(2020)年11月4日のツイートから再編集しています。
現在、吹田の国立民族学博物館では「先住民の宝」展をしています。その中にネパール西部のマガール人のコーナーがあり、彼らが1998年に仏教徒宣言をしたという話がありました。彼らは山地や農村の民で、ヒンドゥー教とカースト制、バフン(ブラーフマン)からの離脱を呼びかけています。
マガール人と言ってもピンと来ないでしょうが、彼らはグルカ兵と