私ばっかり上手くいってない、わけではないはずだけど

たびたびハマる「私はダメだ」サイクル。
きっかけはだいたい決まってきた。
「自分の意見が言えなかった」とき。

もうこれは、小さい時には親に、大人になってからは自分や上司に、ずっと言われてきたことだから、「私は自分の意見が言えない」っていう型に、完全にハマってしまっている。

意見が言えないからダメなんだ、こういう時私は意見が言えないんだ、意見が言えないからこう見られているんだ、とか
あらゆる自分の「ダメ」に結びつけて、このラベルに囚われ続けているような気がする。

親か友達か、きっかけはわからないけど、言葉には慎重になってしまう自分がいる。
やらない後悔よりやる後悔、とはよく言うけど、話すことに関しては例外だと思っている。
言って後悔するようなことを言ってしまったら、もう既に手遅れだと思うからだ。
言葉より行動を信じたほうがいいとは思うけれど、その人が発する言葉は、その人の姿勢や思想、普段の考えがダイレクトに伝わってくるので、相手に与える印象はどうしても大きくなってしまうし、決定打となってしまうことも多い。覆すことも、簡単にはできない。

仕事でもそうじゃなくても、大人数でなく少数人の中でなら意見が言えることが多い。
少し前までは、2人が限界!だったけれど、今は信頼できる人が3〜4人だけいる場であれば、自分のペースで話すこともできるようにはなってきた。
だけど、10人となるとやっぱり話は別。
会議で質問も意見もできなくて、またダメだった。こんなサイクルが毎回だ。

質問しようと思った事は他の人が聞いてしまうし、求められた意見はその場では思いつかず、少しじっくり考えさせてほしいと言ってしまう。
考えれば自分の意見をまとめることもできるし、会議後とか後日になって意見を言うことができるようになってきたけれど、自分ではそれではまだ不満なのだ。

何年も、これをどうにかしないといけないと思って、いろいろ工夫をしてみたけれど、うまくいったりいかなかったりしている。
自分の意見をすぐにまとめられないなら、時間をかけてみたいことをまとめられるようにしたり、大人数ではない会話の中で練習がてら自分の意見を話してみたり、
そういうことならできてきたし、努力してきたつもりだけれど、まだ納得いっていない。

他の人にできていることが、どうして自分にできないのかと自分にがっかりしているのかもしれない。

ただ、この1点の見て自分を評価する必要もないのだと思う。
自分にできないことができる人がいるということは、
自分にできることができない人もいるわけで、
他の人から見た自分のイメージはそこまで悪くないかもしれないし、他の人は他の人なりの悩みがあって、私と同じ気持ちになっているのかもしれない。

自分を否定しないことは難しい。自分を肯定し続けることも難しい。
だけど、自分とは四六時中一緒にいるわけだから、できるだけ心地よく付き合っていきたい。
一つの欠点に目を向けなくても、他にも直したい欠点はあるし、いいところだっていっぱいあるはず。

あと、これを言ったら元も子もないってわかっているけど、私は「意見が言える人になりたい」わけではないのかもしれない。
言えた方が得だし、言えないと損だし、言えた方が周りからの評価も上がるんだろうって思っているけど、
単に意見を言いたいわけではなくて、ちゃんと配慮と思いやりのある言葉を使いたいとか、意見を言うよりも実行するために力を使いたいとか、そんなところだろうと思う。
それが叶う形なら、あるいは叶えるために必要なら、自然と意見が言えるようになるのかもしれない。

他のところに支障が出てしまうので、落ち込むのもほどほどにしておかなくちゃ。

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