叶えたい夢と、そうでもない夢

あるアプリを使って、ちょっとしたワークをやってみた。

「あなたには夢がありますか?」(夢①)
「その夢は心の底から、叶えたい夢ですか?」
いいえの場合→「それでは、叶えたいと強く願う夢はなんですか?」(夢②)

私は二つ目の質問の答えが「いいえ」だったので、このような流れになったけど、

要は、夢には2種類あって、
①思い描くだけの理想、叶えたいと心から思っているとは限らない
②心から叶えたいと願う夢
このどちらも、「夢」であるということ。

ところが、これを混同したり、どちらかわかっていないと、しんどくなるよということだった。

うーんなんかわかる気がしたのです。
実際私は、「夢は何ですか」の問いに対し、答えを二つ用意する必要がありました。

世界旅行をしたいとか、宇宙飛行士になりたいとか、
ハリーポッターの世界で生きたいとか、
こんなわかりやすいものではなくても、
こんな生活がしたい、こんな人になりたい、
という理想はいくらでも思い描いてきたはず。
だけど同時に、心のどこかでは、「でもそうならなくてもよい」と思ってきた。

こんなの無理だから、など、ネガティブな気持ちではなく、純粋に、「こうなったらすごく面白いだろうけれど、そうじゃなくても十分しあわせ」って感じ。
もしくは、代わりになる「何か」がきっとあると思える状態。

一方で、「これは絶対叶えたい」という夢、希望も、確実に描いてきた。
大学受験とか、どんな仕事をしたいとか、そういう現実的な「目標」とも言えるかもしれない。
こちらについては、勉強をしたり、試験のための準備をしたり、何より、願書や履歴書を準備して応募するなど、「叶えるために必要なステップ」を確実にこなす必要があった。

たしかに、これら二つを混同したり、どちらも「夢」としか認識していないと、
叶えたい夢なのにそれに合わせた行動を取れなかったり、
叶えたいと思っていない夢のために心や体のエネルギーをすり減らしたりしてしまうのだろうなと思う。

なりたい自分、やりたい仕事、叶えたい生活、
いろんな目標や夢を描いたし、これからも描いていくと思う。
ある程度の年齢は過ぎても、まだまだ選択肢の多い時代、ビジョンを描いていないと、何もなく毎日が過ぎ去っていきそうだし、
何より、未来の姿を思い描いていくことは楽しい。
だけど、これからは、「それが現実に手に入れたいものなのか」という視点も、ちゃんともっておきたいなと思った。
自分のことだから本能的にわかる、という類のものではないと思う。
叶えたいのかそうでもないのか、悩ましいものも絶対あるし、叶えたいとしても「今」何かする必要はなくて、ただ「持っているだけの夢」でもいいものかもしれない。

少し気が軽くなった。「夢」という言葉の解像度が1段階上がった。

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