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「小説家になろう」を批判する(分類について)

私は昨年の一月六日から今年の五月二日まで「小説家になろう」という小説投稿サイトに即興小説を連載投稿して完結させた。
そこで思うのが、「小説家になろう」というサイトに投稿される小説の偏りだ。
私は冒険ファンタジーを連載したのだが、投稿する際、ジャンルを決めなければならない。すると、ファンタジーだと「ハイファンタジー」と「ローファンタジー」に分けられる。なんだ、これは?「ハイファンタジー」は完全な非現実の世界、「ローファンタジー」は現実の中にファンタジーがある世界、らしい。しかし、そう区別されると、私の主義に合わなくなってしまう。なぜなら私は、「小説は異世界を覗く窓」だと思っているからだ。小説はすべて異世界なのである。どんなにリアリズムになっても現実ではない。いや、現実の延長線上にあり、言い方を変えれば小説(芸術)により現実は形作られている。つまり、私はファンタジーを書くことで、現実を書こうとしているのだ。それは「ローファンタジー」というのではなく、架空の世界は小説として現実に存在していますよ、ということなのだ。
私が連載した、『最低な三人の異世界転生ドラゴ二ア冒険記』はサイトの分類では「ハイファンタジー」にした。しかし、その小説の第一話は、現実のダメな三人の中学生の物語だ。第二話ではその三人が自殺し、第三話で異世界に転生する、そこから物語が本格的に始まる。つまり、現実が描かれているから「ローファンタジー」とも言える。つまり、私が言いたいのは、「ハイ」とか「ロー」とか分類することで作者の想像力を奪ってしまう可能性があるということだ。この分類についての批判は、件のサイトの「恋愛」という分類にも当てはまる。サイトの分類では「恋愛」の下位の分類に「現実世界」と「異世界」という分類がある。何だ、これは?このような分類をする意味がまったくわからない。小説家はこのような分類をぶっ壊してこそ、やりがいがあるだろう。
まだ、他にも分類については言いたいことを挙げたらキリがないからここでやめるが、普通小説の分類とは、娯楽小説、純文学、などとあり、その下位に、推理小説、歴史小説、SF、ファンタジー、恋愛、コメディ、などとあるのだろう。私はこの純文学と娯楽小説を分けてしまう現代の文壇をぶっ壊したい。そもそも、物語の分類とは物語が先にあり、あとから読者が分類するものだ。作者が分類するべきではない。
「よし、SF小説を書こう」と思って書くのは、SFという枠に囚われそれ以上の作品ができなくなってしまう恐れがある。
小説は自由だ。分野に囚われず何を書いてもいいのが魅力だと思う。

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