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愛社精神がないないら何に帰属するのか

 「愛社精神がありませんね。真面目な態度で仕事に取りん組んでいますか?」と言われた。上司との面談の場だった。
 正直、背筋がゾッと冷えた。なぜか。この後の返答次第で仮初の社会生活が崩壊するかもしれないと思ったからだ。なーんか人と関わるのは嫌だけど、かといって其れをまるっきり切って生活できるかといえば否であるから会社に属して社会生活を営んでいるよう取り繕う、というのが仮初の社会生活なのだが、それが崩壊してしまう危機に瀕している。しかも、その危機を回避するすべは僕の返答次第と来たもんだ。
 これには大変にまいった。もし、もしだ、この場で「愛社精神とはなんですか、定義を教えてくだい。教えてくれればその概要に沿った行動をします」と言おうものならすぐさま其の場でクビ、You're Firedということになるだろう。今、自分の社会生活をFireするにはまだまだ早い。なにせ僕の預金残高は三千円。一度の飲み会にすら行けることもなく、プライベートブランドのメタノールみたいな酒で明日を見えなくすることがやっとである。
 会議室はシン、と静まり返っていた。静寂というのはなにも音がしないということである。のにも関わらず、にシンという言葉で表すことができる。はっきり言って意味がわからないのだが、会議室はシンと静まりかえっており、僕の返答次第では会議室の静寂、シンは無いものと化し、普段の賑わいを取り戻すかもしれない。会議室の普段の賑わい、どんなものであろうかと想像しようかと思ったが、今は眼の前にいる上司が生み出した静寂をどうにかすることが僕に与えられた課題である。
 こう答えるのはどうだろうか。「一生懸命労働者の顔をし、誠心誠意労働に励みましたが、御社の愛社精神に到達することは出来ませんでした。ひいては、あたくしめを断罪、打首にしてくれはしませんか」と答えてみては。そう答えるだけで、自身の誠意、つまり「あなたの言った通り愛社精神を培うことが出来ませんでした」という非を認めることで、反省の姿勢を見せつけるのである。そうなれば上司もこちらの意を汲み取って、件の粗相を無いものとして扱う、または情状酌量の余地ありと判断して何かしらの手を加えることにあるだろう。であれば、この手を取る以外に理由はないというもの。であれば早速実行しせしめん─と思うところであるが、これを素直に採択するのも癪である。
 であればどうするか。「愛社精神とかなんぼのもんじゃい。お前らは帰属するものが会社しかないから、愛とか精神とかいう抽象的なものを会社に求めるんだろうがアホアホアホ」といって上司を殴りつけるなどすれば良いのであろうか。いや、そんなことはしてはいけない。まずもって、人を殴りつけるなど言語道断だ。殴られたら嫌だなぁと自身が思うように、相手も殴られたら嫌と思うのは当然のことである。そして、相手の帰属先を抉ってはいけない。僕のような社会人は会社という象徴がなければ金を稼ぐことが出来ないし、会社がなければ生活するための費用を捻出することもままならなくなる。なので、そこを否定してしまってはサラリーのマン/ウーメンの存在意義が無くなってしまうのだ。なので、安易にこの採択をしてはならない。
 であれば、どうするべきか。簡単である。なぜ愛社精神がないのかを探ればいいのだ。上司が「お前、愛社精神ないね。アホバカ」という結論に至ったのにはキチンと理由があるはずである。なんとなしに愛社精神がないと断定するはずがない。そんな人が上司であるはずがないし、理由なしに僕のことを否定するはずがない。なので勇気を出して聞いてみることにしたのだ、聞くことにしたのだ。理由を、なぜ僕に愛社精神がないのかと判断したのかと。
 「あの、聞いていいですか」
 「はい、なんですか」
 「愛社精神が無いといいますが、なぜそうと判断したのですか。業務はしっかりとこなしていると思いますが」
 「そうだね、君は業務をしっかりこなしているし成果もあげているよ。でもね」
 「でも?」
 「君、業務中はてなブックマークばかり見てるもん…」
 面談が終わり、直接自身の席に戻ることはなかった。一度、喫煙所に寄りタバコをすおうかと思ったからだ。禁煙して以来、一度も開けたことが無いアメリカンスピリットのボックスを開いた。一本を取り出し火をつけようと思ったが、紙がカビで黒ずんでいたので、そのままクシャクシャにしてゴミ箱へ放おった。午後五時には夕立が降っていた。

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