見出し画像

「大学無償化」を命懸けで阻止せよ

「「大学無償化」への批判が的を射ていない真実 お金だけでは得られない豊かさに目を向ける」
(東洋経済/井手 英策)


 当ブログでは何度も指摘しているが、左翼、全体主義者というのは詐欺師の一形態と見做すことが出来る。ヤツ等は「医療」「福祉」「教育」が大好きである。
 何故大好きなのかというと、これらは現代人にとって悩みの種だからである。

 大病に落ちて高額な医療費が必要になったら・・・
 老い先短い自分を家族は負担に感じてないか・・・
 子供は欲しいが教育費を工面できるか・・・

 この様な不安に対し、詐欺師は敏感である。

 「国民皆保険制度で医療費の負担を軽減します。」
   (≧▽≦)みんなハッピー!
 「社会福祉法で公的な支援を約束します。」
   (*^_^*)ダイジョウブだよ
 「教育は経済力に依らず受けられるべき。」
   (  ・`д・´)オレに任せろ!

 詐欺師というのは、胡散臭い顔、凶悪な顔、いかがわしい顔で近付いて来たりはしない。
 詐欺師というのは、友好的な顔、優しい顔、頼もしい顔で近付いてくる。
 引用した記事を書いた井手栄策というヤツは、慶應義塾大学経済学部教授などというゴツイ肩書きを纏っているが、何のことは無いありふれた共産主義者、詰まりは左翼・全体主義系詐欺師である。
 大学というのは未来ある若者をバカ化させたり左翼に洗脳したりする施設であるが、引用した記事を読んで、こういった現状を再認識させられた次第である。(※補足①)


井手氏は教育費や医療費、介護費、障害者福祉といった「ベーシックサービス」を、無料で誰もが受けられる社会の実現を提言しています。

出典:引用した記事より

 ((((;゚Д゚))))こわっ!

 因みに「ベーシックサービス」というイカガワシイ言葉だが、どうやら井手自身が言い出した造語らしい。
 従って、具体的にどういう意味かを知る必要は全く無いので、さっさと忘れることとする。

以下に僕の考えを示しますが、これは答えなのではなく、ひとつの考え方だ、ということを忘れないでください。

出典:引用した記事より

 こういうところである。(※補足①)

 大学教育の無償化に関しては、大学をタダにしても勉強する気のない子どもたちをいたずらに進学させるだけではないか、大学がタダになっても、結局、お金持ちの子どもだけがいい学校に行くのではないか、という批判が出てきそうです。
 ですが、これらの批判は的を射ていません。

出典:引用した記事より。

 確かに的を射てはいない。何故なら、この様な批判は騙す獲物を取られたくない別の左翼・全体主義系詐欺師によるものか、単なるバカによるものか、その何方かでしかないからである。

大学に行く/行かないは、各人の選択でかまいませんが、大学教育それ自体は、万人にひらかれるべき権利です。

出典:引用した記事より

 酷い言い草である。いつ、どこの誰が閉じたというのか。

なぜなら、大学教育は、人間の「精神の自律」の前提をなしているからです。

出典:引用した記事より

 そんな訳無かろう。(※補足①)

投票の権利を与えられても、人々は自分で考え、判断し、選択できなければなりません。それができて初めて、私たちは社会の言いなりになるのではなく、自律して生きていくことができるはずです。
 家庭の所得水準が進学できる大学のレベルを決めるという批判は、以上の視点を欠いています。

出典:引用した記事より

 批判は最後にまとめて書くが、この一文に関してはここで叩いておく。
 抜粋した一文だが、まるで大学に通わなかった者は満足に「自分で考え、判断し、選択できない」とでも言わんばかりである。
 本田宗一郎氏や松下幸之助氏の最終学歴は小卒である事が知られている。
 天下のトヨタ自動車にて「おやじ」の愛称で知られた河合満氏は、どう解釈しても高卒“相当”でしか無い。
 井手は大卒とか院卒なのだろうが、それでこの有様である。(※補足①)
 大学が「若者をバカ者にする施設」という現実を再認識させられるというものである。

