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長編小説『地下世界シャンバラ』投稿準備中~小説家を目指して~

私には現在、自作の四本の長編の冒険ファンタジー小説がある。そのひとつめが、すでにnoteに投稿してある『空中都市アルカディア』である。これは私が代表作と思っている作品で、非常に愛着がある。この作品で生まれて初めて長編冒険ファンタジーを書き上げたので、そのときの恍惚感、陶酔感は忘れられない。
そして、二作目の『地下世界シャンバラ』でも、書き上げたときに同じような陶酔感があった。三作目、四作目もそうだった。
しかし、四作ともなんらかの新人文学賞に投稿したが、認められなかった。
それでも私にとって大切な四作であり、自信がある。なので、二作目の『地下世界シャンバラ』をnoteの創作大賞に出そうと思っている。『空中都市アルカディア』は去年出してダメだった。またダメかも知れない。自信はあっても、他人から見たらダメだというのはどの芸術分野にもある。
『地下世界シャンバラ』も現在、「小説家になろう」に連載中であるが振るってはいない。
先に私はこれらの小説を書き上げたとき、恍惚感、陶酔感があると書いた。それは「ああ、いいものをこの世に産み落とした。もう死んでもいい」と思うくらいの満足感なのだ。しかし、自殺するのもバカだから生きているのだが、生きているとまた、あの恍惚感、陶酔感を味わいたく書き始める。そんなとき、生きている喜びを噛みしめることができる。
「私は小説を書ける環境にいるんだ」
これが幸福か不幸かはわからないが、とにかく生きる喜びではある。
三島由紀夫は『豊穣の海』を書き上げ、その陶酔感の中で割腹自殺した。彼は死というものを小説を書き上げるごとに感じていたのかも知れない。キラキラした死とでも言おうか。
宮﨑駿は、「この作品を最後に引退する」と宣言して、何度も宣言を撤回して作り続けている。
私は引退を宣言しないし、自殺もしないが、書き上げると「やりきった」と思い満足して死を意識するのは事実だし、燃え尽きても、また書き始めるのが私の人生である。
深夜、小説のラストシーンに向かって、家族の寝静まった家でひとりパソコンに向かう私はたしかに恍惚感の中を疾走している。栄光に向かって突き進んでいる。
栄光とは、文学賞とか、作品が売れるとかそういうことではない。
宇宙の中で神と対峙する瞬間が書き上げたときで、そのときは栄光に包まれているのだ。
そして、今、『地下世界シャンバラ』をnoteに投稿する準備をしている。「小説家になろう」に先行掲載しているが、noteでの宣伝の記事の方がアクセス数が多いくらいで、『地下世界シャンバラ』というシンプルな題名は「小説家になろう」の読者の注意を引くことができないのかもしれない。
現在、wordで題字を書いて、それをnoteの頭にコピーしようとしているのだが、コンピューター音痴の私はそれができず、洞窟の写真を貼るだけにしようかなどと悪戦苦闘している。
いずれにしろ、『地下世界シャンバラ』は「小説家になろう」に最終話が掲載される、五月十五日正午以降にnoteに公開しようと思っている。
noteではあまり長編は好まれないと思うが、それでも最後まで読んで後悔はさせない作品だと思うので、自信を持って投稿したい。

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