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綺麗な文章と伝える文章

こんにちは、苑森です。

今回は、私の最近少しするようになった小説創作や今までの文章課題などから考える、周りの人から言われたことも含めた文章についての話をしたいと思います。

あくまで私の個人的な体験談+個人の感想ですのでそのあたりはご了承くださいませ。


≫私が文章を書くとき

はじめに、わたしが文章の書き方の傾向について書きたいと思います。あくまで個人的な話なので、興味ないよーという方は飛ばしていただいても結構です。


私が文章を書く機会というと、主に

・個人での小説の創作時
・学校の課題など

の二つになります。

ここで普段感じることとしては、『テーマさえ決まっていればいくらでも書ける』ことと、『少し書いては読みなおすことを繰り返しながらその都度修正していきがち』ということです。

また、わたしは文章を書くときのみならず、それ以外の例えばペンネームを考えるときなどにも、読んだ時に読みやすいか、語呂が良いかということによく頭がいくことが多いという性質があるように思います。

≫綺麗な文章とは

では、タイトルにある中の『綺麗な文章』とは何ぞや、という話に移りたいと思います。

ここで言う『綺麗な文章』とは、文脈が整っていて読みやすく、主に論文や新聞記事など、事柄を正確に支障なく理解してもらうことのできる力を持つ文のことを指します。

つまり、(おそらく)普段、私が書いている文章はこちら側に分類されるようなものだというわけです。

≫伝える文章とは

一方、『伝える文章』とは、主に小説や弁論などのような、読者に何かしらを訴えかけたり、伝えたりする力を持つ文のことです。

具体的にどんな文章かを書くのは難しいですが、整いすぎず、整わなさすぎずといった絶妙なラインで、人間の絶妙な感性に触れるような文章といったところでしょうか。

そんなつもりではなかったのに、小難しい感じになってしまいました…笑。

≫軽くまとめてみます…

というわけで、いろいろと書いてみましたが。

要は、『文章』とか『文章を書くことが得意』というのにもそれぞれ少しずつ違ったものがあるようだということで。

整った文を書ける事だけが『得意』ということではなく、それこそ小説なんかでは『いかに読者の感性に呼び掛けられるか』というほうが重要な気がします。何かを伝えるとかそんな深い話ではなくて、とりあえず少しでも読者に面白いと思ってもらえるかどうかという世界じゃないですか、たぶん。

まあそういうと私はおそらくどちらかといえば整ってる系の文を書く人間なので、小説家を将来の仕事の選択肢に入れている身としてちょっと勉強をした方がいいなぁと思っています。

はい、長くなってしまったのでここらで失礼いたします。
苑森つばめによる文章についての考察でございました。


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