大学教育にとって大事なのは、「考える」「判断する」「選択する」ための知識や専門性を提供する場であるかどうかであって、

出典:引用した記事より

 あるかどうかであって(※補足①)
 日本語がおかしい。文脈からすると、「提供する場であって」が正しい。

OECDのデータによると、「政治に関心があると答えた成人の割合」は、高卒以下が42%、高卒が51%、大卒が65%となっています。

出典:引用した記事より

 政治への関心が抜粋した一文の様な状態になる事は、それ自体が社会問題である。
 「だから大学に行くべき」という根拠足り得ない事を理解せねばならない。

権力からの精神的自律をなしとげる、すなわち、事実を見つけだし、権力と批判的に向きあうためにも、大学教育はベーシックサービスのひとつだと考えるべきです。

出典:引用した記事より

 それを大学で学ぶのでは遅過ぎて話にならない。 

大学はそれぞれの理念にしたがって、精神的な自律を可能とする教育サービスを提供せねばなりません。

出典:引用した記事より

 「精神の自律」とやらを、大学で学ぶのは遅過ぎる。

偏差値なんて大した問題じゃない

出典:引用した記事より

 偏差値を学力と定義するのなら、学力が各大学の求める基準より高くなければならないのは当然である。
 何故なら大学とは、「高等教育」を受ける場だからである。

いい大学にいき、いい会社に入らなければ、おだやかな暮らしを手に入れられない

出典:引用した記事より

 これも寧ろ社会問題として認識せねばならず、解決を図るべき事案である。

大学の学費がいらなくなり、老後も病院や介護の心配がない社会になったとしたらどうでしょう。

出典:引用した記事より

 コワイ!コワイ!!コワイ!!!(※補足①)
 ((((;゚Д゚))))

みなさんは自分の子どもを大富豪にしたくて勉強をさせていますか?  そうではなくて、人並みか、できればちょっといい暮らしを楽しんでほしい、そんなささやかな願いから子どもたちを受験戦争にうながしているのではありませんか?

出典:引用した記事より

 書いていて、先ずは自分で気付いてくれ。(※補足①)

多くの人たちが受験に必死になるよりも、青春時代を楽しみ、地域にある大学に行き、生まれ育った街で愛する人と出会い、働き、生きていくという選択肢もあってよいのではないでしょうか。

出典:引用した記事より

 大学ありきの社会になればなるほど、この様な生き方は困難になってゆくのである。

ベーシックサービスと品位ある最低保障を両輪とした社会を、僕は《ライフセキュリティの社会》と呼びます。

出典:引用した記事より

 品位のカケラも無い、下品な思想である。

ライフセキュリティの社会は、お金とは違う「豊かさ」をもたらしてくれます。

出典:引用した記事より

 お金とは違う(以下略)(※補足①)
 ((((;゚Д゚))))

子どもも、大人も、ともに将来の不安から解きはなたれた社会なのですから。

出典:引用した記事より

 せめてもう少し本性を隠せ。(※補足①)

仮に一時的に失業しても、転職して給与水準がさがっても、みなが安心して生きていける社会なのですから。

出典:引用した記事より

 左翼、全体主義者というものは、絶対に「富の増大」をクチにしない。(※補足①)

24時間やっているお店なんていらなくなります。人間を深夜まで働かせることのない社会は、ムダな電力やプラスチックの容器を必要としない社会でもあります。

出典:引用した記事より

 この流れで脱エネルギーや脱プラスチックを持ち出すのは、いくら何でも無理があるのではないか。(※補足①)

僕は、そんなに難しいことを言っているでしょうか?

