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月の井のお猪口

 お猪口が割れた。粉々に。もはや修復は不可能であった。
 お猪口が割れた、のだが、溜まりに溜まった憤怒に任せて壁・床に叩きつけて割ったわけではない。僕以外の人間が実行に移したのだ。誰か。従姉妹の息子、つまり従甥が割ったのだった。
 従甥はなぜ割ってしまったのだろうか。思うに、お猪口に注がれていたオレンジジュースがなくなったことに絶望、「なんで俺のお猪口にはオレンジジュースが無いんだ。見てみなさい、あのオヤジを。オリオンビールを舐めながらゲラゲラと取り留めのない会話をしているでないか。翻って俺はどうか。オレンジジュースがないお猪口に注いでくれとアッピルしながら大人に寄り縋るしかない。なんという、なんという屈辱。許すまじ、ぶっ殺す」と思い、怒りを堆積。溜まりに溜まった怒りは憤怒と化し、自身をコントロール出来ないほどに怒りが有頂天でござる、という感じ相成ったのだろう。其の結果、お猪口を叩きつけて破壊するという凶行に至ったのだ。
 其のことに関してはまぁ、何というのだろうか、日常茶飯事な感じで受け止めることが出来たし、何より従甥のは母親が捩り不動の如く怒り叱りつけたので、今後お猪口を叩き壊すということは無いだろう。一件落着、と言いたいところだが、破壊されたお猪口が月の井のお猪口であった。
 月の井。茨城県大洗市にある酒造、月の井酒造が提供している日本酒の銘柄である。これがまた美味く、一度封を切れば入れ物の底を覗き見るまで飲むことが止まらない、という程の酒である。
 以前、大洗を観光した際、そこの酒造に行きお猪口を購入した。そのお猪口こそが、この度、従甥により粉々にされたお猪口である。南無阿弥陀仏。
 ちょっとだけ悲しいな、と思った。お猪口自体に愛着があるわけではないが、お猪口に付随している文脈というのが存在する。茨城のお猪口がなぜ沖縄にあり、日本酒を注がれるはずなのによくわからん泡盛を注がれているのはなぜか、といった具合に、誰にも理解してほしくはない文脈が存在する。その文脈を有しているお猪口が無惨にも粉々に砕け散ったのだ。当たり前だが、其の場で怒り散らすことはなかったが、日が経った今、じんわりとそのことについて思い馳せている。
 また大洗に行く理由ができたな、と思う。今度は一時の間ではなく、じんわりと3日ほど滞在したいなと思う。宿の窓から夕日を眺めて、太平洋からやってくる突風を肌にぶつけながら酒を舐めてみたい。目覚めの時報を特に決めることなく、じんわりと明るくなった部屋に佇みながら概ねの予定を考えたい。そんな時でも酒があればベストだ。もちろん、傍らにあるのは月の井。純米吟醸のほんわかした旨味に包まれながら、友人知り合い他人とあんこう鍋でも囲みたい気分になる。あぁ、茨城に行きたい。
 割れたお猪口を眺めながら、これは僕のですねぇとボヤいてみた。返答は、ゲハゲハと笑いながら、新しいの買ってやらぁというものであった。そうじゃないんだよなと思いながらも、従甥を慰めようと必死に相手をしてやった。

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