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Re: 【短編小説】弱塩基遊離

 雨の匂いがした。
 そう思ってテレビゲームが映っている画面から目を離すと、リビングのドアが開いて疲れた顔の母が帰宅した。
「何かあったの」
 立ち上がって手伝うか迷っているうちに、母は食卓の椅子を引いて腰かけると、大きなため息を吐いた。
「イオンがね、隣町にとられちゃったんだってさ」
 やれやれ、だよ。
 そう言って母は腰をさすった。
 机の上には様々なビニール袋が並んでいる。
「え?じゃあそれって全部ちがうお店で買ったってこと?」
 隣町にイオンを奪われたと言う事はこの街が弱まっていると言う事だ。
 逆に隣町は強くなり、奪ったイオンが巨大化していると言う事だろう。
 この町も小さい街にあったイオンを奪って発展をした。
 だがそれでもこの街は十分に強くならなかった。
 いや、発展したからこそこの街のイオンが奪われたのかも知れない。
 町はそうやって統廃合を繰り返している。


 エコバッグがバランスを崩して食糧がこぼれ出た。
 今日の晩ご飯だとか明日の朝食、何日か分の食材や足りなくなった調味料。
 安売りで衝動買いしたと思しきお菓子やインスタント食品が見える。
 冷蔵庫の野菜室に玉ねぎやブロッコリーを入れる母の背中が少し小さく見えた。
「手伝おうか」
 腰が痛いんだろ、と言うと母親は振り向いて嬉しそうな顔をしたが
「いいんだよ、楽をすると駄目になっちゃうから」と言った。
 そんなもんかな、と思ったがふと気づいた。イオンがなくなったという事は
「それにしたって、新しい買い物先を見つけるのは大変だったろ」
「まぁね。新顔だとなかなか厳しくて、少し高い買い物になっちゃったね」
 母は苦笑いをしてみせた。

 商店街の人間たちはイオン者に厳しい。
 それで潰れた店は少なくないから当然だが、消費者側だって生活がある。
「家に入れる金額、少し増やそうか」
「いいよ、大丈夫。お前にはお前の生活があるんだから、気にしないで大丈夫だよ」
「でも」
「いいから。まだ子どもに喰わせて貰う歳でもないんだから」
 母はいつもより少しだけ強く冷蔵庫を閉じた。
 これで話は終わりと言うことだ。
「そっか。でも次は俺も一緒にいくよ。顔を覚えてもらえれば俺が買い物に行っても平気だろ。俺も個人商店の場所を覚えたいしね」
 新顔ならまだマシかも知れない。
 そう言うと母は少しだけ笑って「そうかもね」と言った。

 イオンを奪った頃のことを思い出していた。
 街は綺麗になった。
 ゴミひとつない道、ラクガキの無い壁、道を行く乗り物は全て電動だった。
 この街に降る雨すら美しかった。


 そう、その美しい雨が問題だった。
 
 この街に降る雨が美しくなりイオンが奪われる。
 イオンが潰した個人商店が再びシャッターを開ける。
 細々と経営していた店は新顔に厳しく強気な眼段を提示しながらも経営を続けていた。
 そうやってかつての生活に回帰していく。
「元の生活か」
 独り言に母が反応して聞き返した。
「何でもないよ」
 それは大変な生活かも知れない。
 窓の外では雨が止んで晴れ間が射している。
 その光を眺めながら、楽をすると駄目になるからね、と言った母親の言葉を思い出していた。

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