出典:引用した記事より

 共産主義社会が大衆に井手の言う様な幸福を齎したためしなど、ただの一例とて存在しない。「難しい」どころの騒ぎでは無い。「無理だという結論が出ている」のである。
 と言うか、内容以前に文体が気持ち悪い。(※補足①)

確かにお金があれば生きる・暮らすために必要なサービスを市場から買うことができるようになります。ですが、(後略)

出典:引用した記事より

 「ですが」は要らない。それが全てである。

もう、いい加減に、《経済に依存した社会》から抜けだすべきなのです。

出典:引用した記事より

 そろそろ引用した記事も終わりなので、井手の考え方がどれ程までに醜悪であるかを解説しようと思う。

 世界各国で貧困率が大幅に低下したのは経済成長による恩恵である。経済を否定する限り、大衆に幸福が齎される事は無い。

https://honkawa2.sakura.ne.jp/4632.html

 経済は以下によって成長する。
1.正しき自由主義
2.正しき民主主義
3.真の資本主義
4.それ等の本質を理解する人間の意思
5.その様な人間が展開する自由闊達な経済活動
6.その様な人間の道徳ある自助努力

 また、経済は以下によって衰退する。
1.共産主義
2.社会主義
3.ソレ等をひっくるめての全体主義
4.全体主義者が騙る上辺だけの自由主義
5.全体主義者が騙る上辺だけの民主主義
6.ソレ等を用いる井手の様な詐欺師
7.井手の様な詐欺師に騙される愚図
8.その様な愚図が求める計画経済
9.その様な愚図が求める公的社会保障

 大学無償化は数多ある左翼・全体主義系詐欺の一つに過ぎない。
 大学という場を構成する要因を列挙すれば、それを無償化、と言うか、税金で肩代わりする事の愚かしさが分かる。
 校舎や建屋設備や研究開発に関わる設備とそれを構成する資機材、それ等を構築する過程において関わる人員の労働力。全て商品である。
 また、井手の様なバカ者も含む、大学で働く全ての者達の労働力も商品である。
 更には、校舎を維持・補修する資機材や労働力も商品であり、建屋設備や研究設備を稼働させるエネルギー、保守管理する者の労働力、全て商品である。
 大学のキャンパス内で、視界に入る殆ど全てが商品である。
 商品を購入するに当たって必要なのは対価である。対価無くして商品を得る行為。これを窃盗と言う。
 さて、大学を構成する全てが商品である以上、そこで提供される商品=教育サービスも商品である。無償化を叫ぶ精神性は、盗人根性そのものである。

 「無償化=税金で肩代わりと自分で書いているじゃないか。肩代わりされている以上、窃盗云々の批判は当たらない!」
 もし、この様な感想を抱いたのなら、貴方は自分が愚図なのかもしれないと疑うべきである。何故なら、盗人根性を大衆に植え付けることは、左翼・全体主義系詐欺の骨子だからである。
 税金で肩代わりされるという事は、貧乏人は少ない負担で、富裕層は多くを負担するという事である。金持ちは「馬鹿馬鹿しくてやってられん、もう日本からは出ていく」(※補足③)という事であり、貧乏人は「政府が色々と保証してくれるから、そこそこの稼ぎでイイや」という事である。
 金持ちのそういった行動は致し方無い。当然の感情であり、当然の判断である。
 一方で貧乏人のそういった行動だが、これこそが経済を衰退させる原因である。自分はそこそこしか社会貢献せずに、「政府がもっとカネを出せ!」と言う。それを見て新たな左翼・全体主義系詐欺師が新たな詐欺を始める。結果、増税を招き、生活に困窮する人が増加し、更に多くの社会保障費が必要になり・・・。悪循環である。

