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優しさとロンちゃん

 ラーメン屋に並びながら、果たしてこの店では何が美味いのだろうか、どのぐらい並ぶのだろうか、どうぐらいの量なのだろうか、独自のルールはあるのだろうか、そういう不安に包まれながら悶々としている人に、肩を叩きながら心配すんなよ、と力強く声をかけることが優しさではないだろうか。そう、優しさの本質というのは、人の不安を少しでも拭い去ること、つまり、自己と他人の一体化にある。
 して、この優しさだが、結構あいまいな言葉であることはあまり指摘されない。できれば優しい人とだけ付き合いたいとか、人にできるだけ優しく接したい、などの言説から意味を読み汲み取ると、自分の行動で他人を傷つけたくないという自己保身の感情が先行し、右に述べた優しさの本質とは異なる意味合いを帯びることになる。この自己保身の感情が培った背景というのは、インターネットの勃興・匿名性が生活に組み込まれ、他人と他人との境界が曖昧になったことが起因だと考える。これについては、詳しく書くつもりはないが、最近の様子を見ていると、自己保身の体制をとるのも当然と言えば当然である。
 して、なぜこのようなつまらん話をクドクド書いているかというと、好き好きロンちゃんのロンちゃんのなつやすみが、あまりにも優しさに溢れ、キンタマの間を通り抜けるそよ風のような爽やかさを有しているからである。パイオツBABYでチン毛の一等兵なロンちゃんはやってきて、蒼が深い夏の空の下に僕をラーメンドライブに連れて行き、京都たかばし 新福菜館にて勃起ドリームを見せてくれる。もしかして:笑い飯の西田、という野暮はここでは御法度だぜ。俺といつまでもと歌ってくれるロンちゃんは、今日もどこかで使用済みゴムのことを憂いながらステージに立つことでしょう。ありがとう、ロンちゃん。僕、メンマになるよ。

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