見出し画像

【日記】 世界のどこかと又吉直樹


嬉しいことは純粋に嬉しいと感じるのに、悲しいことは、世界と比べる。いつからか、そんな癖がついた。
悲しい……悲しいけど……世界の、日本の、それかもっと身近な、この人の状況に比べれば……という考え方。
自分“そのもの”が悲しいのに、無理に他人の人生の一部と照らし合わせて、絶対にしなくていい我慢をする。

嬉しいとき、"嬉しい"って思う。
悲しいとき、"悲しい"って思う。
なぜだろう。
どちらも誰かが生んだ言葉だ。
そんなことを、今日は考えた。

こどもの頃、横断歩道とか、車道と歩道の区切りの白線上だけを、はみ出さないように歩く(白線以外は断崖絶壁)、という遊びをした。高校生になってもしていた。
今はあのときの緊張感と似ている。
今日からしばらく、断崖絶壁の白線上を歩き続ける程度に不安定な日々が続く。

私が自分の苦しさを世界中の苦しさと照らし合わせることで無理に飲み込もうとしていた頃、その世界には又吉直樹がいた。
西加奈子「ℹ︎」の文庫版は巻末に対談が載っていて、それが私にとって、優しかった。

恵まれている人は悩んだらあかんような風潮もあるじゃないですか。「お前ぐらいで文句を言うなよ」って永遠に言い続けられる、みたいな。人それぞれの痛みや苦しみって、数値化して比べられない。だから自分の痛みはきちんと痛みとして受け止めながら周りの人の気持ちも理解できるようになればいいんだけど、今、逆に行ってるじゃないですか。「もっとたいへんな人、おんねんぞ」って。苦しむことすらできない人がつくられている。いや、血ぃ、出てるよ? なんで痛がったらいかんねんって思う。

西加奈子『ℹ︎』ポプラ社,2019年,(315ページ).


最後の二文。ここを、ちゃんと書いてくれる、又吉直樹を優しいと思う。
もし「世界の苦しい人デイリーランキング」があれば、私の苦しさなんて、遡れないほど下位なのだろう。
それでも、私が感じている苦しさは、私の心と体だけで受け止めるには、大きいのだ。 

窓の外を見ると夏の雲。
明日にはこの気持ちも過ぎている。
終わらない季節も、時間もない。
2023年の夏をいい夏にしたい。
世界のどこかで花火をするのだ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?