 引用した記事で、井手はこの様に騙っていた。「大学とは精神の自律を促す場」だと。
 極めて愚鈍、傲慢、醜悪なモノの考え方である。
 井手は「精神の自律」の定義として、投票権(選挙権?)を行使する上で必要な思考力や判断力を身に付けることとしているが、たかだか大学の4年間でどうにかなるものでは無い。
 では、高校から教えれば良いのか? 違う。
 それなら中学校からなのか? 違う。
 だったら小学校から? 全く違う。
 学校でこの様な事を教える、ひいては、学校にこの様な重大事を丸投げするという発想が、そもそも違うという事である。
 井手が言う「精神の自律」とは、先ず第一に親が施すべき教育である。義務教育を含む学校で教わる知識は、全てその為の予備知識に過ぎない。
 親は、我が子が学校で施される教育の進捗に合わせ、政府とは何か、行政とは何か、経済とは何か、保守とは何か、左翼は何故駄目なのか、それを一つ一つ丁寧に根気よく教えるのである。
 これが本来の教育である。
 少数(教師達)と多数(生徒達)の関係でどうにか出来る話では無い。出来るのは、「精神の自律」などという高尚なものでは無く「洗脳」である。
 ところで、その様な教育はだいたい18歳くらいまでで充分である。何故なら、詐欺師に投票する様な間違いを犯さない程度の教育を施すには、中学卒業までで学ぶ内容で充分だからである。

 大学を税金で肩代わりして無償になった風な状況にしたら、「行かなきゃ損」とばかり、皆こぞって大学に行く。一方で、先述した通り、学校で受ける教育は商品である。大学だろうが高校だろうが中学だろうが小学校だろうが、そこで受ける教育は「教育サービス」という名の商品である。
 「違う!」と年間100回以上叫んでも、事実が変質する事は無い。(※補足⑤)
 結果起こるのは、「大学における教育」という商品の需要過多・供給過少である。そうすると、大学教員のなり手が増える事に加え、20歳前後の若者の多くが「働き手」ではなくて「大学生」になってしまう。社会全体の生産性が低下するという事である。
 教員のなり手が増えると言っても、無尽蔵に増える訳では無い。教員1人が受け持つ生徒の数はどうあっても増える。
 更には、建屋や設備の数も不足するので増やすことになるが、これも無尽蔵には増やせない。やはり不足気味になる。
 詰まり、「大学における教育サービス」という商品の質が低下するという事である。

 「教員や建屋や設備が不足したら、そこに需要や雇用が産まれる。だから、税金で肩代わりしての無償化であっても無意味じゃない!」
 これは経済白痴の言い分である。(※補足⑥)
 需要や雇用がどの様な形でも産まれれば必ず経済成長につながると思ったら大間違いで、最終的に付加価値が生み出されなければ何にもならない。
 世の中に大卒を溢れかえらせたところで、現実的には大卒でなければ務まらない仕事など極僅かである。結局は大多数の大卒が高卒や中卒でも経験を積めば十二分に対応出来る仕事に就くのである。
 「大学における教育サービス」の需要を人為的に増やす行為は、徹頭徹尾弊害しか産み出さない。

 長くなってきたが、これも書いておかなければなるまい。
 井手の「いい大学にいき、いい会社に入らなければ、おだやかな暮らしを手に入れられない」という言い分である。
 何故、多くの企業が採用条件に「大卒」を掲げているのか。大卒の方が高卒や中卒よりも優秀だからか? そうでは無い。優秀「かもしれない」という程度のことに過ぎない。
 何故、「かもしれない」程度でしかないと分かっていながら、企業は「大卒」という条件を付けるのか。
 それは、一度雇ってもしも駄目だったとしても、簡単にはクビに出来ないからである。だから、ほんの少しでもハズレを引かない様にする為、様々な条件を付けるのである。
 「大卒」など、企業から見ればその程度のものでしか無い。
 人は折角大学まで行ったのなら、少しでも大手の有名企業に就職したいと思うものである。結果、大企業にばかり募集が殺到する。中小は滑り止め以下である。
 「大卒」が増えれば増える程、中小は「滑り止めで仕方なく」入社してくる人材しか得られなくなる。最初からやる気がない。プライドばかり高い。配属ガチャなどという巫山戯た言葉に縋る。この様なバカガキが増殖する。
 クダラナイ雇用規制など無ければ、企業は中卒や高卒を気兼ねなく採用出来る。大学で合コンに明け暮れるバカガキを尻目に、やる気のある中卒や高卒は乾いたスポンジのように仕事のノウハウを吸収する。数年して同年代の「大卒」が入ってきても、実力は月とスッポンである。「大卒」にしてみても、中卒や高卒の先輩に頭を下げて教えを請わねばならない。バカバカしくて、なんで大金を払って、場合によっては奨学金などという借金まで背負って大学なんぞに行かねばならんのか という事になる訳である。

