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文学新人賞審査員の小説家の代表作は何だ?

私は小説家になりたくて、小説を文学新人賞に投稿し続ける日々を送ってきた。
しかし、いつも落選していた。
いきなり、話は横道に逸れるが、ピアノ教室の先生という職業が世の中にはある。あれはどういうことだろうか?と言うのも、ピアノの先生とは、世界最高のピアニストだろうか?世界最高のピアニストになりたかったら、そこらの数多いるピアノの先生に基礎を教わることは有害な可能性がある。なぜなら、多くのピアノの先生はピアノの世界で言い方は悪いが負けた人たちだからだ。ヨーロッパに留学して負けて帰って来た人が、仕事がないためピアノ教室を開く、そういう先生たちは負けた理由がどこかにあるはずなのに、指導者として、子供にピアノを教える。その子は先生を超えることはできるだろうか?私は随分、ピアノの先生を悪く言っているようだが、人格を否定するわけではなく、ただ、最高の芸術は指導することができるか、と論じたいがためにピアノの先生を例に挙げた。
もうひとつ私が嫌いな先生で書道の先生というものがある。いや、書道と言えばいいが、実際は「お習字」と呼ばれる。私は絶対にあの堅苦しい世界に入りたくはない。お習字の先生は、いきなり「とめ」「はね」「はらい」などのやり方を教えるのだろうか?私が小学生の頃に習字の授業があったが、よく朱墨で訂正されたものだ。あの字に対する志向性は理想の字がまずあって、そこに自分の字を近づけていくという姿勢である。私はそれが本当に窮屈で堪らなく思う。
ピアノの先生はどうだろうか?基礎を教えると言って、ピアノに初めて向かう子供に、習字で言う「とめ」「はね」「はらい」みたいな理想の型を押しつけていないだろうか?いや、私はピアノのことはまったく知らないが、習字で垣間見たお稽古事の世界では、まず、理想があり、そこに向かって近づけていくという指導の仕方があるのではないだろうか?そのやり方で行くと最終的には理想に近づいたはいいが、それを超えるための一線が超えられずに悩むことになりはしないだろうか?
私は芸術とは最初に、美学、思想から入るべきだと思う。「『音楽は美しければそれでいい』と先生は思うけど君はどう思う?」みたいに考えさせることが大事だと思う。いや、とにかくピアノと戯れることが一番大事だと思う。
さて、いよいよ、本題の小説の話だ。
小説の書き方を私は学校の授業で習ったことはない。現在の学校では小説を書かせることもあるらしいが、そのことは知らん。
しかし、世の中には小説家になるための塾などがあるそうだが、なぜ、人は自由を捨てて誰かに教えを請おうとするのか?ピアノの先生のところで述べたように、その塾の先生はどんな小説を書いているのか?ピアノの先生みたいに小説の世界で負けた人が指導していないだろうか?小説家の先生の弟子になろうとしている人はその先生の代表作を読んだことがあるか?それは世界レベルだろうか?たしかに小説はピアノに比べ一流になるための門戸は広いような気がする。小説はピアノほどアカデミックではないと思うからだ。しかし、小説は指導を受けて書けるものではないと思う。むしろ、指導は邪魔だと思う。小説は自分の中で、書き方のコツや、面白い物語のアイディアの出し方だとか、テーマを深めることだとか、そういったものを自由に開拓できるところが魅力であると思うのに、誰か特定の人に指導を仰げば、その先生の幅からは出られない気がする。
文学新人賞は狭き門だと思う。審査員の小説家や評論家の先生方が(偉そうに)頂点にいて、編集者やその下読みの人たちがよく知らんがたくさんいるのだろう。そういう篩にかけられた作品が晴れて新人賞を受賞するのである。すると、世の中には「○○文学新人賞の傾向と対策」みたいなものがあるらしい。いや、小説は受験なんですか?新人賞の審査員に認められることがあなたの小説を価値づけることなのですか?なんのために小説家になりたいのですか?文学賞が欲しいのですか?それとも誰かの心を震わせたいのですか?私はノーベル文学賞を受賞するよりも、読者の人生を変えてしまうくらいのインパクトのある作品を書きたい。そのためには、ここが矛盾するところかもしれないが、誰が読んでも文句なく面白い作品を書いて新人賞を受賞し、多くの人に読まれたい。しかし、多くの人にインパクトを与えたいのが目的であって、新人賞を獲ることが目的ではない。多くの小説家志望者がそうであると思う。芥川賞を受賞することを目指しているようでは、それ以上にはならない。漫才ではM-1グランプリというものがあるが、あれで優勝した漫才師が面白いのではない。あれは審査員がいて、審査員が評価したものが勝つスタイルだが、漫才師は審査員に評価されるために漫才をするのか?お客さんを笑わせるためにするのではないのか?文学も同じで審査員が高く評価した作品が良い作品なのではなくて、読者が良いと思った作品が良いのである。私は読者が良いと思う作品を書きたい。

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