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潜るという日常から脱する行為

 Jamiroquaiというコズミックジャズバンドがいる。其のバンドの曲に『Virtual Insanity』という曲があるのだが、これは北海道は札幌、札幌駅の様相にインスピレーションを受け書き上げた曲だという。
 なぜ札幌がインスピレーションのキッカケに成ったのか。Jamiroquaiのフロントマンであるジェイ・ケイが言うには「札幌は地上に全く人が居なくてどんな町なんすかここ、と思ってい地下に潜ってみたら、ぎゅうぎゅうになるほど人と街が密集し発展している具合が近未来的でやばいくらいに驚いた」ということらしい。地上には人は居ないが、地下に潜ってみると驚くほどに人の往来があり、想像しきれないほどの発展を遂げていた。なにもない地上と発展を遂げている地下、目に見えている範囲にある衰退と目に見えない範囲の発展が生み出すギャップこそが、人の目が届かない仮想空間に孕む狂気を産むと捉えた結果、『Virtual Insanity』という曲が生まれたのだ。決して、NISSINのインスタントラーメンの為に生まれた曲ではない。
 潜ることで普段とはできない体験をすることができる。例えば、デパートの地下街ではどうだろうか。デパートの地下街というのは、来店した客の食欲と購買意欲を煽るために、スケスケのショーケースで食品をビカビカに光らせたり、どこの国の料理かわからないビールをウマイウマイと販売していたり、やたら高級そうなおはぎをばんぼこ売っていたり、全然知らない料理の試食を勧めたりしているものである。その様子は日常的な場面とは言いづらい。やたら欲を刺激してくる空間というのは日常的に遭遇するはずもな居ので、非日常と言っても差し支えがない。もし、デパートの地下に行く機会なんて吐き捨てるほど訪れるという人間がいれば、自身の残高を確認したほうがいい。僕の残高の100倍以上は所持しているはずであるが故。
 地下に潜るという言い表し方で思いつくことが他にもある。酒を飲むときに、酒に潜るという表現を使うことがある。これはどういう意味で使っているのかというと、そのままの意味でしか使っていない。酒に潜る。酒というアルコールがふんだんに含まれた水分に潜ることで、辛いとか苦しいとか切ないとか困ったとかを瞬時に忘れさせてくれる。つまり、酒に潜るとは忘却の中に潜水し身を任せるということなのだ。しかしながら、この忘却というのは日常的に訪れるはずもない。どうしても辛い時期になれば訪問を許可する非日常なのだ。日常的に飲酒を繰り返す僕のもとにはやってこない甘美な時間である。
 潜る、ということは、今いる場所からより下に行くもの、または別の場所へ行く行為として捉えられる。地下に潜ると書けば土に囲まれた空間を思いつくだろうし、潜水と書けば水に囲まれた空間へ移行する。酒に潜ると書けば快楽だけを求める身体へと変貌する。周りの環境の変化もあれば、心身の変化もある。とどのつまり何が言いたいのか。車を止めている駐車場が地盤の脆弱性の問題により、沈下。もしかしたら、廃車になるかもしれないという状況に陥ったことをご報告したします。


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