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地球規模で考えよ

 昔、『ROVE』というレゲエに関する情報を専門に扱う雑誌を読んでいた時期がある。新譜などの音楽情報はもちろんのこと、アーティストへのインタビューやディスクレビュー、ファッションのこと、果てはアーティストのゴシップなど、なかなかに読み応えのある雑誌だったと記憶している。巻末には編集者やアーティストのコラムなども載っており、ファッションやゴシップなどはすっ飛ばしてそこばかり読んでいた。
 いつの号だったか忘れてしまったけれど、とあるコラムを『三宅洋平』という人物が執筆していた。内容は「シャンプーが地球環境に負担を与えているという事実に目を背けることが出来なかったので、長年、長髪を維持してきたが、この度丸坊主にして地球環境への負担を少しでも減らすことにした」というものだった。
 衝撃だった。漠然と地球環境へ負担にならないことをしなければなぁと考えている自分とは裏腹に、三宅洋平は少しでも負担を減らすために自らの身を削る人物がいるということにも驚いたし、この『ROVE』という雑誌の中でこのような主張をしている人物がいるということも驚いた。
 『ROVE』はかなり読み応えがあった。レゲエという音楽に関する情報をメインに扱っているが故に、アーティストのインタビューやライブ情報、レゲエカルチャーなどが豊富に揃っていた。そんな真っ当な情報が掲載されている中で、「地球環境に負担になっていることを考える」というレゲエとも繋がりが無い文章が載っていることに驚いたのだ。三宅洋平自体は犬式というレゲエバンドをやっていたので、レゲエとの関わりはあると思うのだが、それでも彼の行為がレゲエとなんの関係があるのか疑問だった。
 其のせいだろうか、なぜかいつまで経ってもこの小規模なコラムの内容を覚えているし、なんならこのコラムが掲載している号だけは捨てずに保管している。手の届く範囲にないので何号かは確認できないが。
 本当に些細な出来事であったと思い返すのだが、それでも何か選択をするような場面に遭遇すると「地球環境への負担を考えて自分の髪を切った男もいるしなぁ」と思ったりもする。それで選択が変わるという自体に陥ることはないが、なぜか鼓舞的な感じで僕の心中に鎮座している。
 話は変わるが、少し前、地球規模で考えろという言葉を掲げているラーメン屋に行ったことがある。行列に並びながら、「なぜ地球規模で考えるべきなのだろうか」ということばかりを考えていたためだろうか。気がつけば席で脂質まみれのラーメンを啜っていた。虹色の髪をしたお兄ちゃんが接客してくれたことを今でも思い出せる。
 ラーメン屋にてなぜ地球規模で考えるのだろうか。茹でられた野菜と捏ねられる前の小麦、加工される前の豚肉は、生物のサイクルの中に含まれていただろう。野菜や穀物を豚が食べ、豚が育ちきってそのまま寿命をまっとうすれば土に還り肥沃な大地の一部となる。そこからまた野菜・穀物等々が芽生えまた豚の食物と成る…。そういうことを地球規模で考えるというのであろうか。そうなれば、其のサイクルを堰き止めているのは人間ではなかろうか。生物サイクルの中に人間が無理やり介入することで、サイクルはばらばらに乱れ無益な混乱を招くことに成る。うぐぐぐ。これが地球規模で考えるということであるというのか。そうなれば、この店は矛盾した看板を掲げては居ないだろうか。などと考えながら食べたせいだろうか。味は全く思い出せない。ニンニクが溢れていたことは思い出せる。
 結局のところ何が言いたいのか。地球規模で考えるということは、自身も地球の一部として考えなければならないということだ。人間も地球を闊歩するサイクルの一部として考え、自身の行動は地球に何かしらの影響を与えていると自負をするのだ。其の結果、男は断髪をすることを決断し、ラーメン屋は地球を哲学するラーメンを提供する。多分、そんな感じで今日も誰かが地球規模で考えることになる。


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