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「これがイッセー尾形です」

 高校時代、なんの授業か全くもって忘れたのだが「本日はイッセー尾形が出演している映画を観ようと思います」と言い放ち、予定されていた授業を放り、イッセー尾形が出演している映画『悲しい色やねん』という映画を放映するという先公がいた。最高だと思った。
 だが、この先公がかなりの問題だった。なにが問題か。映画の内容にてイッセー尾形が出る度に「見てください! 彼がイッセー尾形です。いやぁ、若いなぁ、いい感じだなぁ、柔い顔をして最高だなぁ。ヒィー、異ヒィー、ヒヒィ、ヒヒヒヒーッ」と言いながら、イッセー尾形が出る度に一時停止を行い、イッセー尾形の顔に見惚れ薄ら笑いを浮かべるという時間を生成させるのだ。イッセー尾形が出演する度に一時停止を繰り返すものだから、『悲しい色やねん』の内容は全く頭に入ってこないし、なぜ主演の仲村トオルは好きではないのかといった些細な疑問すら思い浮かべるほどに退屈な授業であった。
 学生に対し、その中でも高校生に対して「本日の授業は自習です」と言った瞬間どうなるだろうか。答えは簡単で、教室にいる人間は湧きに湧き、学習などはそっち除け、他人とのおしゃべりに興じる、自分がしたかったことをする、果ては教室内で野球を始める等、各々が持つその時の快楽の頂点を掴み取らんと奔走することになるだろう。「本日はイッセー尾形が出演している映画を観ようと思います」と言われた際には、各々の欲望を叶えるために色々やってやろうと考え実行に移そうと考えるが、現実はどうであろうか。イッセー尾形オタクの教師が教室のテレビに『悲しい色やねん』という当時の子供が誰も知らない映画を垂れ流しながら、「若い時頃のイッセー尾形です、ヒヒヒィヒーーーー」といって興奮しているのである。テレビに映る悲しい色より、よっぽど悲しい空間であった。
 そんな先公は、生徒によるめちゃくちゃな抗議の果てに辞めることに相成った。イッセー尾形が好きなだけなはずなのに辞めることになった。なんとなく歯痒い感じがした。
 最近、お気に入りの俳優である奥田瑛二が主演である『身も心も』という映画を見るタイミングがあった。しかも、一人で観るのではなく、友人と観るという稀有なタイミングを得ることが出来た。
 僕はこの『身も心も』とう映画が結構好きで何度か見返しているのだが、その中でも奥田瑛二が演じる岡本良介がとても好きで、出る度に、アッ出た、とか、いよッ良介さんっ、とかいった具合に、いちいち独り言を漏らしている。独り言を意識しているなんて、自分のことを過剰に考えすぎじゃないっすかと思うかもしれないが、独り言を発しているなと自覚できるほどに大きな声を上げているのだ。
 友人と一緒に『身も心も』を観ている時もそうであった。奥田瑛二が出る度に狂乱の声を上げては、感情が高ぶりすぎて一時停止を行い「見てください、此れが若いときの奥田瑛二です。ヒィー、ヒッヒッフフィー!」と叫ぶなどしていた。
 そういった行為に耽る中で、頭の中でズモっと大きい何かが弾ける感覚がした。脳内で謎の分泌物質が交差し大脳から小脳を行き来している間に思いついたのだ。「流転しているっ」と。
 生々流転という言葉がある。これを簡潔に説明すると「すべての物は絶えず生まれては変化し、移り変わっていくこと」ということであるらしいのだが、今の僕、つまり友人相手に「奥田瑛二フヒィー!」と絶叫している僕は、右の高校教師の段階に移ったということであるのだろう。このまま、奥田瑛二が出る度に鳴くことがあるのであれば、生々流転の言葉通り、今の食を辞することになるかもしれない。あががががが。


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