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統合失調症からリカバリーへのプロセスのある地域作り

最近、統合失調症に関する記事を書いていなかったが、書かないことで見えたことがある。
自分を障害者ではなく普通の人だと認識することが非常に大事だということだ。
私は最近、映画に関する記事や、料理に関する記事を障害者としてではなく普通の人として書いていた。これで私の行き着く先は見えた。障害者福祉に統合失調症罹患者の先輩として関わり続けるのではなく、「卒業」することが大事だということだ。
で、今、なぜ統合失調症について書くかというと、本日、民生委員をやっている母が、障害者やお年寄りのための複合的な施設というか、町を見学に行ってきたらしく、そこで障害者の焼いたパンを買ってきた、と言うので、「またパンか」と思い、この文章を書こうと思った。
なぜ、障害者にはパンを焼かせるのだろうか?
私が社会福祉士になって地域の精神障害者の就労支援施設を見学に回ったとき、パンを焼いている施設があった。「なぜ、パンなのですか?」と施設長に訊いたら、「施設を設立する当時、障害者にパンを焼かせるのが流行っていたから」と答えが返ってきた。私も一応精神障害者だったが、そういう施設でパンを焼くのはいかにも障害者という感じがして嫌で、自分でハローワークでパートの肉体労働を見つけて職に就いた。その職場ではいい上司に恵まれ、労働の基礎をたたき込まれた。二十代のことだ。そのあといくつか職を転々とし、現在勤める老人ホームに就職した。そこでもう十年以上働いている。まあ、リカバリーできたとは思う。
で、今日改めて思ったのは、精神に障害を負っても、「障害者らしく」なってはいけない。ということだ。その「障害者らしく」なる場所が、精神科病院であり、就労支援施設だと思う。もちろん、精神疾患になって「ふつうに」働けないことはよくわかるが、だからといって、障害者を集めて就労支援するというのは、その人を「障害者らしく」もう少し悪い言い方をすれば「障害者くさく」してしまうと思う。
母が買ってきたパンを先ほど食べたが、不味くはないのだが、美味いのだが、「障害者の作ったパン」と言われると、なんとなく気持ちがすっきりとしない。「パン職人が作ったパン」と言われればまあ、美味そうに聞こえて素直に食べられるが、「障害者が作ったパン」と言われるとそこに「同情心」というか「憐れみの情」が多少なりとも出てきて、素直に食べられない。少なくとも、「今、障害者が焼いたパンを食べている」という意識がパンを咀嚼する私の脳内のどこかにあるのだ。障害者がパンで勝負するならば、売り文句に「障害者が焼いた」などと付けずに、普通に「パン屋」という看板で勝負したらいいと思う。そのほうが社会の中に生きていると言えると思う。同情をカネにするな、と言いたい。
では、どうすればいいかというと、障害者の集まる施設は、まあ、交流できる場所程度にしておいて、リカバリーへのプロセスが地域の中にあるといいと思う。最初は単純で負担のない仕事をして、徐々にステップアップしていく仕組みが地域にあれば、「障害者くさく」ならずに、自立リカバリーへ繋がると思う。そういうのがすでにある地域もあると思う。しかし、一般的には施設に集めて仕事に慣れさせて、社会に送り出すのが基本だと思う。施設に集められたとき、集められた人はどう思うのだろうか?私は「こんなの障害者みたいで嫌だ」と思うだろう。集められることが嫌なのだ。私は先に述べたように老人ホーム(特別養護老人ホーム)に勤めているが、そこに集められた老人の多くは「帰りたい」と思っている。介護が必要だからと、そのような人を集めることの非人間的な思考が、今までの社会にあった。政府は介護の三本柱として、デイサービス、ショートステイ、ホームヘルプを挙げている。特別養護老人ホームは消えるだろう。それならば精神障害者の就労支援施設も消えて当然だと思う。地域(私は福祉の世界でこの「地域」という言葉を強調するのをなんとなく否定的に見ているが)、その中で精神病を患った人は徐々に自立度の高い仕事へステップアップして行ければいいと思う。「施設に集めて」というのはその人を障害者くさくするばかりで、自立度を下げる可能性があるからやめたほうがいいと思う。
「地域」という言葉がなんとなく嫌いだと私は述べたが、なぜかというと、地域とは限定された範囲という気がして、世界的な成功を手に入れたい野心的な私には狭い世界のような気がするからだ。私は地域に閉じ込められたくはない。ただ、精神病になったために脱落した人が何度でも挑戦できる社会、地域作りをすべきだと思う。私は「新卒」とか「既卒」などという言葉が大嫌いで、芸術家になりたい私はそういう常識みたいのは糞食らえと思っている。そして、精神障害者らしくなど絶対になりたくない、私は精神障害者ではない。私は「私」だ。
たしかに私が二十歳の頃に四十四歳の現在の私と同じ仕事をしろと言えば無理だったと思う(私は十六歳で統合失調症を発症している)。しかし、努力をすれば、統合失調症でも一般就労できるのである。さらに高みも目指せるのである。そのためのチャンスを与える地域、社会を作る必要があり、それは施設を作ることではない。社会に何度でも挑戦できるシステムを作ることである。特に統合失調症にはリカバリーへのセオリーが必要だと思う。セオリーとは、「こういう段階を踏んでいけばステップアップしていける」という道筋のことだ。例えば、最初は、命令を受けてその単純な仕事をひとりで何時間も継続するというのをステップ1として、次にステップ2はふたりで協力する単純な仕事、ステップ3はひとりで2工程の作業をする仕事、ステップ4はふたりで4工程の仕事をすること、ステップ5は・・・というような感じで、社会に慣れていくと上手くいくと思う。もちろん、このようなステップの中には、きちんと挨拶をすることコミュニケーションをとることなども含まれる。もしかしたら、電話応対(私は未だにこれができない)というのもステップの中に入れてもいいかもしれない。とにかく体を動かしながら周囲の人たちとコミュニケーションが取れるようになれば、回復というか、自立というか、リカバリーというかわからないが、ふつうに生きていけることになると思う。いや、システムを作ると私は言ったが、それは障害を負った当事者のほうが、自分の将来を見据えて人生の設計図を作ることかもしれない。そうだ、そっちだ。私が以前から統合失調症に関する文章を書いてきた趣旨はそっちにあった。つまり、当事者の側が自ら意図して既存の社会を利用し、回復に繋げる、それこそが、統合失調症になった私の取った人生の態度だった。最初は精神科を利用するところから始まる。そうだ、精神科も利用するものだ。主治医に処方箋を出させ、それを飲むように指示させ、それを自分は守る、そういう(けっして尊大ではない)態度から始まり、デイケアに通いながらコミュニケーションの訓練をし、パートの単純労働をして・・・というふうに、既存の社会を自ら利用するという態度がいいと思う。けっして、この病気はお医者さんが治してくれる病気ではない。だから、「あの医者が出した薬を飲み続けても治らない。あの医者はダメだ」と言うのは少し違うと思う。医者を選ぶのは自分であり、それに従うのも自分である。先に述べたように、リカバリーへのステップを自分でいくつか作るといいと思う。その一歩目は精神科に掛かることかと思う。自分の住んでいる地域にどのようなステップがあるか嗅ぎ分けるのも自分である。医者が、デイケアに行けというから行った。就労支援施設に通えと言うから通った。障害者就労しろと言うから就労した。これではなにも主体性がない。自分の人生は自分で決めて自分で進んで行くものである。障害者らしく生きてはいけない。自分らしく生きるべきだ。

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