 「大学無償化」にメリットは一つも無く、デメリットしか存在しない。
 メリットと思えるものは、余計な法や規制を撤廃する事で雲散霧消するものばかりである。

 ではそのときの対抗軸はなんでしょう。それは《共にある》という視点です。
 共にある、と言われると、なんとなく人間を縛りつけるような、自分らしさを押し殺して、まわりにあわせなければいけないような印象を受けるかもしれません。
 でも、そうではありません。むしろ人間の「自由の条件」を整えたいからこそ、この共にあるという言葉の意味について私たちは考えなければならないと思うのです。

出典:引用した記事より

 オエ~・・・。(※補足①)
 ( ´ ཫ ` )


※補足①:引用した記事

 詐欺師というのは友好的な態度で近付いてくる訳だが、目的は騙すことなので、色々と無理が出る。
 なので、あの手この手を使って隠そうとする。
 例えば文章を書いてみても、矢鱈と優し気な文体で書かれていたりする。
 引用した記事だが、そういった事を意識しすぎた所為なのかどうか知らないが、はっきり言って気持ち悪い。内容が醜悪なので余計にそう感じるのかも知れないが、ちょっとやり過ぎである。
 自分で読み返さなかったのだろうか・・・。

※補足②:私の最終学歴

 この様な記事を書いているが、私は近畿大学ビリヤード部・・・、じゃなくて、工学部の建築学科卒である。
 まぁ、いわゆる“バカ大”である。
 しかも、一休建築士・・・、間違えた。一級建築士などという糞の役にもたたぬ、要らぬ誤解を垂れ流すだけのゴミみたいな国家資格まで取得してしまっている。
 四角(「資格」の誤変換だが、敢えて修正しない)はまだ良いとして、「大卒」の方は改竄出来るならしても良いかと、引用した記事を読んで本気で思ってしまった。井手予備軍と思われるのは屈辱以外の何物でも無い という事である。

※補足③:トヨタ自動車株式会社

 日本から出ていくという方法も選択肢の一つとして持っている。既に持っている。現時点では「最悪の場合は・・・」という但し書きが付いた状態に止まっている様だが、持っているのである。
 欧米の中枢は北米に、アジア圏の中枢は(日本で無くて)タイに。その様な構想が実在する。
 トヨタの場合は政府の計画経済や公的社会保障によって発生する増税という以上に、いつまで経っても「⚪︎⚪︎で出遅れ!」(※補足④)みたいな事しか言わないメディアや支那と繋がる売国官僚に嫌気がさしてのものらしいが。

※補足④:⚪︎⚪︎で出遅れ

 電気自動車の販売台数増加が(当然の如く)世界で鈍化を見せ始め、「トヨタは電気自動車で出遅れた!」と言っていたバカメディアは下記3パターンのどれかに派生しだしている。

1.継続して「電気自動車!」と言う派
2.ダンマリを決め込む派
3.別のネタを探す派

 3番目は“SDV”(Software Defined Vehicle)が主流になりそうである。じきに1と2のヤツ等も来るだろうが、今までの中でネタとしてはかなり弱い部類に入ると思われ、ちょっとどうなるかは分からない。
 (分かる必要も無い。)

※補足⑤:100回以上叫ぶ

 私がある意味で大好きな、ナチス・ドイツのヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相の名言、「嘘も100回言えば真実になる」という故事に則った表現である。
 左翼、全体主義者は皆この手法を用いている。

※補足⑥:経済白痴

 日本には「消費や需要が経済を牽引する」という勘違いが蔓延しているが、全く違う。
 「貯蓄が経済の起点になる」
 これが正解である。

この記事が参加している募集

多様性を考える

SDGsへの向き合い方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?