理想の人格を作ることはできるか?
これはAIのことではない。
私は高校生のときに統合失調症という精神病に罹り、こう言うと誤解があるかも知れないが、人格が崩壊した。
その人格を立て直すために、まず、大学の哲学科で哲学を研究した。
統合失調症とは、色々の症状があると思うが、私の場合、コミュニケーションが難しくなったことだ。頭の中で文章を考えてから、発話する。そんな壊れた頭だった。
そうだ、文章だ。
私は、大学在学中に精神科にかかり、治療を始めた。
理想の人格を労働者とか百姓とかに求めた。なぜなら、これは偏見かも知れないが、彼ら彼女らは、都会的に洗練された日本語を使わず、敬語も使えず、ただ、正直な言葉を使う人々が多いと思ったからだ。
理想の人格と言うと、人は、キリストとかブッダとか孔子とか聖人君子を想像しがちだが、私は違った。
人間らしく生きるための喋り言葉を取り戻すことが目標だった。
私は頭の中に労働者ならばこう言うだろうなという文章を考えてから発話した。そして、次第に、頭の中で文章を考えず、会話が普通にできるようになった、ように見えた。
しかし、最近は壁を感じている。
理想に限りなく近づくことはできるが、最後の一線はなかなか越えられないのだ。
つまり、自然体、ありのままの自分になって、お喋りを楽しむことができない。
なぜなら、その自然体は私にとって作り上げたものだからだ。作り上げたものは自然ではない。
生まれながらのものを自然と言うが、私の人格は、一度壊れ、新しく作り上げたものだから、自然ではない。
その一線を越えるには、いわゆる、「心をひらく」ということになると思うが、その心がわからない。自分がわからないのだ。
そして、このようにnoteに思うことを書いては、自分の思想を確認するのだが、これは私の中の独り言を公開しているに過ぎない。
対人のコミュニケーションはできないのに、文章の方が能弁に語ることができる。これは普通ではない。
ただ、希望はある。
私は両親と暮らしているのだが、ふたりとは普通に話ができるのだ。何人かの友人とも普通に話ができる。その普通を広げていけばいいのだと思う。
自分というものは、あそこという未来にあるのではなく、「いま、ここ」にある。未来の自分という理想を追いかけていては、いつまでたっても自己実現などするわけがない。
自己実現と言う言葉が出たついでにそのことについて言うが、「自己実現」とは現在の自分を否定し、将来の理想の自分を実現するという意味になると思う。私は「自己実現」とは夢を叶えることだと思っていたが、そうではなく、自分を失った人が、自分を取り戻す、あるいは新しい自分を見つけるという意味だと今ならば思う。だから、すでに自分がある人に「自己実現しましょう」と言うのはナンセンスであると思う。
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